柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『俺はあばれはっちゃく』に出演した子役達の更新のお知らせと児童劇団について

 

更新のお知らせ

エルビスさんの情報から以下の記事を更新しました。

kakinoha.hatenadiary.com

更新した内容は『俺はあばれはっちゃく』(1979年~1980年)1話に出演した吉田真司さんが『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年)39話「富士山に向かって打て!」(脚本・上原正三さん、監督・田中秀夫さん)に沢村真二役で出演していたということを追記しました。

テロップで見た児童劇団について

頂いた情報から『がんばれ!レッドビッキーズ』の39話を確認して見て、オープニングの出演者紹介のテロップを見つつ、レギュラー出演者とゲスト出演者の名前を見ながらテロップを見ていくと、2つの児童劇団の名前が出てきて『がんばれ!レッドビッキーズ』はこの2つの児童劇団から子役を出演させているのかなって思いました。

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『がんばれ!レッドビッキーズ』39話オープニングより

東映児童研修所は東映株式会社の児童劇団で、古くは風間杜夫さん、私の世代だと小林綾子さん達が所属していた児童劇団です。

1950年代に東映児童演技研究所として発足、1966年に東映演技研究所が新設、1994年に合併して東映アカデミーになり、2011年3月に閉鎖されました。

以上はウィキペディア東映アカデミーからの要約情報です。

1950年代に発足とウィキペディアにありましたが、私が所有する『ぼくらが子役だったとき』中山千夏著での中山千夏さんと風間杜夫さんとの対談を読むと、おおよその発足した年が予測できます。

風間 

母親の勧めで、小学校二年生のとき、児童劇団「東童」に入ったのが始まりです。もともと母親は僕の引っ込み思案の性格を心配していたんですが、その割に幼稚園のお遊戯会などではハツラツとやっている。友だちのお母さんに、「お宅のお子さんは劇団に入れたらきっと伸びるわよ」とか言われたらしくて(笑)。

 僕もやってみたら楽しかった。『ブドリの伝記』を舞台化したときには、森のウサギの役をやったり。そのうちに親の欲目なんでしょうね。テレビや映画に出したいという気持ちが出てきたみたいで、翌年には「東映児童研修所」に入りました。僕らがあそこの一期生なんです。

(『ぼくらが子役だったとき」212ページより引用)。 

 風間杜夫さんは1949年(昭和24年)4月26日生まれです。

上記の引用部分の風間さんの話から、小学校三年生(8歳~9歳)の頃に東映児童研修所に入所したと推測できます。

9歳の時に入所した仮定して、1958年(昭和33年)。風間さんは東映児童研修所の一期生ですから、東映児童研修所は1958年に設立したと考えられるのです。 

ぼくらが子役だったとき

ぼくらが子役だったとき

  • 作者:中山 千夏
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

 続いて、劇団いろは。

劇団いろははこのブログではお馴染み、2代目あばれはっちゃくこと栗又厚さんが所属されていた児童劇団です。『がんばれ!レッドビッキーズ』だと、ナッツこと大山夏子役の佐久間真由美さんが所属されていました。他に、高野浩幸さん、岡浩也さん等多数の有名子役の方達が所属されていた劇団です。

www.tv-tokyo.co.jp

劇団いろはは、1965年に創設されました。(上記リンク先参照)現在も東京都世田谷区にあり、多くの子役達がレッスンに励み、各メディアで活躍しています。劇団いろはの名前は『レッドビッキーズ』シリーズや『あばれはっちゃく』シリーズ『ケンちゃん』シリーズの国際放映の他に、『ウルトラマン』シリーズや大河ドラマ等でも多く見かけました。

栗又厚さんは大河ドラマ『黄金の日々』(1978年・脚本・市川森一さん)にも出演されていますね。残念ながら私は見た事がないのですけれども。

東映児童研修所が推測で1958年発足であるとすると、1965年創設の劇団いろはは新しい児童劇団になるのだなって思いました。

児童劇団の設立順

6年前に山際永三監督とお会いした時に、吉田友紀さんが所属されていた児童劇団劇団日本児童は新興の児童劇団とお話を伺ったのですが、ウィキペディアで見ると劇団日本児童東映児童研修所と同年の1958年設立みたいなので、劇団いろはよりは古い児童劇団だったのだなって思いました。下記の記事に劇団日本児童が新興の児童劇団と話された山際監督の言葉があります。

kakinoha.hatenadiary.com

 記事を読めば分かりますが山際監督は劇団ひまわり(1952年設立)と比較すると、劇団日本児童は新興だと話されていたので、劇団いろはとの比較ではなかったのですけどね。

他に児童劇団と言うと、森川正太さん、富永みーなさん達が所属されていた劇団こまどり(1948年設立)があります。『俺はあばれはっちゃく』26話に出演された熊谷誠二さんも劇団こまどりに所属されていた子役でした。

それに風間さんが東映児童研修所に所属される前の東童(1914年設立)もあって、すると、公一役の妹尾潤さん、ヒトミちゃん役の早瀬優香子さん、まゆみちゃん役の水沢真子さん、5代目長太郎役の酒井一圭さんが所属されていた東京宝映テレビ・劇団フジ(現・宝映テレビプロダクション)はいつ頃設立されたのだろうかと調べてみると、明確には分からなかったのですが、今の宝映テレビプロダクションHPの事業内容に以下のように書かれているので、1970年には設立されたのかなって思いました。

時代を築いた東京宝映テレビの50有余年の伝統と実績をそのまま継承して、発足しました。

いやでも東京宝映に所属されていた方々を見ると、安藤一人さん、三原じゅん子さん、日髙のり子さん達がいるから、1970年設立っていうことはないか。と思い直して再調査。

東京宝映の新人募集の広告写真を見つけました。

昭和63年度新人タレント募集の広告。締め切りが昭和63年1月14日当日消印有効とあり、「28年の実績」とありました。

昭和63年は1988年。というと、広告は1987年に出されたもの。

1987年から28年を引いて、東京宝映は1959年に設立されという推定が出来ました。

最初に思ったのとはだいぶ違いますね。

今回調べてみて、かつて東京宝映に所属していた方や合格した方のブログが見つかっていて多くの人が児童劇団内での思い出(いい思いも嫌な思いも)を持っているのだなって分かりました。

外野からは分からない様々な体験者にしか分からない思いを見て、外野は無責任に見ていたのだなって恥ずかしくなりました。

他にも児童劇団は多々ありますが、私が子ども頃に夢中になった児童ドラマでは、これらの児童劇団の子役の方達が活躍されていて、『レッドビッキーズ』シリーズや『あばれはっちゃく』、『ケンちゃん』、『ウルトラマン』シリーズ等で目にしてきたのだなって、児童ドラマに限らず、時代劇、ホームドラマ、メロドラマでも目にしてきたと懐かしく思いました。

調べた分かる範囲で書くと、古い順から、東童(1914年)、劇団こまどり(1948年)、劇団ひまわり(1952年)、劇団日本児童(1958年)、東映児童研修所(1958年)、東京宝映(1959年)劇団いろは(1965年)の順になるのかな。()内は設立年。

『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演した子役の所属劇団は?

少し脱線しましたが、『がんばれ!レッドビッキーズ』で東映児童研修所と劇団いろはの2つの児童劇団のテロップがあったのは、この2つの児童劇団の子役からキャスティングしていたのではないか、東映児童研修所は『がんばれ!レッドビッキーズ』が東映の作品だからであり、外部の劇団いろははレギュラーの佐久間真由美さんからの繋がりなのかなって思いました。

だから、39話のテロップを見た時はにゲスト出演された吉田真司さんは東映児童研修所か劇団いろは所属の子役かなって思ったのです。

ですが、

同じくレギュラー子役ではジュクこと野川信一役の増田康好さんが吉田友紀さんと同じ児童劇団劇団日本児童所属だったことを記事を書く前に思い出したので、単純に『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演した子役は東映児童研修所か劇団いろは所属の子役だったと結論づけは出来ないなって考えなおしました。

それでもこの2つ(東映児童研修所と劇団いろは)の児童劇団を元に、まだまだ勉強不足ではありますが、他の児童劇団(『あばれはっちゃく』に出演された子役の方達の所属劇団を中心にして)を含めて、自分が今の時点で知っていることを書き留めたいと思いまして書いてみました。

また、いつか何か情報が更新された時に、児童劇団に関しても記事を書いていくかもしれません。

ああ、この本を早く買いたい。 

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

 

 

 

最後になりますが、エルビスさん情報提供ありがとうございました。