柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

現実とドラマの交差

現実とクロスオーバー

前の記事で『男!あばれはっちゃく』71話の桜井亜子の漫画は、いがらしゆみこ先生がイラスト協力され描かれたものと書き、最初は文字だけの情報でしたが、画像で見てもらった方が分かりやすいと、引用画像を追加しました。

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そこで、このドラマでの桜井亜子の原画展に展示されている、いがらし先生の作品はドラマの為の描きおろしか、それとも既存の作品だったのかと疑問に感じて調べてみたところ、はなえの後ろに見えるイラストが手掛かりになって、展示されているのは既存のいがらしゆみこ先生の作品だと分かりました。原画展の作品が実際のいがらしゆみこ先生の作品だと分かって、ひょっとしたら、ドラマで小田急百貨店でやっていた桜井亜子の原画展は、実際のいがらしゆみこ先生の原画展だったのかもしれないなんて思ったりもしました。

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『男!あばれはっちゃく』71話より

メイミー・エンジェル

前記事でも追加で書いているのですが、はなえの後ろに見えるのは、いがらしゆみこ先生の『メイミー・エンジェル』(『なかよし』1979年4月号~1980年12月号まで連載)。また、上記の引用画像で見える『メイミ―・エンジェル』の絵は『なかよし』1979年4月号の付録の下敷きの絵柄。いがらしゆみこ先生は、1979年『なかよし』3月号まで『キャンディキャンディ』を連載されていたので、『メイミ―・エンジェル』は『キャンディキャンディ』連載終了後、すぐに連載された作品になります。この71話は1981年8月15日に放送されているのですが、この頃は、私はまだ『なかよし』を購読していなかったので、いがらし先生の絵だって分かっても、今回、調べるまで『メイミ―・エンジェル』を知りませんでした。

もう、当時の『なかよし』読者から見たら、一発で分かっていたんだろうな。私が少女漫画雑誌を購読するのが小学2年生の時で、1983年『りぼん』2月号からで、『なかよし』を購読するようになったのは、小学5年生で転校して、転校先の友達二人が『なかよし』読者だった影響で1985年5月号からなので、この時期『メイミー・エンジェル』が連載されていた頃の『なかよし』に疎かったのでした。

はなえとみゆきちゃん達は『なかよし』読者?

『メイミ―・エンジェル』の前に『キャンディキャンディ』で大ヒットを飛ばし、『なかよし』の購買数をあげた、いがらしゆみこ先生と水木杏子先生。今は『キャンディキャンディ』は著作権の問題で漫画を読むことが難しくなってしまいましたが、『男!あばれはっちゃく』が放送されていた頃は、そんなことはなく、アニメも『あばれはっちゃく』と同じテレビ朝日、当時はNETで放送されて、再放送もよくされていて、『なかよし』読者じゃなかった私でもアニメを見て、本屋で単行本を立ち読み出来ていた時代でした。

『キャンディキャンディ』はアニメと漫画連載が同時に終了していますが、『男!あばれはっちゃく』放送時は、まだ『キャンディキャンディ』の人気とそれに伴う、作画を担当されたいがらしゆみこ先生の漫画家としての人気は高く、同じテレビ局で放送されていたのもあって、『男!あばれはっちゃく』にイラスト協力をお願いしたのかしらとか、めっちゃいがらし先生が女の子達に人気があるから、ドラマに使わせてもらおうって思ったのかな、どっちだろうって思いました。

で、そんなこんなから、はなえやみゆきちゃん達は『なかよし』読者なのかもしれない。きっと『キャンディキャンディ』を見て、『なかよし』読者になったのかも、いや、アニメ化前から『なかよし』読者だったのかも、なんて、いろいろと妄想していまいました。

これまでも、『あばれはっちゃく』シリーズには、現実にも存在する本などが登場してきたので、こういうのを見ると、私たちの現実との接点を感じられて、私は嬉しくなってしまいます。

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『湖は今日もエメラルド』の漫画家って

『湖は今日もエメラルド』の作者って

ドラマの中に登場する漫画雑誌については記事に書いたのですが、今回はそれに少し関連した付け足し記事です。

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『俺はあばれはっちゃく』52話で明子や小百合、ヒトミちゃん、恵子ちゃん、てるほが夢中になっている三ッ色すみれの『湖は今日もエメラルド』。この漫画を描いた人は誰なんだろう、という疑問。

もちろんドラマの中では、紅理子さん演じる三ッ色すみれ先生が描かれていることになっているのですが、実際にドラマに登場した漫画は誰か違うプロの漫画家の人が描いたわけで、このドラマで小道具とした使われた漫画を誰が描いたのかという疑問が出てきます。

この52話「恐怖の劇画だマル秘作戦」の台本も手に入れたのですが、そこに漫画家の名前はなく(もしかしたら、見落としている可能性もあるかもしれないので、もう一度後で確認してみますが、確認しましたがありませんでした)、とくにEDまで見ても、漫画家だと思われる方の名前がなかったように思います。なので、ドラマで見ることが出来た漫画の絵柄で判断するしかありません。

ドラマの中の漫画の絵を見ても、私には心当たりのある漫画家の先生方の名前が浮かびませんでした。なんとなく、52話だけを見ていると、集英社の漫画雑誌を目立つようにしているので、1979年~1980年に集英社系の漫画雑誌で活躍されていた漫画家の人だと思うんですけどね。このドラマの中の『湖は今日もエメラルド』の絵柄に心当たりのある人はいますか。

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『俺はあばれはっちゃく』52話より

マーガレットと少年ジャンプ

『俺はあばれはっちゃく』52話を見ていて、集英社の漫画が目立っていると感じたのは、ヒトミちゃん達が書店で立ち読みをしている場面で、集英社漫画誌がしっかりと確認することが出来るからです。小学館の雑誌も目立ちますが、ヒトミちゃんが三ッ色すみれのサイン会を知るのが『週刊マーガレット』から。また、公一が持っている漫画雑誌が背表紙から、『週刊少年ジャンプ』だと分かるからです。

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『俺はあばれはっちゃく』52話より

三ッ色すみれが連載している『湖は今日もエメラルド』は、サイン会の情報が掲載されていた『週刊マーガレット』ではなく、『乙女コミック』なのが不思議だなって思っていたのですね。ある雑誌でデビューして、その雑誌、雑誌の出版社が出している別雑誌で描くことが普通かななんて私は思っていました。

でも、出版社が違う会社で漫画を描くというのは、そんなに珍しいことではなく、小学館で描いたり、集英社で描いたり、講談社で描いたり、秋田書店で描いたりしていて、または移籍されたり、専属ではなく、フリーで描いていたりするので、私がデビューした雑誌の会社だけで漫画を描くものだっていう考えがあるのは、子どもの頃に読んでいた『週刊少年ジャンプ』にあった「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ」の文言のせいかな、なんて思っています。後は、集英社小学館の子会社だと知った時は同系列の会社だからそんなに不思議はないのかって思ったりもしました。

ちなみに、この52話は1980年2月9日土曜日に放送なので、収録はその一ヵ月前だと推定して、1980年1月9日前後に撮影したのかなって思っていて、だからヒトミちゃんや公一が手にしている『週刊マーガレット』や『週刊少年ジャンプ』は1980年1月頃に発売していたものだと思います。少し調べてみたのですが、ヒトミちゃんが手にしている『週刊マーガレット』は1980年6号(2月10日号)ではないか、と思われます。

撮影が放送の一ヵ月前だと思う根拠に関しては、過去記事のこちらをお読みください。

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『乙女コミック』は集英社

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『俺はあばれはっちゃく』52話より

で、三ッ色すみれ先生は連載をしている雑誌以外でサイン会情報が掲載されていることから、『乙女コミック』専属というのではなくて、フリーの漫画家、もしくは『乙女コミック』は『俺はあばれはっちゃく』のドラマの世界においては、『週刊マーガレット』の姉妹雑誌で『乙女コミック』も集英社の漫画雑誌の可能性があるのかもしれない、という勝手な推測が成りたつのです。

現実は違うよ、そんな雑誌はないよって思ったとしても、これはドラマの世界での話なので、あしからず。実際に、三ッ色すみれ先生も『湖は今日もエメラルド』も存在しない架空の漫画家であり、漫画作品。だから、ヒトミちゃんがサイン会の告知をみて驚いている場面も、ヒトミちゃんが手にしている『週刊マーガレット』には、そんな告知はないんですね。だから、その告知ページが視聴者が見られる場面はワンカットもない。

そこにないものを見て、あたかもそこに重要な告知があり、それを見て驚き、目を輝かせて、嬉しそうにしている、小百合、ヒトミちゃん、明子の3人の表情はドラマを見ている間は気づきませんが、こうして振り返りながらブログで書いてみると、3人の演技の良さというか、すごさを感じますね。

半ば諦めているけど

『俺はあばれはっちゃく』52話に漫画家三ッ色すみれとして登場した紅理子さんは、2代目『男!あばれはっちゃく』71話でも漫画家・桜井亜子として再登場されています。この時に桜井亜子の漫画を描いていた漫画家は、いがらしゆみこ先生だと分かっています。これはちゃんとイラスト協力いがらしゆみこの記載があったから。記載がなくても、ドラマに登場した絵を見ただけで、いがらしゆみこ先生だと分かります。ちなみにドラマの原画展の絵は、いがらしゆみこ先生の作品『メイミー・エンジェル』です。(1979年『なかよし』4月号~1980年12月号まで連載)。右の引用画像はなえの後ろにある絵が分かりやすいと思います。

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『男!あばれはっちゃく』71話より
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『男!あばれはっちゃく』71話より

2代目では長太郎が持っている『週刊少年ジャンプ』もしっかりと『キャッツアイ』の表紙を見ることが出来て、はっきり分かるんですが、初代『俺はあばれはっちゃく』では、分かりにくいのが残念です。

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『男!あばれはっちゃく』102話より

あばれはっちゃく』はドラマ内で登場したドラマの中だけの架空の漫画や2代目、4代目で登場した架空のアニメ作品、アイキャッチやサブタイトル、OPに登場する長太郎のイラストが誰が描いたのかが分からない、分かりにくいというところが難問だなって思います。誰が描かれた絵なのだろう、誰の絵のだろう?2代目『男!あばれはっちゃく』71話のように実在の漫画家に頼んでいて、プロの漫画家やアニメーター、挿絵画家、イラストレーターに発注しているのか、国際放映の美術部が小道具として用意されいるのか、興味がつきません。71話は長太郎とはなえの漫画を描いたのは誰かという謎も残っていますね。ちなみに下の画像の左がはなえの漫画、右が長太郎の漫画です。

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『男!あばれはっちゃく』71話より

10年以上、これらの『あばれはっちゃく』のイラスト関係に関しては、独自で調べていたり、ブログでも取り上げてはいるのですが、情報が殆どなくて、なんか、もうずっと私には分からないままなのかなって思ったりしています。私が分からなくても、作り手の方々は分かっているわけで(当たり前)、それはそれでいいかなって最近は諦めモードに入っています。ただ、イラストや挿絵とかは好きなので、描いた方たちの他の作品を見ることが出来たらいいなって思って、もう少し探してみようかと思います。

ところで、『湖は今日もエメラルド』の絵が誰の絵か心当たりのある方はいますか。

女の子

ヒトミちゃん

『俺はあばれはっちゃく』をDVDで買って見直したときに、「あれ?ヒトミちゃんってこんなに意地悪な女の子だったのかな」って思いました。私の記憶していたヒトミちゃんの人柄は、中盤以降のヒトミちゃんだったんだなって、全話見直して分かりました。

本当に一桁話数の頃のヒトミちゃんは長太郎に冷たく、意地悪な女の子だったんですよね。それが次第に厳しくも優しいヒトミちゃんに変化、軟化していったのは、これまでこのブログで書いてきたとおりです。

同時に、この頃には原作小説の本も発売されていて購入して読んでいたので、子どもの頃には読んでいなかった原作小説のヒトミちゃんと比較して読んでいたのですが、原作のヒトミちゃんが最初の方から長太郎に厳しいけれども冷たくない優しさを持っていた女の子だったので、原作小説のヒトミちゃんとドラマのヒトミちゃんは違う人間なんだなっていう印象を持ちました。

ヒトミちゃんに限らず、初代は原作と同じ名前の登場人物が出てくるのですが、原作とドラマでは性格が微妙に違っていて、ドラマの印象が強く残っていたのもあって、最初は読んでいて戸惑いました。原作の性格の要素もドラマの人物も少し持っていたりはするんですが、それはあくまで下地になっているという感じでした。

ドラマのヒトミちゃんは次第に長太郎に対して優しくなっていくんですが、気が強くはっきりした性格、自分の気持ちはちゃんと意思表示する性格は一貫していて、その気の強さが私はとても好きでした。

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ヒロイン=マドンナ

ヒロインのことをマドンナっていうのって、『あばれはっちゃく』の他には『男はつらいよ』がありますよね。

昔は多くの作品でヒロインに対して使っていたように思うのですが、今ではヒロインをマドンナって称することってないように思います。若い人達は、マドンナというとアメリカの女性歌手の方を連想される方の方が多いかなって思います。

憧れの女性、羨望を集める女性という感覚で私は「マドンナ」という言葉を捉えていました。マドンナは古いイタリア語で「我が淑女」の意味があるのそうですね、後は聖母マリアの意味も持つとか。

なんか、マドンナには憧れの女性、理想の女性という意味があるように思います。ある種、理想化された女性像といいますか、男性が一方的に抱いている女性のこうであって欲しいという願望も含まれているのかなって。

女の嫌な面も描いた初代

けれども、『あばれはっちゃく』の面白いとこは、特に初代の『俺はあばれはっちゃく』に顕著だったと思うのですが、女の子の現実に近い姿もドラマの中で見せているところです。原作や2代目以降のヒロインって結構理想化されてるって、私は感じるのですね。

けれども、初代ドラマのヒトミちゃんって、打算的なところはあるし、ヒトミちゃん以外の女の子の恵子ちゃん、明子、小百合も女の嫌な一面を見せていたりするじゃないですか。特にそれが出ていたのが、初代の39話。ヒトミちゃんがモデルになって、男子達に人気が出た時に恵子ちゃん、明子、小百合がヒトミちゃんを仲間外れにして、嫌味を言ったり。それから、52話での明子と小百合の態度とかを見ても、理想化されすぎていない女の子の姿だなって、私は思いました。

そういうなんか可愛くて、優しいだけじゃない女の子達の一面も見せていたのが、初代だったなって思って、原作からドラマも5作見てみると、こういう女の子のいい面だけでない嫌な面も描いているのは、初代のドラマが一番多かったかなって。他の代が全くないとは言わないんですが、印象が強いのは初代なんですよね。

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女は怖いね

初代長太郎が6話で「女って残酷だね、特に自分が美人だと自惚れている奴ほど」って山本さんに話していますが、これは身近にてるほという異性の姉がいて、女に対して過度な期待を持っていないってことなんだろうなって思います。それでいて、ヒトミちゃんに弱いというか、ヒトミちゃんの怖さにあまり気づいていない(気づかないふり?)とこが面白いなって思います。

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そういえば、長太郎とてるほと同じ年齢差でお姉さんがいる人が、『俺はあばれはっちゃく』を見て、長太郎のてるほに対する態度にものすごく共感していて、そういうとこでも、ヒトミちゃんだけでなく、てるほという異性も『俺はあばれはっちゃく』は案外とリアルに女の子を描いていたんだなって感じました。

うちのブログのアクセスを見ていると、女性よりも男性の方が多くて、『あばれはっちゃく』は男性ファンの方が多いんだって知ったんですが、私自身が女で、また女性のファンの方もいることは知っているので、え、男女半々ぐらいの人気だと思っていたのに、男性ファンの方が多いのって驚きました。

それでも、女性ファンも存在するのは長太郎がカッコいいとか佐々木先生が素敵、父ちゃんが最高!とかだけじゃなくて、女の子達もちゃんと等身大で自分達と変わらない親近感を持つことが出来ていたからかなって思うんです。な理由で年齢が近くて同じ名前の4代目ヒロインも大好きです。

『俺はあばれはっちゃく』4話と『逆転あばれはっちゃく』7話

リメイク

『逆転あばれはっちゃく』7話を見て、『俺はあばれはっちゃく』4話を思い出しました。脚本が同じ田口成光さんなので、セルフリメイクに感じました。

長太郎が作文で父ちゃんのことを書いて授業で発表すると、それを初代では正彦、5代目では秀彦が嘘だと指摘するとこ。その後の過程は変わりますが、父ちゃん、父さんの仕事がどういうものかを知り、一瞥だけでは分からない父ちゃん、父さんの仕事の大切さ、凄さを理解するとこが共通してると思います。

違い

違いは初代の正彦は長太郎へのイジメに発展しなかったのが、5代目の秀彦は五郎や松夫達を使って陰湿なイジメをして、父さんの面目を潰し、長太郎の心を踏みにじったとこでしょうか。正彦も長太郎のプライドを潰し父ちゃんの面目を潰してはいるのですが、決して長太郎を陥れようとしての行動の結果ではなく、長太郎の悪知恵に対して、間違いを正しての行動の結果だったので、5代目の秀彦達の方が酷いなって思いました。

他の違いは父ちゃん、父さんの長太郎に対する態度ですね。初代の父ちゃんはもう、長太郎がまず悪いで、5代目の父さんは長太郎が秀彦に暴力を振るったのはそれなりに理由があると長太郎に静かに尋ねてました。その前に上司に当たる秀彦の父親の動物園の園長には頭を下げた後で。

この父ちゃん、父さんの長太郎に対する態度の違いは、5代目のシリーズの見直しによる父ちゃんのキャラクターの違いなんだろなって思います。正彦と父ちゃん、秀彦と父さんの微妙な人物性格の違いが、話の基本は同じでも、話の印象が変わるんだなって思いました。

父ちゃんと父さんの仕事の見せ方

私は父ちゃん、父さんの仕事の凄さの見せ方は、初代の方が良かったと思いました。長太郎は納得してないようでしたが、父ちゃんの仕事があってこその職場なんだってのが伝わりました。この初代の4話って子どもの頃も当然見ていて、印象に残ってたんですね。で、DVDで見返した時に、当時、見てた時の感情や風景が戻ってきて、懐かしいって思いました。

見返し時は長太郎の悔しい気持ちも分かるけど、社会人として働いてたから父ちゃんの気持ちも分かって、子どもの時より心に刺さりました。

5代目は大人になって見た感想しかないんですが、父さんが動物園(父さんの職場)秀彦達に馬鹿にされてる場面や秀彦のことを殴った理由を秀彦の父親の前では言えなかった長太郎を見るのはとても辛かったです。その後、父さんの名誉を挽回する事件が起きて、父さんが見直される展開になるのですが、この一番大事な展開が曖昧で内容が弱いんです。

長太郎達のクラスの飼いうさぎが具合が悪くなって、父さんが診ることになりますが、うさぎがどうして具合が悪くなったか、秀彦のアドバイスで野菜ジュースを飲ませたのが原因としても、なぜそれがダメなのか、その結果どうなったかの推測と説明がなく、回復させるにはどうしたらいいかが描かれていません。

そこを描くことで、父さんの動物に対しての知識の凄さが出るのに、そこを曖昧にしてるのが残念でした。うさぎの体温が下がったから温める、最後は長太郎の神頼みだけではもったいないと思いました。最後は長太郎の願いが届いたという締め方はいいのですが、そこにたどり着くまでの父さんの知識とうさぎへの具体的な対応がもっとしっかりとあれば、この話はもっともっと印象に深く残る話だったのになって、残念に思いました。

時代の変化

同じ『あばれはっちゃく』、同じ脚本家でも、似たような話の骨格があっても、話が伝えるメッセージが変わらなくても、ドラマを見ていた年齢、時代や人物の性格が微妙に違うことで、こんなに受け取る感情が違うんだなってのを知ったのは、新たな発見でした。ちなみに監督は違っていて、初代4話が新津左兵監督、5代目7話が磯見忠彦監督です。

『逆転あばれはっちゃく』を見て気づいたこと

お金あるな

桜間家の家のセットを見ていると桜間家が豪華になっていると感じました。2代目から桜間家は2階建てになるのですが、2代目からは同性同士の兄弟の為に子ども部屋は一部屋。これが5代目で異性の姉に戻ると、子ども部屋が二部屋になっています。初代長太郎とてるほの部屋もそれぞれにありましたが、ふすまで隔たれていただけで、繋がっていました。でも、5代目では明確に分かれています。

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左『俺はあばれはっちゃく』6話より、右『逆転あばれはっちゃく』7話より

長太郎が出てきた反対側から、カオルが出てきたってことは、向かい合わせで長太郎とカオルの部屋が2階にあるということ。その分、セットの数が増えているんだなって思いました。また、1階の部屋も広く、家具数も増えてます。

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『逆転あばれはっちゃく』7話より

元々、『あばれはっちゃく』は初代から比較的夕食なども豪華で、一定以上のお金のある中流の上の家庭の印象があるのですが、5代目はバブル時代というのもあって歴代の中で、特に今の時代から見ると豊かに感じました。でも、この時代は、これが普通だったんですよね。

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『逆転あばれはっちゃく』7話を見ると、長太郎がコンビニを、はしごしてカイロを探して走るのですが、そのコンビニが全てヤマザキディリーストア。看板もしっかり映されているので、5代目の時にはスポンサーだってのかなって思いました

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『逆転あばれはっちゃく』7話より
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『逆転あばれはっちゃく』7話より

また、9話でブッチャーを探している時に映った小僧寿し。これも、しっかり看板だけを映しているので、こちらもスポンサーだったのかなって思いました。裏付けはとってないんですが、当時、キー局で見てた方でCMを覚えている方はいますか。

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『逆転あばれはっちゃく』9話より

コメントでマウントをとって悦に浸る人

注意

この記事は愚痴記事です。負の感情満載なので読まないことをお勧めします。

こんなことも知らないの

16年ほどブログを書くようになって、その16年のあいだにはてなダイアリーはてなブログ以外でも記事を書く機会に恵まれたことがあり、記事を書いたこともあったんですが、そこで、私の記事に対しての上から目線のダメだしコメントを頂くことがありました。

私の記事というのは、私自身が体験したこと、見てきたこと、知っていることを元にそれらについて調べた事を中心に思い出を交えて書く記事なのですが、自分が生まれる前の時代の作品というのは、知らないので書けなかったり、深く触れることが出来ないのですね。再放送世代でもあるので、生まれていない時代の作品でも、再放送で見ていれば、知っているし、楽しみに見ていた思い出もあるので語れるのですが、そうでないものは語れない。

けれども、私よりも5歳から10歳年上の人達は、私が再放送で知っている作品以外の作品も知っていて、この作品について語っているくせに、これが抜けているとか、この人について触れていないというのが目について、この記事を書いた人間はいい加減だという判断を下して、こいつの記事はダメだとコメントをするのです。

私と同世代に向けての記事ですから、生まれる前の作品、再放送がなかった作品よりも、自分の時代のリアルタイムの作品を中心に語ったのに、上の世代から自分達の世代の作品に抜けがあるからダメだってコメントされてしまうと、悲しい気分になりました。さらには、それだけでなく、記事を最後まで読めば、この人について触れていないからダメというのは全く的外れで、ちゃんとその人について触れているのに、この人最後まで読まないで、脊髄反射でダメだししているんだって分かって、さらに虚しくなりました。

自分の時代の作品がないからダメという書き方ではなく、他にもこんな作品があなたの知らない生まれていない時代、物心がつく前にこんな作品がありましたよ、こんな子役が活躍していましたよっていう書き方が出来ないのでしょうか。本人にその気がなくても、先の時代を知っている人間からの知らない世代へのマウントをとるコメントの書き方に対して、そんなに先に生まれた人間は偉いのか!という感情の方が先に出ました。

私の記事は中途半端

私の記事はとても中途半端なのです。プロの人から見たら穴だらけ、隙間だらけだし、全てを網羅していません。調べるにしても、しょせん素人調べ。買える範囲での書籍の資料、調べられる範囲のネット検索、私自身の昔の記憶が情報源なので、完璧を求める人達には不完全、さらに上の世代からすれば、自分達の時代が虫食い扱いされているから、不満が高まる。なので、ちょっと嫌味を入れてコメントをしたくなるんだと思います。

私はやはり自分の時代からしか語ることが出来ず、その前の時代は調べて書いたり、当時を知っている人に話を聞いたりして書いていて、さらに自分の時代も記憶を頼りにしていて、その記憶もしっかり正しいとは限りません。それでも、出来る限り調べたうえで書いて、書いてあるのに、それすらもちゃんと読まないで、なんかそれっぽいみたいな引用画像があるけど、記事では触れていないね、なんて記事を最後まで読めば、その指摘したことについて書いてあるのにも関わらず、「書いてない」って事実無根を書かれてしまうと、なんなのって私だって思ってしまうのです。

私が昔の思い出や調べた事、DVDを見返して気づいたこと、そこから連想したり、人との繋がりを見つけて、考えたことに対して、やみくもにそんなわけないじゃんって、馬鹿にして笑っている人は意外と多くいて、それは公開で記事を書いている以上、仕方がないと思っても、そうやって人を馬鹿にすることで、自分が立場が上で(実際に私よりも人間的にも社会的にも、年齢的にも上の存在なんでしょう)偉いんだっていう態度が透けて見えるコメントに関しては、素直にこちらも記事の情報不足、勉強不足を認められず、反発の心が芽生えてしまいます。

私の記事に対してダメだしされた方のお名前も分かっていますが、名前は挙げません。本人は私を傷つける目的で書いた気はないだろうし、記事の不足を指摘したに過ぎないのに逆ギレされてもって苦笑いでしょうし、どうせ分かり合えないし、向こうは忘れていると思うから無意味。

じゃあ、なんで今頃、書いたのか。私の記事って、しょせん素人記事なんですよ。どこまでいっても。だってプロや業界の人から見たら、穴だらけの記事だし、ドラマを見て感じた事や気づいたことなんていうのは、DVDで何周も見ていれば分かることで、私ではなくても、誰でも書けることなんですね。だから、私が書くことって実はあんまり価値がない、本当に個人の自己満足以外の何物でもない記事で趣味の範疇を出ていないんです。

それなのに、なぜかプロ並みの知識と情報を求められていると感じることが、ずっとあるなって思ったので、ここは素人が書いているブログだと今一度認識して読んで欲しいと思ったからなのです。

私の心を傷つける人って何様

誰でも書けることを書いているのに、認めてもらえることはとても不思議なことで、特別なことでもないのになって思っていたくせに、ちゃんと読んでなくてダメだしされたコメントを読んだら、ふざけるな!あんたが認めなくても、ちゃんと認めてくれる人達はいるんだ!ちゃんと最後まで記事も読めない癖に!っていう傲慢な気持ちも出てきてしまって、もう、自分が謙虚なんだか傲慢なのか分かんなくて、自己嫌悪。

それで、ですね。自分も人様のブログにコメントを書く時は、本当に言葉を選んで書いているつもりなんですが、受け手がどう取られるかっていうのは、コントロールできないじゃないですか、だから悩んだ挙句、コメントを書かないことの方が多くなりましたね。後は、自分の意見を聞いて欲しいという欲の方が強いので、初期は人様のコメント欄や古くはサイトの掲示板で自分のことばかり、自分の知識自慢ばかりになってしまって、ダメなんですよ。相手のお庭で失礼を働いてしまっていて、だから、控えるようになりました。

コメントがあると、自分の記事が一方通行ではなくて、ちゃんと反応があって嬉しい気持ちが大きいですけど、中には、ここまで書いてきたようにコメントでマウントをとる人がいて、それはここまで紹介してきた私の記事を最後まで読まないで文句をつけた人の話ではてなブログでのことではないけれど、はてなブログの方でも、子役時代の吉田さんを可愛いとかいたら、こんなコメントを頂きました。

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るる

女の子が可愛い=女=自分

結局自分が可愛いと思いたいだけなのでは?

吉田さんは可愛いというよりもカッコいい部類だと思うけど。

他にこんなコメントも。

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花なんて切られている時点で死んでますから。
その後に何されようが花にとってはどうでもいい事

女性らしい気遣い(笑)

このコメント別の記事でHNを変えて頂いているんですが、IPアドレスが同じなんですね。自分の意見が正しいと思うのなら、名前を変えずに誤魔化さずにちゃんと意見としてコメントを書けばいいのにって思いますし、それに、コメントの書き方も不躾で失礼な書き方です。私だからこんな書き方でもいいという考えは本当に人を見下すことに快感を得ている人としか思えません。もう11年前のコメントですが、私は消していませんし、忘れていません。それだけ、不躾で失礼なコメントは人の心を深く傷つけるんですよ。どうせ、その人はもうこのブログを見ていないでしょうけど、あなたがしたことは永遠に残ります。

それで思うのは、最近はHNや本名に関係なく、人を傷つけるコメントを書く人は、いつの時代にも一定数いるということ、それも社会的立場とか関係なく。後、とても相手のことを考えてコメントをしている人っていうのは、文面から伝わってきます。こういう記事を書くと、普段とても言葉に気を付けてコメントをくださる方の方が、自分が失礼をしてしまったのではないか、と委縮されてしまう人がいて、反省して欲しい人は反省しないで捨て台詞を残し、自分が気に入らない記事を書いた私を傷つければ満足で終わっているんですよね。

私を傷つけた人の反論があれば聞きたいですが、納得はしませんし、へぇーそれで、だから何?で終わりですね。だって、私には理解出来ない人ですから。その人から見たら私は馬鹿なので、高尚な方の言葉は理解できませんからね。

自分の方が知識が上だ!物事が分かっているんだってマウントをとることに快感を覚える人って、どうしたらそんなに自分が偉いんだって思えるのでしょう、ある意味とっても羨ましいです。自分に自信を持つのは素敵なことですが、人を傷つけるのが素敵なことだと思いません。あ、私を人間だと思ってないのかな。私も一応、人間ですので覚えておいてください。私にも傷つく心がありますから。

気持ちが不安定

と、コメントで嫌な思いをしてきた私ですが、その数は少なく、温かいコメント、私のうっかりミス、思い込みミスや知らなかった情報を優しく、丁寧に教えてくれる人達が多くて、とても楽しく情報交換や思い出話が出来てきたので、コメント欄は開放していて良かったなって思っています。

文字だけのやり取りって、顔の表情や声の調子がない分、同じ言葉でも責められていると感じたりして、使う言葉にとても神経を使いますね。また、一方的な語りかけになってしまって、自分の思いだけを押し付ける形にもなってしまって、本当に画面の向こうにいるのは、自分と同じ心を持つ人間だっていう思いをしっかりと認識して、言葉を綴っていきたいなって思います。

コアラボーイコッキィ

 

コアラ

『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月~9月)のブッチャーこと丸山ルリ子が着ているトレイナー、かな、が私が子どもの頃に放送されていて見ていたアニメ『コアラボーイコッキィ』(テレビ東京)の絵だと思いました。この服、ルリ子のお母さんもお揃いで着ていて、ルリ子はここの記事の引用画像で紹介した色以外でもピンクや白の色違いを着ています。

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『逆転あばれはっちゃく』9話より


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『コアラボーイコッキィ』と同じ時期に『ふしぎなコアラブリンキー』(フジテレビ)というアニメもあって、コアラのアニメがあったんです。これは、日本の動物園にコアラが初めてやってきて、コアラブームが起きた影響。ロッテのコアラのマーチが発売されたのもこの頃でしたね。ちなみに『コアラボーイコッキィ』の主題歌を歌った赤坂小町プリンセスプリンセス(プリプリ)のこと。

当時、TBSで放送していた『関口宏わくわく動物ランド』という動物関連のクイズ番組があって、そこでコアラを始め、エリマキトカゲとか、ウーパールーパーとか当時はまだ珍しかった動物を紹介していて、こんな動物がいるんだと知り、それがアニメやお菓子、CMなどで多く取り扱わされて人気があったなって思い出しました。5代目の父ちゃん、もとい父さんの仕事が動物園の飼育員に変わったのも、こうした新しい動物のブームがあったせいかもって思ったり。

コアラが来日したのが、1984年10月25日。『コアラボーイコッキィ』の放送開始が1984年10月4日、『ふしぎなコアラブリンキー』の放送開始が1984年7月7日。コアラのマーチの発売が1984年3月でした。もう、コアラが来日する前に事前にコアラに関しての情報や商品が飛び交っていて、満を持してオーストラリアからコアラが来日してきた様子を思い出します。

コアラのぬいぐるみもあって、コアラがユーカリの木にしがみつくを再現した小さなぬいぐるみがあって、それを買ってもらったりもしました。コアラブームは私が小学4年生の1984年が一番ピークだったかな。1985年に『逆転あばれはっちゃく』が始まる1年前の出来事ですね。子ども時代の1年って大きくて、1年前の出来事は大昔に感じますね。大人から見たらたったの1年なのに。

珍しいかな

あばれはっちゃく』では、ミッキーマウスセサミストリートのキャラクターのある服も登場してきたりもしたんですが、自分が子どもの頃にリアルに毎週見ていた日本のアニメのキャラクターの服が登場してくるのは、『あばれはっちゃく』にしては珍しいなと思いました。もちろん、有名なメーカーの服は既に出ていて、5代目にも出ているんですけど、それにしても珍しい。それに『あばれはっちゃく』はテレビ朝日で放送していましたが、『コアラボーイコッキィ』はテレビ東京なのでなおさら。

しかも制作会社も違いますしねって思ったら、『コアラボーイコッキィ』の脚本家の中に『あばれはっちゃく』の初代から5代目まで脚本家として名を連ねていた三宅直子さんの名前を見つけました。こんなところに、小さな繋がりがあるものなのですね。

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