柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

平日夜8時以降は寝る時間

 子どもの頃、平日と日曜日は夜8時に寝かされていました。

それなので、私は子ども時代に夜8時以降に放送されていたドラマを見たことがありません。

寝る直前にオープニングとかはチラッと見ていたり、学校で話題になっている人気ドラマや人気番組は、両親がいるテレビのある居間と寝室を隔てる襖を細く開けて、両親が見るドラマや番組を見ていましたが、すぐに気づかれ次の日寝坊しない為に寝かしつけられていました。

土曜日だけは、翌日が日曜日でお休みなので、夜9時まで起きていることが許されていたので、『8時だよ!全員集合』を見る事は出来たのです。

でも、土曜日は夜9時には寝かされていましたから、土曜日の夜9時から放送されたドラマは見ていません。

だから、私は『熱中時代』(1978年金曜夜9時放送)も『池中玄太80キロ』(1980年土曜夜9時放送)も『スチュワーデス物語』(1983年火曜夜8時放送)当時は見たことがないのです。

それを職場の人達に話すと、どれも人気作品で高視聴率ドラマでしたから、大変、驚かれます。

また、私のブログ記事をこれまで読んでくださった方々やドラマ好きで繋がったTwitterのフォロワーさん達にも驚かれてしまうのです。

後に再放送で見たり、CSやBSの放送で見たりしますが、記憶に残る4歳から小学校までの(1978年~1986年)人気ドラマ、特に小学校低学年の時のドラマで夜8時以降に放送されていたドラマはそのドラマの存在は知っていて、人気の高さを知っていても、ドラマの中身を見ていないので、再放送やCS、BSで巡り合わなければ知らないままなのです。

私の家は私が小学5年生の時に録画機を買って、番組録画をすることが出来るようになりましたが、それ以前は録画も出来なかったので見る機会がありませんでした。

ここで、私がドラマの内容まで語られる作品は、当時リアルタイムで見ていた作品か、再放送で見たか、CS、BS放送で視聴したか、出演した俳優の人のファンでDVDを買って見た作品に限ります。

同じ時代を生きていて、作品の人気を肌で感じていながらも、見ていないことで作品を語れないドラマは結構あって、ドラマファンの人達と繋がることが出来た時、それがちょっとしたコンプレックスになっていたりします。

『逆転あばれはっちゃく』第1回放送日

同い年の長太郎

今日、3月2日は『あばれはっちゃく』シリーズ最終作、5代目『逆転あばれはっちゃく』の放送が始まった日です。今から35年前の1985年3月2日。『あばれはっちゃく』の長太郎は小学5年生から始まっていますが、シリーズ中唯一、小学4年生からスタートした作品でした。
ただし、4月には5年生になっています。
1985年4月に5年生11歳ということは、5代目の長太郎達は1974年度生まれ(1974年4月2日~1975年4月1日生まれ)になります。
そして、私は1974年8月8日生まれなので、5代目の長太郎達と同い年になるのです。
ただし、5代目長太郎を演じた酒井一圭さんは1975年6月20日生まれの実年齢は長太郎より1歳年下でした。
酒井さんが選ばれたのは、年齢よりも大きい体格が理由の1つでした。
私は当時リアルタイムで見ていたのは4代目『痛快あばれはっちゃく』までで、後に2001年酒井さんがガオブラック役で出演した『百獣戦隊ガオレンジャー』を見て、酒井さんが5代目長太郎役だったことを知り、『あばれはっちゃく』が5作目まであったことを知りました。
1985年前後あたりは私が子ども番組を卒業しかけた頃でもあります。
完全に卒業ではなく、行きつ戻りつといった感じでしょうか。
『逆転のあばれはっちゃく』だけ子どもの頃に見たことがなく、7年前2013年にDVD化されてようやく見る事が出来ました。
同い年、同世代の長太郎達が存在していた事は、後から知っても嬉しく感じました。

 

1年かけて作り上げたヒーローとヒロイン像の集約

3月1日は初代『俺はあばれはっちゃく』第55話が放送された日です。

本放送は1980年、今から40年前です。

『俺はあばれはっちゃく』は基本1話完結でしたが、第55話は次週の最終回と前後編になっています。

第55話を安藤豊弘さんが書き、それを受けて後編の最終回第56話を書いたのが市川靖さんでした。

面白いのは、市川さんが第39話のヒトミちゃんがモデルになって東京に引っ越すかもしれない話を書いているのですが、最終回ではこの時の第39話のヒトミちゃんと長太郎の立場が入れ替わっていることです。

私の個人的な印象なんですが、最初は意地悪な印象のあったヒトミちゃんを原作の厳しくも優しいヒトミちゃん像を作り上げたのが、第18話から参加された安藤さんだと思っていて、例えば安藤さんが初めて『俺はあばれはっちゃく』の話を書いた第18話「友情と引っ越しソバ」や第21話「切手コレクション」はヒトミちゃんの優しさがよく出ていると思います。

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対して、市川さんは長太郎の男らしさをよく書いていた印象があり第5話「無抵抗」やタマエが登場した「走れ初恋」や先にあげた第39話「逃げろヒトミちゃん」等、暴れるだけではない強さ、頼もしい長太郎を書いていたと思います。

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ある意味、長太郎(ヒーロー)像とヒトミちゃん(ヒロイン)像を作り上げ、後のシリーズの長太郎とヒロイン像の礎を作り上げた脚本家のお2人が最終回に向けて書いた『俺はあばれはっちゃく』唯一の続き物になった第55話と第56話は『俺はあばれはっちゃく』を締めくるのに相応しい前後編だったと思います。

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ドラマと現実の時間

ドラマと現実の時間

今、現在、3代目『熱血あばれはっちゃく』に関するクイズを作成中なんですが、案外と難しいですね。

3代目のクイズのポイントになる初期の話は8話なのですが、この8話が実に不思議な時空にいます。

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10年前も上記のリンク記事で書いたんですが、現実のカレンダーとドラマのカレンダーが一致しないのです。

『熱血あばれはっちゃく』8話の本放送は1982年5月29日土曜日に放送されました。

この8話で桜間家のカレンダーは5月で、このカレンダーは1982年の5月のもので間違いはないのですが、問題は次の日の教室の黒板の日付です。

それが6月3日になっているんですね。さらに、6月3日(水)になっているんですが、実際の1982年6月3日は木曜日なんです。

桜間家の夕食の段階でまだ5月だったとしても、翌日の教室が6月3日に飛んでいること、現実は木曜日なのに水曜日になっていることで、ドラマ内の時間が5月なのか6月なのかということに加えて、本当に1982年なのかが分からない状態になっています。

これが、8話だけの話ならともかく、続く9話では6月5日(金)になっていて、8話の流れを引き継いでいるのです。

 

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『熱血あばれはっちゃく』8話より

 

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『熱血あばれはっちゃく』9話より

この8話は父ちゃんと堀内先生の誕生日の誕生日が分かる話なので、私の中では5月の話なのか6月の話なのか、両方、またにかけた話なのか重要になってくるのです。

これは桜間家がカレンダーを6月に変えてなかっただけの話なのでしょうか。それとも長太郎のクラスの日直が日付を書き間違えたのでしょうか。

ドラマと現実の時間が必ずしも一致する必要はないのですが、5月のカレンダーが現実と同じだけに気になります。

また、初代から現実の日付と合わせていたのもあって、余計に気になるのです。
初代は1979年2月3日の土曜日に放送が始まっています。

2話で正彦が転校してきたときに黒板に書いてある日付は2月6日火曜日とあるので、現実と同じだと分かります。

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

ただ、初代は4月に5年生だった長太郎達が6年生になることなく、ドラマは続き、それに合わせて1978年度に小学5年生だった長太郎達が、1979年度も小学5年生にしたことで、長太郎達の入学年度が変わり、それに合わせてマラソン大会の小道具で長太郎が1年生が昭和50年(1975年)になり、小学5年生の時が昭和54年(1979年)になっています。

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『俺はあばれはっちゃく』17話より

1979年度4月から5年生であるという事実を作ることで、1978年度(1979年)の2月~3月に5年生だったことはなかったことにしているのも、4月に6年生に進級させなかったのも、最初は半年で終わる予定だったからだと思います。

人気が出て1年以上やることになり、細やかな設定の調整をしたのと、当時は録画機が一般的ではなかったからこそ出来たことなんだろうなって思います。

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『俺はあばれはっちゃく』52話台本、『俺はあばれはっちゃく』29話より

あばれはっちゃく』は視聴者には一見しただけでは分からないところでも、細かく設定がしてあって、例えば初代の明子の苗字が「小川」というのは、台本にはあっても、ドラマの会話内では出てこないのですが、明子の家の表札が「小川」であったりして、小道具にも細心の注意を払っていただけに、3代目の日付の細かいミスとカレンダーに関しては目立って見えてしまうのです。

ネピア

ネピア

過去にも何度も書いていますが、私は『あばれはっちゃく』のスポンサーを明確に覚えていません。

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調べる方法はいろいろとあるのですが、一番の手がかかりは第一次資料になるドラマの映像です。

民放のドラマの小道具では、スポンサーのライバル会社の商品は使わないのは、今も昔も変わりません。

逆にスポンサーの商品は堂々とその商品名を映します。

それを考慮に入れると、『俺はあばれはっちゃく』30話で長太郎と恵子ちゃん、公一がチリ紙交換をしている場面で、長太郎達が使っているティッシュペーパー箱が映る場面を注目すると、ネピアティッシュペーパーが堂々と映されています。

ということは、『俺はあばれはっちゃく』のスポンサーに王子ネピア株式会社もあったということですね。

はっきり記憶に残っている人達から見ると、まどろっこしいことをしていると思いますが、キー局の放送地域の神奈川県に住んでいたのが4歳の頃、その後は地方買い取りローカル局福島県、長野県に住んでいた転勤族の娘だった私には、キー局の『あばれはっちゃく』のスポンサーを探すことは、歴史探求みたいなところがあるのです。

ちなみに私は1974年8月8日生まれで、『俺はあばれはっちゃく』の放送開始が1979年2月3日です。

とりあえず、『俺はあばれはっちゃく』30話でネピアがはっきり見えている画像を参考資料として載せておきますね。

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『俺はあばれはっちゃく』30話より

 

『俺はあばれはっちゃく』6話「ごしゃがって」の意味

過去記事の振り返り

私は2009年、11年前からはてなダイアリー(現・はてなブログ)で『あばれはっちゃく』の思い出や見た感想、連想した事、妄想した事、調べたことを書いてきました。11年も書いてくると、手前味噌ですが、自分の中で良く書けたと思う記事がいくつかあります。

必ずしもそれがアクセス数や他の方の評価と比例するとは限らないのですが、自分の中で良く書けた好きな記事をランダムに改めて紹介していきます。
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今から9年前に書いた山本さんの言葉から山本さんの出身地を推測した記事です。佐々木先生と違って山本さんの故郷がドラマ内では明確に語られなかったのですが、こうしたドラマの些細な表現や登場人物の言葉などからバックボーンを推測、妄想することも作品を楽しむ1つの楽しみ方だと思います。

また、長太郎が山本さんに教える言葉から当時の流行り言葉が分かるのも楽しい話でした。

ちなみに参考までですが、原作者の山中恒先生は北海道出身、この第6話の脚本家の山根さんは鳥取県の出身、監督の新津さんは福岡県出身で、山本さんを演じた佐藤輝昭さん(現・佐藤輝)は山形県出身です。

9年前は「ごしゃがって」が仙台の言葉から山本さんを東北地方出身だと推理しましたが、山本さんを演じた佐藤さんの故郷を知ると、東北出身というところまでの推理は当たらずとも遠からずで、山本さんの故郷は演じた佐藤さんのお国訛りを生かしたものだったのだと分かりました。9年前にもう少し踏み込んで、山形県まで言い当てたかったですね。

再度、調べてみると山形県でも「ごしゃぐ」という言葉があり、意味は「叱る、怒られる」です。仙台弁でも同じ意味で秋田県でも同様の意味で使われます。なので、6話の山本さんが長太郎に言った言葉を共通語に訳すとこんな感じです。

「また、父ちゃんからごしゃがって」(ドラマ内)

「また、父ちゃんから怒られて(叱られて)」(共通語訳)

今、振り返ると調べの詰めの甘さを感じる反省のある記事ですが、作品をいろんな側面から楽しむ楽しみ方を見つけたのが嬉しくて書いた思い出深い記事でした。 

正彦が作り上げたドラマの雰囲気

正彦が作り上げた長太郎のドラマ版のライバルの系譜

2月10日は初代『俺はあばれはっちゃく』2話が41年前1979年2月10日に放送された日です。この2話で正彦が初登場して、レギュラー子役が揃います。ヒトミちゃん、恵子ちゃん、公一など原作から登場する人物はドラマのオリジナル設定が加えられていますが、原作を読んでみると特に正彦は、ドラマ化にあたり変更や追加設定が公一と並んで多く加えられた原作からの登場人物です。

この初代の正彦の設定が後のシリーズの長太郎のライバル関係になる人物の基本設定になっていきました。

ドラマで加えられた正彦の設定は、父子家庭、父親が長太郎の父ちゃんの上司、それと原作で描写されている正彦の外見と正彦を演じた草間光行さんの外見が違っていて、この草間さんの容姿がドラマならではの正彦のとその系譜を生み出したように思います。

また、初代のみですが、原作で血縁関係のない恵子ちゃんとはとこ(またいとこ)の関係やカエルが嫌いなのもドラマオリジナル設定です。はとこの設定は2話以外では使われませんでしたが、カエル嫌いの方は19話で生かされています。

ドラマで構築された正彦の設定や人物像、容姿などがその後の『あばれはっちゃく』のシリーズ全体の雰囲気を生み出した1つの要素だったと思います。

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『俺はあばれはっちゃく』2話、『俺はあばれはっちゃく』56話(最終話)より

正彦初登場2話の感想の過去記事。

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原作の正彦についての過去記事。

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初代ドラマ版長太郎と正彦の不思議な関係についての考察。

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長太郎と正彦が意気投合した27話について。

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