柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

長太郎の愛称

長太郎の愛称

Wikipediaの『あばれはっちゃく』の項目を見ていて気になったことがあります。

長太郎の映像作品での愛称が「桜間くん」「はっちゃく」と記述されていたことです。

「はっちゃく」の方はいいのですが、長太郎が特に親しい友人達から「桜間くん」と呼ばれているのを私は耳にしたことがありません。

ヒトミちゃんも公一も、正彦も、恵子ちゃんも明子や小百合達が長太郎を呼ぶときは「長太郎君」です。

これは、2代目、3代目、4代目、5代目も同じで、時々怒ったり、男の子の友達の場合は「長太郎」と呼び捨てにすることはありましたが、初代では35話「泣け!優等生マル秘作戦」で長太郎の裏切りに対して正彦が

「長太郎が裏切ったんだ!」 

 と呼び捨てにしていますが、基本的には苗字ではなく、名前に君づけで呼んでいました。

このWikipediaの間違いは、10年前にテレビ朝日の『大胆MAP』の最終回でよゐこ濱口優さんが子どもの頃に憧れ、会いたい人として『あばれはっちゃく』の出演者に会いたいという企画で、初代長太郎役の吉田友紀さん、初代ヒロインひとみちゃん役の早瀬優香子さん、全シリーズ先生役の山内賢さん、2代目長太郎役の栗又厚さんに会った時に、早瀬優香子さんが先に来ていた長太郎の格好をした濱口さんと吉田さんに声をかけた時に、

「はっちゃく君」 

 と声をかけたのが理由にあるのだろうか?と思ったのですが、早瀬さんは「桜間くん」とは呼んでいないので、Wikipediaの「桜間くん」はどこから出てきたのか私には分かりません。

映像作品での愛称は「桜間くん」「はっちゃく」 

 とありますが、映像作品、テレビシリーズ、DVDを見ていればありえないことだからです。

父ちゃんの方はドラマでは正彦の父親の会社の部下という設定なので(この長太郎のライバルに相当する同級生の男の子の親がとうちゃんの上司設定になるのはシリーズの定番になっていきました)正彦の父親から「桜間くん」と呼ばれていましたが、この父ちゃんを「桜間くん」と呼ぶのを長太郎の愛称だと勘違いされたか、2代目からは長太郎が転校生になるので、まだ同級生達と仲良くなる前の印象で苗字で呼んでいた印象があったのか?それでも、「桜間くん」を映像作品での愛称として記述するのは、ドラマの『あばれはっちゃく』のテレビシリーズもDVDを見ていないで書いたのではないか?と思ってしまいました。

長太郎の愛称が「桜間くん」で間違いないと思われる方はいますか?

私の見落としでしょうか?

40年

40年

今から40年前、2月3日土曜日に『俺はあばれはっちゃく』の放送が開始されました。2月3日にブログを更新出来なかったことは残念ですが、決して40年前の2月3日に放送されたのを忘れていたわけではありません。

Twitterで2月3日に吉田友紀さんが、『俺はあばれはっちゃく』が40年前の2月3日に放送されたことを書かれていたことがとても嬉しかったです。

吉田さんにとって初めての主演作。様々な思い出が詰まっているのだろうと思います。良い思い出、辛い思い出、楽しかったり、悔しかったり、私には計り知れないものがあるのだろうと思います。

40年前(撮影クランクインは前年の12月で41年前)に山中恒先生の『あばれはっちゃく』がドラマ『俺はあばれはっちゃく』として、誕生してくれて本当に良かった。子どもの頃も今も大好きなドラマです。

DVDで何度も見られるようになり、何度見ても新たな発見があります。吉田さんはもちろん、ここに来てくださる『あばれはっちゃく』のファンの方達にとっても、スタッフや他の出演者の人達にとっても様々な思い出と共に大切な作品であることは間違いないと思いますが、私にとってもとてもとても大切な大事な作品です。

私の中では思い出の作品ではなく、今も生き続けている現役の作品なのです。

私は、『俺はあばれはっちゃく』がとても大好きです!

純烈!紅白出場!おめでとうございます!

紅白出場おめでとうございます!

今年、2018年NHKの紅白歌合戦酒井一圭さん率いる純烈の初出場が決まりました。

念願の紅白出場です。

おめでとうございます。

地道な活動とファンを大事にして活動してきた結果ですね。

出場歌手一覧のリンクです。純烈の名前が確かにあります!

www.nhk.or.jp

この『あばれはっちゃく』ファンブログの管理人としては、『あばれはっちゃく』シリーズのレギュラー陣で、初代『俺はあばれはっちゃく』で桜間長太郎・あばれはっちゃくの姉・桜間てるほを演じた島田歌穂さん以来(1988年、1989年2回連続出場)、2人目の紅白歌合戦の出場ということに注目してしまいます。

リーダーの酒井一圭さんが『あばれはっちゃく』の大ファンで自らも5代目長太郎を演じていたこともあり、応援をしていましたが、それに加えて純烈が紅白出場をデビューから目指していたのを知っていて、デビュー間もない頃に地元のデパートで営業をしていた時に見に行ってCDを買いサインをしてもらって握手をしてもらったこともあり、念願の紅白出場を叶えたことが嬉しいです。

自分の夢を確実に現実にしていく5代目長太郎・あばれはっちゃく、純烈のリーダー酒井一圭さんの実現力。

あばれはっちゃくになりたくて子役になり、見事長太郎役を射止め、戦隊ヒーローになりたいと『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオブラックを演じ、紅白出場を目指してそれを実現させた酒井一圭さんと純烈のメンバー。

今から、紅白歌合戦が楽しみです!

山際監督の本

山際監督の本

コメント欄で、なんぱくさんから教えていただいた山際監督の本『監督山際永三大いに語る 映画『狂熱の果て』から「オウム事件」まで』を買いました。

内藤誠監督、内藤誠監督の息子さんの内藤研さんが山際監督にお話を伺う形で生い立ちから、映画界に入ってのこと、子ども作品と子役との関係、ロス事件の三浦氏との関りなどの山際監督の活動など、知らなかったこと、改めて確認したことなど認識を深く知ることが出来て、とても嬉しい本でした。

現在、私は1930年代の映画作品を見て、映画の歴史の勉強をしている最中なのですが、山際監督とその作品を知るにあたって、改めて映画の歴史を勉強をしっかり深くしなければいけないと、自身の勉強不足を恥じました。

山際監督の本を作る企画を出してこの本を作り上げてくださった内藤誠監督は、本書の中にも記載がありましたが、『鉄人タイガーセブン』(1973年)で監督をされていたことで、存じ上げていた監督の方で、私にとっては印象深く、好きな監督の一人であり、その方が同じく尊敬し大好きな山際監督の本を書いてくださったことは、とてつもなく贅沢で、裏表紙には大好きな『俺はあばれはっちゃく』(1979年)の吉田友紀さんの長太郎の写真もあって、本当に嬉しく大事な大切な一冊の本になりました。

なんぱくさん、本のことを教えてくれてありがとうございます。本の内容について、感じたことについては、いずれまた書きたいと思います。

監督 山際永三、大いに語る;映画『狂熱の果て』から「オウム事件」まで

監督 山際永三、大いに語る;映画『狂熱の果て』から「オウム事件」まで

 

 

『はてなダイアリー』今までありがとう、これからは『はてなブログ』でよろしく!

はてなダイアリー』がめぐり合わせてくれた出会いに感謝

 

はてなダイアリーの終了は残念です。2005年、13年前からはてなダイアリーを使い始めました。

様々なブログサービスの中で、はてなダイアリーが私にはとても使いやすく、やりやすかったので、すごく重宝しました。

既にはてなブログに移行させてもらいましたが、そこから始めた『あばれはっちゃく』シリーズの感想、考察を通して、ファンや出演者、制作者の方達との出会いがありましたから。

はてなダイアリーに、日々感じたこと、好きなことを書いてきて、それを通して普通なら出会えない人達と出会い、交流をすることが出来ました。

上に書いた『あばれはっちゃく』シリーズのファンや出演者、制作者の方達もそうですが、趣味の折り紙の愛好家の仲間、枡野先生の「かんたん短歌」など、はてなダイアリーがなければ、こうした自分の好きなものへの思いを書くことはなく、同じものを好きな人達との交流もなかったと思うと、とても寂しく、そうした交流があったからこそ、楽しい時間を持てたのだと、とても感謝をしています。

はてなダイアリーの終了は、とても残念ですが、これからは、こちらのはてなブログの方で引き続きお世話になります。

はてなブログのサービスが長く続くことを願っています。

はてなダイアリーおつかれさまでした。

はてなブログ、これから先もよろしくお願いします。

予期せぬ人気と延長がもたらした長太郎役の変遷理由(推測)

オーディションなし

『俺はあばれはっちゃく』の長太郎役は、オーディションなしで吉田友紀さんに決まりました。

プロデューサーが吉田友紀さんを指名したことは、『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2の解説書にある吉田友紀さんのインタビューの中で、吉田友紀さんが答えています。

ーー主役はオーディションで決められたのでしょうか?

吉田:当時『気まぐれ本格派』というドラマに出ていたんですが、それが終わった頃に母親から「主役の話が来ている」と言われまして、それでやってみることにしたんです。プロデューサーの方は主役を僕にきめていたそうで、「鼻があぐらを掻いているからお前に決めた」と言われました(笑)。ですから、オーディションは受けていません。

インタビューでは、『俺はあばれはっちゃく』が当初2クール、26話で終わる予定だったことも話されていて、クランクインした1978年12月時点で、1966年8月4日生まれの吉田友紀さんは12歳。

半年後に終了して中学生になったとしても、中学1年生の1学期で撮影が終了するとして、吉田友紀さんが小学5年生の桜間長太郎を演じるのに無理はないと判断と、それまでの吉田さんの実績から、長太郎役に指名したのだと考えられます。

しかし、予想に反して『俺はあばれはっちゃく』は10話を超えた頃から視聴率20%近くの人気番組となり、放送の延長が決定して、全56話約1年間と一ヵ月(1979年2月3日~1980年3月8日)の作品となりました。

この間に吉田友紀さんは13歳の誕生日を迎え、声変わりもしていき、身長も伸びていきます。

この成長は吉田友紀さんがこれ以上、小学生の長太郎を演じることが出来ないことを意味します。

予期せぬ人気と延長

人気番組になった作品を止めてしまうのはもったいない、主役の吉田友紀さんは小学生の長太郎を演じるのには無理が出てきた、そこで新たなシリーズとして続けていくことにし、2代目長太郎役を探し始めた結果、栗又厚さんを2代目長太郎役にした新シリーズ『男!あばれはっちゃく』を始めたと考えられます。

あばれはっちゃく』は最初から長期ドラマとして始まった作品ではなく、人気が出た結果、延長が決まった長期ドラマ作品であり、制作側が吉田友紀さんの成長を考えずにキャスティングしたという説、元々は半年で終わる予定のドラマだったことであることから中学生になった吉田友紀さんを1年しか使えなかった教訓として、後のシリーズの長太郎役の配役に生かしたという説は、いささか信憑性に乏しく、結果、長期ドラマシリーズになった『あばれはっちゃく』を後年から見て唱えた説に見え、当時の事情を見ていない説に思えます。

吉田友紀さんが成長によって1年しか使えなかったから、後のシリーズの長太郎役が役と同い年、年下の子役にしたのではなく、人気作品になった結果、長く続けていけることが分かったからそうなったと考えるのが自然のように思います。

 

吉田友紀さんのインタビュー記事から『俺はあばれはっちゃく』の延長が決まり25話の伊豆のロケがご褒美ロケだった事実、2代目に長太郎のライバル役、初代の正彦にあたる邦彦を演じた長野昇一さんがヒトミちゃんの従弟のサトル役で27話に出ていて、それがカメラテストであったという吉田友紀さんの証言から、当初の予定だった2クールを迎える頃、あるいは過ぎた頃に2代目の準備はその頃に始まっていたことが考えられます。また、本格的な2代目の主役探しは10月から始まっていたことが6年前の浮草さんのブログから分かっています。

制作側の配慮

長太郎役は吉田友紀さんのはまり役でした。

吉田友紀さんが中学生になり、小学生の長太郎を演じられなくなったのなら、中学生の長太郎の話にしても良かったように思います。

でも、『あばれはっちゃく』は小学生が主人公の物語であり、子どものためのドラマであったこと、小学生を中心とした子どもに向けて制作されていた作品であったこと、主演で出番が多い子役の学業への負担への配慮もあって、山中恒先生の原作の小学5年生~6年生の長太郎を演じるのは、その長太郎に近い年齢の子どもである必要があったのだと思います。

鍛治昇プロデューサーは作家の人達が書いて来た脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも子ども中心のドラマにつくり上げていっているのだ。例えば、長太郎役が吉田友紀君から、栗又厚君へ、そして現在の荒木直也君へと変わって来ているのもそのためなのだ。

感受性がどんなに豊かで、お芝居がどんなに上手な子でも、その子が中学生になってしまうと、学校の勉強があったり、中学生として、また高校生としての人間的な生活を学んでいかなければ素晴らしい大人になることが出来ないだろう。

 そういった配慮が制作上の他の問題にもいろいろとなされているのだ。

 

クラブと恋と夢 (手をつなぐ中学生の本)

クラブと恋と夢 (手をつなぐ中学生の本)

 

これは3代目『熱血あばれはっちゃく』放送中に父ちゃん役の東野英心さんが書いた本『クラブと恋と夢』にある言葉です。

子ども中心のドラマ作りは、初代『俺はあばれはっちゃく』の企画段階からあったと作品を見て思うのですが、長期シリーズになって、見ている子ども達だけでなく、そこに更に演じる子役に対しての配慮も生まれてきたのではないか?と、私は東野さんの本を読んで思ったのです。

あばれはっちゃく』の人気と終わり

2代目『男!あばれはっちゃく』で最高視聴率21.7%、全102話の平均が15.7%だったのが、3代目『熱血あばれはっちゃく』になると最高視聴率19.7%、全49話の平均が15.7%になり視聴率の面から見て人気に陰りが見えてきます。

4代目『痛快あばれはっちゃく』で微妙なマイナーチェンジをしたことは、以前も書きましたが、これも過去に書いていますが、5代目『逆転あばれはっちゃく』は大きな変更をしています。

kakinoha.hatenadiary.com

設定年齢よりも年齢が低い酒井一圭さんを長太郎役にしたのも、4年生から話を始めたのも、5代目以降もDVDの解説書にある当時の企画書を参考に書いてある企画概要を読むと『あばれはっちゃく』を続けていこうという作り手の気持ちがあったと感じられます。
酒井一圭さんに決まったのは、実年齢よりも体が大きかったのも理由の一つだったようです。

初代は、思わぬ形で延長になり、当初の予定と違った形で番組が続きましたが、5代目はこれからも続けていこうとしたのが、予想に反してこれまでの視聴者や新たな視聴者の支持を得ることが出来ずに、半年で終わってしまったのだろうと思います。

短く終わるつもりで作った作品が長期作品になり、長期作品にするつもりでマンネリを打破して続けていこうとした作品がシリーズ最終作になってしまったというのは、皮肉な話です。

憶測『あばれはっちゃく』を支えた世代

私は放送当時の子どもの頃は4代目までしか見た記憶がないのですが、5代目の制作側にとって予想外の終了になったのは、『あばれはっちゃく』の主な視聴者であった小学生の大半が中学生になっていて、対象となる視聴者が離れていったのではないかと推測します。

私は1974年生まれですが、第二次ベビーブーム世代で子どもの数が多かった世代です。

この第二次ベビーブーム世代が『あばれはっちゃく』の中心視聴者だったのではないでしょうか。

その世代が成長して離れ、下の世代が『あばれはっちゃく』を選択しなくなっていき、『あばれはっちゃく』は終わってしまったのではないかと私は思います。

あばれはっちゃく』の原作小説は1970年~1972年読売少年少女新聞に発表されて1970年6月2日~1972年3月30日まで連載された作品で、1979年にドラマ化した時にも、今の時代に流行るのだろうか?と『俺はあばれはっちゃく』のメイン監督であった山際監督は話されていました。

その『あばれはっちゃく』が受け入れられ、1979年2月~1985年9月まで続いたことこそが奇跡であり、その奇跡の時代を『あばれはっちゃく』を受け止める子どもとして過ごせたことは、とても幸せだったのだと思います。

もしも、ドラマになってなかったら、原作の『あばれはっちゃく』もというよりも、『あばれはっちゃく』の世界を知らずに大人になっていたと思うと、私が幼児の頃から小学生時代までの間にドラマにして見せてくれた全ての『あばれはっちゃく』を生み出してくれた方々に感謝をしています。

ありがとうございました。

今日も私は、なんとか生きています。

悲しい知らせ

お久しぶりです。

ある日、4代目『痛快あばれはっちゃく』のDVDを再生していた時でした。5話の「富士山を走る少女」の途中で画像が乱れてしまったのです。

ディスクが汚れているのかなと思い、拭いてみたのですが、何度も同じところで乱れてしまいます。

よく見てみると、どうやら傷があり、研磨が必要だということが分かりました。

しかし、過去に個人的に研磨で失敗したことがあり、1話~4話まで正常に見られるDVDを研磨することが怖くて、そのままにしています。

プロに頼むのがいいのでしょうが、そこまでのずくがありません。

気持ちが折れてしまい、DVDを見ることも、研磨をすることも、頼むことも面倒になっていて、気持ちの立て直しが今でも出来ていない状態です。

大事に扱っていたので、どこで傷がついたのかと思うのですが、ノートパソコンに入れた時の入れ方が悪かったのかなと、同じノートパソコンにいれた別のDVDがノートパソコンの再生時に危うく同じような現象になりかけて、取り出し、テレビに接続してあるDVD再生機で見てみたところ、無事だったので、それくらいしか心当たりがないので。

一度は見ている話なのですが、もう一度見て、ブログで語りたいなって思って起きたことなので、私の自身の過失ですが、気持ちが沈んだまま、ブログの更新に手がつけられない状況が続いています。