柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

飯島敏宏さん

プロデューサーとして

飯島敏宏さんが10月17日89歳でお亡くなりになりました。世間一般では『ウルトラマン』の監督の一人として有名であり、訃報を伝える見出しには「バルタン星人の生みの親」と書かれています。

news.yahoo.co.jp

けれども、私が飯島敏宏さんのお名前とその仕事関連を最初にちゃんと認識し、意識して知ったのは『ウルトラマン』関係ではなく、吉田友紀さんの『あばれはっちゃく』以前の出演作品が見たくなり、調べて購入した作品の一つ『すぐやる一家青春記』(1977年TBSテレビ)と吉田友紀さんが1974年に出演した木下恵介アワー最終作『わが子は他人』でした。

飯島さんの名前は、その頃、興味を持っていた高峰秀子さんの映画出演最終作『衝動殺人!息子よ』(1979年松竹・東京放送提携作品)でも拝見し、その後、興味を持って調べていくうちに、元々がTBSの社員であったこと、『ウルトラQ』(1966年TBSテレビ)『ウルトラマン』(1966年TBSテレビ)の監督、脚本家の一人であり、千束北男のペンネームで脚本を書いていたこと、1970年に木下惠介監督の会社木下惠介プロダクション(木下プロ→ドリマックス・テレビジョン)に出向されたこと等を知りました。

それと同時に私の小学生時代に流行ったドラマ『金曜日の妻たちへ』(1983年TBS)『毎度おせわがせします』(1985年TBS)のプロデューサーであることや企画をされていたことも知ります。

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『衝動殺人息子よ』エンディングより

私の生まれる前、子どもの頃から活躍されてきて、その活躍された作品を見て育ってきた私でしたが、私がしっかりとその名前と仕事内容を認識したのが、木下惠介監督関連の映画、ドラマ作品のプロデューサーであったために、私の中では『ウルトラマン』の飯島監督というよりは、木下惠介監督作品のプロデューサーの印象の方が若干強くあります。

『わが子は他人』は9年前に東京国立近代美術センターで1話だけ拝見し、『すぐやる一家青春記』と『衝動殺人!息子よ』はDVDを手に入れました。三作品ともこのブログで感想を書いています。ちなみに『すぐやる一家青春記』はここで取り上げた記事だけでなく、何回か記事にしています。

kakinoha.hatenadiary.com

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繋がり

飯島さんを通して『ウルトラマン』と木下惠介プロダクションが繋がっているなって勝手に思ったのは、『すぐやる一家青春記』に『帰ってきたウルトラマン』(1971年TBSテレビ)の坂田次郎を演じた川口英樹さんが出演されているのを見た時でした。引用画像のオレンジのタオルを首にかけているのが和田役の川口英樹さんです。川口さんはここで紹介した11話だけでなく、野球部員の一人としてほぼ全話に登場しています。

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『すぐやる一家青春記』OPより
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『すぐやる一家青春記』11話より

懐かしい『あばれはっちゃく』から始まって、吉田友紀さんのドラマ出演歴を辿っていくことで、そこに関わった人達に興味を持ち、人との繋がりに私が勝手に意味を見出して、人と人の縁を辿っていくと、また再び子どもの頃に好きだった、話題になっていた作品や人物に行きついていって、また、スタート地点に戻って、より深くスタート地点の作品を楽しむことが出来る。

私にとってのスタート地点というのは、『あばれはっちゃく』で、それを通して辿ってきて、もう、10年以上経ってしまったのだなという感慨とその辿ってきた人や作品が過去のものになっていく寂しさを感じています。

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自分の力で

それでも、私の認識とは別に飯島さんは『ウルトラマン』シリーズの監督として、やはり有名で『ウルトラマン』シリーズの映画の監督もされていて、私が拝見した作品では『ウルトラマンコスモス』の劇場版、子どものムサシがギリギリまで自分の力で、なんとかしようとして奮闘する姿、バルタン星人達の悲しさが印象に残りました。ただ願うだけではなく、自らの知恵と行動で子どもが困難を乗り越え、望んだ未来に向かって動く姿というのは、大人になって見ると応援したくなり、子ども時代に見ていれば自分も同じように頑張ろうという励ましに感じるんだろうな、と思いました。

それは、子どもの頃に『あばれはっちゃく』を見ていた時の気持ちと重なりました。飯島さんは『あばれはっちゃく』には無縁でしたが、『あばれはっちゃく』に出演された方々や監督や脚本家の方達とは繋がりがありましたから、どこか地続きで繋がっている。そんな風に思うのです。

本当に今回の訃報は、今年、桜井浩子さんのYouTube『ロコトーク』で元気な姿を見ていだけに、とても残念で寂しいです。飯島敏宏さんのご冥福を心よりお祈りします。


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