柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

トラさんを知っていますか?

 

『俺はあばれはっちゃく』エンディングより

録音部の子ども好きなトラさん

トラさんは、初代『俺はあばれはっちゃく』と4代目『痛快あばれはっちゃく』の録音を担当した録音部の笠原虎雄さんのことです。笠原さんに関しては、8年前に山際永三監督にインタビューした時に山際監督の方から、そのお名前が出ました。その時の笠原さんに関して出ているのが以下の記事リンクです。下に笠原さんに触れている部分をリンク記事から引用します。

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山際・『俺はあばれはっちゃく』は同時録音でしたね。同録です。「トラさん」って呼ばれてた録音部の笠原虎雄さんが、非常に子ども好きでねぇ。僕らの知らないところで、子ども達を上手く可愛がってくれて。確かロケでも同録で撮っていたんじゃないでしょうかね。

同時録音という、当時新しい技術を使って『俺はあばれはっちゃく』は撮られていた作品だったんですね。

また、同時録音と虎さんのことについては、『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2のブックレットに掲載されている島田歌穂さんもインタビュー内で話されています。

同時録音の経験

島田さんはインタビューの中で、同時録音を経験したのは『はっちゃく』が初めてと話しています。

ロボコンのときはアフレコでしたけど同録を初めて経験したのがはっちゃくで、それも新鮮でした。(『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2ブックレットより引用)

今では、映像と音声を同時に撮ることは当たり前の技術になっていますが、初代『俺はあばれはっちゃく』が始まった頃の1979年は、同時録音が始まったばかりでした。また、2代目『男!あばれはっちゃく』の信一郎役の須田庄治さんが、かつてロケ先で音声が悪かった時は、後からアフレコをしていたとファンサイトの掲示板だったかで、書いていたのを見かけたことがあるので、少なくとも1980年代の前半までは、同時録音という技術は、まだまだ新しく、不安定な技術だったのだろうと思います。

現在、4代目長太郎役だった坂詰貴之さんは、主に声優として活躍されていますが、坂詰さんだけでなく、声優の方の中には子役出身の方達が多くいます。それはドラマでの同時録音という技術が1979年頃に始まったことや、島田さんや須田さんの言葉から考えると、昔から活躍されていた子役の方達はアフレコを意外と仕事で経験されていて、声優の仕事に対するスキルも持ち合わせていて、その関連で声優の仕事をする人も多いのかなって、個人の感想ですがそんなことを思いました。

初代から戻ってきた二枚目のトラさん

話を戻して、また、島田さんは笠原さんについて、こんなこともインタビューで語っていました。

あとびっくりしたのが録音のトラさん(笠原虎雄)がみんなの知らないうちに番組のメイクさんと付き合っていて…トラさんは2枚目の物静かで寡黙な方だったんですけど、撮影が終わる頃にご結婚なさって、本当にびっくりしました!(『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2ブックレットより引用)

初代で笠原さんは、メイクさんとご結婚されていたんですね。『俺はあばれはっちゃく』の中で一組の夫婦が誕生していたという。笠原さんは2代目『男!あばれはっちゃく』からは、『あばれはっちゃく』のスタッフから離れてしまうんですが、4代目『痛快あばれはっちゃく』で戻ってきているんですね。

4代目は初代長太郎を演じた吉田友紀さんが島津隼人役で戻ってきてくれましたが、初代から戻ってきたのは、吉田さんだけでなく、子ども好きで二枚目で寡黙な録音のトラさんも戻ってきたんだってこと、同時録音という新しい技術が43年前の『俺はあばれはっちゃく』の頃に始まったことなんかを覚えておいてくれると、嬉しいなって思います。

『痛快あばれはっちゃく』エンディングより

38年前を振り返って

『痛快あばれはっちゃく』55話より

4代目にも

以前、5代目『逆転あばれはっちゃく』でルリ子母娘がコアラボーイコッキィのトレーナーを着ていたことに触れましたが、その前に4代目『痛快あばれはっちゃく』でも着ていたことを、わらさんの動画を見て気づきました。

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今回の確認以前にこの話、DVDで見返していたんですけれど、その時には気づかず、5代目でコアラボーイコッキィのトレーナーを見た時に4代目で中学のバトン部の人達が着ていたことも思い出せないでいました。

思い出してみれば『コアラボーイコッキィ』(テレビ東京系列)は、『痛快あばれはっちゃく』放送当時に放送していたテレビアニメで、どちらかといえば『痛快あばれはっちゃく』の時代のアニメなんですよね。

私の思い出の中で『コアラボーイコッキィ』は1年間放送されていた記憶があったんですが、今回調べてみると、1984年10月4日~1985年3月28日までの半年間だけしか放送されていなかったんです。5代目の時にも触れましたが、同じ年にフジテレビ系列で『ふしぎなコアラブリンキー』というコアラのアニメがありまして、こちらは1984年7月7日~12月28日までの半年間。

たぶん、私の記憶の中でこの2つのコアラアニメが混同していたのではないかなって思いました。とにかく、この1984年はコアラが日本にきたことで、コアラブームがあってコアラの人気が高かった時期でした。私もコアラのぬいぐるみを買ってもらったりしてました。55話では、まゆみちゃんが憧れのユリ子さんに手作りのコアラのぬいぐるみをプレゼントしていて、ここでも当時のコアラ人気の高さを感じました。

『痛快あばれはっちゃく』55話より

同性に憧れる

『痛快あばれはっちゃく』では、まゆみちゃんの交換日記の相手を長太郎が気にして、その相手が女性のユリ子さんだったというオチだったんですが、長太郎が女が女を好きになることが「おかしい」って言って、信彦もそれに賛同するんですが、それをまゆみちゃんはごく自然に、2人を責めることなく否定するんですよね。

まゆみちゃんは長太郎や信彦の感覚を非難するのではなく、同性に憧れることはおかしくないと自分の感性を述べていて、私はこうしたまゆみちゃんの他人の感性を否定することなく、自分の素直な感情をおかしいとは思わないと自然に言えるところが素敵だなって感じます。

広田先生も性別に関係なく、憧れの人がいること、そんな人に近づきたいと頑張る姿勢を肯定していて、長太郎達にも憧れる存在になることを諭しています。今の2022年の時代には多様な価値観が当たり前になりつつありますが、『痛快あばれはっちゃく』55話が放送されていた38年前には、異性愛が普通で同性愛は変というのが普通でしたが(そういう人達が存在していても、そういう人達を認める人達が少数だった時代)、そんな時代の中で、同性に憧れたり、恋愛に近い感情が変ではないとしたことは大きな寛容だったように思います。

昔、見た『あばれはっちゃく』の個人サイトさんが、4代目ヒロイン春日まゆみちゃんについて、歴代のヒロインの中で、一番、長太郎に優しかったヒロインと紹介されていました。私もそれには納得で、加えて、まゆみちゃんは一番優しいというか、いろいろな立場の人のことを思いやり、個人の価値観を否定しない広い心を持つヒロインだなって思います。

まゆみちゃんだけでなく、ヒトミちゃんもみゆきちゃんもあけみちゃんもあかねちゃんも優しいのですが、ヒトミちゃんやみゆきちゃん、あかねちゃんは気の強さが前に出ている印象で、あけみちゃんは少しおとなしいかなって思ったり。でも、優しさに個人差があるだけで、人によってどれが一番の優しいかっていうのは、変わりますしね。

まゆみちゃんが一番優しいと感じるのは、他人を完全否定しないところ。それでいて、自身が別の考えや感性を持っていれば、それをちゃんと主張しているところでしょうか。55話の最後でまゆみちゃんは清、信彦、長太郎の長所を挙げていくんですけれども、そうしてちゃんと長所をいえるということは、相手の悪い面だけを見ているのではなくて、良い面をちゃんと見ている。

長太郎や信彦達が悪いことをすれば怒るし、まゆみちゃんも時々はわがままを出したりもするけれども、友達の良い所も悪い所見ていて、自分と違う価値観を持っていても、頭ごなしに否定しないで、自分の意見を述べることの出来るまゆみちゃんは、とても優しい子なんだなって私は思います。

38年前よりも社会の価値観は多くなり、いろいろな嗜好のある人達がいることは、可視化されてきましたが、自分の感性や性的嗜好、価値観と違う人への拒絶や否定も多く可視化されていて、まゆみちゃんのような相手の価値観を頭ごなしに否定しない人というのは、案外と少ないのではないかなってことを今回55話を見返して思いました。

『痛快あばれはっちゃく』55話より

涙腺が弱くなる

今回は58話のマヤの引っ越しの話も続けてみたのですが、なんか、こうね。家族を思う心というか、そういうのに触れて、ラーメンの屋台の場面で涙が止まらなくなってしまったんですよ。

『痛快あばれはっちゃく』58話より

子どもの頃には、いい場面だなって思っても泣かなかった場面なのに、勝手に涙が出てきて切なくなって、ボロボロ泣いていて、涙腺が弱くなりましたね。いろいろと子ども時代を懐かしく思ったり、ああ、貴重な時間だったんだなって思ったり、嫌な思い出もたくさんあった子ども時代だけども、そんな時代を『あばれはっちゃく』特に4代目『痛快あばれはっちゃく』を見ていると思い出して、それが物語の内容と重なると泣いてしまう。

私にとって現役時代にリアルタイムで見ていた『あばれはっちゃく』では、4代目『痛快あばれはっちゃく』が一番年齢が近かったのもあって、より小学生時代を思い出してしまうんですよね。

そういえば、58話ではマヤの弟か妹がマヤのお母さんのお腹の中にいるという話題がでていましたけれど、マヤの弟か妹が生まれて、もう38年か37年になっているですよね。年月の流れって、あっという間ですね。

名前の表記

これまで、山本けい子ちゃんの名前表記を「山本恵子」と書いてきましたが、59話で「山本けい子」表記を確認しましたので、今後は「山本けい子」表記に統一します。これまでの「山本恵子」表記は順次、訂正していく予定です。

『痛快あばれはっちゃく』59話より

赤ひげ4

地震

『赤ひげ4』を見ています。昨日、見た3話は途中から泣きながら見ていました。ドラマの中で地震になる場面があるのですが、その時は、この地震の揺れの表現はどんなふうにして撮影したんだろうと、不思議に感じました。

相手を思う心

泣いてしまったのは、義理の娘を思う姑の心と姑のことが大好きなのに夫(姑の息子)が亡くなったことで追い出されてしまった娘が、小石川で盲目になった義母と再会して、その義母のお世話をすることになり、少しは自分の事を覚えていて、自分のことを思って追い出したのかなという期待が期待外れだったのが、そうではなかったと分かった瞬間でした。

なんか、上手く説明できませんが、嫁を追い出したと言われた姑はとても穏やかで優しい人でそんな嫁を追い出した人に見えなかったこと。最初は仲の良い嫁と姑の関係で目が見えなくなっても、声で分かるはずなのに、地震の時までそんなそぶりを見せなかったことは、ずっと疑問で見ていて、そうした細かい違和感が、見ていくうちにちゃんと回収されて、ああ、やっぱりそうだったのか、と納得していく感じがとても良かったです。

姑が大事にしていた鈴も印象的に登場してきて、最初は目が悪いから音のなる鈴が必要だったのかなって思ってたんですけど、それだけではなかったし、鈴が最後の小道具として光っていて、そういう細かい部分も丁寧に見せていていいなって思いました。

なんか、こう相手を思う気持ちが相手を傷つけていたというのは悲しくて、でも、ちゃんと誤解が解けて、お互いが相手を大事にしていたことが分かって、心が通い合ったのが良かったなって。

嫁は実の両親との縁が薄く、結婚したことで義母が自分を実の娘のように可愛がってくれて、浴衣を作ってくれたことが嬉しかったこと、義母と夫暮らす日々がとても幸せであったから、ちゃんと最期の最期で互いが大事な存在であると心が通ったのがとても良かったなって。

赤ひげは体だけではなく、心の治療もしているそんなところに思います。

『男!あばれはっちゃく』64話「大逆転!カッコマン」感想

『男!あばれはっちゃく』64話より

1981年6月20日放送・脚本・市川靖さん・磯見忠彦監督

仕事の出来る父ちゃん

今回は父ちゃんがメインの話。基本、『あばれはっちゃく』シリーズの父ちゃんは仕事が出来る人なんですよね。腕のいい大工職人であり、会社員としても予算内にそれでいて手抜きにならないように仕事を仕上げています。

質や材料を低くして予算内に収めることは簡単だろうけれど、質も保ちながら、材料も適性の物を使って予算内に収めるというのは至難の業で、かなり頭を悩まします。父ちゃんはそれをクリアして、さらにクライアントが満足する仕事をするのですから、その能力はかなり高いんです。

昔、私事ですが栄養士の仕事で予算内で栄養バランスが取れて、味も良く飽きの来ない献立を立てることをした時は、献立カードを使ってもその組み合わせとかも考えても、毎日考えるのは辛いって思いましたが、父ちゃんは常にそうした仕事をしていて、信頼を得ているのを見て、私自身が仕事をするようになってから、ますます、父ちゃんの能力の高さを痛感しますね。

父ちゃんは仕事が出来るので、どの代でも上司である、正彦、邦彦、克彦、輝彦、信彦、秀彦の父親達に仕事で信頼されているのですが、5代目の秀彦の父親を除くと、最初は仕事が出来ることを認めながら、父ちゃんを人間として下に見ている人が多いんですよね。

今回の克彦の父親の江藤支社長もその典型で、父ちゃんに仕事を任せて間違いないといいながらも、父ちゃんの買ってきた相手に渡す品に文句を言ったり、父ちゃんが設計した図面の話よりも接待や贈り物の方に関心があって、父ちゃんのセンスを馬鹿にしていて、江藤支社長は仕事の中身よりも、見てくれ、外見、接待が大事という考えの持ち主として、父ちゃんと対比させられています。

この外見を意識しているということで、サブタイトルにある「カッコマン」というのは、江藤支社長のことなんですよね。最近は、人は見た目でかなり得をしていたり、見た目の良い人ほど仕事が出来るということも分かっていたと一部では言われていますが、もちろん、身だしなみを整えるのも大事ですけれど、中身もちゃんとしていないと、肝心な時にボロが出てきてしまいます。今回の江藤支社長も、まさにそれでした。

父ちゃんは外見やおべっかとか、そういうのをあまり気にしない。江藤支社長は外見をとても気にしていて、接待と贈り物が大事で、仕事の中身はあまり詳しくなくても構わないと、お互いがどちらを優先しているかの差があって、本来はどちらも大事にするべきだけど、得手不得手があって、父ちゃんと江藤支社長はお互いに足りない物を持ち合わせているんだなって思いました。

パイプ

今回は父ちゃんの話の一方で、克彦の家に遊びに行った長太郎が、克彦の父親の江藤支社長のパイプを壊してしまって、それを持ち帰ってしまうという事件も並行して進みます。

長太郎は弁償しようと似たようなパイプを探しますが、高くて買えず、お店の人の話からヒントを得て、街路樹の薔薇の木からパイプを作ろうとして、薔薇の気を抜こうとして怒られて、そこらへんに落ちている木を投げつけられて、その木でパイプを作って、壊したパイプの代わりにしようと考えます。

『男!あばれはっちゃく』64話より
『男!あばれはっちゃく』64話より

街路樹の薔薇を抜こうとする長太郎はとんでもないんですが、壊したパイプを黙って持って帰る(弁償するつもりだったとはいえ)、その後も誰にも言わない、一緒にいた章にも口止めをするというのは、気持ちは分かるけど、長太郎もちょっと狡いなあって思いました。こういう正直に壊したことを言わないで、誤魔化すというのは、父ちゃんが一番嫌いなことだと思うんですよね。

それにしても、長太郎はかなりの大きさな木から、かなり見事にパイプの形に作っていて、これを見ると、さすがに父ちゃんの息子だなって思ってしまいますね。

『男!あばれはっちゃく』64話より

話を戻して、案の定、パイプがなくなったことに気づいた江藤支社長が克彦に聞いて、長太郎の仕業だと分かり、父ちゃんが江藤支社長に責められる展開になった時に、父ちゃんは長太郎の事を信じていましたけれど、長太郎の部屋で長太郎の作りかけのパイプを見つけて、長太郎のランドセルから江藤支社長のパイプが出てきた時に烈火の如く怒りました。

『男!あばれはっちゃく』64話より
『男!あばれはっちゃく』64話より

人情をとる父ちゃん

父ちゃんは仕事の中身を評価してくれない江藤支社長に切れていて、それに長太郎に泥棒の疑惑をかけられて、さらに江藤支社長に頭に来ていたんですけれども、その時の売り言葉に買い言葉で、長太郎がパイプ泥棒だったら、父ちゃんの責任として責任を取るように詰められていて、父ちゃんは長太郎を信じていただけに、パイプが長太郎のランドセルから出てきた時は、ショックだったと思うんですよ。ただ、この時はショックや悲しさよりは、怒りの感情の方が勝っていたように思いました。

父ちゃんは責任を取って、辞表を出しますが、父ちゃんは前日に仕事の中身をちゃんと評価しない江藤支社長に嫌気がさして、会社を辞めたいということを母ちゃんに寝床で愚痴っています。それを長太郎は聞いていて、だから、長太郎は自分の事にかこつけて、会社を辞めるという父ちゃんを非難するんですね。

父ちゃんにとっては、体のいい仕事を辞める言い訳が出来たわけだけど、そこには、今回、父ちゃんが仕事をした依頼主の中村さんがいて、中村さんは今回の設計図と見積もりの話でちとせ美工に来ていたわけだけど、肝心の設計図と見積もりの内容について知っている父ちゃんが長太郎のことでいなくて、父ちゃんからの説明をそんなものはどうでもいいと言って内容を理解していない江藤支社長は説明が出来ないまま、時間だけが過ぎていた状態。

そこに戻ってきて、長太郎の泥棒の件を詫びて、辞表を出して仕事を辞めると土下座した父ちゃん。それを一部始終見ていた中村さんが、壊れたパイプが安物の偽物であることを話して、江藤支社長が説明できなかった設計図を描いたのが父ちゃんだと確認したのちに、父ちゃんを自分の会社の下請けの社長にスカウト。一気に、父ちゃんと江藤支社長の形勢は逆転します。

『男!あばれはっちゃく』64話より

長太郎は中村さんの言葉に喜びますが、父ちゃんはしばらく考えて、中村さんの誘いを辞退します。強気だった、江藤支社長が困っている姿、父ちゃんを必要としている姿、謝る姿を見て、父ちゃんは金や地位ではなく、それまでの付き合い、義理と人情の方を優先するのですね。

人としての情け、それまでの付き合い。自分を認め、必要としてくれる人を父ちゃんは選ぶ。父ちゃんは、自分を大事にしてくれる人、それまでの人との付き合いをとても大事にしているんだなって、今回の話で改めて感じましたし、それがとても気持ちがよく、また、そんな父ちゃんを快く受け入れてくれた中村さんも素敵だなって思いました。

ちゃんと中村さんのような仕事の内容を的確に見ることの出来る見る目のある大人がいるのは、とても頼もしいものですね。父ちゃんは仕事が出来て、義理人情に厚くて優しく、曲がったことが大嫌いな人だから、すごく素敵だし、短気で怒りっぽいところはあるけれど、やっぱり私は父ちゃんが大好きです。

父ちゃんは自分という人間を大事にしてくれなかった江藤支社長には、頭にきていましたけれど、自分を必要とする人間にはちゃんとその期待に応える人だから、今回の話の父ちゃんの姿勢と感情は一貫していて、見ていてとても気持ちがよく、スカッとします。

本質を見抜く目を持つ大人

あばれはっちゃく』には、物事の本質を見失っている大人もいれば、ちゃんと本質を見極めることの出来る大人も存在していて、今回の中村さんのように、物事の本質を見抜いて人を評価できる人によって、父ちゃんのような不器用な人間や長太郎のような破天荒な人間が救われているんだなって思います。

また、ドラマには描かれなくても、中村さんも物事の本質を見る目を養うためには、大変な苦労や裏切りにもあってきたんじゃないかなって思うんです。やはり、いろいろな経験をしないと物事の本質を見る目を養うことは出来ないですから。中村さんにも中村さんをちゃんと評価してくれる人がいて、今があって、今回の父ちゃんの仕事を評価したのかなって思ったりしました。

中村さんのようなちゃんとした大人が偉い人になって、ちゃんと次の世代を成長させていく循環が社会にあった時代だったのかななんてことを思いました。

でも、私が社会に出て働いてみて知ったことは、現実はそういう本質を見抜ける人はとても少ないんだなってことや、父ちゃんのように質の高い仕事が出来る人がいてもその能力に見合った評価がされていない人もいるってことでした。

良い社会の循環を作る社会の一員になるというのは、なかなか大変で険しい道のりなのですね。だからなのか、今大人になって見ると、私には『あばれはっちゃく』の世界がとても優しい世界に感じます。

長太郎のクラスの転校生

『俺はあばれはっちゃく』2話より

長太郎のクラスの転校生

あばれはっちゃく』では、長太郎のクラスに転校してきた人、転校していった人がいます。ここでは、ドラマ『あばれはっちゃく』シリーズで、長太郎のクラスに転校してきた人、転校していった人を紹介していきます。作品の中では、長太郎とは違うクラス、違う学年に転校してきた人物も登場してきますが、今回は長太郎のクラス、5年3組、または6年3組、4年3組に転入してきた人、また転校していった人に限って紹介します。

ドラマでは長太郎のクラスは、初代『俺はあばれはっちゃく』(1979年~1980年)から最終作の『逆転あばれはっちゃく』(1985年)まで、長太郎は「3組」の設定でした。初代と3代目の長太郎は5年生、2代目と4代目の長太郎は5年生から6年生、5代目の長太郎は4年生から5年生の設定になっているので、長太郎のクラスは4年3組、5年3組、6年3組です。

吉井正彦

ドラマで最初に来た転校生は、初代『俺はあばれはっちゃく』の吉井正彦。正彦は東京から来た転校生。転校してきた自己紹介で「進学率ナンバーワンの東京のタケコマから来ました」と挨拶しています。

正彦が東京からの転校生というのは、原作通りです。『あばれはっちゃく』のドラマの舞台は2代目からは東京に設定されていますが、初代では神奈川県に設定されています。

ちなみに原作では都道府県の設定はなく美玉市という架空の市が舞台です。ドラマ化において、美玉市を神奈川県の架空の市として設定したのが初代『俺はあばれはっちゃく』です。初代の舞台が神奈川であるということについては、以下の過去記事をお読みください。

kakinoha.hatenadiary.com

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過去記事にも書きましたが、様々な小道具から、初代『俺はあばれはっちゃく』は舞台を神奈川県に設定していると思うのですが、時々、台詞などから東京なのではないかと思われるところもありました。

ただ、2話で初登場してきた正彦が東京からの転校生だというのと、佐々木先生やヒトミちゃんの家の住所が分かる場面で見られる「神奈川県」の文字、車の相模ナンバー等を見ると、神奈川県を舞台として想定していたと考えることが出来ます。

東京から転校してきたいけ好かない転校生の正彦。正彦の登場は長太郎を大きく刺激し、成長するきっかけを与えました。

宮村ヒトミ

「出会いがあれば、別れがある」ように、転校してきた人がいるように、転校していく人もいます。初代『俺はあばれはっちゃく』で、転校していったのが長太郎の初恋の相手のヒトミちゃん。

ヒトミちゃんは最終回で、北海道に転校していってしまいます。これも、原作通りで、原作のヒトミちゃんも北海道に転校してしまいます。また、ドラマでは違いますが、原作のヒトミちゃんは長太郎のクラスに来た転校生でした。

原作では小学5年生から6年生の卒業まで書かれていますが、ドラマ『俺はあばれはっちゃく』では、1979年2月に放送が始まり、ドラマの世界でも1979年2月から長太郎が小学5年生で話が始まっているものの、4月の新年度になっても、5年生のままで、6年生に進級することはありませんでした。

その為、ヒトミちゃんは、原作のように長太郎と一緒に美玉第一小学校を卒業することなく、5年生の終わりに北海道に転校していってしまいます。私には、それがちょっと可哀想だなって思いました。卒業アルバムとか、そうした共有できる物がドラマの長太郎とヒトミちゃんにはないのかなって。卒業アルバムや卒業文集にヒトミちゃんがいなくても、それまでの思い出があるから大丈夫なのかな。

初代長太郎は同じクラスではないけれど、17話で隣のクラスに転校してきたタマエがブラジルに転校していって、41話で仲良くなったノリコちゃんが引っ越ししていったことでも別れを経験しています。長太郎のクラスメイトではないので、これは番外編ですね。

北関東からやってくるあばれはっちゃく

2代目『男!あばれはっちゃく』からは、長太郎が転校生としてやってきます。2代目からの長太郎達は、4代目を除いて何故か北関東からやってきます。2代目『男!あばれはっちゃく』の長太郎は群馬県から、3代目『熱血あばれはっちゃく』の長太郎は栃木県から、5代目『逆転あばれはっちゃく』の長太郎は茨城県からです。ちなみに4代目『痛快あばれはっちゃく』の長太郎は学内の変更による転校で、元々から東京都世田谷区民です。

2代目から4代目までは、東京都世田谷区。5代目は東京都大田区が舞台になっています。

長太郎は初代では転校生を受け入れる立場でしたが、2代目からは逆の立場に変わっています。ただし、2代目の2年目からの6年生になった長太郎は、初代長太郎が正彦を受け入れたように、今度は自分が章や克彦を受け入れる立場も経験します。

また、初代長太郎がヒトミちゃんを見送ったように、2代目長太郎も親友の洋一やライバルの邦彦を送り出していきます。3代目の長太郎も最終回で親友の実を見送ります。4代目でも長太郎は6年生の時に新たなクラスメイトの山本けい子ちゃんを受け入れ、大好きなまゆみちゃんを送り出していくのです。

そして、5代目長太郎は茨城から来て様々な反発にあいながらも、クラスに打ち解けていきますが、最終回でクラスメイト達に見送られていきます。

こうしてみると、クラスメイトや自身の転校を通して、各代の長太郎達は出会いと別れを経験していることが分かります。

2代目以降の転校していった友・転校してきた友

2代目『男!あばれはっちゃく』で転校していったのが洋一。洋一は大阪に転校していきます。入れ替わりに転校してきたのが章。章は長野県から来た転校生。続いて、邦彦が博多に転校していき、その邦彦と入れ替わるように大阪から転校し来たのが克彦でした。

3代目『熱血あばれはっちゃく』では、みどりちゃんが転校するかもという話がありましたが、転校することなく、最終回で実が和歌山へ転校することに。4代目『痛快あばれはっちゃく』では、5年生の時に長太郎と一緒にまゆみちゃんが転校してきて、6年生になった時に山本けい子ちゃんが転校してきて、最終回でまゆみちゃんが父親の春日教頭先生の異動によって安宅島へ転校することになります。

2代目以降の長太郎の友人やライバルの転校の出入りはこんな感じでしょうか。整理すると、

  • 洋一、大阪に転校
  • 章、長野から転校
  • 邦彦、博多に転校
  • 克彦、大阪から転校
  • 実、和歌山へ転校
  • けい子ちゃんが6年生の時に転校してくる
  • まゆみちゃんが安宅島へ転校

こんな感じですかね。2代目の6年の時にいなくなった和美ちゃんと弘子ちゃんは転校による別れではなく、進級のクラス替えでの別れ。3代目の途中からいなくなった京子ちゃんは転校でも、進級によるものでもないドラマの中ではいつしかいなくなった形で、長太郎の親友の実が最終回で転校していくことに。4代目はとし子ちゃんが6年生の時にいなくなり、入れ替わるように山本けい子ちゃんが転校してきて、最終回でまゆみちゃんが転校していきました。

2代目長太郎が一番多いかも

初代からヒロインとの大きな別れがあった『あばれはっちゃく』ですが、その別れを一番多く経験したのは、2代目の長太郎だったかなって思います。まず、長太郎は東京に転校してきた時に群馬県の学校の友人達と別れてきています。続いて、東京にきての親友の洋一との別れ、ライバルだった邦彦との別れ、クラス替えによる和美ちゃんと弘子ちゃんとの別れ、そして小学校を卒業することでの寺山先生との別れ。

ドラマの中で見たり、想像できる範囲で、メイン人物との別れを一番多く経験したのは、2代目長太郎だと思うんです。その分、出会いも多かったかな。こうしてみると、人が一緒に過ごす時間って、長くても数年、短ければ数カ月で、実はとても短いんだなって感じます。

見送られる長太郎

最終作5代目『逆転あばれはっちゃく』の長太郎は、唯一、クラスメイト達に見送られたあばれはっちゃくでした。2代目からの長太郎達は転校してきた長太郎達なので、転校前の小学校で見送られた側だと思うのですが、ドラマではその転校前の長太郎は描かれないので、ドラマで視聴者が見ることが出来ると限定すると、見送られた長太郎は5代目の長太郎だけ。茨城から東京に来た長太郎は、九州の宮崎に転校していってしまいます。北関東から来た最後の長太郎は宮崎県に去っていく。

初代長太郎が転校生になることはありませんでしたが、2代目からの長太郎は転校生になって、最終作の長太郎は再び転校生になって去っていきました。5代目は4年生の終わりに、東京都大田区立あけぼの小学校に転校してきて、5年生の9月に転校していったから、ある意味、あかねちゃん達から見たら、幻のような転校生になっているのかもしれませんね。

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『男!あばれはっちゃく』63話「家出のコーチだ」感想

『男!あばれはっちゃく』63話より

1981年6月13日放送・脚本・安藤豊弘さん・磯見忠彦監督

章が行きたかった未来

今回は久しぶりに珍しく、アバンタイトルから触れます。アバンタイトルで長太郎と章がタイムマシーンを完成させて、章の希望で未来に行くことに。章が希望した未来は2001年。これは多分、映画『2001年宇宙の旅』(1968年)にかかっていると思うんですけれども、1981年の段階でも、当然ながら2001年は未来。

ノストラダムスの大予言も信じていた時代で、世紀の変わる2001年なんて、はてしない未来だったんですよね。それが、今、2022年のからみたら21年も前の過去。わらさんの保育園の園児の皆さんにとっては、生まれる前の遥か昔。はてしない未来が既に過ぎ去った過去になっていることに、大きな時間の流れ、過ぎ去った月日の大きさを感じました。

これは、2022年に見返したからこその感情で、当時は未来に行こうとして失敗しちゃったんだなっていうぐらいの感想しかなかったのですが、時を経てこんな情感を感じるアバンタイトルになるなんて、思いもよりませんでした。

『男!あばれはっちゃく』63話より

さて、ここから本編の感想です。

信一郎の担任

今回は、信一郎が通う中学校に信一郎を誹謗するビラが撒かれたことが事件の始まりです。信一郎があたかも洋子さんと(ビラでは洋子さんはY子さんと記載)不純な男女交際をしているかのようなビラ。そのビラを信じて信一郎が否定するも激しく非難するスズキ先生。

それにしても、信一郎はスズキ先生に受けが悪いから、自分の事を信じてもらえずに重い処分が出ることを心配していますが、私は成績優秀な優等生の信一郎が担任のスズキ先生に受けが悪いということに驚きました。弟の長太郎ならともかく、信一郎が!とびっくりです。

スズキ先生みたいな先生というと、初代『俺はあばれはっちゃく』に登場した音楽の五十嵐先生を思い出します。五十嵐先生は長太郎を疎ましく思い、優等生の正彦を優遇していましたが、信一郎ってどちらかといえば、正彦タイプの優等生じゃないですか。それで、担任の先生に目をつけられていたなんて、とびっくりしました。

それから『男!あばれはっちゃく』のファンの人達には、当然、周知の事実だと思いますが、スズキ先生を演じた西岡慶子さんは『男!あばれはっちゃく』の1年目で、長太郎の親友の洋一の母親を演じていました。『男!あばれはっちゃく』の1年目で長太郎の親友の洋一の母親役だった人が、34話の洋一の転校と共に作品世界を去ったと思ったら、2年目には長太郎の兄の担任として再登場。

あばれはっちゃく』シリーズでのスピンオフは珍しくありませんが、同じ世界観の作品内で、同じ俳優の人が別役を演じているというのは驚きです。

『男!あばれはっちゃく』63話よりスズキ先生

『男!あばれはっちゃく』8話より洋一の母親

洋一の母親の時は大阪出身という設定だったので、関西弁丸出しでしたが、スズキ先生の時はそうではないから、関西弁はそれほど出ていません。でも、西岡さんが元々関西の人だから、言葉のイントネーション、発音が関西弁なので、言葉遣いや服装を変えていても、顔と声で洋一のお母さんを思い出してしまいます。

ふと、わらさんのとこの園児の皆さんは大混乱したのではないのかな、なんてことを思いました。

他にも同じ『あばれはっちゃく』の作品内で、別役で再登場する例はありますし(4代目『痛快あばれはっちゃく』に出演した青木和代さん等)西岡さんだけではないのですが、同じ世界観に同じ人が別役で出演しているのは、なんだかびっくりですね。4代目『痛快あばれはっちゃく』に青木さんが出演していた件に関しては、下記の過去記事で扱っています。

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人を思う心

信一郎は洋子さんに迷惑をかけないために転校を決意しますが、父ちゃんを説得することが出来ずに家出を遂行します。自分よりも洋子さんの事を第一に考える信一郎の思いの深さと優しさ、洋子さんに対して守りたいという強い意志を感じました。また、洋子さんに思いを寄せる信一郎と洋子さんのクラスメイトのタカオカ君の登場。タカオカ君は信一郎を中傷するビラを手に怒りを見せていたクラスメイトであり、洋子さんにラブレターを手渡した人物。

この時点で、視聴者の中にはだいたいのビラを撒いた人間の目安がつくわけですが、その証拠や手掛かりとなるものが判明していく部分で、いつもの『男!あばれはっちゃく』に登場する人物たちの言動や性格がきっかけになって、手掛かりが出てきて、その手掛かりに気づいて、長太郎が犯人にたどり着く話の流れが見事だなって思いました。

人を好きになって相手のことを思ったり、好きな人と仲の良い人に嫉妬したり、恋愛を罪だと考えるスズキ先生のような大人がいれば、寺山先生のように人を好きになることが素晴らしいことだと考える大人もいる。寺山先生は今回も恋愛について寛容な考えを示していましたが、邦彦が転校する時にも人が人を好きになることは素晴らしいと話していました。

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嫉妬や独占欲で相手を苦しめる恋愛もある一方で、相手のことを大切に思う恋愛もあり、人を大切にする恋愛というのは、悪いことではないんだなっていうこと。信一郎の恋愛は大好きな洋子さんを大事にする恋愛である一方で、親に心配をかける愛し方。好きな人や自分を大事にしてくれる親も大切にする愛し方というのは、とても難しいのかなと思ったりもしました。

それを両立させている人もいると思いますが、好きな人と親とどちらかを選ばないといけない人も世の中には存在していて、誰を一番に思い、大切にするかというのは、人それぞれの立場や環境の違いで変わるんだろうなって思いました。なんか、今の私にとっては、この話はとても深く心に突き刺さってきました。

信一郎の方でも

長太郎は犯人の良心に訴える形をとり、晒し者にすることはありませんでした。また、今回の話では、信一郎をいじめていた松田と竹田の2人が中学校に乗り込んできた長太郎の肩を持ってくれました。

『男!あばれはっちゃく』63話より

以前は信一郎を厄介に思い、精神的にも肉体的にもいじめていた2人が49話の話で反省して、その後は長太郎と信一郎を認めてくれたことが、この63話の今回の話で分かって嬉しく思いました。

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『男!あばれはっちゃく』は長太郎が主人公なので、信一郎の中学の同級生のその後の話が出てくる比率は少ないのですが、たまにこうした経過を見せてくれることは嬉しいです。ちゃんと信一郎の方にも物語があるんだなって感じられるからです。

良心に訴える

私は長太郎が犯人が分かっていながら、信一郎のクラスメイト全員の前で晒し者にしなかったこと、犯人である人物の良心に問いかけたことが素晴らしいと感じました。また、犯人である生徒が長太郎や松田や竹田の呼び掛けに対して、恥ずかしく感じた仕草をしたことが、その犯人にある良心を感じ取れました。

犯人の中に良心がなければ、今回の事件は解決することはなかったと思います。犯人の良心に賭けた結果、長太郎の賭けは成功したわけですが、残念ながら良心のある人間ばかりとは限りません。今回の犯人は嫉妬心からビラを配りましたが、それを恥じる心、良心が存在していました。

私は、恥じる心、良心の大切さ、必要性をこの話からすごく感じました。人は間違いを犯したりすることもあるけれど、それを恥ずかしいと思い、正そうとする気持ちや行動が必要でそれが自身の信頼にも繋がっていくんだなって思ったのです。

いろいろと失敗することもあるし、嫉妬心で人を傷つけることもあるけれど、それを正す気持ちと行動は大事なんだなって思います。

駅の伝言板

さて、この話、だいたいドラマの中でいつの時期の話だったのかというのが、駅の伝言板で推測が出来ます。この伝言板はドラマの中の小道具で、ドラマの日時設定に合わせていると思うのですが、信一郎が家出をした時は6月11日。最後の長太郎がみゆきちゃんとデートをした約束の日がこの話の放送日の6月13日だと分かるので、6月11日~13日までの出来事になります。もしかしたら、11日ではなく1日前の6月10日からの出来事だったかもしれません。

『男!あばれはっちゃく』63話より

『男!あばれはっちゃく』63話より

『男!あばれはっちゃく』62話「羽ばたけヤキトリ」感想

『男!あばれはっちゃく』62話より

1981年6月6日放送・脚本・田口成光さん・松生秀二監督

なんかいろいろと気なることがありすぎて

今回の話は、話の中で気になる部分が中途半端に取り残されたままだったり、なんで知らないのだろうとか、そうしないのかなって部分が所々にあった話でした。

最初に気になったのは、寺山先生が長太郎を疑う場面。話の冒頭で長太郎がめんこ遊びでめんこを取っていたのを注意した寺山先生が翌日、長太郎が夜に氷川神社(もしくは深川神社)でお金をかけてめんこをしたと長太郎が落としたお守りを見せて長太郎を問い詰めます。同じそのお守りが長太郎のランドセルにあったことで、すぐに長太郎の無実は証明されているんですけれども、それについて寺山先生がちゃんと長太郎に謝罪をしていません。

もちろん、長太郎は寺山先生に疑われてショックを受け、反発をしていて、寺山先生もすぐに自身の過ちに気づいていて、ここでは長太郎の怒りに押されるのですが、この後で寺山先生が長太郎を気にかけるところがないのが気になりました。

その後、長太郎は自分が疑われた自分と同じお守りを持つ相手を探して、その相手を見つけ、それが群馬時代の知り合いで、その知り合いの為に長太郎は学校を無断欠席をして、それで寺山先生が長太郎の家に電話をかけてくるのですが、ここで寺山先生が長太郎の無断欠席の理由に自分が長太郎を疑った可能性を考えていないのが私には不思議に感じました。

寺山先生が長太郎の物だと思ったお守りの持ち主は、今回の話に大きく関わる人物で、この人物の為に長太郎は学校を無断欠席し、父ちゃんが怒って心配する夜遅くまで家に帰らなかった理由を生み出しているので、寺山先生が長太郎が休んだ理由と、自分が長太郎を疑ったお守りの持ち主との関連性を結び付けなかった。

寺山先生は長太郎の欠席を心配して桜間家まで来て、長太郎に何か理由があったと来てくれてけれども、長太郎を疑う理由になったお守りの持ち主のことや、その持ち主がいた神社についての情報等、寺山先生が疑って怒った後の遅い帰宅や翌日の欠席の情報を少しでも教えてくれたら良かったのになって思いました。

他には、話の後半になりますが、長太郎とみゆきちゃんはお隣さんなのにどうして一緒に行かないのとか、それよりも父ちゃんと長太郎は同じ家に住んでいて、同じ場所に行くのにどうして一緒にいかないのという部分も見ていて、変だなって思いました。

それと、長太郎が疑われた原因を作った人物は、信一郎の群馬時代の同級生で、その同級生のことは、父ちゃんも母ちゃんも知っているのに、その人物の父親のことを父ちゃんが知らなかったというのも、なんか。それは、息子の同級生や友人を知っていても、その親までは知らないこともあるのかもしれないけれども、なんか、ちょっと不思議だなって思いました。

ドラマの中でも2代目あばれはっちゃく

長太郎が疑われることになったお守りは、群馬にいた時にアカギトキジロウから貰ったお守り。アカギトキジロウは、信一郎の群馬時代のクラスメイト。そして、長太郎に「あばれはっちゃく」を引き継がせた人物です。この引継ぎの時に、下記引用画像のお守りを長太郎に手渡しています。

『男!あばれはっちゃく』62話より
『男!あばれはっちゃく』62話より

この話で長太郎がアカギトキジロウから、2代目あばれはっちゃくを引き継いだことが判明します。現実の世界では『男!あばれはっちゃく』の前作品である『俺はあばれはっちゃく』が存在していて、初代あばれはっちゃくは前作で、あばれはっちゃくこと桜間長太郎を演じた吉田友紀さん。

その後を継いで『男!あばれはっちゃく』であばれはっちゃくを演じることになった栗又厚さんは2代目あばれはっちゃくになるわけですが、この話で『男!あばれはっちゃく』の世界の中でも、栗又厚さん演じる桜間長太郎は2代目あばれはっちゃくということになるんですね。

ちなみに、長太郎は大阪に転校する洋一をあばれはっちゃく大阪本部長に任命しています。また、章が転校するかもという時も同じことを考えていました。これらの話やそれに加えて邦彦が転校していく話の時も、また3代目が始まる前のスペシャルを見ても思いましたが、今回の62話を見返して強く思ったのは「あばれはっちゃく」というのは、称号というか、受け継がれていくものになったんだなということでした。また、62話では「あばれはっちゃく」の心得が登場しています。

あばれはっちゃくとは

『男!あばれはっちゃく』62話より

「はっちゃく第一条、常に希望を持て。忘れたのか」

「忘れるわけねぇよ、第二条、泣き言をいうな」

「その調子、その調子」

面白いなって思うのは、2代目以降から「あばれはっちゃく」とはどういう存在であるかということが、ドラマの中で言葉として表現され始めてきたことですね。また、「あばれはっちゃく」があだ名というよりも、称号のようになって、代々受け継がれていく、まるで歌舞伎や落語の名跡のような存在になっているように思いました。

初代『俺はあばれはっちゃく』では、元気で破天荒な長太郎のことをご近所のお年寄り連中が「あばれはっちゃく」と呼んでいて、それが長太郎のことを指す言葉になっているんですけれども、そんなあだ名をつけられたことを自慢に思っている息子の長太郎に呆れている父ちゃんの態度を見ていると、とても、褒められた言葉ではないことが分かります。

実際に原作にも「あばれはっちゃく」の意味は「手のつけられないあばれもの」と紹介されています。けれども、原作を含め初代『俺はあばれはっちゃく』の長太郎から続く長太郎の生き方を見ていくと、決して「あばれはっちゃく」がただの「暴れ者」ではないことが分かってきます。

今回の話で父ちゃんは、新聞に書いてあった小学生から不良が始まることを読んで、無断欠席や帰りの遅い長太郎を心配して、アカギと一緒にいた長太郎を責め、アカギを不良だと言った父ちゃんに長太郎がアカギは立派なはっちゃくで不良とは違うと言う場面があります。ここで思うのは、暴れん坊だから、あばれはっちゃくだとしても、決して不良ではないこと。

義理人情に厚く、自分が不利になっても相手との約束を守り、人の為に行動を起こすことがあばれはっちゃくであるんだなって、再確認できました。長太郎はアカギとの約束を守ったからこそ、父ちゃんにも母ちゃんにも夜遅くなった理由を言うことが出来ずに責められてしまう。そう考えると、仕方がなかったこととはいえ、アカギがめんこ遊びに金を賭けたことは、長太郎には許せなかったことだったんだなってことが良く分かります。

なんというか、原作を読むと決して、あばれはっちゃくというのは、正義の為だけに動く存在ではなく、自分の欲求の為に動いたり、暴れたりもするところもあり、それは原作に比較的近い初代『俺はあばれはっちゃく』の初期の方にも見られるのですが、人としてどうにも道理に合わない部分、変だな、おかしいなって思う部分に疑問を持ち、ストレートに怒りや不満をぶつけていく姿に自分自身が信じる正しさに正直であるということが、あばれはっちゃくの中の正義なのかなってことを思いました。

あばれはっちゃく』が人気になり、シリーズ化されて受け継がれていく作品になったことで、単なる暴れん坊を指す言葉だったのが、受け継がれていく称号、名跡になり、それに相応しい人物とはどういう人物であるかというものまで生まれてきたのは、とても興味深い変化に感じました。

あばれはっちゃくは何人

ところで、先に栗又さんは現実でもドラマの世界でも2代目あばれはっちゃくと書いたばかりですが、厳密にいえば、初代あばれはっちゃくは『俺はあばれはっちゃく』で長太郎を演じた吉田友紀さんの前に、原作小説の桜間長太郎がいるので、初代あばれはっちゃくは原作の桜間長太郎になるんじゃないかなって思うんですよね。

すると、栗又さんの長太郎は3代目。『男!あばれはっちゃく』の世界には『俺はあばれはっちゃく』は存在しないから、アカギの跡をついで2代目、いや、でも『男!あばれはっちゃく』の世界には、山中恒先生の『あばれはっちゃく』が存在しているので、その小説の桜間長太郎が初代で、アカギが2代目で、栗又さんの長太郎は3代目になるのかな。

『男!あばれはっちゃく』13話より

ああ、ややこしいですね。混乱の元になってしまうので、私たちが住む現実世界では最初のドラマで長太郎を演じた吉田友紀さんがやっぱり初代あばれはっちゃく、栗又厚さんが2代目あばれはっちゃく、荒木直也さんが3代目あばれはっちゃく、坂詰貴之さんが4代目あばれはっちゃく酒井一圭さんが5代目あばれはっちゃくのままでいいんじゃないじかなって思いました。

けれども、私はあばれはっちゃくを演じた5人の方だけではなく、原作の本の「はじめに 作者から」の言葉にあるように、原作やドラマの中だけでなく、現実世界にもあばれはっちゃくみたいな子が男女問わず、現在も存在していると私は思っています。

理論社あばれはっちゃく』より

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付け足し

あばれはっちゃく」の語源に関しては、過去記事で書いてきた北海道弁の「はっちゃき」「はっちゃきこく」以外でも、新たに分かったことがあったので、それは、また後日整理してまた書いてみたいと思っています。