柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『あばれはっちゃく』に登場したポケットベル(ドラマを見て分かる設定133)

ポケベル

今から5年前の2019年9月末で終了したポケベル。私がポケベルの存在を知ったのは高校生の頃の1990年代。当時は携帯電話もまだまだ一般的ではなく、スマホも存在していなかった時代。そんな時代に登場した文字入力ではなくて、数字でメッセージを伝えるポケベル。このポケベルの歴史を調べてみると、NTTのサイトで1958年にアメリカでサービスが始まり、その10年後の1968年に日本でサービスがあったと紹介されていました。

それを知って私が思っていたよりも、ポケベルの歴史は古かったんだと驚きました。なぜ、今になってポケベルの歴史を調べてみたかというと、『痛快あばれはっちゃく』を見ていた時に7話でポケベルが登場してきたからです。『痛快あばれはっちゃく』7話の放送日は1983年5月14日。高校時代にポケベルの存在を認識した私には、こんな古い時代からポケベルってあったっけ?と驚いて調べてみたわけです。すると、私が思っていたよりも、ずっと歴史が古いことが分かりました。

調べてみると、ドラマで登場したポケベルは1972年に発売されたポケベルA型であることが分かりました。4代目『痛快あばれはっちゃく』の長太郎達は1972年度生まれですから、下記引用画像で長太郎が持っているポケベルは長太郎と同い年になるんですね。(ただし、4代目長太郎は4月1日の早生まれですから、厳密にいえば1歳年下になりますが)

このポケベルはマヤのお父さんの持ち物。配達の仕事でマヤのお母さんからの連絡用に使われていました。今なら、スマホで簡単に連絡が取れる時代なので、40代以下の人達には不思議な場面に見えると思いますが、高校生になってからポケベルの存在を知った私はこんな昔からポケベルがあったんだと驚きました。当時、リアルタイムで視聴していたのですが、自分自身の生活空間に存在しない小道具に関しては特に大きな印象として残らなかったんでしょうね。だから、DVDで見返して驚いてしまいました。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

セリフはないけど名前がわかるモブの女の子

『痛快あばれはっちゃく』7話を見ていて気付いたことは、セリフがなくちょっと出てきただけの女の子だけど、名前が分かる女の子がいたこと。長太郎がマヤのお父さんと配達をしていた時に公園でちょっと長太郎が公園にいる子達と遊ぶ場面があるのですが、そこに自転車があって、その自転車に女の子の名前がかいてあるんです。それで、その場面にいる女の子が一人だけなので、必然的に自転車に書いてあるのは、その女の子の名前じゃないかなって推測することが出来ました。でも、あくまでも推測なんですけどね。もしかしたら、男の子の誰かの名前という可能性もあるかも。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

7話で登場した伏線

それから7話を見ていて気付いた伏線。それが長太郎との交流をきっかけとして、マヤの両親がもう一人子どもが欲しい、今度は男の子が欲しいねって話しているんです。これ、その時はそんなに気にならない会話なんですが、『痛快あばれはっちゃく』を2年見ていくと、58話(1984年5月14日放送)でマヤのお母さんの妊娠が分かって、83話(1984年12月8日放送)でマヤの弟のシンタロウ君を出産しているんですよね。マヤの弟が誕生する伏線がこの7話で登場していて、ちゃんと最終回までに回収されていたんです。いやあ、びっくり。

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桜間家の父ちゃんは2代目以降男兄弟になってからは、「女の子がいればなあって」よく言っていたし、長太郎も妹が欲しいと言ってはいたんですが(姉がいる初代の長太郎も)桜間家には新しい家族は増えなかったですね。

2話に登場した週刊少年マガジン

最後は7話の話題から外れますが、同じく『痛快あばれはっちゃく』からの話題です。今回の話は2話。この2話で一平さんが会社で読んでいる漫画雑誌(会社で漫画を読んでいていいの)が『釣りキチ三平』が表紙の『週刊少年マガジン』1980年45号です。画像の中に説明を書きましたが、2話の放送日が1983年4月9日なので、放送の3年前の『週刊少年マガジン』が小道具として使われていたことになります。

週刊少年マガジン』は私の亡父が創刊号から愛読していた雑誌なので幼少時代から馴染みがあり、とても懐かしい少年誌です。

『痛快あばれはっちゃく』2話より