柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

初代あばれはっちゃく放送開始から45周年

45周年

今日、2月3日は45年前に『俺はあばれはっちゃく』の放送が始まった日です。『俺はあばれはっちゃく』は毎週土曜日、夜7時半に放送されていました。45年後の今日は奇しくも曜日も45年前と同じ土曜日です。

45年前、45歳の人でも初代を見たことがない、知らない世代が当たり前になり、当時は私たちの生活と大差なかったドラマの日常も小道具も、ちょっとした時代劇の世界に見える人達も増えてきました。わらさんのコメントを読んで、そうか父兄の方でも知らない時代のドラマになっていたんだな、と、当たり前の事なのに、今更ながらびっくりしたりしています。

今、このドラマを見返してみたりすると、45年前にしては先進的だなって感じるところと、やはりその時代ならでは価値観、当時にとっては普通とされていた認識や表現があって、これは45歳以下の人達に受け入れてもらえるのだろうか、と考えたりします。でも、わらさんのコメントを見ると、案外と受け入れられてもらえる作品なんだと安心をしました。

今も何度も見ていて、当時には感じなかった事、新たな発見、子どもの頃に見た時の記憶や当時の出来事を思い出して懐かしかったり、新鮮な気持ちになったりして、『あばれはっちゃく』という作品は、私にとっては今も色あせないとても面白いドラマであり続けています。

ドラマの『あばれはっちゃく』は、山中恒先生の原作『あばれはっちゃく』と一番近いとされる初代『俺はあばれはっちゃく』でさえも、原作そのままという作品ではないのですが、作品の核になる芯の部分は、特に初代『俺はあばれはっちゃく』はしっかりと受け継いで、映像化されていると私は思います。

原作者の山中恒先生がどのようにドラマを捉えているのか分からないのですけれども、私はドラマを見て、原作を読んでそのように感じました。

文字だけの原作と映像作品は別メディアで、表現方法が違います。映像だからこそ出来る表現、文字では出来るけど映像では出来ない表現があって、それぞれの媒体で表現が変わっても、物語の芯の部分が変わらなければ、原作者の大事にしている部分を大切にした作品なら、表現が変わっていても別メディアになっても、抵抗はないんじゃないかなとか思ったりします。

ドラマから原作を読んだばかりの頃は、ドラマと原作の人物が名前は同じだけど、印象が違う人物もいて面喰いましたが、読んでいくうちに大切な部分はそんなに違わないなって思うようになり、ドラマとはちょっと違うけれども、この原作が原点なんだなって感じるようになりました。

また、ああ、ドラマは原作のこの話とこの話を組み合わせて再構成したり、放送日に合わせてこの話をアレンジしたんだなとか、この設定をこんな風にドラマに反映していたのかと分かってくると、元々2クールで終了予定だった割には、随分と原作を読み込んで作品を作っていたんだなって感じられて、ドラマ制作者の原作者、及び作品への強いリスペクトを感じました。

そして、このドラマは当時の私達子どもの為に大人達が真剣に本気で作り出してくれていたドラマだったんだなって思うようにもなりました。その思いは、父ちゃんを演じた東野英心さんの著書『クラブと恋と夢』の中で書かれていたこの以下の引用部分を読んだ時に、強い確信に変わりました。

 この作品をつくっている鍛冶昇プロデューサーは作家の人達が書いて来た脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも子ども中心のドラマにつくり上げていっているのだ。(『クラブと恋と夢』民衆社 東野英心著 20ページ~21ページより引用)

それから、初代長太郎役の吉田友紀さんがDVDBOX2付属のブックレットにあるインタビューの中で次のように語っていて、ああ、出演していた子ども達も真剣に取り組んでいたんだなって分かりました。

----長太郎の人物像を、吉田さん御自身ではどう思われましたか?

吉田:義理人情でしょうね。一見、粗暴に見えるけどかなり繊細で…当時、明確に意識して演技していたわけではないのですが、山中先生の原作を読んで、自分なりに勉強しました。

さらに、原作者の山中恒先生が初代から最終作5代目の主題歌とエンディングの歌詞を書かれていたことも含めて、『あばれはっちゃく』は原作に書かれた精神を大事にしつつ、その時代の子ども達に目を向けて、大人と子役の子ども達が真剣に作り上げたドラマだったんだ。そのドラマが子どもの私は今も大好きで、このドラマに子どもの頃に出会えて良かったなと心から思っています。

この作品に関わった方は、この45年間の間にお亡くなりになってしまわれた方も大勢いて、それがとても寂しくもあるのですが、このドラマを見て共に育ってきた人達が大勢いて、まだ元気でいる原作やドラマを作り出してくれた人達がいて、当時は生まれていなかったり、物心がついてなかった人達が新たにファンになってくれている現実を知ると、なんだか安心して嬉しくなってしまいます。

山中恒先生の『あばれはっちゃく』は、1970年6月2日~1972年3月30日まで読売少年少女新聞に連載されていた作品で、1974年生まれの私はドラマ化されていなかったら、出会えなかった作品でした。だから、この作品をドラマ化してくれた、特に鍛冶昇さんにはとても感謝しています。

あばれはっちゃく』がいつまでも末永く、多くの人の心に残り続ける作品であることを心より祈っています。そして僭越ながら、私のブログが『あばれはっちゃく』を思い出すきっかけや知るきっかけになっていたら嬉しいです。