柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

世間は広いのよ

 

自分の物差しだけで人の体験を判断するな

世間って広いですよね、そしてこの地球上には多くの人達が存在しています。

そして、それぞれに様々な人生を送って生きています。世の中では、そんな体験をしてきたの?そんな人生を歩んできたのって驚く人達もいます。

するとですね、自分の生きてきた人生や周囲の人生と照らし合わせて、あまりにも縁のないことや体験するはずのないことをした人の話を聞くと、それを嘘だと決めつける人間っているんですよ。

でね、いちいちその人の過去の記録をデーターで取っている訳じゃないじゃないですか。写真とか日記とかってありますけど、一般人の全ての経歴が記録されているってことってありますか?仕事の経歴にしても小さいアルバイトとか、生まれてからの何年の何月の何日の何時何分何秒にどこで何をしたかっていうのまで逐一記録されているってっていうのは、今のところないと思うんですけどね。

例えばですね、映像業界でフリーであちこちで働いていた人がいて、まだ若手の下っ端で働いていて、そういう人って昔はスタッフの中に名前がない人なんてたくさんいるんですよ。

ドラマとかでも、監督の他に助監督が複数人いたりするんですが、ドラマのエンディングテロップで名前が出る助監督ってチーフ助監督1人で、セカンドやサードの助監督の人達って名前がでないですよね。

また、出演俳優の人達もエキストラとかの人達は名前が出ない。その名前の出ない記録されない助監督やエキストラの人達が過去にそうした仕事をしたと話したとして、今ならネット検索でスタッフや出演者の名前が分かって調べてみて、名前がないとそいつは嘘つきだ!って決めつける人が出てきてしまうのですね。

んで、その関係者の人に話を聞いたとしても、話をした人と関係者が仲違いをして、「そんなやつ知らない」って言えば、やっぱり嘘だったって確定するんですよ。

でもね、その仕事をしていない経験していないと分からない詳しい内容、仕事の裏側まで知っているのを聞いていると、記録に残ってなくても、仕事関係者が知らない(仲違いをしてワザと知らないと悪意でいう場合と昔のことで忘れた場合)って言っても、その人の話は嘘ではないんだって私は判断するんです。

業界に関わった人がいると、一般人はそんな人が自分と知りあえるなんて思えないって思うのかな。私も初めはそんな考えがあったりしたんですけど、このブログ書き始めて、意外にも業界の方達からコメントを頂いて話を読むと、おお、本当にその業界の人達が存在するんだって分かってきたんですよね。

こんな病気はありえない

私は30年前の高校1年生の時に乾癬という病気を発病しました。皮膚病の一種で難治性です。鱗屑と呼ばれるフケのような皮膚が剥がれ落ちる病気で汚らしく、お風呂に入っても常にフケが出てくる状態で、道を歩いていたり、買い物やお店で食事をしている時に見知らぬ他人から

「汚い、風呂にも入ってないんじゃないの」

って大声で言われて悲しい思いをしたことがいくつもありました。

友人に誘われて行ったスポーツジムでも皮膚の汚さから、他の客から苦情がきてジムのスタッフに追い出されたこともあります。皮膚が汚い人間はスポーツジムを使う権利もないということです。

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乾癬は現在は10月29日が世界乾癬デーがあり、TBSのラジオ番組でも取り上げられ、『はたらく細胞』でも取り上げられ、道端アンジェリカさんが発病されてしまったことで、30年前よりは認知度が出てきましたが、いまだに理解されず偏見がある病気であり、同じ皮膚病のアトピーと間違えられたり、病名から感染すると誤った知識のある病気です。

先に難治性と書きましたが、私は30年間ずっと治療中です。一時期良くなっても、ぶり返したりしてお薬を変えたりして、また、進学や就職などに伴う引っ越しで病院を一から探したりと一進一退を繰り返す30年間でした。

そうこうしているうちに、乾癬から併発した関節炎を13年前に発病。老人ホームの厨房で働いていましたが、とても立って仕事を出来る状態ではありませんでした。

立っているどころか、座っていても、寝ていても常に痛みがあって、まるで体中を竹刀で叩かれているようでした。最初は乾癬からくるものだと分からず、大きな病院から小さなクリニックから痛みの原因を調べましたが異常なし。

通院していた皮膚病の先生に話をすると、それは乾癬からくる関節炎だと教えてもらい、接骨院を紹介され、そこからさらに大きな病院のリウマチ内科を紹介されました。

私が痛みを訴えても、何にも異常がないんだから詐病だって言われ続けましたが、乾癬からくる関節炎だと教えてくれた先生方は、

「これはとてつもなく痛いんだよ、よく今まで耐えてきたね」

って言ってくれて、涙が出る程嬉しかったです。ちゃんと、病気のことを知って理解してくれる人達は分かってくれたけど、そうでない人達は私の痛みを嘘だと決めつけました。

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自分達が知らない理解出来ない病気はそういう症状で苦しんでいる人が目の前にいても、それを嘘だと決めつけるということを私は身をもって知りました。

そして外見が醜くなった人間を差別し罵倒して傷つけることは平気でやる人間がいることも分かりました。

一方で私の皮膚を見て心配して声をかけてくれる人、痛んで苦しんでいる私を助けてくれた心優しい人達がいることも知り、本当に世の中には酷い人間がいる一方で心優しい人達がいるんだってことを知りました。親切にしてくれた人の中に中国人の方もいたので、私の中で人の良い悪い、意地悪な人、優しい人は国籍や人種、性別なんて関係なんだなっていう考えに変わりました。

知名度の低い理解のない病気になって分かった事は、そういう知らない病気で苦しんでいる人のいう事を嘘だと決めつける人間がいるということ。

世の中には、まだ知られていない病気で苦しんでいる人がいるのに、自分や自分達の身近にない病気はこの世に存在しない、存在しない病気を話す人間は「嘘つき」と決めつける偏見の塊がいるんだってことが分かりました。

だから、人から問われて病気の話をする時は分かりやすいように、かなり簡易に全部ありのままに話すのではなく、世間で認知されている範囲で話すようになりました。

私は、皮膚科だけでなくリウマチ内科(膠原病内科)にも通院していますが、リウマチと同じ治療をしてお薬をもらっていても、厳密に言えばリウマチの関節炎とは違います。でも、それを話しても理解されないだろうと思って、リウマチです。関節炎です。脊椎炎ですって話すんですよね。それが嘘だと言われると辛い。病気への理解がないのがとても辛いですね。

同じように知名度の低い難病、難治性の病気を患っている人が病気のことを曖昧に話してしまうのを知ると、私と同じ理由から曖昧にしちゃうのかなって思ったりします。でも、曖昧に話すとその病気は嘘だって決めつける人間が出てきてしまうんですよ。

とても悲しい事ですけどね。

世間は広い

改めて世間は広いんですよ。体験してない出来ないことを体験した人の話をそんなことはありえないって思う人達は基準があくまでも自分とその周辺なんですよ。

私が社会人一年生の時に、職場の女性の先輩が一時期、お母さんと離れて施設で暮らしていて、その先輩が育った施設に連れて行ってくれたことがあったんです。そこで、その先輩を慕う子ども達にあったんです。それまでそうした施設の子達にあったことがなかった私は、こういう子達がいるんだ。

いろいろと事情があってここにいるんだろうけど、みんな可愛くて元気に挨拶していて、いい子達だなって思えて、なんか、自分は家族と生活してきたけど、そうでない人達もいるんだって、私の中で家族で生活しているのが常識って考えが変わったんです。

先輩がどうして私を連れて行ってくれたか分からないんですけど、社会人1年で見知らぬ土地で独り暮らしをして仕事でミスばかりで辛くて自分が不幸だと思い込んでいる私にあんたはまだ恵まれているんだから、もう少し踏ん張れって思いで連れて行ってくれたのかなって思ったりしています。

私は、人には型に嵌らない様々な家庭事情があって、中には家族と死別したり、生き別れてしまった人、両親の離婚で苗字が変わった人、若くして子どもや兄弟姉妹、両親、配偶者を亡くしてしまった人がいるんだってことを知り、また、そういう人達とも実際に会ったり、私自身が家族と絶縁した経験をして、様々なことで独りぼっちになってしまった人達がいることを知って、そいういう人達の話を嘘だと決めつける人間を見ると、ああ、あんたは家族に恵まれているから、そいういう家族と縁の薄い人間の話を信じないんだな、了見が狭いなって思うようになりました。

自分や自分の周囲が体験してないことを嘘だと決めつけるな

人には話せる事、話せない事があることを知る事、話しても通じないから曖昧に濁してしまう(本当は濁したくない)気持ちを理解出来ない人達が存在している。その人達の全ての記録が確認出来ないから裏付けがないからと頭ごなしに相手を否定する人間がいて、そんな人間の了見の狭さと想像力のなさに対しては諦めもあるんだけど、そんな人間の存在によって「嘘つき」扱いされて傷つく人間がいる。

人って自分の仮説を補強する情報だけを集めて、他の可能性や同じとこで収集できる自分の仮説を否定する情報を見ない、嘘だと決めつける傾向があると思います。

私自身が自分のブログ記事を書く時に情報を集める時にやりがちなことで、後で逆の視点から情報を集めると、間違った情報を集めていたんだと気づく時もあります。

自分の考えを補強するための情報だけを信じて、それ以外の情報を除外するのは危険ですし、自分や自分の周囲の出来事だけが真実だと思うのも、広い世界で起きている様々な人の体験や人生を否定することに繋がると思います。

人のことを「嘘つき」だと決めつける前に、そういう世界もあるんだっていう思いに至って欲しいです。

『あばれはっちゃく』各代の1話予告

1話予告

今回、ひろしさんから3代目『熱血あばれはっちゃく』の1話予告についての質問をコメントで頂きました。

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この次回予告は、「俺はあばれはっちゃく」のDVDの映像特典にもありますね。ちなみに、この時、吉田友紀さんが着ている服は、「俺はあばれはっちゃく」シリーズでは着用されていなかったように思います。
次回予告ついでに。3代目の第1話の次回予告の映像が見当たらないのですが、ひょっとして、3代目の第1話の次回予告はなかったのでしょうか?「男3人」の終わりで、荒木さんの紹介があったので、それだけなのでしょうか?

上記のひろしさんからコメントを受けて、所持している『あばれはっちゃく』のDVDを調べ、3代目の1話予告がないか、ついでに他の代の1話予告に関しても調べてみました。

結果、3代目『熱血あばれはっちゃく』はありませんでした。

3代目の最終回には、4代目の1話予告が収録されています。これは、3代目から4代目の間にスペシャルのような特別な形の『あばれはっちゃく』の放送がなく、通常放送であったためにそれまでの次回予告と同じように、次に始まる4代目の1話予告がされたということです。

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『熱血あばれはっちゃく』最終回から『痛快あばれはっちゃく』1話予告

ちなみに3代目の最終回は1983年3月26日、4代目の放送開始は1983年4月2日、4代目の最終回は1985年2月26日、5代目の放送開始は1985年3月2日でした。

3代目と4代目の間も、4代目と5代目の間も、2代目と3代目の間にあった特別な形でのスペシャル放送がなく、放送間隔も通常と同じでした。

それならば、3代目の最終回で4代目の1話予告があったように5代目の1話予告は4代目の最終回で予告されるはずですが、DVDに収録されている4代目の最終回には5代目の1話予告がありませんでした。

しかし、5代目のDVDには映像特典として5代目の1話予告があります。DVDに収録されている4代目の最終回には5代目の1話予告がなかったけれども、素材はあったということです。

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『逆転あばれはっちゃく』1話予告より

放送順から考えると、3代目が始まる前の1982年4月3日に『男三人!あばれはっちゃく』のエンディングの後に3代目の1話予告が入ると思いますが、DVDにはありませんでした。

実際に3代目の1話予告が存在しなかったとも言えますが、DVDの4代目の最終回になかった5代目の1話予告が5代目のDVD映像特典で確認出来た事から、そうではないと思いました。私は4代目にあった5代目の1話予告部分をカットして、5代目の特典にしたと考えます。

映像特典には5代目の1話予告の他に、2つのスペシャル特番『俺は男だ!あばれはっちゃく』(1982年1月2日放送)と『男三人!あばれはっちゃく』(1982年4月3日放送)の本編と予告が収録されています。

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『逆転あばれはっちゃく』映像特典より

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『俺は男だ!あばれはっちゃく』予告より

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『男三人!あばれはっちゃく』予告より

『俺は男だ!あばれはっちゃく』は、2代目『男!あばれはっちゃく』の放送期間中に放送されたスペシャルで放送順なら90話「御用納めだマル秘作戦」(1981年12月26日放送)の後に放送されました。90話には『俺は男だ!あばれはっちゃく』の予告はなく、次回予告は91話「晴れ姿!土俵入りマル秘作戦」(1982年1月9日放送)になっています。

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『男!あばれはっちゃく』90話より91話予告

日付を確認すれば分かりますが、『俺は男だ!あばれはっちゃく』はお正月特番としての放送です。放送間隔は通常と同じ週一間隔ですが、放送時間が通常よりも長く、お正月特番としての色も強いので、『男!あばれはっちゃく』ではなく別タイトルの『俺は男だ!あばれはっちゃく』として独立番組の扱いで『あばれはっちゃく』シリーズの一作品として予告は別にしたのだと考えられます。

『俺は男だ!あばれはっちゃく』の最後に予告がなかったのは、次の週に放送される91話の予告は既にしてあり、また『男!あばれはっちゃく』と一時的に切り離した(でも世界観は2代目と同じ)為に必要がなかったからだと言えます。

この為、『俺は男だ!あばれはっちゃく』の予告が弾かれたために、5代目DVDで映像特典として、本編も合わせて予告が収録されたと思います。

2代目の最終回の後で放送された『男三人!あばれはっちゃく』についても、『俺は男だ!あばれはっちゃく』と同じように考えることが出来ると思います。

2代目の最終回は1982年3月27日、『男三人!あばれはっちゃく』の放送は1982年4月3日、3代目の1話は1982年4月10日に放送されました。

この順序でいくと、次の週の予告は前の週に放送された『あばれはっちゃく』でされるのが自然です。現に、DVDで確認出来る4代目の1話予告は3代目の最終回でされていますし、4代目の最終回に収録されていなかった5代目の1話予告は5代目のDVDにある映像特典で確認出来ています。

『俺は男だ!あばれはっちゃく』と『男三人!あばれはっちゃく』に次の話の予告がないのは同じ理由だと書きましたが、1つ違いがあります。それは、『俺は男だ!あばれはっちゃく』の場合は通常放送の中で既に次の話の予告がされていたのに対して、『男三人!あばれはっちゃく』にはそれがなかったということです。

そうなると、『男三人!あばれはっちゃく』の中で、次週から始まる3代目『熱血あばれはっちゃく』の予告がされるはずです。劇中の中で、2代目から3代目にあばれはっちゃくをバトンタッチしたとしても、子ども達は次週から始まる新しい『あばれはっちゃく』はどんなタイトルだろうと胸を躍らせていました。その子ども達に新シリーズのタイトルを告げないのはおかしいです。

初代、2代目、4代目、5代目の1話予告があって、3代目がないなんてことは当時の人気から考えてもありえません。

収録されなかった可能性

ここからは私の40年近い子どもの頃の記憶と手元にある実在するDVDに収録されているものからの推測になり、不正確な情報になりますが確認した事実と自分の思い出と記憶を元にして考えられることは、3代目の1話予告は発売されている『あばれはっちゃく』のDVDには収録されなかったと思います。

なぜなら、私は4代目のDVDを買って最終回を見返した時に、5代目の1話予告がなかったのを見て、5代目の1話予告はされなかったっけ?と思いましたが、次に買った5代目のDVDには5代目の1話予告が収録されていたからです。

「1話予告」の項で書いたように、3代目と4代目、4代目と5代目の間には、2代目と3代目のような特番にあたる作品がありません。3代目の最終回に4代目の1話予告が存在し、収録されている4代目の最終回に5代目の1話予告がないものの、映像特典で5代目の1話予告が確認出来るということは、4代目最終回にあった予告をカットして映像特典としてつけたと考えるのが自然に思います。なぜなら、素材は存在していて次の話は通常と同じで一週間後の放送だったのですから。

これに基づくと、『男三人!あばれはっちゃく』のエンディングの後で3代目の1話予告があったと考えられますが、ありませんでした。

または、2代目の最終回に3代目の1話予告があった可能性もありますが、DVDでは確認が出来ませんでしたし、2代目の最終回の後には『男三人!あばれはっちゃく』の放送が控えているので、3代目の予告をするのは紛らわしく、スペシャルの楽しみも半減するので、それは考えられません。

だから、『男三人!あばれはっちゃく』に3代目の1話予告があったと仮定してもDVDで確認が出来ないので、DVDに収録されている4代目の最終回に5代目の1話予告がないのと同じようにカットされたのだと思います。

5代目のDVDBOXには映像特典として、5代目の1話予告、スペシャル2つの本編と予告が収録されましたが、これは5代目が『あばれはっちゃく』シリーズ最後を飾る作品であり、ここで、もしかしたら存在した『男三人!あばれはっちゃく』にあった3代目の1話予告が不要になったと思われます。

販売元・発売元の違い

あばれはっちゃく』のDVDは、2005年に初代『俺はあばれはっちゃく』が販売元・ジェネオンエンタテインメント、発売元・デジタルサイト株式会社から出されましたが、2代目『男!あばれはっちゃく』~5代目『逆転あばれはっちゃく』は、2012年から販売元・TCエンタテインメント、発売元・ベストフィールドから出されました。

初代と2代目以降はDVDの販売元と発売元が違います。

その為、初代のDVD解説書は他の代と比較して詳しい作品情報記載があり、吉田友紀さんと島田歌穂さんのインタビューがあり、初代の1話予告、2代目の1話予告が収録されています。

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『俺はあばれあはっちゃく』1話予告より

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『俺はあばれはっちゃく』1話予告より

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『俺はあばれはっちゃく』1話予告より

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『男!あばれあはっちゃく』1話予告より

ですが、2代目以降は5代目を除いて、付属解説書にある番組と各話についての情報が少なくなっています。

これは、2代目以降のDVD化は5代目をDVD化させる為の布石だったからだと私は思っています。

5代目で長太郎を演じた酒井一圭さんは、あばれはっちゃくが大好きであばれはっちゃくになりたいというのもあって、子役になった方です。

これは私の推測になりますが、酒井さんの『あばれはっちゃく』に対する思い入れはとても強く、大好きな『あばれはっちゃく』のDVD化、さらには自身の主演作デビューである『逆転あばれはっちゃく』のDVD化の為に尽力されたのではないかと思います。

その熱意と当時の人気を鑑みて、ベストフィールドとTCエンターテインメントが期待に応えてDVD化して発売し、特に5代目を売る為に5代目DVDに付加価値をつけ、各話の解説にも力を入れたのではないでしょうか。

そうではないにしても、発売元・販売元の違う初代を除いて同じ発売元・販売元である2代目から4代目と比較しても、5代目の解説書の各話説明はしっかりしているのは事実です。

そこから、2代目以降のDVD化は特に5代目に力を入れてDVD化されたと受け取る事が出来ます。実際に酒井さんが動いてDVD化になったのかどうかは分かりませんが、可能性の1つとしては考えることが出来るのではないでしょうか。

これに対する確かな証拠も確証もありません。

ただ私は初代を除いて、同じ販売、発売元から出されたDVDの中で5代目だけがよりしっかりしていて、映像特典があり、1話予告を独立させてあるのは『あばれはっちゃく』シリーズのDVD化が5代目のDVD化を中心に据えて企画されたものだと受け留めていました。

解説書の内容が違うのも、新シリーズ予告の収録に対しての扱いの違いも、初代と2代目以降のDVDの販売元・発売元が違う為であり、また放送順とDVD収録順の違いがあってのことだと思います。

まとめ・コメントに対してのお答え

言い訳になりますが、これは私の手元にあるDVDと私の40年近く前の記憶を元に推測した憶測に過ぎないので、確かな答えではありません。

私より記憶力がある方や、また、本放送当時にビデオ録画した人がいればはっきり出来るのですが、私も記憶に自信がなく、また『男三人!あばれはっちゃく』が放送された当時は我が家にはまだビデオデッキがありませんでしたので、録画記録が存在していません。よって、3代目の1話予告があったかどうかの明確な判断が出来ません。

しかし、常識的に考えて人気シリーズの1話予告がないとは考えられないので、DVDに収録されなかった、するタイミングがなかったのだと私は思いました。

長くなり、重複する部分もありますが、これが私が導き出したひろしさんへのコメントに関する答えになります。

なお、3代目の1話予告に覚えがあるよ、録画したよという方がいましたら教えて頂けると幸いです。

最後に

今日、11月14日は父ちゃん役の東野英心さんの命日です。もう亡くなられて20年になるのですね。

『俺はあばれはっちゃく』に出演した子役達の更新のお知らせと児童劇団について

 

更新のお知らせ

エルビスさんの情報から以下の記事を更新しました。

kakinoha.hatenadiary.com

更新した内容は『俺はあばれはっちゃく』(1979年~1980年)1話に出演した吉田真司さんが『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年)39話「富士山に向かって打て!」(脚本・上原正三さん、監督・田中秀夫さん)に沢村真二役で出演していたということを追記しました。

テロップで見た児童劇団について

頂いた情報から『がんばれ!レッドビッキーズ』の39話を確認して見て、オープニングの出演者紹介のテロップを見つつ、レギュラー出演者とゲスト出演者の名前を見ながらテロップを見ていくと、2つの児童劇団の名前が出てきて『がんばれ!レッドビッキーズ』はこの2つの児童劇団から子役を出演させているのかなって思いました。

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『がんばれ!レッドビッキーズ』39話オープニングより

東映児童研修所は東映株式会社の児童劇団で、古くは風間杜夫さん、私の世代だと小林綾子さん達が所属していた児童劇団です。

1950年代に東映児童演技研究所として発足、1966年に東映演技研究所が新設、1994年に合併して東映アカデミーになり、2011年3月に閉鎖されました。

以上はウィキペディア東映アカデミーからの要約情報です。

1950年代に発足とウィキペディアにありましたが、私が所有する『ぼくらが子役だったとき』中山千夏著での中山千夏さんと風間杜夫さんとの対談を読むと、おおよその発足した年が予測できます。

風間 

母親の勧めで、小学校二年生のとき、児童劇団「東童」に入ったのが始まりです。もともと母親は僕の引っ込み思案の性格を心配していたんですが、その割に幼稚園のお遊戯会などではハツラツとやっている。友だちのお母さんに、「お宅のお子さんは劇団に入れたらきっと伸びるわよ」とか言われたらしくて(笑)。

 僕もやってみたら楽しかった。『ブドリの伝記』を舞台化したときには、森のウサギの役をやったり。そのうちに親の欲目なんでしょうね。テレビや映画に出したいという気持ちが出てきたみたいで、翌年には「東映児童研修所」に入りました。僕らがあそこの一期生なんです。

(『ぼくらが子役だったとき」212ページより引用)。 

 風間杜夫さんは1949年(昭和24年)4月26日生まれです。

上記の引用部分の風間さんの話から、小学校三年生(8歳~9歳)の頃に東映児童研修所に入所したと推測できます。

9歳の時に入所した仮定して、1958年(昭和33年)。風間さんは東映児童研修所の一期生ですから、東映児童研修所は1958年に設立したと考えられるのです。 

ぼくらが子役だったとき

ぼくらが子役だったとき

  • 作者:中山 千夏
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

 続いて、劇団いろは。

劇団いろははこのブログではお馴染み、2代目あばれはっちゃくこと栗又厚さんが所属されていた児童劇団です。『がんばれ!レッドビッキーズ』だと、ナッツこと大山夏子役の佐久間真由美さんが所属されていました。他に、高野浩幸さん、岡浩也さん等多数の有名子役の方達が所属されていた劇団です。

www.tv-tokyo.co.jp

劇団いろはは、1965年に創設されました。(上記リンク先参照)現在も東京都世田谷区にあり、多くの子役達がレッスンに励み、各メディアで活躍しています。劇団いろはの名前は『レッドビッキーズ』シリーズや『あばれはっちゃく』シリーズ『ケンちゃん』シリーズの国際放映の他に、『ウルトラマン』シリーズや大河ドラマ等でも多く見かけました。

栗又厚さんは大河ドラマ『黄金の日々』(1978年・脚本・市川森一さん)にも出演されていますね。残念ながら私は見た事がないのですけれども。

東映児童研修所が推測で1958年発足であるとすると、1965年創設の劇団いろはは新しい児童劇団になるのだなって思いました。

児童劇団の設立順

6年前に山際永三監督とお会いした時に、吉田友紀さんが所属されていた児童劇団劇団日本児童は新興の児童劇団とお話を伺ったのですが、ウィキペディアで見ると劇団日本児童東映児童研修所と同年の1958年設立みたいなので、劇団いろはよりは古い児童劇団だったのだなって思いました。下記の記事に劇団日本児童が新興の児童劇団と話された山際監督の言葉があります。

kakinoha.hatenadiary.com

 記事を読めば分かりますが山際監督は劇団ひまわり(1952年設立)と比較すると、劇団日本児童は新興だと話されていたので、劇団いろはとの比較ではなかったのですけどね。

他に児童劇団と言うと、森川正太さん、富永みーなさん達が所属されていた劇団こまどり(1948年設立)があります。『俺はあばれはっちゃく』26話に出演された熊谷誠二さんも劇団こまどりに所属されていた子役でした。

それに風間さんが東映児童研修所に所属される前の東童(1914年設立)もあって、すると、公一役の妹尾潤さん、ヒトミちゃん役の早瀬優香子さん、まゆみちゃん役の水沢真子さん、5代目長太郎役の酒井一圭さんが所属されていた東京宝映テレビ・劇団フジ(現・宝映テレビプロダクション)はいつ頃設立されたのだろうかと調べてみると、明確には分からなかったのですが、今の宝映テレビプロダクションHPの事業内容に以下のように書かれているので、1970年には設立されたのかなって思いました。

時代を築いた東京宝映テレビの50有余年の伝統と実績をそのまま継承して、発足しました。

いやでも東京宝映に所属されていた方々を見ると、安藤一人さん、三原じゅん子さん、日髙のり子さん達がいるから、1970年設立っていうことはないか。と思い直して再調査。

東京宝映の新人募集の広告写真を見つけました。

昭和63年度新人タレント募集の広告。締め切りが昭和63年1月14日当日消印有効とあり、「28年の実績」とありました。

昭和63年は1988年。というと、広告は1987年に出されたもの。

1987年から28年を引いて、東京宝映は1959年に設立されという推定が出来ました。

最初に思ったのとはだいぶ違いますね。

今回調べてみて、かつて東京宝映に所属していた方や合格した方のブログが見つかっていて多くの人が児童劇団内での思い出(いい思いも嫌な思いも)を持っているのだなって分かりました。

外野からは分からない様々な体験者にしか分からない思いを見て、外野は無責任に見ていたのだなって恥ずかしくなりました。

他にも児童劇団は多々ありますが、私が子ども頃に夢中になった児童ドラマでは、これらの児童劇団の子役の方達が活躍されていて、『レッドビッキーズ』シリーズや『あばれはっちゃく』、『ケンちゃん』、『ウルトラマン』シリーズ等で目にしてきたのだなって、児童ドラマに限らず、時代劇、ホームドラマ、メロドラマでも目にしてきたと懐かしく思いました。

調べた分かる範囲で書くと、古い順から、東童(1914年)、劇団こまどり(1948年)、劇団ひまわり(1952年)、劇団日本児童(1958年)、東映児童研修所(1958年)、東京宝映(1959年)劇団いろは(1965年)の順になるのかな。()内は設立年。

『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演した子役の所属劇団は?

少し脱線しましたが、『がんばれ!レッドビッキーズ』で東映児童研修所と劇団いろはの2つの児童劇団のテロップがあったのは、この2つの児童劇団の子役からキャスティングしていたのではないか、東映児童研修所は『がんばれ!レッドビッキーズ』が東映の作品だからであり、外部の劇団いろははレギュラーの佐久間真由美さんからの繋がりなのかなって思いました。

だから、39話のテロップを見た時はにゲスト出演された吉田真司さんは東映児童研修所か劇団いろは所属の子役かなって思ったのです。

ですが、単純に『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演した子役は東映児童研修所か劇団いろは所属の子役だったと結論づけは出来ないなって考えなおしました。

それでもこの2つ(東映児童研修所と劇団いろは)の児童劇団を元に、まだまだ勉強不足ではありますが、他の児童劇団(『あばれはっちゃく』に出演された子役の方達の所属劇団を中心にして)を含めて、自分が今の時点で知っていることを書き留めたいと思いまして書いてみました。

また、いつか何か情報が更新された時に、児童劇団に関しても記事を書いていくかもしれません。

ああ、この本を早く買いたい。 

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

 

 

 

最後になりますが、エルビスさん情報提供ありがとうございました。

訂正と補足・ドンペイの犬種と動画『ムー』に出演した2代目あばれはっちゃく

 

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『熱血あばれはっちゃく』34話より

ドンペイの犬種

こうさんからの指摘で気づいたのですが、私、これまでドンペイの犬種を間違えて書いていました。

ずっと「ゴールデンレトリバー」と書いていたのですが、こうさんのコメントでの指摘が正しくドンペイはラブラドルレトリバー。

これは完全に私の思い込みによる間違いで、こうさんのコメントにより正しく訂正することができました。

取り急ぎな修正になりますが、指摘された記事以外の記事でもドンペイをゴールデンレトリバーと書いた部分に打消し線を引き、ラブラドルレトリバーと正しい情報を追加しました。

また、こうさんより4代目から出演したドンペイ、5代目のドン次郎はオスなのかという質問を受けましたが、初代から3代目までに出演したドンペイが映像からメスだと判明したので、ドラマ内の世界ではドンペイを長太郎の「弟」の位置づけであり、その位置づけからも名前からも子どもの頃に見ていた時からオスだったという思い込みが、実はそうではなかったという驚きからドンペイの性別について証拠のドラマ内の場面と共に記事にしました。

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初代から3代目のドンペイが実はメスだからといって、4代目からのドンペイ、5代目がドン次郎がオスだという記事ではありませんでしたが、初代から3代目までのドンペイがメスだと分かれば、4代目からのドンペイ、5代目のドン次郎はオスなのか、メスなのか気になるのも当然の疑問だと思います。

4代目からのドンペイ、5代目のドン次郎の性別が分かる場面に今の段階では気づていないので、分かったら記事にしたいなと思います。

明確に誰が見ても分かる場面があればいいなって思います。

こうさん、間違いを教えて頂きありがとうございました。

犬のマウンティングについて(追記)

エルビスさんのコメントから、犬のマウンティングについて調べてみました。

コメントの返信にも書きましたが、過去に家族で飼っていたメスの柴犬がエルビスさんの指摘する行為をしていたので、その行為で性別を決めるのは有効ではないと思い、お腹に見えた乳首を見てメスだと思いました。

しかし、エルビスさんの指摘で乳首だと思っていたものがイボの可能性も出てきて、また私の視力が悪いのかエルビスさんに見えているものが私に見えていなくて、メスだという思い込みで、そう見えているのかもと不安になりました。

そこで、改めて初代から3代目のドンペイに注目して見ていきたいと思います。また、気がつけば訂正をします。視力の弱い私でも分かる決定的なドラマ内の場面があるといいのですが。

ちなみに参考までにメスもマウンティングをするという内容の記事を下記にリンクします。

wanchan.jp

動画『ムー』に出演した2代目あばれはっちゃく

また、エルビスさんより『ムー』に出演した2代目あばれはっちゃくの動画を紹介して頂きました。

エルビスさん、ありがとうございました。


ドラマ「ムー」に出演していた2代目あばれはっちゃく

堀内先生の誕生日(ドラマを見て分かる設定100)

 

3代目『熱血あばれはっちゃく』堀内先生の誕生日

以前、下記の記事で父ちゃんと堀内先生の誕生日について考察しました。

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 その記事にこうさんからコメントで堀内先生の誕生日について情報を頂きました。

こう

先日は、ブッチィ―音頭のめちゃんこという言葉について質問し、いろいろ教えていただいてありがとうございました。先日、熱血あばれはっちゃく第13話を観ていると、長太郎が堀内先生の身分証明書を中学生達に見せる場面があるのですが、よく見ると、堀内先生の生年月日が、昭和25年6月14日となっています。

早速、頂いた情報を元に『熱血あばれはっちゃく』13話を見返すと、確かにその通りでした。

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『熱血あばれはっちゃく』13話より

上記の物は当校に勤務する職員であることを証明する 

 引用した場面と文章から、この身分証明書は長太郎達が通う小学校で発行されているものになりますね。

また、堀内先生の年齢はDVD解説書にある設定表より、年齢は28歳となっています。

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『熱血あばれはっちゃく』DVDBOX付属解説書より

『熱血あばれはっちゃく』の放送期間は1982年(昭和57年)4月~1983年(昭和58年)3月まで。

 設定どおり堀内先生の年齢が28歳ならば、生まれ年は昭和29年西暦では1954年。

ですが、堀内先生の身分証明書の生まれ年は昭和25年、西暦なら1950年。

計算をすると堀内先生は誕生日が来た時点で1982年の時には32歳。

放送が始まった頃の1982年4月~5月、6月の誕生日を迎える前までが31歳ということになります。

堀内先生を演じた山内賢さんは1943年(昭和18年)12月9日生まれ。

『熱血あばれはっちゃく』放送当時は、38歳から39歳の時。

堀内先生の年齢が企画段階の設定よりも、年齢が少し上がったのは実際に演じられる山内さんの実年齢に少し近づけた結果なのかなって思いました。

また、『熱血あばれはっちゃく』の放送されていた期間は昭和でいうと昭和57年~昭和58年になり、堀内先生の身分証明書は「昭和56年4月1日」とあるので、1年前に発行されたものになります。

こうさんが気づき教えてくださり、ドラマ内の映像で判明した堀内先生の誕生日は、昭和25年(1950年)6月14日であることが分かりました。

こうさん、改めて教えてくださりありがとうございました。

セルフリメイク

確認の為に見直した13話を見て、初代『俺はあばれはっちゃく』26話を思い出しました。

脚本が同じ安藤豊弘さんなので、安藤さんによるセルフリメイクだと感じました。

初代との最大の違いは、初代のてるほに当たる人物が長太郎の兄・修一郎に変わったことで、初代では公一だけの問題が3代目では実だけではなく、修一郎も含む事件になったことと、初代では大人がその問題に出てこなかったのが、3代目では堀内先生が出てきたことでした。

初代では心配した公一の母ちゃんが見に来ましたが、自分の出る幕じゃないと引っ込んだのと比較すると、堀内先生が出てきて中学生を叩きのめしたのは、とても対照的でした。

ただ、そこで堀内先生が逃げも隠れもせずに、自分がした暴力に責任を持つとされたのは、先生として大人として人間として責任を取る覚悟を感じました。

責任を取る証拠として、身分を明らかにする場面で長太郎が堀内先生の身分証明書を見せて上記の引用の場面になります。

また、この13話のサブタイトルが「ひかえろ!弱虫マル秘作戦」であり、堀内先生の身分証明書を見せる時の長太郎の言葉から、TBSのナショナル劇場水戸黄門』(1969年8月~2011年12月)のパロディが含まれていることが分かります。

これは、父ちゃん役の東野英心さんの実父である東野英治郎さんが当時『水戸黄門』(東野英治郎版・1969年8月~1983年4月)の水戸光圀を演じられていたからこその遊び心ですね。

YouTubeに動画をUPされた万江仁士さんが初代『俺はあばれはっちゃく』14話でゲスト出演した太宰久雄さんに合わしたかのように長太郎が「男はつらいの」と言っていた事を取り上げていましたが、昔のドラマは出演者の他の映画、ドラマで出演していて国民的認知度の高い作品に関連した台詞が多くあったなって思い出しました。

帰ってきたウルトラマン』(1971年4月~1972年3月)に出演していた榊原るみさんが『帰ってきたウルトラマン』を途中退場して『気になる嫁さん』(1971年10月~1972年9月)に出演した時に「ウルトラマン」に触れる台詞もありましたしね。

 作り手側も分かっていて、そうした遊びを入れているように思います。

あばれはっちゃく』はテレビ朝日、制作の国際放映東宝系の会社、『男はつらいよ』は松竹、『水戸黄門』と『帰ってきたウルトラマン』はTBS、『気になる嫁さん』は日本テレビ

当時は当時で決まりがあったのだと思いますが、社会全体で認識している情報が幅広くテレビ局の垣根を越えて自由にメタ的な遊び心のある台詞が多かったのだなって楽しく思い出されます。

訃報・森川正太さん

森川正太さん

今朝、森川正太さんの訃報を知りました。

67歳、胃癌。

森川さんと言うと再放送で見ていた青春ドラマでお馴染みの俳優さんでしたが、私にとっては『気まぐれ本格派』の道夫役がとても印象に残っています。

『気まぐれ本格派』ではコミカルで楽しく、石立鉄男さん演じる一貫との掛け合いが楽しかったです。

年々と好きな俳優の方が亡くなられていくのは、とても悲しく寂しいです。

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『気まぐれ本格派』より

意見の相違による諍い

人を傷つける言葉

Twitterを見ていると、ある日突然仲の良かった相互フォロワー同士の争いを目にすることがあります。

私が一方的に片想いしているフォロワーさんが相互フォロワーさんと微妙な考えの違いからすれ違いをしているのがTLに流れてくるのです。

親愛していた相手から一方的に裏切られたと感じた相手は、自分を裏切った相手を言葉の刃で攻撃をします。

それは関係のない私の目から見ても、心に突き刺さる攻撃的な言葉で、それで相手を完膚なきまで叩き潰して殺すだけの力があり、そこまでして相手にダメージを負わせたいのかと思うほどです。

それまでがとても仲が良く、尊敬し信頼していたやり取りが見えるだけに、関係のない私までダメージを受けます。

攻撃する相手は、自分を裏切った相手を叩きのめす言葉やその行動は正しく正義なのでしょうが、私には相手が自分の理想通りに振舞わなかったことに対する腹いせにしか見えず、それが正しく素晴らしい人間がやる行為だと思えません。

最初から相手を憎んでいたのではなく、相互に信頼関係を築きながら、1つの見解や考えの違いなどで、相手をというよりは、第三者が見ても死にたくなるような攻撃的な言葉を腹いせに書き連ねるのは、恨みの深さと相手を本気で亡き者にしようとする殺意を感じるだけに怖く、それを受けとめなければいけない対象者がとても気の毒に感じます。

受けとめた相手が攻撃した相手に対して、攻撃で返すのも見かけますが、そうではなく相手の怒りと攻撃を真摯に受け止め、意見の相違を悲しんでいる人もいて、一方的に攻撃を受けている人を見ると、とても切なく悲しくなります。

全てにおいて同じ考えや思いの人と言うのはいないと思います。

共感する部分、反発する部分などがあり、それでもその違いを認め合って、それぞれの考えの中から反発したり、共感出来なかった考えから学んで自分の考えや物の見方の新たな切り口を見つけ出して、見聞を広めることが出来るのではないかと思いますが、それは理想であり、なかなか実現出来ないことなんだなって、Twitterでの諍いや自分自身の体験を通して思います。

ただ、相手に対して怒りをぶつけて、自分の正義を行使している間は気持ちが良くて楽しいと思いますが、怒りをぶつけている相手にも、裏切られて悲しく怒りを感じる心を持っている人と同じように、傷つき悲しむ心がある人間であることを忘れているように感じます。

相手に怒りをぶつけるだけ相手を傷つけ、痛めつけていることに気づけば、暴言なんて出ないのではないかと思うのです。

怒りを持つことも不満を持つことも当たり前の権利で感情のある人間ならば当然の心理だと思いますが、それを相手が死ぬまで、自分に負けを認めるまで、他の人の目に触れるところでやるのが正しいのでしょうか。

他の人の目に触れるところでやるのは、自分の正しさを肯定してもらいたいという我儘ではないかと私は思います。

私も細々と15年程、このブログを書いてきて心ないコメントを頂いた事があり、その時は怒りのあまり相手を晒したり、怒りの感情を書いてしまったので大きなことは言えませんが、不愉快な思いをしたからと、わざわざ相手の心を殺すようなコメントを書くのは大人げなく、そんな攻撃をしたからには、同じように攻撃が返ってくる覚悟をするべきです。

その覚悟がなければ書くことなく立ち去るのがいいと思います。

もっとも私のブログに私を馬鹿にして攻撃した人は私がその言葉を受けとめた言葉や怒りの言葉を読むことなく、暴言を書き込んで立ち去ったようですが、そういう通りすがりの暴力を気軽にする人がネット時代になって増えたように思いますし、相互交流がより簡易になったTwitterが主流になった今では、怒りの攻撃が応酬になってより泥沼化してきたように思います。

双方が気持ち良くSNSを通して交流が出来る反面、敵同士になって互いに心を傷つけあう時代になってしまったのは、とても悲しく残念でより人と人を繋ぐツールが人が人を傷つけるツールになっていくことに、便利な道具も人間は悪い結果が出る物にしてしまうという残念さを感じてしまいます。