柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

ハッピーバースデー

今日は私の誕生日

今日は私の誕生日。

おめでとう私。

よくぞ今日まで生きてきた。

難産で母子どちらかが死ぬかもしれないと言われた46年前。

出産予定を過ぎても生まれてこなかった私。

父の転勤が一か月伸びてしまった。

父と母の初めての子で予定日を過ぎて母子どちらかが危ないと言われた中で、逆子で帝王切開で生まれてきたな。

輸血が必要かもと言われて父と母の職場の人達が待機してくれたけど、その必要はなかったと聞いた。

そのことを友達に話していたら、横で聞いていただけの高校の同級生が

「その時に死んでいれば良かったのに」

って聞こえる嫌味を言ったのには、深く傷つき、30年後の今もその言葉が蘇って心をグサグサ刺していくけど、それでも生きてきた。

お前に話していたんじゃないよ、勝手に盗み聞きしといて、私の心を傷つけていくんじゃねぇよ!

人に嫌われることの方が多くて、今も馬鹿で無責任で何も出来ない役立たずって罵られる。

そのたびに死にたくなるけど、それでも生きてきた。

生きているゴミ屑と思われても、何度死にたいと願っても、それは楽になりたかっただけで本当は死ぬのは怖いから生きていたかった。

死ぬ勇気がないから、今まで生きてきた。

乾癬を発病して今年で30年、もう31年目に突入した。

関節炎も併発して、指も思うように動かせず、綺麗だって言われていた文字もペンを持つのも辛くなった。

それでも生きてきた。

職場の調理場でいきなり背中に激痛が襲って立てなくなった時は驚いたな。

大きな病院で検査しても分からなくて、仮病を疑われ罵られたけど、通院していた皮膚科の先生に言ったら乾癬からくる症状だって教えてもらって、教えてもらった小さな接骨医のおじいちゃん先生の言葉に涙したな。

「これまであなたと同じ痛みで苦しんだ人をたった一人だけ知っているよ。ものすごく痛いんだよね、よくこれまで頑張ってきたね。治りにくい病気だけどもその一人はある日痛みが消えたんだよ。だから、あなたもきっと痛みが消える日がくるよ」

ここでは満足な治療は出来ないからと検査してもらった病院よりもさらに大きな病院の専門家の先生のいるところに紹介状を書いてもらった。

それから10年近くなる今、良い薬が開発されて、あの頃よりは痛みが半減した。

それでも天気の悪い日は痛む。

寝てても、座っていても、立っていても背中を激痛が襲う時もある。

だいぶ減ったからなんとか生きてる。

お医者様、看護師さん、薬を開発してくれた薬剤師さん、ありがとう。

私が生まれてきた意味なんてないんだろうけど、こうして今も存在している。

いつまで存在しているか分からないけど、生まれてきたからには楽しく平和に幸せに生きたい。

父も母も亡くなり、妹とは絶縁して、私が生きていることを不愉快に思う人やそもそも関心もなく存在も知らない人や私と出会っていても忘れてしまった人が多いと思う。

当たり前だよ、一般人だもの、それに幼馴染、幼稚園、中学、高校、短大の同級生、下級生、上級生、先生達の大半は忘れているよ。

必要とされていない人間で死にたいって思う時もあるけど、死ぬ勇気もないのでもう少し生きてみようと思う。