柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

8月4日・吉田友紀さんの誕生日

アクセスの多い記事

私のブログで一番、アクセスが多いのが下記の記事です。

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その次に多いのがこちらの記事になります。

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今から、ちょうど4年前の記事です。

この記事のアクセスの高さから、吉田友紀さんについて知りたい人たちが大勢いることを改めて知りました。

現在はいろいろなサイトで吉田友紀さんの情報を得ることが出来て、ここにアクセスされる人達の中には、SNSを通じて交流されている方達もいるのではないかと思います。

私は吉田友紀さんの演技がとても好きで、過去にも記事に書きましたが、目で感情を表現する力がとっても好きです。

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それに、こちらがドラマ内での役の性格が素ではないかと錯覚してしまう高い演技力。

当然、役の下地にご本人の性格があるにせよ、いろいろと見ていると当たり前ですが、やっぱり別人なんだなって感じられて、役者って本当に七変化するんだなって思いました。

6年前に『あばれはっちゃく』の監督の一人である山際永三監督とお会いしてお話を聞きましたが、その時に吉田友紀さんがとても謙虚で『あばれはっちゃく』の成功も自分一人の力ではなく周囲のお陰であると仰っていることを聞いて、あれだけの才能があり結果を出しながらも奥ゆかしく素晴らしい人だなって思いました。

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『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2付属のブックレットに吉田友紀さんのインタビューが掲載されていて、そこで吉田さんはご自身の性格を分析されていて、そちらも吉田さんの人となりを知る手がかりだと思います。

長太郎と共通する部分、共通しない部分があって、私が知るのは様々なドラマで演じている吉田さんの姿しかないのですが、それが今は思い出の中だけでなく、DVDなどで好きな時に見返すことが出来るのは、俳優、吉田友紀さんのファンの一人として幸せだなって思います。

パパは独身とそれ行け!カッチン、電脳警察サイバーコップ

吉田さんが出演されたドラマを私はまだ全て見ていなくて、現在は見られない作品もあるのが残念ですが、そんな中で、吉田友紀さんが出演されたテレビドラマ『パパは独身』が来月発売されます。

この作品は岡江久美子さんが出演されていたドラマで、発売のきっかけが岡江さんがお亡くなりになったことが大きく関与しているので、気持ちは複雑なのですが、私は岡江さんも大好きな俳優の一人なので、今から発売を楽しみにしています。

また、この『パパは独身』は1976年にTBSテレビのブラザー劇場で放送された一作品で私が2歳の時のテレビドラマなので見るのが初めてなのも含めて楽しみです。

ブラザー劇場は『白馬の剣士(第二期)』(1964年8月3日~10月26日)から始まり、『コメットさん(大場久美子さん版)』(1978年6月12日~1979年9月24日)まで21作品作られたブラザー工業一社提供のTBSテレビの月曜19時半からのドラマ枠。

私がこのドラマ枠をリアルタイムで見ていたのは、『刑事犬カール』(1977年9月12日~1978年6月5日)の終わりの頃から最終作の『コメットさん(大場久美子さん版)』で当時4歳くらいの頃から5歳の頃でしたので、この2作品よりも前の作品を見たことがなかったので、現在この枠のドラマもDVD化されていくのがとても嬉しいです。

『パパは独身』は『あばれはっちゃく』と同じ国際放映作品であり、おそらくは吉田友紀さんが『俺はあばれはっちゃく』前に出演した国際放映作品になると思います。

『パパは独身』の前に同じく国際放映作品の『それ行け!カッチン』(1975年11月24日~1976年5月31日)にも吉田友紀さんは27話にゲスト出演されています。

9年前に『それ行け!カッチン』27話にゲスト出演した吉田友紀さんの感想を書いたのが下の記事です。

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この『それ行け!カッチン』もDVD1巻、2巻が出ていましたが『俺はあばれはっちゃく』同様に現在は廃盤になり、中古が高値で発売されています。

ですが、今年の10月にBlu-rayが発売されることが決まりましたので、こちらもお勧めです。

『それ行け!カッチン』には、『あばれはっちゃく』でお馴染みの山際監督や脚本家の田口成光さんも参加されており、また、吉田さん以外にも『あばれはっちゃく』シリーズに出演された子役の方達も出演されていますので、『あばれはっちゃく』が好きな人達が見ても私と同じように楽しめる人が多いのではと思います。

吉田さんが出演されたドラマは、まだまだたくさんあって、現在は視聴出来ない、難しい作品もありますが、こうして見る機会が生まれた作品は広く多くの人の目に触れて欲しいと思います。

吉田友紀さんが22歳の時に主演した特撮ヒーロー『電脳警察サイバーコップ』もYouTubeで公式無料配信されているので、ぜひ見てください。


電脳警察サイバーコップ第1話『最強の刑事!ジュピター登場』<期間限定セレクション配信>

私は俳優、吉田友紀さんのファンの一人として長太郎以外の違うドラマの違う役を演じた吉田さんを多くの人達に知って欲しいと願って、私が見れた作品に関してはこのブログで書き綴ってきたので、『あばれはっちゃく』シリーズ以外の吉田友紀さんの出演された作品についても、目を通して頂けたら嬉しいです。

あばれはっちゃく』シリーズ以外の出演作品に関しては、カテゴリー「吉田友紀」「気まぐれ本格派」「鉄人タイガーセブン」「電脳警察サイバーコップ」「教室205号」「すぐやる一家青春記」「映画」「子役」「ドラマ」等のカテゴリーで書いています。

吉田さん、54歳のお誕生日、おめでとうございます。

「めちゃんこ」という言葉

特に気にもかけなかった言葉

みなさんは「めちゃんこ」という言葉をいつ知って使うようになりましたか。

「めちゃんこ」は愛知県の方言なので、愛知県出身の方、その周辺の方々は当たり前に使っている言葉だと思いますが、それ以外の地域に住んでいる人で管理人の柿の葉(1974年生まれ)と同世代の人達の人にとっては、1981年からアニメ化され放送された『Dr.スランプアラレちゃん』の中で使われたことをきっかけに知った言葉ではないかと思います。

Dr.スランプアラレちゃん』は鳥山明先生の漫画『Dr.スランプ』を原作にした東映動画のテレビアニメで、1981年4月8日~1986年2月16日までフジテレビで毎週水曜夜7時から放送された人気テレビアニメでした。

原作者の鳥山明先生は愛知県名古屋市の出身で、同作品には鳥山明先生の出身地の愛知県の方言が多く使われ、その言葉が流行り、当時の私たちの子どもたちの間でその言葉が定着しました。

その中でも特に今も使われ、定着した言葉の一つが「めちゃんこ」だという認識があります。

「めちゃんこ」は1981年7月に発売された『アラレちゃん音頭』の歌詞にも多用に使われ、夏季期間のエンディングは『アラレちゃん音頭』が使われ、愛知県外の人にも馴染み深い言葉になっていきました。

それなので、子どもの頃の私は『熱血あばれはっちゃく』(1982年4月10日~1983年3月26日)の頃に劇中で長太郎が「めちゃんこ」という言葉を使っていても、特に気にしたことがなく、それは大人になってからも同じでした。

今回、下記の記事でこうさんから頂いたコメントを見て、その気にしなかった「めちゃんこ」という言葉について考えました。

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こうさんは、『熱血あばれはっちゃく』の1話で長太郎が「めちゃんこ」という言葉を使っていて、『ブッチィ―音頭』でも「めちゃんこ」という言葉を使っているということに着目していました。

上記に書いたように私は「めちゃんこ」は『Dr.スランプアラレちゃん』をきっかけに全国区で広く知られ使われた愛知県の方言であり、1980年代の流行り言葉の一つだという認識でしたので、「めちゃんこ」という言葉に特に注意をしていませんでしたし、重要ワードだと思ってもいませんでした。

物心つく前の時代

こうさんのコメントを読んでみますと、『あばれはっちゃく』のDVDに最近、嵌って、私のブログに辿り着いたことから、『あばれはっちゃく』本放送当時はまだ生まれていなかったか、物心がついていなかったのではないかと思いました。

違っていたらごめんなさい。もしも、『あばれはっちゃく』シリーズ本放映の時代に物心がついていて生きていれば、「めちゃんこ」という言葉が『アラレちゃん』をきっかけに普通の言葉として、日常会話、他の作品に使われていた時代の空気、雰囲気を体験していて、『熱血あばれはっちゃく』『ブッチィ―音頭』だけの言葉ではないと気付くと思いますし、そこに共通点を見つけ出すことはないと思うからです。

こうさんへの返信コメントにも書きましたが、1982年にはTBSで水曜夜7時半から吉田友紀さんが出演した『メチャン子・ミッキー』という堀ちえみさん主演のコメディードラマが放送されていましたね。

1980年代のドラマや歌を後年、DVDやレコード、CDだけで知っても、1980年代の全体の空気を全て知ることには限界があると思います。

1980年代に生きていた私には「めちゃんこ」が知れ渡って使われていった時代背景を体験していて知っていますが、その時代にまだ生まれていない、物心ついていない人達には調べない限り分からないことだと思います。

私自身も、自分の生まれる前の時代や作品を調べていますが、調べている作品以外の社会背景、時代の空気、流行ものというのは、やはり定点観測で推測を立てている部分があります。

だから、当時、生きていた方にはおそらくは見当外れの推測をしているかもしれません。

また、私がこうさんのコメントに感じた取り立てて結びつける必要のない出来事に共通点を見出して関連付けていることに疑問を持っている人達もいるかもしれないと思いました。

自分の知らない、生きていない時代を見ていく時に必要なのは、一つのことを語る時にはその一つのことだけを調べるのではなく、その作品が生まれた時代に誕生したもの、あったものを全て含めて時代全体を見て語る必要があるということを、こうさんのコメントから学ぶことが出来ました。

自分にとっては当たり前のことでも、違う世代が見ればそうは見えないということを、自分より若い世代の方から教えていただいたことは、自分の時代と自分が生まれる前の時代が好きで調べている私には貴重な勉強になりました。

こうさん、ありがとうございました。

ちなみにこのブログを読んでくださる愛知県外、その周辺以外の皆さんは、「めちゃんこ」をいつ知りましたか。『アラレちゃん』の後ですか前ですか。

子役出身者の成功って

あるランキング

gooランキングでこんなランキングが発表されました。

ranking.goo.ne.jp

好きな人たちもランキングに入っていて、妥当だなって思う一方で、あの人達がいないのはどういうことって思えるランキングでした。

このブログを読んでくださっている方々は、分かってくださると思いますが、今も舞台を中心に活躍されている島田歌穂さん、純烈で活躍中の酒井一圭さんがランキングに入っていないのが私は不満でした。

他にも水谷豊さん、風間杜夫さん、古谷徹さん、塩屋翼さん、高野浩幸さん、尾美としのりさん、梅沢富美男さん、高峰秀子さん、美空ひばりさん、富永みーなさん、長谷川真弓ちゃん、中嶋朋子ちゃん、西尾まりちゃん等々、数え上げたらきりがないくらいにあの人達がいないってなったんですが、水谷さんや風間さんは一度、子役をやめて大人になってから俳優として再スタートされているので、子役出身という認識が世間にあまりないのかもしれません。

また、成功したランキングにいる人は、2020年時点でテレビメディアや映画で見る人が多く、成功したという意味が、マスメディアで今も見かける人という意味合いでランキングに回答した人が多いんだって思いました。

また、比較的、若い世代が答えたアンケート結果であり、少し私とは世代が違う、違う世代のランキングなんだなって思いました。

成功とは

現役の俳優として今も俳優活動を続けている子役出身の俳優はもっと多くいて、例えば4代目長太郎役だった坂詰貴之さんは現役で活躍されている声優です。

初代『俺はあばれはっちゃく』5話に出演した葺本光秀さんはノブ&フッキ―のフッキ―として活躍されています。

それに、成功ってなにも芸能界に残って、今も世間に知られている人達とは限らないと私は思うわけです。

芸能界を引退されて別の業種で成功を収めている人達だっています。

初代『俺はあばれはっちゃく』で長太郎の親友、沢田公一役だった妹尾潤さんはゴルフクラブのインストラクターとして、小川明子役だった小宮山京子さん(現・河上京子さん)はゲームプロデューサー、ゲームクリエイターとして株式会社カエルパンダを設立され、2代目長太郎役の栗又厚さんは一流ホテルのシェフとして、2代目ケンちゃん役だった岡浩也さんは精神科医として、1974年の映画『砂の器』、『わが子は他人』(1974年)『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年)に出演された春田和秀さんはアメ車カスタムの社長として、それぞれ成功されています。

news.yahoo.co.jp

また、私が知らないだけで別の道で成功したり、幸せな人生を歩んでいる方達だっているはずです。

芸能界、特に今の時代でもテレビで見なくなると、芸能界で活躍を続けていても子役は大成しなかったって判断されてしまうことが今回のランキングで分かりました。

ここの記事では書ききれませんでしたが、『あばれはっちゃく』シリーズに出演された子役の方達を調べていますと、皆さん、それぞれの人生を歩み、芸能界に残ったり、また、別の道でちゃんと人生を生きていることが分かって、子役の成功って芸能界に残り続けるだけではないんだなって思いました。

芸能界に今も残って活躍を続けているのもすごいことですが、他の道でしっかりと成功さているのもすごいことで、そこに優劣はないんだなって思います。

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「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

 
ぼくらが子役だったとき

ぼくらが子役だったとき

  • 作者:中山 千夏
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

逆の立場で考えて

許さない

私は、元TBSアナウンサーで現在フリーアナウンサー竹内香苗さんが大好きです。

好きになったきっかけは、大好きな伊集院光さんのラジオ番組『伊集院光日曜日の秘密基地』のアシスタントをしていたのを聞いたからでした。

明るくて可愛くてお茶目で親しみやすい声で元気な竹内さんが好きになり、彼女が結婚して旦那様の仕事の都合でブラジルに住むことになり、TBSを退社した時はとても悲しかったけど、現在は日本に戻ってきて、伊集院さんの朝のTBSラジオ番組『伊集院光とらじおと』(月曜日~木曜日午前8時半~11時)の火曜日アシスタントになっていて、とても楽しみに毎朝、朝の支度(ゴミ出し、食事の用意、その他いろいろ)をしながら聞いています。

昨日、いつものように大好きな竹内さんの火曜日を聞いていると、アシスタントの声が木曜日担当のTBSアナウンサーの伊東楓さん。

え?あれ、今日は木曜日だっけか?と、スマホで曜日確認。

続いて伊集院さんの説明が入り、竹内さんが舞台で新型コロナに感染した人と仕事をしていたので、大事をとって自宅待機。竹内さんと連絡を取っていて、本人は元気という報告。

ニュースで知っていたけど、まさか、竹内さんがその集団感染した人とお仕事されていたなんて!と驚き、どうか、竹内さんに感染していませんようにと祈り、あ、竹内さんには小さいお子さんがいるし、大きくなったとはいえ他に2人の子どもさんもいるし、旦那さんも!皆さん無事だといいんだけどって思った後に、もしも竹内さんが感染していたら、集団感染した舞台関係者、全員、許さないだから!っていきりたっていました。

ちょっと待て!自分。

新宿であった舞台で新型コロナの集団感染があったニュースは耳にしていて、その杜撰でいい加減な新型コロナ対策に眉をひそめていましたが、大好きな人がそういう人と仕事であっていたことを知ると、私の中に怒りと憎しみが舞台関係者の人達に対して持ちました。

その後、一呼吸おいて、ふと、これが逆の立場だったらどうだろうって考えたんです。

もしも、新型コロナのクラスターが舞台関係者ではなく、『らじおと』の関係者だったら、私は『らじおと』の出演者、スタッフを全力で擁護して、許さないっていう人達に対して悲しみと怒りと恐怖を感じていたかもしれないって。

『らじおと』の出演者もスタッフも新型コロナにならないように細心の注意をして番組を作ってくれていることを知っている。

それで万が一に誰かが新型コロナになったとしても、決して責められるものではないし、もしもそこで別の仕事で接触のあった人が新型コロナの疑いになっていたら、きっと心を痛めているだろうから、責めないで、だって、新型コロナになってしまって病気で苦しんでいるんだから、これ以上責めないでってきっと思う。

私は、一瞬でも新型コロナに感染した人を、私が大好きな人を感染させた可能性のある人だと決めつけ、「許さない!」って心の中で責め立ててしまった。

逆の立場だったら、擁護するのに!なんてこと!って恥ずかしくなりました。

新型コロナに対する安易な考えは許せないけど

新型コロナ、コビット19に対する安易な対応や考えを許すことは出来ませんが、感染して苦しんでいる人をそれ以上に追い詰め、人格批判することは許されません。

私はそれを一瞬でもしてしまいました。本当に情けなく恥ずかしいです。

幸い竹内さんはTwitterでも元気であることをファンや関係者にツイートで知らせてくれていて、お元気そうなので現在は安心しています。

一日でも早い復帰を願っています。

これだけ、コビット19が蔓延していて、しっかりした予防をしていても感染する人も出ていると、いつ何時自分が自分の周囲が感染するか分かりません。

感染することが悪になっていて、まるで魔女狩りのように感染者を追い詰める。

コビット19に対する恐怖が必要以上に人の心を蝕み、差別を生み出していて怖いです。

なんとか、感染した方々の早い回復を祈り、また、竹内さんが完全に大丈夫になって再びラジオに復帰して欲しいと一人のラジオリスナーとして祈っています。

野球

昨日、『痛快あばれはっちゃく』ディスク1(1話~7話収録)チェックがてらに視聴して気づいた点を書きました。

もう一つ見ていて気が付いたことがあったので、そちらもメモ書きとして書いておきます。

また、改めてここで書いた記事を元にあれやこれやと妄想を繰り広げていこうかなって思っています。

 

野球

これまで初代『俺はあばれはっちゃく』(1979年2月3日~1980年3月8日)、2代目『男!あばれはっちゃく』(1980年3月22日~1982年3月27日)、3代目『熱血あばれはっちゃく』(1982年4月10日~1983年3月26日)を見てきて、私は『あばれはっちゃく』シリーズにおいては、当時の人気スポーツの野球よりも、まだ、プロ化していない野球よりはマイナーなサッカーの方が長太郎達が遊ぶ、対決に使うスポーツとして話に登場していることを書きました。

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ところが、4代目『痛快あばれはっちゃく』(1983年4月2日~1985年2月23日)になると、野球が出てきます。

信彦と清が入部したクラブは野球クラブ。

信彦と清の野球のユニフォーム姿が見られます。

初代から3代目までにも、野球帽が登場したり、初代『俺はあばれはっちゃく』51話「帰れ鬼っ子」でも野球のユニフォームを着た二郎の兄の姿があり、野球に関連するものは登場しているのですが、レギュラーメンバーがしっかりと野球クラブに所属し野球のユニフォームを着ているのは、3代目までの『あばれはっちゃく』シリーズ内における野球の扱いとしては異例に見えました。

当時の男子が好むスポーツとして見る分には、なんの問題もないし、とるに足らないことですが、私には意外に見えたのです。

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「痛快あばれはっちゃく」4話より


子どもの頃の当たり前

4代目は子どもの頃の放送当時に見ていた『あばれはっちゃく』の中で1番私の実年齢に年が近い代でした。

ちなみに私は子どもの頃は初代『俺はあばれはっちゃく』から4代目『痛快あばれはっちゃく』まで見ていました。

なので、初めて見たわけではなく、子どもの頃にも見ていたのですが、大人になって見直したときに、そういえば初代の1979年代ってそんなにサッカー人気ってなかったのに、初代の長太郎はユヴェントスのロゴの服を着てるし、サッカーボールで遊ぶし、サッカーの試合をしていたりしているな、3代目の長太郎はサッカー少年だしと気になりだすと、4代目で野球のユニフォームをきた信彦と清を見たら、「あれ、『あばれはっちゃく』なのに?」って思ってしまったのです。

当時本放送で見ていた時には、男の子が野球クラブに入ることになんの疑問を持つことなく、当たり前に受け止めていたのだと思います。

その前の代の3代目『熱血あばれはっちゃく』の頃には、『キャプテン翼』(漫画1981年~1988年、テレビアニメ化1983年10月16日~1986年3月27日)の漫画が人気でアニメにもなっていたので、サッカーって今、人気だよねって感覚。

初代、2代目は2代目の後半はともかく、初代、2代目の前半あたりは、特に印象的な話や全体の雰囲気を覚えていても、まだ4歳~6歳あたりで、サッカーとか野球に関してあんまり気に留めていませんでした。

サッカー人気が高くなった頃に

その信彦と清の野球クラブ入部と野球のユニフォーム姿を見て、4代目の頃は先に書いたように『キャプテン翼』の漫画とアニメの影響で、私の小学校でも放課後はサッカーをして遊ぶことが多くなったことを思い出し、それまでマイナースポーツが子どもの間では人気スポーツになったころに、当時は世間的には人気メジャースポーツの野球ではあったにしても、『あばれはっちゃく』を視聴する児童の間では野球人気を追い越す勢いのサッカーではなく、ここで野球を選んだことに、なんとなく、そこまでは考えていないのだろうけども、『あばれはっちゃく』スタッフの反骨精神を見た気がして、私は思わず、クスリとしました。

多分、考えすぎだと思うのですけどね。

また、それを4代目長太郎を野球部に入れるのではなく、信彦と清にしたのが長太郎はそう簡単にはなびかないよって感じて、そんで大好きなまゆみちゃんと同じお料理クラブに入部する長太郎が男でもお料理クラブに入ってもいいじゃん、だって、大好きなまゆみちゃんがいるから!っていう単純明確、独自の道を行く!長太郎らしくて面白いなあって思いました。

そういうとこでも、4話の脚本を書いた市川靖さんは長太郎とはこんな人物なんだって思っていたのかなって思うのです。

もしかして市川靖さんが原作『あばれはっちゃく』から読み取った核はこれかな?

『痛快あばれはっちゃく』のDVD1枚が駄目になってしまったので、今回の給付金で中古品を買いなおしました。

そこで、改めて『痛快あばれはっちゃく』ディスク1枚目をチェックを兼ねて1話から7話まで見返しました。

見返してみて、ふと、気が付いたことがあったので、ちょっとしたメモ書きとして書き記しておきます。

 

個人的見解

『痛快あばれはっちゃく』4話を見て、私が思い出したのは初代『俺はあばれはっちゃく』5話と2代目『男!あばれはっちゃく』9話でした。

この3話を書いた脚本家が市川靖さん。

私はこの3話に共通点を見ました。

長太郎がどういう人物かということを市川さんなりに解釈して決定づけている話だからです。

私は過去記事で、『男!あばれはっちゃく』9話は『俺はあばれはっちゃく』5話のセルフリメイクだと推測しました。

さらに、『俺はあばれはっちゃく』5話は原作『あばれはっちゃく』の「のしイカ作戦」を下敷きに、話の肝を変えずに分解してドラマ用に組み立てたのではないかと推測しました。

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その市川さんが組み立てなおした話は、長太郎が曲がったことが許せない正義感、自分に疑いがかけられる悔しさを感じながら、相手のために自分が折れること、自分の主張を下げることを選択する、好きな人のために悔しさを押し込め、歯を食いしばる男の辛さ、やり切れなさが書かれています。

初代ではヒトミちゃんに喧嘩も暴力もしないと約束し、それを守るためにヒトミちゃんに誤解されても、茂たちに殴られ、馬乗りをされて犬の鳴きマネを強要されても、我慢をし、ボクシングというスポーツで茂と決着をつけました。

2代目は邦彦がついた嘘を暴き、邦彦のせいで悪者扱いされていた長太郎は邦彦を追い詰めようとしましたが、みゆきちゃんの言葉やカヨちゃんの言葉で思いとどまり、事情を知らない同級生達から嫌味を言われても、邦彦を追求せず、さっぱりとそういうのに興味がないと邦彦を立てました。

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4代目の4話はまゆみちゃんが作ったお料理クラブに入部した長太郎の作った料理を食べた信彦が食中毒を起こし、お料理クラブが廃部になる危機になりました。

実は長太郎とまゆみちゃんが仲良くクラブ活動をしているのを嫉妬した信彦が長太郎が食べている料理を長太郎が作ったものだと勘違いして自分から食べてしまい、長太郎を陥れるために食中毒をでっちあげたのです。

信彦が食べたのはクラブの終わりにまゆみちゃんが作ったシチューを長太郎にタッパに入れて渡したもので、信彦が食べたのはまゆみちゃんの作ったシチュー。

信彦はそうとも知らずに、長太郎が作ったと思い込み、予想に反して美味しいシチューを「まずい、まずい」と言いながら全部食べてしまって、悔し紛れに長太郎に無理やりに食べさせられて、お腹を壊したと嘘の報告を広田先生とまゆみちゃんのお父さんの春日教頭先生に話したのでした。

その嘘の報告を聞いた広田先生と春日教頭先生とまゆみちゃんが桜間家にきて、信彦の食中毒を報告し、例によって長太郎は父ちゃんに張り倒されてしまいます。

長太郎は信彦の嘘を言おうとしますが、まゆみちゃんがその場にいた為に、まゆみちゃんの作ったシチューを信彦が食べたということを話すことが出来ません。

長太郎はまゆみちゃんのために口をつぐみます。

まゆみちゃんは長太郎のそんな様子と長太郎がクラブの時間に自分で作って失敗した料理をドン平の餌にしていたのを見て、信彦が食べた料理が自分が長太郎にあげたシチューだということを察します。

現実の理不尽さを味わう長太郎

本来の長太郎ならば、自分に身に覚えのないことで責められたり、怒られたりすると無実を主張して反論しますが、今回はまゆみちゃんのせいにされるくらいならと、自分の無実を主張しません。

この自分に反論するだけのものがあっても、約束したから、人のためにと、自分がいいように言われた悔しさや、疑われた悔しさ、理不尽さを押し殺して、本来の自分の主張を出来ない悔しさに耐える長太郎の姿を市川さんは書いています。

それは、市川さんが初めて『あばれはっちゃく』の脚本を書いたときに原作を読んで自分なりに長太郎像を読み取り、その読み取った長太郎を核として、ドラマの脚本を書いたから、シリーズが新しくなっていっても、その核になる長太郎像をぶれることなく、最初のドラマで書いた長太郎を書いてきたのではないか、その長太郎像を必ず各シリーズの自分が担当する初期の方に書いていたのではと思ったのです。

市川さんが2代目『男!あばれはっちゃく』で最初に書いた話は6話ですが、この6話も長太郎が正しいことだけを主張すれば解決というのではなく、和尚さんの優しさに合わせて、本当のことだけを追求するのが必ずしも解決に結びつかないという長太郎にとって理不尽な形での決着でした。

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こうした割り切れない綺麗ごとだけでは片付かない、すっきりしないモヤモヤを長太郎に体験させるのが市川さんの脚本から私は感じ取れます。

4代目『痛快あばれはっちゃく』4話で市川さんの話を見たときに、市川さんは長太郎に常に割り切れない悔しさを体験させ、現実がなんでも自分の思い通りにならない、妥協点を見つけないといけないという話を作ることを念頭に置いて『あばれはっちゃく』を書いていたんだなって思うのです。

それは、市川さんが原作の『あばれはっちゃく』から読み取った長太郎像であり、作品世界だったのだと思います。

現実はなんでも子どもの思う通りにはならない、子どもは大人の都合に振り回される、その理不尽に耐えなければならないということは、原作を読むと確かに感じ取れます。原作のみに登場する苫村清二が長太郎に言う言葉の中に、子どもの力だけではどうにもならない現実があることを伝え、早く大人になることという言葉があります。

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だからこそ、市川さんはどうにもならない悔しさ、耐える辛さを長太郎に経験させる話を書いてきたのだろうと思います。

それでいて、最後に長太郎にその耐えただけの褒美を与えています。

初代はヒトミちゃんの誤解が解け、クラスメイト達から理解され、2代目では和尚さんや父ちゃんから理解され(6話)、みゆきちゃん、カヨちゃん、邦彦、ゆかりさんには理解され(9話)、4代目もまゆみちゃんが分かってくれて、信彦も最終的に自分の非を公に認めました。

書いている途中で思い出しましたが、信彦が自分の非を認めたのは、原作の正彦が長太郎に謝ったことと重なります。

完全に長太郎の思い通りの解決にはならないのですが、長太郎が耐え忍んだだけの救いがあるのは、辛い現実と100点ではなくても80点くらいの報いはあるというのが、児童ドラマとしてのバランスを保っているように思いました。

3代目と5代目もみかえしてみよう

今回はディスクのチェックを兼ねて4代目を1話から7話まで見ましたが、それで市川さんが原作の『あばれはっちゃく』から何を読み取り、ドラマの脚本に生かしてきたのかを感じ取れました。

それは、きっと今回取り上げた初代、2代目、4代目だけでなく3代目、5代目でも書かれているはずなので、また、改めて市川さんの脚本に注目して見ていきたいと思います。

今回は、こんなところです。

荒木直也さんが歌った田淵幸一選手の応援歌とその他いろいろ

お久しぶりです。こんにちは。

まだ、私生活がドタバタしていて、さらにはスランプもあってブログはまだ休止中なのですが、今回、質問を頂きましたので、それについて簡単に分かっている情報を書きます。

 

 

『ブッチィ―音頭』

 

今回、こちらの記事のコメント欄にて、こうさんから3代目長太郎役荒木直也さんが歌った『ブッチィ―音頭』について質問を頂きました。

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発売日に関しての質問で、問われてから発売日について調べていなかったことに気づき、改めて調べてみました。

すると、『ブッチィ―音頭』が発売されたのは、1983年であることがhigehenさんのブログから分かりました。

ameblo.jp

私は当初、『ブッチー音頭』と表記していましたが、higehenさんのブログで正しい表記を確認したので、『ブッチィ―音頭』に直しました。

荒木さんが長太郎を演じた『熱血あばれはっちゃく』は1982年4月10日~1983年3月26日まで放送されたので、1983年に発売され、レコード発売記念として田淵選手のサインプレゼントの締め切りが昭和58年10月31日消印有効とあり、ジャケットの荒木さんを見ても、『ブッチィ―音頭』は荒木さんが3代目長太郎を演じ終えた後に発売されたレコードということになります。

私の過去記事にも書いていますが、『ブッチィ―音頭』の作詞は荒木さんの実父である作詞家の荒木とよひさ先生ですので、その縁で荒木さんが歌われたと思います。

田淵選手は『がんばれ!!タブチくん!!』という漫画がアニメになり、人気の高かった選手で、野球に疎い私でも知っている人気選手でした。

 

youtu.be

あばれはっちゃく』シリーズの出演者情報

『俺はあばれはっちゃく』30話出演岡田真明さんについて

休止中に頂いた出演者の情報、また出演者に関して私が得た情報をお伝えします。

まず、一つはエルビスさんから頂いた『俺はあばれはっちゃく』30話に出演した岡田さんに関する情報です。

岡田さんは『ふしぎ犬トントン』(1978年10月30日~1979年4月23日)12話に中野カズ夫役で出演されていました。ただ、この時の名前表記が『俺はあばれはっちゃく』(1979年2月3日~1980年3月8日)の時の「岡田真明」ではなく、「岡田正明」表記だったそうです。

あわせて下記の記事を更新しました。

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『俺はあばれはっちゃく』26話出演加藤茂雄さんについて

もう一つは、『俺はあばれはっちゃく』26話に出演した加藤茂雄さんについてです。

過去に加藤さんについて書いた記事です。

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 加藤さんは上記記事にあるように、1950年に東宝に入社されました。

上記の4年前の記事内では、このような失礼なことを書いてしまいました。

 加藤さんは、1925年6月16日生まれ。ご存命であれば、今年で91歳になります。

 加藤さんは4年前の2016年の段階ではご存命でしたが、今年、6月14日に誕生日2日前に94歳で他界されました。

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加藤さんは東宝の専属俳優として、『七人の侍』『ウルトラマン』シリーズや『ゴジラ』シリーズなど東宝関連の作品に脇役として数多く出演されました。

長年、脇役として活躍されてきましたが、上記の訃報記事にあるように、昨年2019年に93歳で『浜の記憶』(大島拓監督)で初主演を務めました。

『浜の記憶』は、加藤さんの俳優生活70周年を記念した作品で、映画作品のあらすじを読むと漁師生活をされながら俳優活動をされていた加藤さんをあてがきした作品だと思いました。

同じ作品内で複数の役を演じ、主演やメインキャストより目立たなくても、作品世界を壊さない演技力、さりげなくても確かな実力があってこそ、作品世界を支える陰の実力者は視聴するだけの一般人には分かりにくいものですが、職人の世界である映画やテレビドラマ世界のスタッフの皆様には分かる信頼があり、それが加藤さんにとって最初で最後の主演作へと繋がったのだと思います。

93歳で初主演されていたことも知らずに、「生きていれば」などという失礼なことを書いたことを大変恥ずかしく思い、と同時に加藤さんの訃報を知り、大変悲しく思いました。

遅くなってしまいましたが、加藤さんのご冥福をお祈りします。

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感想レビューは再開の目処が今はありませんが、『あばれはっちゃく』に関する情報が入り、それがいくつか纏まった時は、今回のように記事をUPします。

あばれはっちゃく』の出演者についても、調べている最中です。『男!あばれはっちゃく』12話あたりまでは調べています。

吉田友紀さん出演作ドラマ発売

最後に『あばれはっちゃく』とは関係ありませんが、初代長太郎役吉田友紀さんが出演されていた『パパは独身』(1976年12月6日~1977年9月5日TBS系『ブラザー劇場』)のDVDが9月に発売されますので、吉田友紀さんファンの方々にお勧めします。