柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

父ちゃん

クマチュー!!レトロ館』さんの所で紹介されていた東野英心さんの本『クラブと恋と夢』(1982年)を購入し、読んでみました。
この本は『熱血あばれはっちゃく』放映当時、東野さんが40歳の時に、民衆社から『手をつなぐ中学生の本』の13番目の本として刊行された本です。
この本の中には、当時出演されていたドラマや東野さんの子ども頃の事が多く書かれています。
読んでいて驚いたのは、東野さんのお母さんがとても、厳しい方だったという事、仕事であまり帰ってこない父親の英治郎さんは、東野さんにとっては、とても優しいお父さんだったという事です。

また、読んでいると『俺はあばれはっちゃく』に登場したエピソードと似たような話も出てくるという事でした。
例えば、東野さんの小学生時代の学芸会の配役決めの話は『俺はあばれはっちゃく』第20話『あばれ孫悟空』を思い出させます。
学芸会で東野さんは小学2年生の時、主役をやりたい人と先生に言われた時に、率先して手を上げました。
でも、結局、東野さんは主役を演じることはなく、主役を演じたのは校長先生の子どもでした。
その時の主役を決める時のやり取りや、主役が出来なかった気持ちを東野さんは次のように本に書いています。

「劇に出たい人」と聞いた。僕は一番最初に手を上げた。「そうね、東野君のおとうさんは俳優さんだものね」「………うん」「君もお芝居やりたいの?」「………うん」「そう、君だってお芝居、じょうずかも知れないわね」「………」。
親戚の人達から「学芸会の時、英心は主役だな、きっと観にいくからな」といわれていたのに(どうしよう)僕は悔しさに涙した。

また、違う学年の時の劇『泣いた赤鬼』主役もPTA会長の子どもだったこと、いつも主役は成績優秀の生徒になったことが書かれ、本の中で東野さんはその時に感じたことを書いています。

学校の成績の良い者だけが、いつも良い思いをする。

『泣いた赤鬼』の時は東野さんは村人役で斧で鬼を退治する為に斧を作る事になるのですが、東野さんが作っているとご両親が懇意にしている建築家の渡辺さんがきて、東野さんの為に立派な斧を作ってくれたのだそうです。

この二つの出来事を読むと、『俺はあばれはっちゃく』第20話で、主役に決まったと浮かれた長太郎や長太郎の為に如意棒を作ってくれた父ちゃんの事、主役を正彦に取られて、馬の足の役に変わった事を学芸会を観にいくことを楽しみにしている父ちゃんに言い出せなかった長太郎の姿を思い出してしまいます。他に、東野さんが子どもの頃に、とても泣き虫だった事も、この本を読んでいて分かりました。その時には、『俺はあばれはっちゃく』第14話『泳げ鯉のぼり』で大熊先生が父ちゃんの子ども時代の話の中で「学校中に響く声で泣くから、ついた仇名が『泣きの長べえ』だ」という台詞を思い出しました。もしかしたら、『俺はあばれはっちゃく』の台本を読んだ東野さんも子どもの頃の自分の事を思い出していたのかもしれません。

あばれはっちゃく』の台本は、プロデューサーの鍛冶さんが各脚本家の台本を何度も何度も訂正をしながら、子ども中心のドラマに作りだしていたのだそうです。その事について本の中でこう紹介されています。

この作品を作っている鍛冶昇プロデューサーは作家の人達が書いてきた脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも、子ども中心のドラマにつくりあげていっているのだ

実は、東野さんは父ちゃん役を是非やりたいと希望したのですが、実は一度不合格になっているのです。

希望してみたものの、最初の配役決定の時には「東野英心には出来ない。彼ではドラマが面白くならない」』というような理由で不合格になってしまったのだった。そして、もう一つ演じてみたいと思っていた『二十四の瞳』も落選。『僕という人間は余程の駄目人間なのかと考え始めていた頃、どういう理由か分からないが、ふたたび、『あばれはっちゃく』の父親役の話が舞い戻ってきたのだ。

これを読んで私は心底、びっくりしました。私の中で、父ちゃんは東野さん以外にありえなかったから、まさか、東野さんが一度、落選されているなんて思ってもなかったからでした。なんだか、東野さんの子どもの頃の学芸会と同じ結果になるところだったのが、『俺はあばれはっちゃく』の時には、全然違う嬉しい結果になったんだ、これは、大人になり東野さんが実績を積み上げてきたからこその逆転だったのかと思いました。この逆転劇に関しては、私は推測として東野さんと『ウルトラマンタロウ』(1973年)で一緒に仕事をし、『俺はあばれはっちゃく』では、メイン監督だった山際監督がいたからではないかと思っていますが、でも、これは、あくまでも私の推測で、証拠はありません。

東野さんは本の中でこんな言葉を残しています。

僕はドラマをとおして、自分の子どもの頃を思い出しながら、親と子、特に父と子に関しての遊びや、生活を再確認してみたかった。

私は、本を読みながら、『あばれはっちゃく』の父ちゃんが東野さんで本当に良かったと思っています。東野さんの子どもの頃の話に『あばれはっちゃく』の話を思い出しながら、きっと、もしかしたら、他の人達の子どもの頃の話も『あばれはっちゃく』シリーズの中には、そのままの形ではなくても、少しは形を変えて入っているのかな、って思ったりするのです。

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