柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

山際永三監督インタビュー2014(4)

――『俺はあばれはっちゃく(1979年 テレビ朝日)』で監督が組まれた脚本家さんも多かったですが、一番しっくりくる脚本家さんはどなただったんですか?

山際・やっぱり市川靖さんですね。

――その市川靖さんが最初に執筆された、第5話『無抵抗マルヒ作戦(監督 山際永三)』などでは、長太郎(吉田友紀)がヒトミちゃん(早瀬優香子)のために暴力を振るったら、逆にヒトミちゃんに嫌われて、仕方なく長太郎が「もう暴力はふるいません」という誓約書を書いた先で、東野英心さんの父親や、久里千春さんの母親、島田歌穂さんの姉・てるほ等が、皆さんそれぞれに魅力的にドラマに絡んでいくという構成が見事でした。

山際・そんなことがあったね。長太郎ってでもさ、日常的に暴力を振るう少年じゃないですよね。誰かをとん智でやっつけるとかそういうのはあったかもしれないけれど。

――そんな長太郎の一番の理解者が、山内賢さん演じる佐々木先生でした。山中恒さんの原作『あばれはっちゃく』ですと、あまり出番がない佐々木先生なんですけれども。あの佐々木先生という登場人物を膨らまそうと提案されたのはどなただったのでしょうか。落合プロデューサーでしょうか?

山際・いや、(山内賢氏と)同じ日活出身だった鍛冶昇 (国際放映プロデューサー)さんが一生懸命膨らませて、僕は勿論それはいいことだと思ったし、成功したと思いますね。

――佐々木先生は、当時の現役の視聴者の子ども達から見ても憧れでしたね。空想的な要素も特撮もないこのドラマの中で、佐々木先生という存在が一番子ども達の夢を叶えていたと思います。

山際・なるほどね。そうですね。そういえばそうですね。山内さんも亡くなったのかな?

――はい。既にお亡くなりになっています(2011年9月没)山際監督が『俺はあばれはっちゃく』を通して表現したいこと、作りたいことという前提において、吉田友紀さんが果たした役割は大きかったのでしょうね。

山際・吉田さんというのは、主役をやっただけに本当に大変でしたからね。毎日毎日、朝早くから夜遅くまで、ああやって活躍できるっていうのは、大変な才能ですよ。今でも吉田さんに会って「あなたのおかげで『はっちゃく』は出来たようなもんだよ」とお世辞を言うとね、彼は「いやぁ皆さんのおかげです」って言うくらい、とても謙虚なんですよ。

――山際監督は以前インタビューで「表現とは、狂気をそこに込める事だ」と仰っていました。それは常識の枠に囚われない、人間が普遍的に持つ、薄皮一枚の「狂気」のことであり、現実生活でそれを出してしまうのはいけない事だけど、フィクションであればそれは「表現」にしか出来ない真実に繋がるのだと思いました。『俺はあばれはっちゃく』も、そういう意味ではプロデューシングですとかマーチャンダイジングですとかでは全く「普通」でしかない作品であるわけですけれども、山中恒さんの原作で、しかも60年代の終わりにすら消えかけていた「ガキ大将」的なる存在を、80年代に差し掛かる「現代(当時)」にポンと放り込んでみる。そこで笑ったり暴走したり喧嘩したり、騒動が起きる。それを山際監督が、吉田友紀さんのフィジカルなポテンシャルを十二分に発揮させて撮るという「表現」そのものが、一番のファンタジーであり「狂気」であったのかなと、そう思いました。

山際・まぁそうやって整理して頂くとなおのこと、落合(兼武 テレビ朝日プロデューサー)さんとか鍛冶さんが「こういうのがいいんだ」ってレールを敷いてくれて、その上を、本当に僕は自由に飛び跳ねて作ることが出来たっていう、そういうある意味で幸せな、さっき言ったようにテレビ映画の作り方の完成度が成熟した時期に、『あばれはっちゃく』があったんだっていうのをね、つくづく感じますね。そういう意味では本当に、あれが成功したのは良かったなぁと思うくらいに。まぁ『ウルトラマン(シリーズ)』なんていうのは全部オールアフレコなんですよね。その上で、特撮あり本編ありで、監督が一人ではいい気になっていられない難しさっていうか、それだけに話も大きくなるわけだけども。そういうのと違って(『俺はあばれはっちゃく』は)小さくまとまっていたという良さがあるんですね。

――デビューから20年以上も、様々なジャンルで監督としてご活躍された山際監督ですが、監督ご自身の中で、自らのフィルモグラフィーを思い出された時、 『コメットさん(1967年 TBS)』や『恐怖劇場アンバランス(製作1969年 フジテレビ)』『ウルトラマンタロウ(1973年 TBS)』などいろいろありますが、一番傑作だと実感されたのは、どの作品だったのでしょうか?

山際・傑作なんて言えません。あそこをもっとこうすれば良かったとか、そういうのはあるんですけどね。そういう意味で主に技術的完成度っていう意味では『俺はあばれはっちゃく』が一番上手くいったんですね。自分でも感心するぐらいに上手くいったんですよ本当に。それは、落合さんとか鍛冶さんとかに恵まれてたっていうのもあるし、吉田(友紀)さんのおかげでもあるんだけど。これは本当に巧くいったんですよ。

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