柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

誰も知らないけれど

今日は私の47歳の誕生日でした。いろいろなことがありました。死に向かって生きていて、どんなに頑張って健康を気遣っても、死んでしまえば何にも意味はないんだなって考えることが増えて、頑張って生きていることが虚しく感じることが強くあります。何かしら楽しいことがあって笑っても、その後に無意味だなって思うことが早くなってきて、心が疲れているようです。

47年前に結構大変な難産で生まれてきたんですが、いろいろとあって、30年以上も病気で無駄な時間を過ごしたこともあって、私の人生無駄に長くて無駄に生きてきたなあ。生きている意味なかったなあって考えることばかりで。嫌になりますね、こんなマイナス思考の考え方。

人に嫌われ、憎まれ、嫌がられ、気味悪がられて、適当に利用されて、ダシにされて、適当なゴミ屑扱いされて、踏み台にされて、引き立て役として、チリ紙程度の利用価値で使い捨て扱いで47年も生きてくると、こういう思想になってしまうんだなっていう悪い例ですね。

大人しいと先生にも馬鹿にして悪い例として晒上げて、いろいろなことにチャレンジするやることに対して、失敗して取り返しがつかなくなって笑い者にされたら、もう何もかも終わりだって小学生の時に担任の教師に刷り込まれると30年以上経っても、その後の人格に影響を与え続けるんだなってことを身をもって知ると、子どもを晒し者にする大人は酷い人だなって思うようになりましたね。

私が子どもの時に『あばれはっちゃく』の先生を信頼して、当時、好きだったのはその時に自覚はなかったけど、今ならば、ちゃんと子どもを育んでくれる信用できる大人だったからかもしれません。

鯉のぼりとオリンピックと戦争

色とりどりの鯉のぼり

時期はズレてしまいますが、鯉のぼりの話題を一つ。今現在、東京オリンピックが開催中です。新型コロナ感染拡大、患者が増えている中で開催され、患者の入院制限もされている中でのオリンピック開催については、私個人としては手放しで喜んで楽しめる状況にも心境にもないのですが、とにもかくにも、現在、開催中でオリンピックの話題に関連した情報や豆知識などがメディアで紹介されているのを目にしたり、耳にしたりすることが多くなりました。

その中で私が興味を引いたのが、57年前1964年の東京オリンピックをきっかけにして、それまでの黒い真鯉だけの鯉のぼりの色がカラフルになったという情報でした。私が物心ついた頃には、鯉のぼりは色鮮やかで、五色の吹き流し、真鯉のお父さんが黒、お父さん鯉より小さいお母さん鯉が赤、小さい緋鯉子どもの鯉が青、たまに黄色い子どもの鯉があったりして、カラフルな鯉のぼりのファミリーが大空の海を泳いでいるのが鯉のぼりという認識でした。

だから、『俺はあばれはっちゃく』14話で長太郎が大熊先生からもらった鯉のぼりが黒一色の鯉のぼり(所々に赤い色や薄い黄色もありましたが)だけというのが、とても不思議に見えたのです。でも、鯉のぼりがカラフルになったのは、1964年の東京オリンピックマークの影響を受けてカラー化したことを知り、大熊先生が長太郎に挙げた鯉のぼりは、戦争で戦死した息子の形見の東京オリンピックの以前の鯉のぼりだから、それまでの当たり前だった江戸時代からの黒い真鯉だけだったんだって分かると、そこに戦前と戦後の違いを鯉のぼり一つで感じることが出来ました。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より
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『俺はあばれはっちゃく』14話より

大熊先生は息子を戦争で亡くし、息子が戦地から生きて帰ってきたら、きっと長太郎と同じくらいの孫が自分にもいただろう、だから孫を鍛えるつもりで長太郎を鍛えたと話されました。簡単に長太郎に鯉のぼりを手渡すことだって出来ただろうけれども、ちゃんと代償を払って、自分の力で欲しいものを手に入れることの大切さ、欲しいものを手に入れる為にひたすらに頑張って成果を得る喜びを大熊先生は長太郎に伝えたかったのではないかなって私は思うのですね。

人間、どんなに一生懸命頑張っても報われないことや思い通りにならないことって、たくさんあるんですけれども、それでも報われる努力もある。大熊先生は全く見込みのない努力を長太郎に課したのではなくて、報われる可能性のあることを長太郎に課したように思うのです。それは、長年大熊先生が教師として子ども達を育て、教育してきた経験からだと思います。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より

また、劣等生の父ちゃんが大好きで大人になっても現在進行形で大熊先生を尊敬し、ちゃんと就職して家庭を築いているのは、父ちゃんもまた大熊先生からの温かな指導と見守りがあってこそだと私は思うし、そんな大熊先生だからこそ、子どもが出来る可能性のあることで、成功体験を与える見極めが出来たのだと思うのです。

私は教育者ではありませんが、まだ力不足だったり、条件が充分でない状態で無理なことをやらせ、自信を喪失させて出来ないことを罵倒するよりも、出来ることからやらせて自信をつけさせ、徐々に出来ることを増やし広げていくほうが、子どもの可能性は広がると思っていますし、頑張って手に入れた達成感と満足感は幸せな気持ちをもたらし、心を温かくしてくれると感じています。

あばれはっちゃく』では、そうした子どもの心を温かく広く大きくする話が多くあって、そのあり方が様々にあるので、そういうとこに目を向けると、子どもの何を見て、何を与えて、育んでいけばいいのかというヒントに溢れている作品だったなって思います。そういう意味では、『あばれはっちゃく』は児童だけを対象としたドラマではなく、その児童の親に向けて制作されていた作品だったのかもしれないなって、思ったりもするんですが、これは私の考えすぎかな。

子どもの仏壇の前で

大熊先生が長太郎に鯉のぼりを渡し、息子の仏壇の前で息子の事、鯉のぼりの事を話され、戦争で亡くなったことを話された時に、この話の本放送の1979年5月5日の時点では、まだ第二次世界大戦はそんなに遠くない時代の話だったのだなって感じました。当時4歳の私や長太郎にとっては、生まれる前の遥か以前の大昔の話だったとしても、先の大戦の経験者や記憶のある大人達が多くいて、『あばれはっちゃく』制作者の中にも戦争体験者が当たり前に多くいた時代。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より

そんな悲しい記憶を持つ人達が平和になった時代に戦争を体験していない戦争を知らない子どもに、全てではなくても、経験した一つの出来事として話す姿になんとも言えない寂しさと悲しさを感じました。子どもが戦死した悲しさと平和に楽しく生きている現在との対比。現在が楽しくても、子どもを失った悲しみが消えるわけではないこと。子どもの死を抱えながら現在を生きなければいけないというのは、大熊先生に限らず多くの人達が味わってきたことなんだなって感じて、戦争なんて決してしてはいけないんだなっていう気持ちを強く感じました。

元気な子が親よりも先に戦争で死んでしまうなんてこんなに悲しく残念なことはありません。子どもが親よりも先に逝ってしまうなんて、どんなに辛いだろうかは子どもがいない私にも想像のつくことです。子に限らず、大事な人を喪うのはとても辛いことです。戦後に孤児になり、国の補償も教育も受けずに生きた戦争孤児の存在も、わが国が戦後に残した悲しい出来事です。

注意・警告

ここから先は『あばれはっちゃく』にあまり関係がない戦争に対しての私の個人的な考えや感傷を書いているので、苦手な方、読みたくない方は読まないでください。読んでもいいよと言う方、読んでも何も文句を書かない(コメントでもTwitterでも、Facebookはてなブックマークなどの他のSNS等、私が反論や文句が読めてしまう場所では絶対に書かない)という方のみ、お読みください。

戦争を無関係な話と切り捨てる人が増えて

私が子どもの頃は、戦争の映画や本、戦争体験者(身内の祖父母や伯父、伯母)に話を聞き、怖くて悲しくて不安な気持ちになって、戦争を経験したくないという思いを強くしました。戦争経験者からの話を聞いて、それを同じように戦争を知らない人に話す中で、戦争体験者でもないのに、戦争体験者みたいな口ぶりで話すなんておかしいと昨今、ネットで批判する人がいて、馬鹿にされることもありました。

他にもニュースで広島・長崎の被爆者や沖縄の地上戦の犠牲者の話に対して、冷やかしたり馬鹿にしたり、自分の生まれる前の大昔の出来事だから今とは関係ないと人の心を踏みにじる人達がいることを知って、昨今はこういう人達が目立ってきたのだと知って悲しい気持ちになりました。

www.huffingtonpost.jp 

ryukyushimpo.jp

 生まれる前の大昔の出来事でも、地続きで繋がっている時代の話。それを経験した人達が同じ社会に同じ時代に生きていて、決して遠い過去の話ではないのに、身近に戦争体験者がいなくなり、話を聞く機会が減っていくと、自分達とは関係のない出来事として受けとめてしまうのか、こうして、記憶が薄れて同じ過ちを人は繰り返してしまうのかなって思うと不安な気持ちになって、人の経験に思いを重ねる優しさも失われて、人を傷つける人が増えていくのかなって心配になってしまいました。考えすぎならいいんですけどね。

日本は戦争の被害国であると同時に加害国でもあることを踏まえたうえで、先の大戦のような悲劇を繰り返し、悲しく切ない思いをしない、させない。自国の人でも他国の人であってもということは、常に考え意識していくことだと思います。

8月6日の黙とう

東京オリンピック開催期間中に、8月6日がやってきます。その日にオリンピックで黙とうはしないとされました。

www.huffingtonpost.jp

日本は被爆国であると同時に、戦争加害国でもあり、オリンピックはその日本の被害にあった人達や被害にあった人達をルーツに持つ人達、日本によって筆舌に尽くしがたい悲惨な体験をした人が存命されている方々も多く、日本だけが被害者の立場として、8月6日にオリンピック参加者に黙とうをお願いするのは、いかがなものかという意見にも一理あると思います。それでも、8月6日がスルーされたことはとても残念です。

確かに日本だけでなく他の国の戦争の犠牲者に思いを馳せ、黙とうをすることは大事なことです。それを含め開催期間中にあるそうした日がスルーされたことは残念です。平和の祭典を謳うオリンピックならば、日本国のみならず、戦争被害にあった全ての国々の人々とそれに繋がる人々の為に黙とうを捧げるべきではないでしょうか。

アメリカ人の中には原爆投下によって戦争が終わったからと原爆投下を肯定する人達も一定数いるようですが、それでも非戦闘員の赤ん坊や子ども達を纏めて殺すような、なんとか生き延びても後遺症で長く苦しませる原爆投下が正当化されるものではないと私は思います。当時を生きていない癖に、当時はそれしか道がなかったとしても、私はやはり納得が出来ないのです。

戦争を知らないのなら、体験者の話を聞き、本を読んで知っていくことは、悲惨な過去を繰り返さない為にも、今現在、その先の未来にとっても必要なことではないでしょうか。戦後生まれだから知らない、分からないと切って捨てるのではなく。

私は個人的に今年も黙とうを捧げたいと思います。

『あばれはっちゃく』レギュラー出演者の実の兄弟姉妹が出演

レギュラー出演者の実の家族

あばれはっちゃく』シリーズ作品を見ていくと、レギュラー出演者の俳優さん達の実際の家族の人達が出演しているのに出くわします。親や子ども、兄弟姉妹も俳優業をしていて、『あばれはっちゃく』にゲスト出演されているのです。

頭師兄弟

『男!あばれはっちゃく』23話に登場したカヨちゃんのお見合い相手のカズヤ役の頭師佳孝さんは『俺はあばれはっちゃく』の吉井部長、『男!あばれはっちゃく』18話で占い師、『逆転あばれはっちゃく』34話でモンタ(演・坂詰貴之さん)の父親を演じた頭師孝雄さんの実の弟です。

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『男!あばれはっちゃく』23話より・頭師佳孝さん

頭師さん達は5人兄弟で、頭師孝雄さんが三男、頭師佳孝さんが五男(末弟)です。長男を除いた4人が子役になりましたが、次男の正明さんと四男の満さんは俳優をやめ、頭師孝雄さんと頭師佳孝さんだけが大人になった後も俳優を続けました。『男!あばれはっちゃく』23話に頭師佳孝さんが出演されたことで、共演はありませんが兄弟で『あばれはっちゃく』に出演されたことになりますね。

久里姉弟

母ちゃん(桜間和子)を演じた久里千春さんの実弟の久里みのるさんが『俺はあばれはっちゃく』25話「ガマン旅行だ」にメインゲストとして出演しています。

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『俺はあばれはっちゃく』25話より・右・久里みのるさん

ちなみにこの『俺はあばれはっちゃく』25話が『あばれはっちゃく』シリーズ初のロケ話で、この話が魔理沙が話した新聞の取材がされた話でもあります。新聞記事には、以下の場面の一部分の写真が添えられ、夜遅くまで撮影されていた様子が書かれていました。私はその新聞記事を紹介されていたサイトを10年以上前に拝見し、この場面がこんなに遅く(確か夜の10時過ぎだったと記憶していますが、正確ではありません)撮影していたのかとびっくりした覚えがあります。

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『俺はあばれはっちゃく』25話より

2021年8月16日・追記

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『男!あばれはっちゃく』35話より・久里みのるさん

エルビスさんより、久里みのるさんが『男!あばれはっちゃく』で警官役として準レギュラーだったとのコメントを頂いたので、『男!あばれはっちゃく』の久里みのるさんを。35話「返せ!自転車マル秘作戦」より出演されています。久里みのるさんは他に『男!あばれはっちゃく』36話、76話、90話に出演していました。画像は35話から。35話は洋一に代わって登場した章の初登場の回でもありました。また、『熱血あばれはっちゃく』39話「暴力教師マル秘作戦」にも久里みのるさんは出演されています。

これ以上、この記事での追記はしませんが、他の代や話数で気づいたり、分かった時に改めて別記事にするかもしれません。

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『熱血あばれはっちゃく』39話より

山内・久保兄弟

シリーズを通して長太郎の担任の先生を演じた山内賢さん。山内さんもまた子役出身で、実兄の久保明さんも子役から活躍している俳優さんです。兄弟で子役から活躍されているのは、頭師さんのところと同じですね。山内さんの兄の久保明さんは以前にも書きましたが、『男!あばれはっちゃく』45話、46話に出演され、そこで山内さんとの掛け合いの場面があり、しっかりと共演されています。

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『男!あばれはっちゃく』46話より・久保明さん

掛け合いの場面で、久保さんが山内さん演じる寺山先生に「先生とは、どこかでお会いしたことがありませんでしたっけ?」と声をかけています。これは、この話のポイントになる言葉なんですが、山内賢さんと久保明さんが実の兄弟だと知ってみると、メタ的な台詞として捉えることが出来ます。

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『男!あばれはっちゃく』46話より

ゲスト出演者の中にも

ここまで、『俺はあばれはっちゃく』でレギュラー(母ちゃん役の久里千春さん、先生役の山内賢さん)、準レギュラー(吉井部長役の頭師孝雄さん)の実の兄弟が『あばれはっちゃく』作品に出演した例を紹介してきましたが、ゲスト出演者の中にも兄弟姉妹で『あばれはっちゃく』に出演された方達がいます。

身内が同じ芸能活動をされている方は多く、そういう出演者は今も昔もドラマではよく見受けられ、決して『あばれはっちゃく』シリーズに限ったことではないのですが、このブログでは主に『あばれはっちゃく』シリーズ作品について語る個人ブログですので、『あばれはっちゃく』シリーズを重点的に語っていきます。今回は、現在分かっている範囲で紹介しますが、後々で気がついたり、思い出したりしたら、その都度にこの人達も兄弟姉妹、あるいは親子でしたと紹介するかもしれません。

とりあえずは、以前、とろろいもさんのブログで紹介されていた五十嵐姉妹について紹介します。

五十嵐姉妹

『俺はあばれはっちゃく』16話「ガードマン」に出演した文太の母のトシコを演じた五十嵐美鈴さんと『俺はあばれはっちゃく』32話「あばれ子守唄」でマユミちゃんのママの夏子を演じた五十嵐五十鈴さんは双子の姉妹です。ちなみに先に出演された美鈴さんが妹、五十鈴さんが姉です。残念ながら、姉の五十鈴さんは6年前の2015年2月10日にお亡くなりになっています。妹の美鈴さんはご存命です。

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『俺はあばれはっちゃく』16話より・五十嵐美鈴さん

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『俺はあばれはっちゃく』32話より・五十嵐五十鈴さん

いかがでしたか、今回は以上の方達を取り上げて紹介しました。先に書いたようにこのような例は他にもあるとおもうので、また気がついたり、思い出したりした時に触れてみたいと思います。

『男!あばれはっちゃく』23話小ネタツッコミ

『男!あばれはっちゃく』23話を見て気づいたことやキャストについて思ったことなどを少し書きたいと思います。

ミニカード

あばれはっちゃく』放送中にアマダからミニカードが発売されていた時期があります。私はそのミニカードを所有しておらず(子どもの時も現在も)、ヤフオクやメルカリで出品されているのを見たのですが、今回の23話のアバンタイトルでミニカードで使われていた場面が出てくるのですね。

23話に限らず出品されているミニカードの写真を見ると、当然ながら他の話の時の場面もミニカードになっていて、前回(22話)のさんふらわあ号の前でのカードの写真もありました。私の手元になく以前にネットで見た記憶しかなかったので、今回、記事にするにあたって改めて検索してミニカードを見てみたのですが、ああ、この話の場面もあるんだなあ。この場面はドラマではなかったから、ミニカード用に撮影したのかなっていろんなことを想像できて楽しかったです。

毎週見ていたのに出ていた玩具やカードに疎かったわけ

本放送当時、私はこのミニカードの存在を知りませんでした。子どもの頃に毎週楽しみに見ていた子ども番組のおもちゃやカードでも、その存在を知らない商品が結構あって、例えば『ときめきトゥナイト』の蘭世ちゃん人形とか、『超電子バイオマン』のイエローフォーとピンクファイブのリカちゃんみたいな人形とかの存在はネットをするようになってから知りました。

え、こんなおもちゃが出ていたの、と。家族で買い物に行く時とか、お母さんとお父さんが買い物している間は妹とスーパーやデパートの書店に行って漫画を立ち読みしていて、あんまりおもちゃ売り場に行くことはなかったし、クリスマスの時に新聞紙の折り込み広告でおもちゃを知ることが多かったですね。たまに商店街のおもちゃ屋さんに行ってもリカちゃん人形とかこえだちゃんとか、ぬいぐるみを見てました。

アマダのミニカードはおもちゃ売り場で売っていたのか、文房具売り場で売っていたのかさえも分からないぐらいです。『あばれはっちゃく』は徳間書店のテレビランドで漫画が連載されていたので、そこに情報があったかもしれませんが、私は小学生になって学研の科学と8歳の時に風邪で学校を休んだ時に『りぼん』を買ってもらって購読するようになるまでは、小学館の学年雑誌も1度しか買ってもらえませんでした。

その為、雑誌で情報を得ることもなく、また、途中で父親の転勤に伴って『あばれはっちゃく』をキー局ではなく、地方ローカル遅れ放送で見ていたこともあって『あばれはっちゃく』の情報は、極端に言えばドラマの内容だけだったんですね。今と違ってネット社会ではなかったし、初代や2代目の頃は幼稚園や小学校低学年でお小遣いもなかった頃で情報収集する力もなく、それは周りの友達も同じでドラマの感想は言っても、周辺情報はないそんな環境だったんです。

だから大人になって、こんなの売っていたんだって知ると、そうだったんだ。子どもの頃に知りたかったなあ。そういう玩具やカードの思い出がある人達いいなって思ってしまいます。また、私と同い年の人でも、上にお兄さんやお姉さんがいると情報に詳しくなり当時から知っていた人達もいたかもしれませんが、私は私が長子なので、そういう機会もなく……。友達も同じ環境でしたし、また私自身が人見知りで友達が少なかったっていうのもありました。

教会の新郎新婦の名前

うーん、ミニカードで使われた場面がアバンタイトルにあったよ、ドラマ本編にはない場面もミニカードにはあるけど、21話で出てきたさんふらわあ号の前で長太郎達が写真を撮っているのがあるよって話をしたかったのが、子どもの頃から『あばれはっちゃく』のファンのくせして、ミニカードを知らなかったんですか?持ってないんですか?って言われてファン失格扱いされたら嫌だなって思って、知らなかった理由を長々と書いちゃって、『あばれはっちゃく』の話じゃなくて、自分語りになってしまいました。

ごめんなさい。

話を『男!あばれはっちゃく』23話に戻しますね。

この23話は冒頭で長太郎達が教会の結婚式を見かけたところから始まっています。それですね。この結婚式を挙げていたカップルの名前が分かる場面があるんです。それは新郎新婦が乗り込む赤い車。そこに2人の名前が書かれています。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

「タカ子」と「〇ラオ」という白文字が確認できるので、新婦の名前がタカ子さん、新郎が名前が三文字だと分かるのですが、最初の文字が認識出来ないので、正確な名前が分かりません。一瞬、目に入った時には「タカオ」と読み取ったのですが、検証のためにキャプチャーを取ってみると、「カ」に見えた文字は「ラ」に見えたので違うかもと新郎の名前は自信がありません。台詞では分からなくても、こうしたところで登場人物の名前が分かるっていうのも面白いですね。

ドラえもん

長太郎達はみゆきちゃんを追いかけて、教会の結婚式を見るんですが、この時の長太郎はプール帰りなのか、水泳道具を持っているんですね。そこで、洋一が持っている水泳袋がドラえもんなんです。20話でもアバンタイトルで長太郎が読んでいた本が『ドラえもんてんとう虫コミックスカラー作品集第4巻でした。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

これは、2代目『男!あばれはっちゃく』だけでなく、他の代でもドラえもんに関する商品はドラマの中に小道具として登場してきていて、これは同じ年に同じテレビ朝日で始った子ども番組だからこそ出来たことなんだなって思います。

何より、テレビ朝日の促進用?に『ドラえもん』と『あばれはっちゃく』が一緒になった下敷きがありましたし、『ドラえもん』と『あばれはっちゃく』が当時のテレビ朝日にとって2作品がいかに強力な子ども番組だったかが分かりますね。

次回23話のゲスト俳優さんについて

今回、ゲスト俳優さんとそれに関連して、シリーズで登場してきた俳優の人達の関係についても書こうと思ったのですが、今回も長くなってしまったので、(余計な自分語りのせいで)それについては、また次回の記事に書こうと思います。

『男!あばれはっちゃく』23話「花嫁カヨちゃん」感想

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『男!あばれはっちゃく』23話より

1980年8月23日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

現実逃避

今回の話は、少し理容師見習いのカヨちゃんと私自身を重ねてみてしまいました。子どもの頃は、カヨちゃんと似たような境遇ではなかったので、重ねてみることはありませんでしたが、今は違います。

私自身の恥を晒しますが、私は栄養士資格を得て短大を卒業後給食委託会社に入社し、病院の給食調理に従事、管理栄養士の資格(当時、実務を2年経験)を得て、働きながら国家試験の管理栄養士試験の勉強をしていました。

就職先は初めて住む土地で親元を離れた独り暮らしでした。2回受験しましたが、不合格。その後、転職し有料老人ホームで同じ職種につきましたが、受験をする機会に恵まれず、現在に至ります。

働きながら国家試験の勉強をするのは、私には難しく、また短大卒の場合は4年制の大学よりも受験科目が多いのもあり、さらには勉強が身に入らず、やる気を出して勉強をしても続けることが出来ず、完全に私の勉強不足とやる気のなさが結果に出たのだと思います。

また、書類手続きをする面倒さや、仕事のシフトを作る身として、自分の休みや受験日の為の休業を取ることに対する抵抗もありました。これも試験の勉強不足による自信のなさからくる、言い訳の逃げ口上です。

そんな経験を大人になってした私には、一人部屋で理容師の国家試験の勉強をしながらも、身が入らず、雑誌の結婚特集を見て現実逃避をしているカヨちゃんが自分自身と重なってしまいました。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

母ちゃんのカヨちゃんへの思い

そこへ母ちゃんが来て、カヨちゃんが誤魔化したものの、カヨちゃんが見ていたであろう雑誌を見つけて、微妙な顔をしています。この母ちゃんのカヨちゃんに対して見せていく感情は、この話のポイントというか、主軸になっていたと感じました。

カヨちゃんが理容師になろうとしているのは、母ちゃんの勧めによるものだということが、話の後半で分かってきますが、それゆえに母ちゃんはカヨちゃんが理容師の国家試験の勉強がはかどらず、花嫁になろうかなって悩んでいるカヨちゃんに対して、とても責任を感じているのですね。

本当なら、カヨちゃんは他にやりたいことがあるのに、自分が良かれと思って勧めた道でカヨちゃんが悩んで苦しんでいるのではないか、と。カヨちゃんは母ちゃんにとっては、血の繋がった姪ですから、やはり実の娘のような存在なのかなって思います。

カヨちゃんが後で、長太郎と父ちゃんが喧嘩をしている時に、長太郎を庇って、人には向き不向きがあるんだから、長太郎に勉強を押し付けるのは良くないって言うんですが、これを一緒に聞いた母ちゃんとしては、カヨちゃんが自分は理容師に向いていないのに、無理をしているという言葉にも聞こえていたのではないかって思ってしまうのですね。

カヨちゃんはこの話ではっきり19歳って分かるんですけども、以前も過去記事に書いたと思いますが、カヨちゃんは中学を卒業してから、母ちゃんの仕事を手伝いつつ受験資格を得て、働きながら理容師の国家試験の勉強をしているとこの話から推測できます。

1997年(平成7年)までは、理容師になるには専門学校に1年間通い必要な科目を修めた後、実務経験を1年間(インターン)をしてから受験資格を得て、都道府県知事行う実施試験に合格しなければ、理容師になれませんでした。1997年に理容師法及び美容師法が改正され、専門学校に2年通い、インターン制が廃止されています。

『男!あばれはっちゃく』は1980年の話なので、この法改正の前にカヨちゃんは当て嵌まり、カヨちゃんが19歳という年齢であることから、中卒で理容師の専門学校に進学したと考えられるのです。

カヨちゃんの高校時代の友人が32話で登場してくるので、カヨちゃんは高卒だったので、上記の文章を訂正します。詳しくは下記のリンク先の記事にて。

kakinoha.hatenadiary.com

 

追記・解説書にある企画段階での登場人物設定にはカヨちゃんの設定として以下のように書かれていました。

17才。桜間理容店の見習い店員。中学卒業後、田舎の理容学校を終え、遠縁の愛子の店にいたが、東京に憧れ一緒に上京してきた。(男!あばれはっちゃくDVDBOX解説書より引用)

「愛子」というのは、企画設定段階での母ちゃんの名前です。実際には母ちゃんの名前は原作、初代と同じ「和子」になっています。

母ちゃんからしてみれば長男の信一郎を東大に進学させると意気込んでいるのに対して、カヨちゃんを中卒で自分と同じ道に誘い、かつ本人が無理して苦しんでいる姿を見て、申し訳なく思ったのではないか、女の子でも腕に職があれば食べていけるという考え方があり、自身も同じように理容師の腕で社会に貢献して充実している母ちゃんにしてみれば、カヨちゃんにも同じ気持ちを味わって欲しいという思いが強くあって、勧めた道だけど、それは違っていたのではないかと母ちゃんは感じていたのではと思ってしまったのです。

kakinoha.hatenadiary.com

長太郎の早合点

今回は、このカヨちゃんと母ちゃんの出来事の前に、冒頭で長太郎がプールの帰りに教会での結婚式を見て、それに、みゆきちゃん、和美ちゃん、弘子ちゃんが花嫁さんに憧れて、和美ちゃんのお母さんがそれを見て、お見合いにちょうど良い人を探していたところから、長太郎がカヨちゃんが適任と考え、また、勉強に身が入らず、理容師の国家試験に消極的なカヨちゃんが花嫁になっちゃおうかなって長太郎に話したことで、長太郎が和美ちゃんのお母さんに話を通して、トントン拍子でお見合いの話が大きくなっていきます。

それは、母ちゃんやカヨちゃんの知らないところで大きくなっていき、桜間家で大問題になって、長太郎は例のごとく、父ちゃんに怒鳴られてしまうのですが、長太郎はカヨちゃんに自分に話した気持ちが嘘だったのかと問いただし、父ちゃんに対しても反論します。

長太郎に問いただされた時のカヨちゃんの複雑な顔には、確かに長太郎に言い訳したように花嫁になりたい気持ちに少しの冗談が入っていたにしても、決して嘘ではなかったと思いましたし、それは私自身がカヨちゃんと同じような苦しみを経験したからこそ、冗談(嘘)と本音が入り混じった気持ちだということが、とても実感できたので、とても心に刺さりました。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

また、その時の母ちゃんの厳しい顔とカヨちゃんを気遣う表情、父ちゃんにカヨちゃんについて語る言葉の声のトーンには、母ちゃんのカヨちゃんへの温かい思いを感じられて、それをちゃんと静かに聞いて、母ちゃんの考えを尊重した父ちゃんの優しさに胸を打たれました。

お見合い

カヨちゃんはお見合いをすることになり、そのお見合いの相手のカズヤさんは母一人に育てれた人。母親はとても気さくな雰囲気の良い人で、カズヤさんはかなり緊張している様子。カズヤさんの母親を演じた佐々木すみ江さんは、声優としても活躍されていた方でしたので、声がとても懐かしかったです。

残念ながら、2年前の2019年に90歳でお亡くなりになってしまいました。話を戻して、このお見合いが心配で見に来た長太郎は隠れて見守っていたのですが、その隠れていたところから見合いの席に飛び出した格好になり、カヨちゃんを猛烈アピール。

ここで長太郎がカヨちゃんのフルネームを言うので、カヨちゃんの本名が「中村カヨ子」だと判明します。「カヨ子」表記はオープニングテロップから、「中村」表記はDVDBOX付属の解説書からです。解説書にはカヨちゃんの年齢は企画段階では17歳とありますが、この23話で19歳だとしているので、年齢設定が変化したことが分かります。

また、カヨちゃんは母ちゃんの姪(長太郎の母方の従姉)なので、母ちゃんの旧姓が「中村」という可能性もあるのです。これは、カヨちゃんの父親が母ちゃんの兄か弟の場合で、カヨちゃんの母親と母ちゃんが姉妹、カヨちゃんの母親が母ちゃんの姉か妹の場合は違います。

ただ、13話で登場した長太郎の母方のおじいちゃんが、サノ ゲンノスケだったので、カヨちゃんの母親が母ちゃんと姉妹の可能性が高いですね。

お仕事への意義と女性の影

カヨちゃんは相手、特に相手の母親に気に入られ、お付き合いをすることに。そんな時、ある一人の女性が登場します。恐らく、その女性はカズヤさんを好きな女性な感じがして、事実その通り。この時点では、その女性の片思いなのかなっていう感じでした。カヨちゃんは、母ちゃんと一緒に老人の散髪に出かけます。

そこで、老人は母ちゃん達に出向いてもらい無料で散髪してもらうことに対して感謝の言葉を述べます。母ちゃんはそれを笑顔で聞いて、無料では儲からないことを詫びる老人に、こうして社会に貢献できること、自分の仕事が役に立っていること、仕事はお客様がいてこそ出来るから、お客様に感謝していることを語ります。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

母ちゃんと老人のやり取りは、それぞれがお互いに対して感謝をして、相手の事を尊重していて、仕事とは、お客とは、相手を思いやることがどんなに大切かということ。それは、この母ちゃんと老人の関係だけにとどまらず、全ての人間関係でも大切な心構えだなんだと感じました。そんな母ちゃんと老人のやり取りを見て、カヨちゃんの心に大きな変化が訪れます。

カヨちゃんは、理容師になる気持ちを固め、カズヤさんにお断りを伝えることにします。カヨちゃんは長太郎とカズヤさんとの待ち合わせの場所に行き、途中でその姿をカズヤさんのお母さんが見かけて、こっそり後をついていきます。

待ち合わせの場所でカヨちゃんはカズヤさんにお断りをいれるのですが、カズヤさんはお見合いする気もなかったのに、お見合いするなんて酷いと言い、長太郎は自分が先走ったからこんなことになったと土下座、カヨちゃんも膝をついて謝ります。

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『男!あばれはっちゃく』23話より

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『男!あばれはっちゃく』23話より

それぞれの居場所へ

しかし、そんなに簡単には許せないカズヤさん。母親の為にお見合いをしたのにと口に出しカヨちゃんを責めます。長太郎はそんなカヨちゃんを庇ってカヨちゃんが少しカズヤが母親に頼りすぎているところも断る理由だと道すがら聞いていたので、それを口走ってしまいます。

ボートの乗り場ですったもんだがあり、カズヤさんは足を滑らせ、水の中に落ちてしまいます。そのやり取りを見ていたカズヤさんの母親とある一人の女性。女性は不安そうにカズヤさん達を見ていましたが、カズヤさんが水の中で覚えていると真っ先に駆けつけます。遅れて長太郎も。

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『男!あばれはっちゃく』23話より
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『男!あばれはっちゃく』23話より

この女性がカズヤさんとお互い思いあっていたことが分かり、カヨちゃんのお見合いはなかったことになりました。女性がカズヤさんを思う気持ちを見たこと、カヨちゃんの気持ちを聞いたことで、自分を思っての行動が息子や息子の好きな人、自分が気に入ったお見合い相手のお嬢さん(カヨちゃん)を苦しませていたことを知ったカズヤさんのお母さんは、ちゃんと息子と息子を思う女性の気持ちを歓迎したのだと思います。

最後に

母ちゃんもそうなんですが、カズヤさんのお母さんも自分よりも自分の息子や娘同然の姪の事を一番に考えていて、考えた末に自分自身の経験から、良いと思う道を示し、提案して導いてきたんだなって思えて、それが自分の独りよがりになって、カヨちゃんやカズヤさんに自分の気持ち、本来やりたいこと、したいことを制御させて生きづらくしてしまったのではないかと心を痛めていたんだな、そのカヨちゃんやカズヤさんの自発的な気持ちを知った時の対応が温かくて優しくていいなって思いました。

今回も他に小ネタやキャストに関しても書きたいことがあるのですが、長くなったので、また後日書きたいと思います。

あばれはっちゃくゆっくり解説

ゆっくり解説

YouTubeで『東方靈異伝』のキャラクター(主に霊夢魔理沙)を使ってのゆっくり解説が好きで見ています。漫画や食文化、時事ニュース、住んでいる土地、宇宙、歴史、宝塚歌劇団、企業、海賊、料理、過去の犯罪について等々ジャンルが多彩でそれぞれのUP主の取り扱うものに対しての調べと知識と愛情が深く、広くあって、その内容を伝える霊夢魔理沙の掛け合いにも、それぞれに個性があって見ていて楽しく、知識や見識も深まって視聴する楽しみになっています。

それを見ながら、私がゆっくり解説を作るのなら、『あばれはっちゃく』について語るだろうなあ、でも、このパソコン処理能力遅いし、動画作成なんて出来やしないし、私の場合はブログで書いていくのが性に合っているだろうけれども、動画は作成できなくても、霊夢魔理沙の掛け合いなら、ブログで書けるかもしれないなって思ったので、書いてみようと思います。

逆立ち

魔理沙が逆立ちをしているところに霊夢が登場。

霊 夢「わ!魔理沙、何してるの。仙ちゃんの真似?」

魔理沙「違うんだぜ。仙ちゃんって誰なんだぜ」

霊 夢「『デカレンジャー』デカグリーンの仙ちゃん」

魔理沙霊夢は若いんだなあ」

霊 夢「『デカレンジャー』って、もう17年も前の作品だけど」

魔理沙「まだ17年じゃないか、私がやっているのはもっと古いんだぜ」

霊 夢「それじゃあ、古谷一行の『金田一』か」

魔理沙「それは古すぎるんだぜ、なんでその中間が出てこないんだ。私がやっているのは『あばれはっちゃく』だ!」

霊 夢「えええ!『あばれはっちゃく』が逆立ちするなんてないんだけど」

魔理沙「それは山中恒先生が書いた原作小説の方だな。私が真似しているのは、テレビドラマ化した『あばれはっちゃく』なんだぜ」

霊 夢「『あばれはっちゃく』ってテレビドラマ化していたの」

魔理沙「なんだ霊夢は『あばれはっちゃく』の原作を知っていても、テレビドラマは知らないのか」

霊 夢「うーん、知らない。どんなドラマだったか教えて魔理沙

魔理沙「了解なんだぜ」

霊夢魔理沙「それじゃあ、ゆっくりしていってね!」

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原作連載終了7年後にテレビドラマ化

魔理沙「『あばれはっちゃく』は1970年6月2日~1972年3月30日まで読売少年少女新聞に連載されていたんだぜ。連載が終わった5年後の1977年に上下巻の文庫として発売されている。その2年後の1979年2月にテレビ朝日で土曜日の午後7時半にテレビドラマ化されているんだ」

 霊 夢「へぇ、文庫になるのもちょっと時間がかかっているけど、テレビドラマ化されたのも、文庫化の2年後だと考えると最初の発表からかなり時間がかかっているのね。それに読売少年少女新聞っていう読売新聞の子ども版で連載していたのに、日本テレビ読売テレビではなくて、テレビ朝日でドラマ化したんなんて面白いわね」

魔理沙「そうなんだぜ、ここはブログ主の調査不足で、なんでこんなに間が開いたか分からないんだぜ。霊夢の疑問の読売系列で放送がなかったのは、日本テレビは巨人戦という高視聴率の放送権があったから、特に昔の児童小説を原作にした児童ドラマを制作しようとは考えなかったのかもしれないな。これも調査不足で憶測の範囲だが。ちなみに『あばれはっちゃく』がドラマ化した1979年は怪物と呼ばれた江川卓さんが入団した年で巨人戦の視聴率が高かった時代に加え、裏番組のTBSの『大橋巨泉クイズダービー』30%の視聴率、その流れで『8時だよ!全員集合』を見る人達が大勢いた時代だったんだぜ」

霊 夢「わ、それに加えて他のテレビ局の番組もあったと思うけれども、こんな高視聴率の番組の中で児童ドラマを新しく始めようなんて、大冒険だったんじゃない」

魔理沙「その通りなんだぜ、そのせいなんだろうな。最初は2クール、全26話の放送予定だったんだ」

霊 夢「放送予定だったっていうことは、予定が変更になったの?まさか、打ち切りになったとか」

魔理沙「その逆なんだぜ、最初の1、2回は5%台だった視聴率だったのが、10話あたりから10%台になり始め、20話あたりで20%台が見えてきて、ついにはご褒美ロケで伊豆にロケに行き、新聞がそのロケの取材に来るまでになったんだぜ」

霊 夢「すごいじゃない!その時代って一家に一台しかテレビがない時代で子ども達が自由に好きな番組を見られない時代じゃない。それに、まだリモコンでチャッチャカ簡単にチャンネルを変えるのだって、そんなに多くない時代だし、時間帯的に食事時な家庭も多い時間の放送だから、食卓をたってテレビの前でチャンネルを回す手間を考えると、チャンネルは固定にしておくことも多かったし、その流れで『クイズダービー』のまま『全員集合!』だったり、巨人戦があればお父さんの多くはそこに固定することが多かったと思うけど、その中で人気と視聴率を積み上げていったのね」

魔理沙「その通りなんだぜ。当時はネットもない時代、恐らくはじわじわと口コミなどで話題になったりして、少しずつファンを開拓していったんだろうな。団塊ジュニアと呼ばれる子ども達が多かった時代もあって、子どものために子ども番組にチャンネルを合わせた親達もいたかもしれないしな。そこで、ちゃんと面白い作品を作り上げたからこそ、『あばれはっちゃく』は受け入れられたんだ。『あばれはっちゃく』のプロデューサーである鍛冶昇さんは、常に子ども目線と立場に立って作品を作ることを目標に作っていたことを父ちゃん役の東野英心さんが生前、自伝『クラブと恋と夢』の中で書いているんだぜ」

霊 夢「すごいわね。父ちゃん役の東野英心さんって、父ちゃんっていうと、長太郎のお父さんのことね、東野英心さんが演じていたのね」

魔理沙「そうなんだぜ、長太郎の父親役を東野英心さんが演じたんだ。『あばれはっちゃく』は人気が出てシリーズ化されていったんだけど、最初のドラマ化は殆ど原作の登場人物を出して配役しているんだが、シリーズ2作目からはオリジナルキャラクターが増えていくんだ。微妙に設定は変わったけど最後まで原作と同じだったのは、長太郎と父ちゃんこと桜間長治、母ちゃんこと桜間和子の3人だけだったんぜ」

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5作まで作られ漫画化も

霊 夢「あら、確か桜間家は4人家族で長太郎には姉のてるほがいるはずなんだけど、ドラマ化された時にてるほはいなくなってしまったのかしら」

魔理沙「いや、ちゃんとてるほは、最初にドラマ化された時に島田歌穂さんが演じているんだぜ」

霊 夢島田歌穂さんってロビンちゃんで歌手でミュージカルスターのあの島田歌穂さん!」

魔理沙「詳しいな霊夢。そうだ、その島田歌穂さんだぜ、その島田歌穂さんがてるほを演じているんだ。しかし、2作目からはてるほに当たる人物は長太郎の兄になり、2作目は信一郎、3作目は修一郎、4作目は賢一郎になり、5作目で姉に戻るんだが、名前はカオルに変わっている」

霊 夢「5作目って、シリーズ化されたって話だけど、5作も作られたの」

魔理沙「そうなんだぜ、さらにスペシャルが2本放送されている。どれだけ人気があったか分かるだろう。それに漫画化もされていたんだぜ」

霊 夢「大人気ね。こんなに人気テレビドラマだったなんて知らなかったわ。この頃は部活にバイトもしていた時代だったし」

魔理沙「まあ、今ならDVDで見返すことも出来るしな。ただ、霊夢が良く知っている原作に一番近くて登場人物もほぼ忠実な1作目初代『俺はあばれはっちゃく』のDVDは再版されない限り、現在入手困難なのが残念なところなんだぜ」

霊 夢「ええ、魔理沙~。私、原作が大好きだから一番原作に近い最初のドラマ版が見たいよ。どうすればいいの」

魔理沙「それは、制作会社やDVD発売してくれるところにもうお願いするしかないんだぜ」

霊 夢「最近は配信もあるし、46年ぶりに『秘密戦隊ゴレンジャー』が地上波で再放送されることになったし、どうか『俺はあばれはっちゃく』のDVD再版、ネット配信、地上波かBSでの再放送のいずれかをお願いしまーす」

魔理沙「さて、まだ語りたいことはあるんだが、長くなったし、私たちの解説が好評だったら、また折を見て解説したいと思うんだぜ」

霊 夢「初めてここに呼ばれて、勝手に喋ってみたんだけど、どうだったかしら」

魔理沙「ブログ主の悪ふざけで、寒いと思った人もいたかもしれないな」

霊 夢「初めてだから、そこは大目に見て欲しいわね」

魔理沙霊夢「それじゃあ、またの機会があった時に会いましょう、それでは」

いかがでしたか

こんな感じで霊夢魔理沙のやり取りを妄想しました。お目汚しになってしまいましたが、いかがでしたか。上記の内容は過去にこのブログで書いてきたことの一部です。詳しいデーターや引用部分は過去記事に詳しく書いていますので、時間がある時に目を通してくれたら嬉しいです。

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言葉の難しさ

16年ブログを書いてきて、言葉を使う難しさを日々感じています。ブログを書く時は私自身が経験し、体験してきた記憶と調べたことに基づいて書いています。いろいろと調べたり、経験してきたことによって得た知識は、自信に繋がるのですが、そこに他の人には負けたくないという気持ちも出てきてしまいます。負けないように、相手の知識についていけるようにと変に張り合う気持ちも出てきて、自分よりも知識や経験のある人から学ぶという謙虚さが欠けてしまう時があります。

本当なら、ちっとも知識も経験も足りてないのに、相手と同等かそれ以上に見せようと虚勢を張って、少しでも得た知識をひけらかしてしまうのは、自分こそが一番であるというマウントを取りたい気持ちが強く、そこには傲慢で、相手の気持ちを考えない、考えているようで、慇懃無礼なことをしていたのではないかと思ってしまうのです。

記事や頂いたコメントへの返信コメントを書いている時は、私自身の醜いそうしたプライドを抑えていたり、そもそも、その時点では自覚がなかったりするのですが、書き終わった後に読み返したり、返信コメントに頂いた返信コメントを読んで、私の対応は不適切だったのではないかという不安に陥る時があります。後から気づいても遅く、読んだ相手を不快にさせて心を傷つけてしまった。自分の驕りのせいで、どうしようと悩んでみたところで、その気持ちを書いたところで、どうしようもない。

こんな感情を書くのは、まるで言い訳で、自分の不甲斐なさから起きた事なのに、そんな事を書いても、人を苦しめるだけかもしれないのに、こうして書くこと自体が、傲慢で謙虚さがなく、自分の知識をひけらかして、称賛され、認められたい願望ばかりが強く、人のことを思いやれない人間の醜い姿を晒しているだけなんだなって思ってしまいます。

こうしたのも読んだ人のことを考えれば、本来は書くべき内容ではなく、書こうか書かないままでいこうかと数日間、かなり悩みました。悩んだ挙句、結局書いてしまったのは、書かないと伝わらないという大義名分と私自身の我儘です。本当にそんな自分自身が大嫌いです。

最後に私のブログ記事や返信コメントで、心が傷ついたり、嫌な思いをされた皆様、ごめんなさい。