柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『ムー』に出演していた2代目あばれはっちゃく

エルビスさんより、『ムー』(1977年5月18日~1977年11月9日)に出演された栗又厚さんの画像を頂きました。

私が不勉強で、『ムー』を続編の『ムー一族』(1978年11月17日~1979年2月7日)と間違えて下記の記事で紹介してしまいました。(※現在は訂正済み)

kakinoha.hatenadiary.com

頂いた情報にはちゃんと『ムー』と記載があったのに、放送期間を調べる際に続編の方を見つけて勝手にタイトルが省略されたと勘違い。

改めて指摘され、再度調べ直しました。

エルビスさん、画像、情報提供、間違いの指摘をありがとうございました。

 

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画像提供・エルビスさん『ムー』出演の栗又厚さん。

島田歌穂さんの誕生日

桜間てるほ役

今日は『俺はあばれはっちゃく』であばれはっちゃくこと長太郎の姉の桜間てるほを演じた島田歌穂さんの57歳のお誕生日です。

島田さん、お誕生日おめでとうござます。

これまでもこのブログで書いてきましたが、私はドラマ『あばれはっちゃく』の登場人物の中で桜間てるほが一番大好きです。

てるほは山中恒先生の原作『あばれはっちゃく』にも登場する人物なのですが、2代目『男!あばれはっちゃく』(1980年3月~1982年3月)からは、てるほに該当する桜間家の長子が男の子に変わり、それが4代目『痛快あばれはっちゃく』(1983年4月~1985年2月)まで5年間続きます。

5代目『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月~1985年9月)で桜間家の長子は女の子に戻りますが、名前は「てるほ」から「カオル」になり、てるほの存在は初代『俺はあばれはっちゃく』(1979年2月~1980年3月)の終了から『あばれはっちゃく』シリーズから消えてしまいます。

その為か、初代を見ていても幼かったり後の2代目~4代目の印象が強く残って、長太郎に姉がいるということを知らない人、きょうだいがいてもお姉さんじゃなくてお兄さんだと覚えている(それはそれで間違いではない)人が多くいて、主人公家族の中で一番知名度が低い存在だと知るようになったのは、ブログを書き始めてからでした。

初代『俺はあばれはっちゃく』を見ていると、しっかり存在感があって主要人物として活躍しているんですけどね。

桜間家の中でてるほだけが変更されてシリーズが続き、それが2代目、3代目、4代目で変更された部分が強化されたので、記憶がそちらに塗り変えられたり、そもそも初代の時には生まれていないか、物心つく前だったから2代目の途中から見ていた記憶がある人達が多くいたのではないのかなって、個人的にブログを通じて『あばれはっちゃく』ファンの人達と交流したり、情報を収集した時に思いました。

実際に漫才師のナイツのラジオ番組に島田さんがゲストに来た時に、ナイツの2人が『あばれはっちゃく』を見ていたとなり、島田さんがレギュラーであばれはっちゃくのお姉ちゃん役でした、と話されても2人はピンと来ていなかったのは、ナイツの2人が若くて、多分、2代目か3代目から見ていたんだろうなってラジオを聴いた時に思いました。そういう『あばれはっちゃく』ファンの方も多くいるんじゃないかしら。

今はネットですぐに調べられたり出来て知識としては知っていても、実際に子ども時代に見ているかいないか、DVDで見返して思い出せたかと自分の体験として、てるほを見ていないと、「ああ、あのてるほのことね」って納得することは出来ないんじゃないかなって思います。

てるほファンの私としては、島田さんが「あばれはっちゃくのお姉ちゃん役でした」と話されたら、「あの、てるほ姉ちゃん!」っていう反応が欲しいんですよ。

島田さんは桜間てるほだけの人ではないことは重々承知で、とても失礼なミーハーな反応だって分かっているんですけども、もっとこう、なんか、私の憧れのあの大好きなドラマの大好きな役を演じた人が!っていう気持ちの昂揚ってあるじゃないですか!

 

すいません、取り乱しました。

 

あばれはっちゃく』シリーズは初代だけDVDが廃盤になって、中古が高値になり、再放送も期待できないので、ますます、桜間家の家族で設定変更されたてるほの改変後のシリーズ作品がまだ入手しやすい状態だと、上記に書いたように「てるほ」の存在が消えたままになってしまうのが心配で、心配で。

ああ、『それ行け!カッチン』もDVD廃盤になったけど、来月10月にBlu-rayで発売するから『俺はあばれはっちゃく』も同じように改めて再販すればいいのにな。

だって、原作にはいなかった桜間家の飼い犬ラブラドルレトリバーのドンペイだって、初代から3代目まではそのまま、4代目だけはちょっと違う形で桜間家の一員になったけど長太郎の弟分としてちゃんとドンペイの名前で出演していたのに。(5代目では犬種が柴犬に変わってドン次郎って名前になったけども)

あれか、てるほがドンペイのことを「雑種」って『俺はあばれはっちゃく』の1話で言ったのが悪かったのか。

島田さんのデビュー作

さて、話は変わって島田さんのデビュー作とされる『がんばれ!!ロボコン』が現在YouTube東映の公式から配信されています。

私の生まれた年、1974年に始まったこの作品を再放送で見ていた子ども時代。

子どもの頃、私が名前を覚えていた子役が『ロボコン』に出ていた島田歌穂さんと佐久間真由美さんでした。

島田さんの子役時代の代表作と言うと、必ず『ロボコン』のロビンちゃんが話題にあがっていて、てるほのことに触れる機会をあまり見なかったので、ナイツの2人がピンとこなくても、私はてるほ役に少しでもラジオ番組のゲストコーナーの話に出たのがとても嬉しかったです。

ミュージカル女優

かつてこのブログでも紹介してきましたが、島田さんはミュージカル女優としても活躍されています。

こちらに島田さんのインタビュー記事があります。

www.asahi.com

私は島田さんの舞台をまだ見たことがなくて、でもミュージカル女優を目指している女性が島田さんを憧れの目標にしている話を知人から聞いて、それだけの存在になっている島田さんの舞台をいつか見れる日がくればと夢みています。

生で観劇は難しくても、DVDとか配信とかの映像でも一度通しで舞台を見てみたいです。

島田さんの夫のピアニストの島健さんとのコンサートも。昔、島田さんご夫婦が地元に来ていたことがあったんですけど、その日は仕事で行くことが叶わず、とても残念でした。

島田さんの最近の活躍は主にラジオと島田さんのブログから。

ラジオは主にTBSラジオの『大沢悠里のゆうゆうワイド』からなんですけど。

いつかいつかと思いながら、なかなか機会に恵まれなくていつになるんだろうって自分でも不安。

今も活躍を続けている島田歌穂さんの益々の活躍をお祈りしています。

改めて島田さん、お誕生日おめでとうございます。

2代目あばれはっちゃく(長太郎)と2代目ケンちゃん

焼肉のタレのCM

過去に2代目長太郎役栗又厚さんがPTAというバンドを組んでいたことを説明してきましたが、そのPTAのメンバーとしてテレビCMに出演している栗又さんをYouTubeで拝見しました。

PTAにはケンちゃんシリーズの2代目ケンちゃんこと、岡浩也さんもいて一緒にCMに出ています。私にとってケンちゃんシリーズのケンちゃんは宮脇さんではなく岡さんでした。

PTAは劇団いろは所属の子役で作られたバンドでした。メンバーは岡さん、栗又さん、岡尚美さん(岡浩也さんの実姉)、山野剛さん(祖母は山野愛子さん、品川祐さんの従兄)、尾形恵子さん(『噂の刑事トミーとマツ』『池中玄太80キロ』等に出演)です。

私と同世代で『あばれはっちゃく』や岡さん時代のケンちゃんシリーズで育った人には懐かしい映像ではないでしょうか。こうした懐かしい発見が出来るのっていいですね。動画を挙げてくれた方に感謝します。


CM2

なお、下記の『男!あばれはっちゃくレギュラー子役達』の記事の栗又厚さんの項目にコメントで頂いたエルビスさんの情報を追加しました。エルビスさん情報提供ありがとうございました。

kakinoha.hatenadiary.com

 

9月3日がお誕生日といえば

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『痛快あばれはっちゃく』OPより

 おめでとうございます!

今日は4代目長太郎を演じた坂詰貴之さんの48歳のお誕生日です。

坂詰さんは1972年9月3日生まれ。

劇団ひまわりに所属され、劇団ひまわり系列の砂岡事務所に所属し、その後、声優プロダクションのプロダクションバオバブに所属されたのち、現在は声優ナレータープロダクションアクセントに所属して声優として活躍されています。

坂詰さんに関しては、いろいろと『あばれはっちゃく』に関してファンサイトを巡っていた時、長太郎役からずっと坂詰さんを大好きな方のサイトを見つけて、現在は声優として活躍されていることを知りました。

その坂詰さんのファンの方は本当に坂詰さんが大好きで、坂詰さんのサイン色紙を大事に持っていて、さらに4代目『痛快あばれはっちゃく』放映時代のテレビ朝日の促進用というのでしょうか、『痛快あばれはっちゃく』の写真の下敷き(裏は『ドラえもん』)も持っていました。

坂詰さんの出演作リストもあり、本当にずっと坂詰さんが大好きなんだなって微笑ましく思いました。また、Facebookのページでも長太郎を演じていた時代の坂詰さんと写真を撮った方が写真を見せてくれて羨ましいなって思いました。

4代目『痛快あばれはっちゃく』で起きた変化

4代目はこれまでひらめく時は逆立ちが定番になっていたのを、ブリッジに変えたのが新鮮でしたね。変化といえば、EDが3代目まではOPと同じ堀江美都子さんが歌っていたのが、4代目でEDは松下丸子さんに代わりました。さらに、4代目でドンペイが2代目に変わりました。その2代目ドンペイは4代目ヒロインまゆみちゃんから長太郎にプレゼントされた犬です。

前作からの変更点が多くあった4代目『痛快あばれはっちゃく

他に初代長太郎役だった吉田友紀さんが4代目長太郎にレスリングを教えるお兄さん島津隼人役としてセミレギュラーで参加されていました。

ほぼ同じメンバーで約2年

また、4代目は2代目『男!あばれはっちゃく』(1980年3月22日~1982年3月27日 全102話)の次にシリーズで長く続きました。

4代目『痛快あばれはっちゃく』は1983年4月2日~1985年2月23日 全93話。

2代目も4代目も2年続いたのですが、特筆するべきことは2代目の長太郎の同級生のレギュラー子役がみゆきちゃんを除いて途中で入れ替わっていったのに対して、4代目は中島トシ子役の飯島由起さん(1話~51話)から山本けい子役の波田小百合さん(52話~93話)に変わっただけで、それ以外は同じ同級生レギュラーメンバーで最終回まで続いたことです。ちなみに4代目は52話から6年生に進級しています。なお、52話のアバンタイトルでは5年生から続投している同級生レギュラー子役が勢ぞろいしています。

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『痛快あばれはっちゃく』51話OP

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『痛快あばれはっちゃく』52話OP

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『痛快あばれはっちゃく』52話アバンタイトルより

ほぼ同じ同級生子役メンバーで約2年続き、また視聴率も盛り返した4代目。

2代目『男!あばれはっちゃく』の最高視聴率は21.7%、3代目『熱血あばれはっちゃく』の最高視聴率が19.7%でしたが、4代目『痛快あばれはっちゃく』の最高視聴率は20.2%でした。いずれも視聴率の数字はDVD付属解説書より。

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江戸っ子の長太郎

2代目から長太郎は転校生になりましたが、4代目は転校生とは言っても学区内の区割りが変わったことによる転校生でしたので、他県からの転校生ではありませんでした。

初代長太郎は転校生ではなく、このブログで検証してきたように神奈川県美玉市に住む小学生。(コミカライズでは東京都町田市)

2代目長太郎は群馬県、3代目長太郎は栃木県、5代目長太郎は茨城県から転校してきた転校生という設定でした。

最初から東京都民の長太郎は4代目だけだったりします。

誕生日が設定された長太郎

それだけでなく、長太郎の誕生日がドラマ内で明確にされたのは4代目だけ。4代目の長太郎は4月1日生まれの早生まれ。これは1話で明かされます。また、長太郎の親友の清の誕生日もドラマの中で判明していて、清は4月2日生まれ。長太郎と清は誕生日が1年差の同学年という設定でした。

長太郎が早生まれ最後の生まれということで体が小さく弱かったために体を鍛える意味もあって、吉田さん演じる隼人さんに鍛えてもらったという設定になっています。

坂詰貴之としての自己紹介

あばれはっちゃく』はオープニングの前にアバンタイトルと呼ばれる寸劇が入りますが、4代目の1話のアバンタイトルは、坂詰貴之さんが4代目長太郎役として自己紹介する内容になっています。その自己紹介を見ると、4代目長太郎ではない坂詰貴之さん個人のプロフィールを知ることが出来ます。

ここで、坂詰さんは家族構成や好きな教科、将来の夢について語るのですが、その将来の夢が「俳優」。坂詰さんが今も俳優業(私は声優も俳優業の1つとして捉えています)を続けているのは、子どもの頃の夢をずっと持っていて、俳優を続けているのだなって思いました。

年齢の近い長太郎

私が本放送時代に見ていた『あばれはっちゃく』は4代目まででした。

1974年生まれの私にとって4代目長太郎は歴代長太郎達の中で一番年齢が近く、また小学5年生になって運動会の組体操でブリッジを練習すると、4代目長太郎みたいだと嬉しくなって練習をした覚えがあります。

後に5代目『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~1985年9月21日)の存在を知り、どんぴしゃりの同い年の長太郎の存在を知るのですが、小学生時代の私にとっては4代目長太郎が一番自分に近い長太郎でした。

ビンタされた?

4代目と言えば、今から9年前に爆笑問題TBSラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』の「わっ、びっくりした」のはがきコーナーで、4代目『あばれはっちゃく』のロケに遭遇した人が坂詰さんがスタッフにビンタされたのを目撃したというはがきが読まれていました。そのことは過去にこのブログでも記事に書きました。

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この目撃証言が本当なのかどうか分かりません。もしかしたら、オフではなくドラマの中でのビンタだったかもしれないですよね。でも嘘だという証拠もない。ただ、昔、ラジオで4代目『痛快あばれはっちゃく』に関してこうしたはがきが読まれていたよということ。それを聞いたリスナーが盛り上がっていたことで、それだけ作品が多くの人達に認知されていた一つの目安になると思います。

ドラえもん

ドラえもんも9月3日が誕生日。

ドラえもん』は『俺はあばれはっちゃく』と同じ1979年にテレビ朝日で2回目のアニメ化になりました。『あばれはっちゃく』の劇中にはドラえもんが度々登場してきます。

この時代の子どもだった私たち世代にとって『あばれはっちゃく』と『ドラえもん』は子どもが夢中になったドラマであり、アニメでした。『あばれはっちゃく』シリーズの劇中にさりげなく登場してきたドラえもんが4代目では堂々とサブタイトルに登場してきます。

それは40話「ドラえもんねえちゃんマル秘作戦」(1984年1月14日放送)。

特に大きく繋がりはないのは承知ですが、子ども時代に夢中になったヒーローが同じ9月3日の誕生日だったということは、9月3日もまた特別な日(っていうか出演者や関係者、スタッフの人達が大勢いるので、もう366日全部特別な日になるわ)なんだなって思ってめでたいです。

坂詰さん、ドラえもん、お誕生日おめでとうございます。

 

『あばれはっちゃく』が大好きなバナナマンの影響力!

アクセスが伸びてる

ここ最近と言っても8月29日からですが、珍しいことにそこから数日間なぜかこのブログのアクセスが伸びています。

8月29日~9月1日まで三桁のアクセス数です。

過去にも1日に三桁を記録するも、その後が続かず二桁に戻るのですが、ここ数日は戻らず三桁を記録しています。

さて、このブログは2005年はてなダイアリー時代から始めていて今年で15年になるブログです。

現在のメインコンテンツである『あばれはっちゃく』シリーズを扱うようになったのは2009年からです。

あばれはっちゃく』を通して多くの人の目に留まり、コメントも頂き、他の『あばれはっちゃく』ファンブログ様との交流もさせて頂くようになりました。

ですが、元々、一般人の女が趣味や好きなこと、日常、仕事のこと等を書いてきたブログであり、その延長で子どもの頃に好きだった『あばれはっちゃく』についてあれやこれや思い出を語ったり、DVDを見て感想やら気づいたこと、そこから発展した妄想、空想、そういえば今出演者の人達はどうしているのかな、スタッフの人達はどうしているのかな、原作は、原作者の人はどんな人かなっていう疑問を調べてみたりしただけの個人の興味と趣味だけのブログであり、ブログタイトルも柿の葉がつけている日記だから「柿の葉日記」というありふれたブログタイトルなので、注目されることもなく、のんびりと好きな『あばれはっちゃく』について書き綴ってきました。

ラジオの影響力?

それでも『あばれはっちゃく』について書くことが増えて11年もきますと、『あばれはっちゃく』関連の言葉で検索されてこのブログに辿り着く人も多くなってきます。

先にも書きましたが、『あばれはっちゃく』関連で交友させて頂いた方が他のカテゴリーよりも多いです。

しかし、私が書きだした11年前より現在はまとめサイトやら私たち世代の懐かしい情報を扱うプロのサイトが多くなり、そこで『あばれはっちゃく』を取り扱うことも多く、私のブログは『あばれはっちゃく』で検索しても検索上位に来ることはなく、次第に訪問者も減っていき、また交友させていただいた方々もブログを閉鎖されたり、休止されたりとこの11年の間にも変動があり、変わらず訪問してくださる方達もいますが、足が遠のいた方達はそれぞれの生活があってネットに時間を割く暇もない状態だったりするのかなって思ったりします。

ちょっと寂しいですが、私はそれぞれにコメントで励ましてくれたり、温かい言葉や、いろいろと教えてくださった人達のことは大好きで過去のコメントを読み返して元気になっているのでコメントを書いてくださり訪問してくれた人たちが元気でいてくれたらなって今も思っています。

そんな訳で『あばれはっちゃく』に限らず、長くブログを続けているといろいろなことを経験していくのですが、今回のアクセス増加の1つの原因として、私がブログで『あばれはっちゃく』について書いてきたことが影響しているのかなっていうのが出てきました。

どうも、バナナマンがTBSの深夜に放送しているラジオ番組金曜JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』でバナナマンが『あばれはっちゃく』について語ったようなのです。

「ようなのです」と書いたのは、私がそれを知ったのが5代目長太郎役純烈リーダーの酒井一圭さんのTwitterで知ったからです。

また、そのことはヤフーニュースにもなりました。

news.yahoo.co.jp

バナナマンの2人がラジオで話されたのが8月28日(8月29日午前1時)の深夜25時の放送。

ちょうど私のブログのアクセス増加日と重なります。

おそらくバナナマンのラジオを聞いて『あばれはっちゃく』を知らない世代のリスナーが興味を持って検索しているうちに、この私のブログに辿り着いたのではないかなって思います。

ブログタイトルに『あばれはっちゃく』がなくても、『あばれはっちゃく』に関していろいろと書いてきて、たまに引用画像も出してあるので、目についたのかなって思います。

バナナマンは私よりも年上ですが、設楽さんが1歳上、日村さんが2歳上なので同世代。

あばれはっちゃく』は閃く時にブリッジをするとこまで言えると、ああ、本当に同世代だなって私は思ってしまいます。

 3代目『熱血あばれはっちゃく』までは逆立ちでしたから。もっとも初代から何も閃く時は逆立ちに限らなくて、初代の最初の閃きは別のポーズでしたけどね。それに関してはこちらの下記の過去記事をご覧ください。

kakinoha.hatenadiary.com

バナナマンのラジオをタイムフリーで聞いてみると、長太郎の家が店をしていたと話していて、バナナマンは2代目で卒業したと話していました。

ラジオ放送作家のオークラさんは3代目までとのこと。それだと4代目のブリッジを知っていたのが謎。

「ひらめけ、ひらめけ」から変わって「きらめけ、きらめけ」になったとオークラさんは言ったけど、そこでなぜ「はっちゃけ、はっちゃけ」が出ないのか。3代目から少し変わると言ってるので、もしかして代数の数え間違いをされているのかなって思いました。かつて、私もしていた間違いなので。

最初、バナナマンは初代は見ていないかと思いましたが、2代目が初代の人気を受けて一番長く放送していたのもあり、2代目から長太郎の家が店を始めてシリーズ最終作5代目まで続くので、その影響から初代の家はお店をしていない(母ちゃんが専業主婦)という印象が薄いか記憶が上書きされたのかなって聞いていくうちに思い直しました。

他に父ちゃん役の東野英心さんを東野えいじさんと言っていたり、主題歌の「はなつまみ」は定番通り「鼻づまり」で覚えていたりと気になりましたが、50代のリスナーから訂正メールが届いてホッとしました。

それにしても、このような無名のブログにも『あばれはっちゃく』をラジオで話題にした影響を受けてアクセス数が伸びるなんて、ラジオの影響力って半端ないですね。

シリーズの中にある緩やかな世代間

私は小学生時代に5代目『逆転あばれはっちゃく』を見た記憶がなくて、DVDで初めて見ることになり、本放送で見ていたのは初代『俺はあばれはっちゃく』~4代目『痛快あばれはっちゃく』までなのですね。

だから長太郎の閃く時のポーズや言葉の記憶が共有出来ている人に出会うと、ああ、同世代だなって思うのです。

ブリッジを知らないという『あばれはっちゃく』ファンの方は少し上の世代の方々で3代目までで卒業された方達、ブリッジに変わったと認識して以降も見てきた『あばれはっちゃく』ファンの方々は同世代。逆に4代目、5代目を知っていて3代目、2代目、初代を知らない人達は少し下の世代という認識でいて、1979年2月~1985年9月まで放送されるとシリーズの中に緩やかな世代間というのは生まれていて面白いなって感じます。

あ、そうそう、5代目をDVDになって初めて見て面白かったのは、5代目長太郎が次々と歴代の長太郎達の閃きのポーズをしては、「古い、古い、これも古い」という場面でした。

改めてこの5代目長太郎の場面については語りたいと思いますが、歴代の長太郎の閃きポーズでどれに思い入れが深いかとかで、ファンの中の世代差を知ることが出来る物差しになっていると思いました。

あばれはっちゃく』シリーズが終了して、今年で35年になると35歳以下の人にとっては生まれる前の良く分からないドラマになっているんだなって実感。

早朝の再放送で見て知っている若い世代の方もいることは知っているのですが、再放送やCSの放送に35歳以下の方達が巡り合うのが稀なこと。

また、1985年当時1歳から3歳とかの幼い方達も記憶にないんじゃないかな。

すると38歳以下の人には???で、40歳~42歳の人達はギリギリ4代目から知っている人達が多いのかな。

アクセスを年齢別でブログ訪問者をみると45歳~54歳(35.77%)の方が多いですね。

次いで35歳~44歳(32.11%)、25歳~34歳(17.15%)、55歳~64歳(8.03%)、18歳~24歳(6.93%)になっています。

意外と若い世代も訪れていてびっくりしています。

ここは『あばれはっちゃく』の情報について間違うこともありますが、かつてこんな面白いドラマがあってそれに夢中になって今も大好きな人がいることを知ってもらえたら嬉しいなって思います。

いやしかし、本当にバナナマンTBSラジオの力は強いわ。

バナナマンが『あばれはっちゃく』について語ったラジオはまだラジコのタイムフリーで聞けますので、興味のある方は下のリンクからどうぞ。視聴可能期限は2020年9月3日13時34分まで。

http://JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD | TBSラジオ | 2020/08/28/金 25:00-27:00 http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200829010303

 

ガキンコだと思ったら違った!(ドラマを見て分かる設定99)

 

名前が書いてあるのに

またまた間違いの訂正です。今まで、堂々と間違いを書いて出していたのが恥ずかしくて、穴があったら入りたい。指摘してくださったエルビスさんありがとうございました。私が5年近く間違いを書いていたのがこちらの下記のリンク記事。

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こちらの記事で清の着ているオーバーオールのアップリケを『チビラくん』(1970年3月30日~1971年9月25日)のガキンコと紹介したのですが、エルビスさんより『セサミストリート』のグローバーではないか、「Grover」の刺繍がありますとの指摘があり、調べてみるとその通りでした。

画像を上の記事のリンクの引用画像を見てもしっかり刺繍の名前が確認出来ますが、よりはっきり分かるように画像を拡大します。このとおり名前が刺繍されているのに間違えていました。恥ずかしい。

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『痛快あばれはっちゃく』3話より

日本での放送がなかった時代

セサミストリート』は、1969年にアメリカで始まった人形劇ですが、日本で放送されたのは1971年7月21日~8月31日まで夏休みスペシャルとしてNHK教育放送されたのが初めて。それから同じ年の12月に冬休みスペシャルとして放送、1972年1月1日~7日までお正月スペシャルとして放送したのち、1972年4月からレギュラー放送され、1982年から1987年まで放送がなく、1987年1月からNHKBS2で放送され、1987年4月から再びNHK教育で放送されました。

『痛快あばれはっちゃく』が放送されていた時期は1983年4月~1985年2月までで、『セサミストリート』の放送が日本ではない時期でした。しかしながら、4代目長太郎は1972年度生まれの小学5年生の設定です。(ただし長太郎は4月1日の早生まれなので1973年生まれ)

4代目長太郎達が生まれる1年前に日本での放送がスペシャルの形とはいえ日本で初放送され、長太郎達が生まれた1972年にレギュラー放送が始まり放送が途絶えたとはいえ、長太郎達の学年と共に日本放送があったということになります。面白いのは、『セサミストリート』のウィキペディアによると日本での商品展開は1989年から始まっていることです。

『痛快あばれはっちゃく』が放送した期間は1983年~1985年。

まだ、日本で商品展開がされていない時期。また、『あばれはっちゃく』の衣装は国際放映の衣装部の衣装であり、過去の国際放映の『あばれはっちゃく』シリーズ以外の作品でも長太郎達が着ている服を確認出来ます。

それに関しては、こちらの過去記事をご参照ください。

kakinoha.hatenadiary.com

すると、これは国際放映の方で作った衣装なのか、はたまた実はアメリカで売られていたキャラクター服、ワッペンだったのかもしれません。それとも、私が知らないだけで日本にも当時(1983年)『セサミストリート』の服が売られていて、それを国際放映の衣装部が手にしていて使っていたのかもしれません。

恥をさらして真実を知る

ガキンコだと思っていたのが、『セサミストリート』のグローバーだと分かると、4代目長太郎の時代に放送がなかったとはいえ、4代目長太郎の世代のキャラクターだったことが分かり、清が着ていてもなんら不思議はなく、当時、見ていた人にも懐かしいキャラクターだったということですね。

私も当時、見ていた小学生の一人だったんですが、『セサミストリート』は小学生時代に見ていなくて、『痛快あばれはっちゃく』を見る直前に見た『チビラくん』のガキンコに似ていると思って「Grover」と刺繍があるのに、そこに疑問を持たず、調べも疎かで、ドヤ顔で5年も間違った情報を流していたのが恥ずかしい。(/_;)

こうして、恥をかきつつも、ちゃんと訂正して正しい情報を教えてくれる人がいて、間違いを直すことが出来たし、ちゃんと正しい見方が出来て検証が出来て良かったなと思います。ちゃんとした目線で作品を見て楽しめるってとても大事。

エルビスさん改めて訂正情報ありがとうございました。

初代長太郎が見ていた歌番組(ドラマを見て分かる設定98)

 長太郎が見ていた歌番組

今回は前日、前々日に記事を書いて思い出したこと、また、情報を教えていただきたく思い記事を書きます。

『俺はあばれはっちゃく』2話で長太郎が日曜日にピンクレディーが出演している歌番組を見ながら踊る場面があります。

この日が日曜日なのは、母ちゃんとてるほの言葉から明確に判明しています。

長太郎が見ていた歌番組の映像が以下の映像です。

歌っている歌は『カメレオン・アーミー』。

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

『カメレオン・アーミー』は1978年12月5日にリリースされました。

『俺はあばれはっちゃく』の放送は1979年2月3日ですが、撮影は1978年12月。

下記の過去記事で1978年12月からの撮影だと分かる場面を紹介しています。

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長太郎が見ていたピンクレディーが出演した番組はなんの番組なのでしょう。

歌番組だと書きましたが、何かのバラエティーの歌のコーナーの可能性もあります。

特徴はピンクレディーの後ろでマスクをつけて踊っている2人です。

長太郎が見ていた時間は日曜日の母ちゃんやてるほの言葉からお昼ごろだと推定できます。

そこでそれを手掛かりに番組を調べてみると、1979年日曜の12時テレビ朝日で放送していた番組が『真っ昼間!笑っちゃおう』(1978年7月2日~1979年4月1日)というゲスト歌手の歌コーナーもあるバラエティー番組だと分かりました。

なので長太郎が見ていたのは『真っ昼間!笑っちゃおう』だと思うのですが、決め手に欠けます。番組に覚えのある方はいらっしゃいませんか?

エルビスさんより情報を頂きました。(2020年8月27日追記)

ピンクレディーの後ろで踊っている着ぐるみを手掛かりに調べたところ、『走れ!ピンクレディー』(1978年10月5日~1979年3月29日)だと判明しました。着ぐるみの名前はモンピ―。放送は木曜日の19時半~20時まで。

2話は日曜日の出来事から話が始まっていますが、長太郎が見ていたピンクレディーの番組は現実の世界では木曜日に放送されていた番組だったということです。

劇中の日曜日にとらわれ、現実世界の日曜日のテレビプログラムに拘って間違った情報を書いてしまいました。また、情報を正してくれたエルビスさんに感謝します。ありがとうございました。

また、桜間家のテレビに覚えのある方はいないでしょうか。

テレビに関しても調べてみましたが、ナショナルと三菱が1970年代に出していたテレビに近いものがありましたが、こちらも決め手に欠けて断定が出来ませんでした。

放送のないチャンネルで過去の番組

桜間家のテレビチャンネルはテレビ朝日で固定と昨日書いたように、長太郎が見ているピンクレディーの番組のチャンネルは「10」になっています。

あばれはっちゃく』をリアルタイムで見ていた人達はテレビチャンネルが10なら、テレビ朝日だとすぐに分かると思います。

1979年は関東キー局のチャンネルは、1がNHK、3がNHK教育(現・Eテレ)、4が日本テレビ、6がTBSテレビ、8がフジテレビ、10がテレビ朝日、12が東京12チャンネル(現・テレビ東京)ということも、当時関東地方に在住されていた方々なら承知していると思います。

ところが、前日に記事にした父ちゃんが見ていたプロレスのチャンネルは「2」なのです。

今の時代なら2チャンネルなんて、若い人達は某掲示板を思い出す人もいるかもしれませんが、1979年は放送がないチャンネルという認識でした。

 本来は1978年8月4日に放送されたプロレスを10チャンネルではなく、1979年2月に放送された『俺はあばれはっちゃく』4話の劇中の中では、放送局がない2チャンネルで放送していたことに、これは4話が放送された1979年2月ではどこも放送していない番組ですよっていうメッセージが隠れているようで面白いなって思いました。

最後に

 まだ持病や精神的な不調があり、住んでいるアパートの取り壊しによる新居探しが困難で落ち着くことがなく、2代目『男!あばれはっちゃく』の各話感想も再開の目処が立たないのですが、それでも新生活や再開に向けて少しずつでも調子を整えているところです。

持久力といいますか、集中力の継続、それに伴う記憶の持続が細切れになっている中で、ふと、昔の記憶、覚えたこと、疑問に感じていたことは思い出すことが多くなりました。

新しい記憶よりも古い記憶の方が覚えているというか、日ごろの中で、昔に感じていて忘れていた(眠っていた)疑問が呼び起こされて気になり、昔の疑問が解決するというのが続きます。

前日、前々日の記事もその類です。私の場合、『あばれはっちゃく』のことを考えていて、あの時は、ああ書いたし、思っていたけど、今、いろいろと情報を知ったり、考え直すとあれはどうだっただろうか?あの時は、どんな場面や台詞だったっけ?と思い返して、該当の話を見返すようになりました。

これがとてもランダムなので、各代ごとに順番にいかないのが厄介です。

不安定で当初の予定通りにならないのなら、最初から予定を立てて宣言しなければ良かったなと、このブログを読んでくださる方々に申し訳なく思います。