柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

堀内先生の誕生日(ドラマを見て分かる設定100)

 

3代目『熱血あばれはっちゃく』堀内先生の誕生日

以前、下記の記事で父ちゃんと堀内先生の誕生日について考察しました。

kakinoha.hatenadiary.com

 その記事にこうさんからコメントで堀内先生の誕生日について情報を頂きました。

こう

先日は、ブッチィ―音頭のめちゃんこという言葉について質問し、いろいろ教えていただいてありがとうございました。先日、熱血あばれはっちゃく第13話を観ていると、長太郎が堀内先生の身分証明書を中学生達に見せる場面があるのですが、よく見ると、堀内先生の生年月日が、昭和25年6月14日となっています。

早速、頂いた情報を元に『熱血あばれはっちゃく』13話を見返すと、確かにその通りでした。

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『熱血あばれはっちゃく』13話より

上記の物は当校に勤務する職員であることを証明する 

 引用した場面と文章から、この身分証明書は長太郎達が通う小学校で発行されているものになりますね。

また、堀内先生の年齢はDVD解説書にある設定表より、年齢は28歳となっています。

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『熱血あばれはっちゃく』DVDBOX付属解説書より

『熱血あばれはっちゃく』の放送期間は1982年(昭和57年)4月~1983年(昭和58年)3月まで。

 設定どおり堀内先生の年齢が28歳ならば、生まれ年は昭和29年西暦では1954年。

ですが、堀内先生の身分証明書の生まれ年は昭和25年、西暦なら1950年。

計算をすると堀内先生は誕生日が来た時点で1982年の時には32歳。

放送が始まった頃の1982年4月~5月、6月の誕生日を迎える前までが31歳ということになります。

堀内先生を演じた山内賢さんは1943年(昭和18年)12月9日生まれ。

『熱血あばれはっちゃく』放送当時は、38歳から39歳の時。

堀内先生の年齢が企画段階の設定よりも、年齢が少し上がったのは実際に演じられる山内さんの実年齢に少し近づけた結果なのかなって思いました。

また、『熱血あばれはっちゃく』の放送されていた期間は昭和でいうと昭和57年~昭和58年になり、堀内先生の身分証明書は「昭和56年4月1日」とあるので、1年前に発行されたものになります。

こうさんが気づき教えてくださり、ドラマ内の映像で判明した堀内先生の誕生日は、昭和25年(1950年)6月14日であることが分かりました。

こうさん、改めて教えてくださりありがとうございました。

セルフリメイク

確認の為に見直した13話を見て、初代『俺はあばれはっちゃく』26話を思い出しました。

脚本が同じ安藤豊弘さんなので、安藤さんによるセルフリメイクだと感じました。

初代との最大の違いは、初代のてるほに当たる人物が長太郎の兄・修一郎に変わったことで、初代では公一だけの問題が3代目では実だけではなく、修一郎も含む事件になったことと、初代では大人がその問題に出てこなかったのが、3代目では堀内先生が出てきたことでした。

初代では心配した公一の母ちゃんが見に来ましたが、自分の出る幕じゃないと引っ込んだのと比較すると、堀内先生が出てきて中学生を叩きのめしたのは、とても対照的でした。

ただ、そこで堀内先生が逃げも隠れもせずに、自分がした暴力に責任を持つとされたのは、先生として大人として人間として責任を取る覚悟を感じました。

責任を取る証拠として、身分を明らかにする場面で長太郎が堀内先生の身分証明書を見せて上記の引用の場面になります。

また、この13話のサブタイトルが「ひかえろ!弱虫マル秘作戦」であり、堀内先生の身分証明書を見せる時の長太郎の言葉から、TBSのナショナル劇場水戸黄門』(1969年8月~2011年12月)のパロディが含まれていることが分かります。

これは、父ちゃん役の東野英心さんの実父である東野英治郎さんが当時『水戸黄門』(東野英治郎版・1969年8月~1983年4月)の水戸光圀を演じられていたからこその遊び心ですね。

YouTubeに動画をUPされた万江仁士さんが初代『俺はあばれはっちゃく』14話でゲスト出演した太宰久雄さんに合わしたかのように長太郎が「男はつらいの」と言っていた事を取り上げていましたが、昔のドラマは出演者の他の映画、ドラマで出演していて国民的認知度の高い作品に関連した台詞が多くあったなって思い出しました。

帰ってきたウルトラマン』(1971年4月~1972年3月)に出演していた榊原るみさんが『帰ってきたウルトラマン』を途中退場して『気になる嫁さん』(1971年10月~1972年9月)に出演した時に「ウルトラマン」に触れる台詞もありましたしね。

 作り手側も分かっていて、そうした遊びを入れているように思います。

あばれはっちゃく』はテレビ朝日、制作の国際放映東宝系の会社、『男はつらいよ』は松竹、『水戸黄門』と『帰ってきたウルトラマン』はTBS、『気になる嫁さん』は日本テレビ

当時は当時で決まりがあったのだと思いますが、社会全体で認識している情報が幅広くテレビ局の垣根を越えて自由にメタ的な遊び心のある台詞が多かったのだなって楽しく思い出されます。