柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

鯉のぼりとオリンピックと戦争

色とりどりの鯉のぼり

時期はズレてしまいますが、鯉のぼりの話題を一つ。今現在、東京オリンピックが開催中です。新型コロナ感染拡大、患者が増えている中で開催され、患者の入院制限もされている中でのオリンピック開催については、私個人としては手放しで喜んで楽しめる状況にも心境にもないのですが、とにもかくにも、現在、開催中でオリンピックの話題に関連した情報や豆知識などがメディアで紹介されているのを目にしたり、耳にしたりすることが多くなりました。

その中で私が興味を引いたのが、57年前1964年の東京オリンピックをきっかけにして、それまでの黒い真鯉だけの鯉のぼりの色がカラフルになったという情報でした。私が物心ついた頃には、鯉のぼりは色鮮やかで、五色の吹き流し、真鯉のお父さんが黒、お父さん鯉より小さいお母さん鯉が赤、小さい緋鯉子どもの鯉が青、たまに黄色い子どもの鯉があったりして、カラフルな鯉のぼりのファミリーが大空の海を泳いでいるのが鯉のぼりという認識でした。

だから、『俺はあばれはっちゃく』14話で長太郎が大熊先生からもらった鯉のぼりが黒一色の鯉のぼり(所々に赤い色や薄い黄色もありましたが)だけというのが、とても不思議に見えたのです。でも、鯉のぼりがカラフルになったのは、1964年の東京オリンピックマークの影響を受けてカラー化したことを知り、大熊先生が長太郎に挙げた鯉のぼりは、戦争で戦死した息子の形見の東京オリンピックの以前の鯉のぼりだから、それまでの当たり前だった江戸時代からの黒い真鯉だけだったんだって分かると、そこに戦前と戦後の違いを鯉のぼり一つで感じることが出来ました。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より
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『俺はあばれはっちゃく』14話より

大熊先生は息子を戦争で亡くし、息子が戦地から生きて帰ってきたら、きっと長太郎と同じくらいの孫が自分にもいただろう、だから孫を鍛えるつもりで長太郎を鍛えたと話されました。簡単に長太郎に鯉のぼりを手渡すことだって出来ただろうけれども、ちゃんと代償を払って、自分の力で欲しいものを手に入れることの大切さ、欲しいものを手に入れる為にひたすらに頑張って成果を得る喜びを大熊先生は長太郎に伝えたかったのではないかなって私は思うのですね。

人間、どんなに一生懸命頑張っても報われないことや思い通りにならないことって、たくさんあるんですけれども、それでも報われる努力もある。大熊先生は全く見込みのない努力を長太郎に課したのではなくて、報われる可能性のあることを長太郎に課したように思うのです。それは、長年大熊先生が教師として子ども達を育て、教育してきた経験からだと思います。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より

また、劣等生の父ちゃんが大好きで大人になっても現在進行形で大熊先生を尊敬し、ちゃんと就職して家庭を築いているのは、父ちゃんもまた大熊先生からの温かな指導と見守りがあってこそだと私は思うし、そんな大熊先生だからこそ、子どもが出来る可能性のあることで、成功体験を与える見極めが出来たのだと思うのです。

私は教育者ではありませんが、まだ力不足だったり、条件が充分でない状態で無理なことをやらせ、自信を喪失させて出来ないことを罵倒するよりも、出来ることからやらせて自信をつけさせ、徐々に出来ることを増やし広げていくほうが、子どもの可能性は広がると思っていますし、頑張って手に入れた達成感と満足感は幸せな気持ちをもたらし、心を温かくしてくれると感じています。

あばれはっちゃく』では、そうした子どもの心を温かく広く大きくする話が多くあって、そのあり方が様々にあるので、そういうとこに目を向けると、子どもの何を見て、何を与えて、育んでいけばいいのかというヒントに溢れている作品だったなって思います。そういう意味では、『あばれはっちゃく』は児童だけを対象としたドラマではなく、その児童の親に向けて制作されていた作品だったのかもしれないなって、思ったりもするんですが、これは私の考えすぎかな。

子どもの仏壇の前で

大熊先生が長太郎に鯉のぼりを渡し、息子の仏壇の前で息子の事、鯉のぼりの事を話され、戦争で亡くなったことを話された時に、この話の本放送の1979年5月5日の時点では、まだ第二次世界大戦はそんなに遠くない時代の話だったのだなって感じました。当時4歳の私や長太郎にとっては、生まれる前の遥か以前の大昔の話だったとしても、先の大戦の経験者や記憶のある大人達が多くいて、『あばれはっちゃく』制作者の中にも戦争体験者が当たり前に多くいた時代。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より

そんな悲しい記憶を持つ人達が平和になった時代に戦争を体験していない戦争を知らない子どもに、全てではなくても、経験した一つの出来事として話す姿になんとも言えない寂しさと悲しさを感じました。子どもが戦死した悲しさと平和に楽しく生きている現在との対比。現在が楽しくても、子どもを失った悲しみが消えるわけではないこと。子どもの死を抱えながら現在を生きなければいけないというのは、大熊先生に限らず多くの人達が味わってきたことなんだなって感じて、戦争なんて決してしてはいけないんだなっていう気持ちを強く感じました。

元気な子が親よりも先に戦争で死んでしまうなんてこんなに悲しく残念なことはありません。子どもが親よりも先に逝ってしまうなんて、どんなに辛いだろうかは子どもがいない私にも想像のつくことです。子に限らず、大事な人を喪うのはとても辛いことです。戦後に孤児になり、国の補償も教育も受けずに生きた戦争孤児の存在も、わが国が戦後に残した悲しい出来事です。

注意・警告

ここから先は『あばれはっちゃく』にあまり関係がない戦争に対しての私の個人的な考えや感傷を書いているので、苦手な方、読みたくない方は読まないでください。読んでもいいよと言う方、読んでも何も文句を書かない(コメントでもTwitterでも、Facebookはてなブックマークなどの他のSNS等、私が反論や文句が読めてしまう場所では絶対に書かない)という方のみ、お読みください。

戦争を無関係な話と切り捨てる人が増えて

私が子どもの頃は、戦争の映画や本、戦争体験者(身内の祖父母や伯父、伯母)に話を聞き、怖くて悲しくて不安な気持ちになって、戦争を経験したくないという思いを強くしました。戦争経験者からの話を聞いて、それを同じように戦争を知らない人に話す中で、戦争体験者でもないのに、戦争体験者みたいな口ぶりで話すなんておかしいと昨今、ネットで批判する人がいて、馬鹿にされることもありました。

他にもニュースで広島・長崎の被爆者や沖縄の地上戦の犠牲者の話に対して、冷やかしたり馬鹿にしたり、自分の生まれる前の大昔の出来事だから今とは関係ないと人の心を踏みにじる人達がいることを知って、昨今はこういう人達が目立ってきたのだと知って悲しい気持ちになりました。

www.huffingtonpost.jp 

ryukyushimpo.jp

 生まれる前の大昔の出来事でも、地続きで繋がっている時代の話。それを経験した人達が同じ社会に同じ時代に生きていて、決して遠い過去の話ではないのに、身近に戦争体験者がいなくなり、話を聞く機会が減っていくと、自分達とは関係のない出来事として受けとめてしまうのか、こうして、記憶が薄れて同じ過ちを人は繰り返してしまうのかなって思うと不安な気持ちになって、人の経験に思いを重ねる優しさも失われて、人を傷つける人が増えていくのかなって心配になってしまいました。考えすぎならいいんですけどね。

日本は戦争の被害国であると同時に加害国でもあることを踏まえたうえで、先の大戦のような悲劇を繰り返し、悲しく切ない思いをしない、させない。自国の人でも他国の人であってもということは、常に考え意識していくことだと思います。

8月6日の黙とう

東京オリンピック開催期間中に、8月6日がやってきます。その日にオリンピックで黙とうはしないとされました。

www.huffingtonpost.jp

日本は被爆国であると同時に、戦争加害国でもあり、オリンピックはその日本の被害にあった人達や被害にあった人達をルーツに持つ人達、日本によって筆舌に尽くしがたい悲惨な体験をした人が存命されている方々も多く、日本だけが被害者の立場として、8月6日にオリンピック参加者に黙とうをお願いするのは、いかがなものかという意見にも一理あると思います。それでも、8月6日がスルーされたことはとても残念です。

確かに日本だけでなく他の国の戦争の犠牲者に思いを馳せ、黙とうをすることは大事なことです。それを含め開催期間中にあるそうした日がスルーされたことは残念です。平和の祭典を謳うオリンピックならば、日本国のみならず、戦争被害にあった全ての国々の人々とそれに繋がる人々の為に黙とうを捧げるべきではないでしょうか。

アメリカ人の中には原爆投下によって戦争が終わったからと原爆投下を肯定する人達も一定数いるようですが、それでも非戦闘員の赤ん坊や子ども達を纏めて殺すような、なんとか生き延びても後遺症で長く苦しませる原爆投下が正当化されるものではないと私は思います。当時を生きていない癖に、当時はそれしか道がなかったとしても、私はやはり納得が出来ないのです。

戦争を知らないのなら、体験者の話を聞き、本を読んで知っていくことは、悲惨な過去を繰り返さない為にも、今現在、その先の未来にとっても必要なことではないでしょうか。戦後生まれだから知らない、分からないと切って捨てるのではなく。

私は個人的に今年も黙とうを捧げたいと思います。