柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』81話「社長になれるぞ」感想

『男!あばれはっちゃく』81話より

 

1981年10月24日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

問題の解決方法

長太郎の後先を考えずに人を助けるやり方と、克彦のように自分の安全性を確保してから人を助けるやり方が対比されていた話だと思いました。長太郎のように自らの危険を顧みずに人を条件反射で助けるやり方はとてもヒーロー的で格好よく、克彦のやり方は消極的で仕方がなく助けているように見えて、度胸がないように見えます。実際に川に落ちたビニールボールを取ってあげる長太郎と克彦のやり方は対照的で、長太郎の潔いやり方は、その場にいた克彦の祖母、家で話を聞いた克彦の姉の洋子さんから絶賛され、克彦のモタモタしたやり方は批判されてしまいました。

また、暴走バイクのせいで怪我をしたマリ子ちゃんの見舞いに対しての考え方も長太郎と克彦の考え方も対照的で、長太郎は千羽鶴を持ってお見舞いに行くことを提案し、みゆきちゃん達を含めたクラスメイトも賛成する中で、克彦だけはその考え方に反対して独自でお見舞いのカードを作って渡すと宣言して、怒った長太郎と喧嘩をしてしまいます。

一見、長太郎の方が情があって、克彦の方が情がないように思うのですが、お見舞いに何を持っていけばいいのかというみゆきちゃんの問いかけに最初はふざけて答えた長太郎に対して、克彦は「もっと心の籠った物がいいよ」と返していて、克彦は克彦なりに目の前で暴走バイクで怪我をしたマリ子ちゃんの事は心配していています。克彦は1週間の入院で千羽鶴は大袈裟で、自分がクラス委員の代表としてお見舞いに行ってお見舞いのカードを渡すと代替え案を出しています。それから、克彦はマリ子ちゃんを轢いたバイクのナンバーをメモしていて、克彦の中でその犯人を捕まえようと考えていました。

長太郎と考え方ややり方は違うのですが、克彦は克彦なりにマリ子ちゃんを心配しているし、マリ子ちゃんに怪我させた犯人に責任を取らせたいと考えているのに、長太郎と違う考えややり方をしているからといって、克彦を「冷血人間」という長太郎は流石に酷いなって、私は思いました。

人の為に自分を捨てる

長太郎のやり方や考え方は、克彦の祖母や洋子さんに絶賛されます。私は克彦の祖母のように、確かに人情が大事だと思いますが、克彦のいうようにそれだけではダメだな、とも思います。克彦の祖母に褒められた長太郎はご機嫌で家に帰ってきますが、父ちゃんから「人助けをするなら後先を考えてやれ」母ちゃんから「自分が危険な目にあったら、元も子もないんだよ」っと言われてしまいます。さらに長太郎が褒められたのは、克彦に活を入れる為と聞かされて、長太郎は怒って克彦の祖母へ文句を言いに行きます。

私は長太郎のやり方も克彦のやり方も、どちらも間違いはないと思うんですよね。自分の危険も顧みず、助けに行く長太郎。その勇気と人情は人の上に立ち、人を助けるものとしてはとても大事な精神です。けれども、母ちゃんのいうように自分が危険な目にあったら元も子もないのも事実で、克彦のように状況を見て、慎重に安全を確保して確実性を持って行動して助けるのも人の上に立つ者には必要な要素だと思います。

長太郎に冷血漢と言われて怒った克彦は、自分がマリ子ちゃんを轢いたバイクの人を探し出すといい、長太郎もそれを受けて自分も探すと言い出します。しかし、長太郎のやり方は非効率的で、なんとか閃きと行動力と運の良さでバイクの運転手である早川を見つけることが出来ましたが、バイクのナンバーを控えて探した克彦の方が確実で早く見つける事が出来ました。

克彦はビニールボールを落とした小さい子を見捨てることはなく、おっかなびっくりでもビニールボールを取ろうと頑張っていたし、マリ子ちゃんがバイクに轢かれそうになった時も咄嗟に「危ない!」と声を出して、素早くバイクのナンバーをメモしていて、自分に出来ることを出来る範囲でやっていて、人を助ける行動を起こしているんですよね。

だから、私は克彦を下に見て、長太郎を上に見るという克彦の祖母と洋子さんはちょっと克彦に厳しすぎるなって思ったし、そうかといって、克彦を必要以上に持ち上げる桜間家もどうかなって思ったりしました。そこで、双方の家族がそれぞれの息子、孫、弟を下にして、相手方を持ち上げることで、長太郎と克彦の人物評価のバランスをたもっているのかな、とも思いました。

現代では

この話の本放送から40年以上の月日が経って、価値観の変化が起きていて、当時は長太郎のやり方が格好良くて評価されていたかもしれないけれど、今では克彦のやり方の方が賢く評価されるかもしれないなって思いました。また、時代に関係なく、個人個人の考え方でも、評価が分かれるところだと思います。

今、元日に起きた能登半島地震で、すぐに現地に駆けつけてボランティアをしている人は長太郎タイプで、すぐに行っても道路を渋滞させたり、避難所の食料を減らしてしまったり、まだ何が必要か分からない状態で行っても、返って迷惑をかけてしまうから、直後に駆けつけるのではなく、募金をするとか出来ることから助けるべきだと考える人は克彦タイプなんじゃないかなって思いました。

私はどちらも根底には「人を助ける、人を助けたい」という思いがあって、どちらのやり方も一方の支持者から見たら、冷血漢だったり、考え無しだったりするんだろうけれども、人を助けたい、人の役に立ちたいという思いから生まれる行動を冷笑して否定するのだけは違うんじゃないかなって思います。

2人が組めば無敵

私は人の助け方や励まし方の考えややり方が違う長太郎と克彦だけども、人を助けたいという根底にある考え方や思いは同じなので、双方の考え方ややり方で足りないところや粗になってしまっているところが、それぞれのやり方でカバー出来るんじゃないかなって思いました。長太郎と克彦がバイクの運転手の早川と対峙した時に、2人が結果的に協力しあった事で、事件が解決したのを見て、長太郎だけでも、克彦だけでも事件は解決しなかっただろうなって思うんです。

最終的に何の打ち合わせがなくても、長太郎も克彦も早川に言った言葉は同じで、それが早川の心を動かした事実。思うに克彦の祖母は克彦のやり方や考え方に、長太郎の大胆さ、時には後先考えない即決断の力もつけて欲しいという気持ちがあったんじゃないかなって思うんですよね。時期を見誤ると取り返しのつかないことになることもありますから。

だから、長太郎と克彦が二人で一人になってタッグを組めば最強になるんじゃないかなって。将来、長太郎が克彦の家の会社に入社してという話に発展していきますが、長太郎が克彦の会社に入社して、3代目社長になって克彦を支える未来もあるのかもしれないなって、そんなことを思いました。また、克彦の会社には福岡に転勤した佐藤部長もいて邦彦ももしかしたら、入社してくる可能性もあるかもしれないので、3人でちとせ美工を大きな会社にしていく未来もあったりするかもしれないっていう妄想を膨らませました。

金より心

最後に早川が見舞いとして、マリ子ちゃんにお金を渡します。寺山先生は長太郎と克彦はその為に早川を探し出した訳じゃないと言って拒否を示しますが、早川は「自分の気持ちだから」と言います。

早川はちゃんとマリ子ちゃんの病室にきて謝っていて、自分がしたことをしっかりと反省しています。それだけでも、マリ子ちゃんも長太郎も克彦も寺山先生も嬉しく感じているのからこそ、早川の出した見舞金を断っているんですね。けれども、早川は自分の気持ちだからと見舞金を出しているんです。

お金で解決するという意味ではなくて、自分の力を過信して怖い思いをさせ、怪我をさせてしまったことに対する思いから生まれた自発的な申し訳ないという思いが形になったのが、早川の見舞金にあると思います。

お金だけなら、金の問題じゃないと突っぱねてしまいますが、そこに申し訳ないという思いが籠っていれば、謝罪の思いがあれば、お金が欲しいからやったのではないという言葉が自然と出てくるものです。

最近は、相手を傷つけても申し訳ないという思いを持たない人が多くなり、形だけの目に見える心の籠っていない「金」だけを出せばいいんだろう!という乱暴な謝罪になっていない謝罪をして、いや、謝罪すらしない人や組織が多くなってしまったように思えることが増えてしまって、日本人が持つ「人情」がなくなり、「薄情」になってしまったなって悲しくなります。

この話は、人の上に立つものが持つ、度胸と冷静さ、人を助け、救いたいという優しさの大切さと、過ちを犯した時に被害者に対してどのような心を持って謝罪するべきなのかという人の心の大切さを強く感じた話でした。薄情になりつつある(既になっている)現代で今一度、見て欲しい話です。