柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』46話「滑れ!白い風」感想

『男!あばれはっちゃく』46話「滑れ!白い風」より

1981年2月14日放送・脚本・市川靖さん・松生秀二監督

メタ要素

前回に引き続き、石打後楽園スキー場での話。今回は、寺山先生がスキーを避けていた理由とミムラ親子が10年前に存在した「石打の白い風」と異名をとるスキーヤーの存在が分かります。

ヨウイチロウが長太郎に石打の白い風のことをはなし、ヨウイチロウの父親のミウラさんも寺山先生に石打の白い風のことを話していて、その石打の白い風が寺山先生に似てると話すと、寺山先生は強くそれを否定します。

この寺山先生とミウラさんの場面では、ミウラさんが前回のヨウイチロウにスキーの楽しさを教えずに辛い特訓ばかりをさせていたことを反省し、寺山先生とそれについて話、続いてミウラさんが寺山先生とどこかでお会いしたことがあるという流れで、寺山先生が10年前に学生で選手権で活躍した物凄いスキープレーヤーだった選手で、石打の白い風と呼ばれた人に似てると話します。

ここで、寺山先生の態度や、前回、学生時代にスキー部で活躍していたと長太郎達に自慢していた寺山先生の話と結びついて、寺山先生がそのミウラ親子の言う「石打の白い風」と呼ばれていた学生スキーヤーだったのかな?という推測が生まれます。

この、寺山先生とミウラさんが会話をする場面、話の流れとして、寺山先生がかつて「石打の白い風」と異名をとるほどのスキーヤーでありながら、現在はそれを否定していることで、寺山先生がスキーを避けている理由が、10年前の学生時代にあるのではないかという流れになっています。

けれど、この場面を話の外に出て見てみると、寺山先生を演じた山内賢さんとミウラさんを演じた久保明さんは実の兄弟なので(山内さんが弟、久保さんがお兄さん)ミウラさんの寺山先生にいう「どこかでお会いしませんでしたっけ?」という言葉やそれに対して答えた「もしかすると、どこかでお会いしたかもしれませんね」という会話のやり取りに、この2人は本当の兄弟だからなあという気持ちが出てきて、そこにメタ的な面白さを感じ取ってしまいます。

また、面白いなと思うのは、この場面で寺山先生が頬を撫でる仕草をしているのですが、同じ仕草をミウラさんもしていることですね。この同じ仕草をいれることで、さらにメタ的な要素を強くしている印象を受けました。実際の山内さんと久保さんの癖とは思いませんが、寺山先生とミウラさんに同じ仕草をさせることで、山内さんと久保さんが兄弟であることを強く印象付けているんだなって感じましたね。

『男!あばれはっちゃく』46話より
『男!あばれはっちゃく』46話より

ツッコミどころ満載

さて、この後父ちゃんと母ちゃんもきて長太郎達と合流します。父ちゃん達は長太郎達のスキーの面倒も見てくれた寺山先生に挨拶をしようとしますが、長太郎達は寺山先生がスキーがてんでダメなことを話し、自分達にスキーを教えてくれたヨウイチロウのこととミウラさんのことを父ちゃん達に教えます。

長太郎は母ちゃんにミウラさんにスキーを教えてもらったらいいと、母ちゃんが借りるスキーを取りに行った時に、スキー板を見つめる寺山先生を見つけ、そこで寺山先生がスキーをしない理由を知ることになります。この場面、いろいろとツッコミどころの多い場面なんですが、あまり気にしないで見ちゃうことが出来るのがすごいなって思います。

スキーをしないのにどうして寺山先生はスキー板を持ってきていたのかとか、なんで寺山先生が学生時代に優勝した時の写真パネルが長太郎たちが宿泊しているホテルにあるのかとか。

『男!あばれはっちゃく』46話より

私がツッコミどころ満載の場面を、違和感なく見ることが出来たのは、自分の脳内で勝手に辻褄が合うように話を補完していたからなのですね。今回、長太郎達が来ているスキー場は、寺山先生が10年前に「石打の白い風」と呼ばれ活躍していた場所と同じ場所。だから、10年前にスキーをしないと決めた寺山先生はそこにスキー板を置いていった、また、当時優勝した学生選手の写真を地元のホテルが保管していて飾っていたのを、寺山先生が長太郎達が気付く前に、ホテルの人に言って取り下げてもらっていたとか。

しかし、寺山先生が10年前に使っていたホテルと同じホテルで10年間客のスキー板を補完できるのかとか、写真パネルは展示されている可能性があっとしても、長太郎やミウラ親子が気付く前に撤去出来るのかとか考えると、無理かなあって、こうして話を思い出して書いてみると思ったりもして、やっぱり、いろいろとツッコミどころの多い場面だなって思ったりもします。でも、見ている間は子どもの頃も、今も気にはならなかったんですよね、不思議なことに。

封印の理由

長太郎は寺山先生から、誰にも言わないと男の約束をして、スキーをしなくなった理由を聞きます。それは、選手権で寺山先生が優勝したことでスキー部が有名になり、スキー部キャプテンだった寺山先生が後輩達を厳しくハードな特訓をさせたことで、後輩たちの何人かの学生生活を棒に振ったこと、それに対して申し訳なく思った寺山先生はスキーを封印したという話。

ここで、寺山先生が前回、ヨウイチロウをしごいていたミウラさんを見て複雑な表情をしていた理由も分かり、また、寺山先生がこの話でミウラさんとヨウイチロウの特訓のことで話をしていた時に、指導のありかたについて寺山先生の考えをミウラさんに語っていたことが、寺山先生が過去にスキー部の後輩たちにしていて、自分自身に対する自戒も込められていたことも分かって、それを分かった上でもう一度、前回の話や今回のミウラさんとの会話を見返すと、より一層、寺山先生の言動に深みを感じます。

強く優勝出来るために学生生活を棒に振る特訓、好きなものを嫌いにさせるような苦しいだけの特訓にどんな意味があるのか。人を育てるというのは、ただ厳しいだけでいいのか。楽しみがある特訓は悪なのかとか、いろいろと考えさせられる話です。私事ですが、私は中学生の時に清掃を一生懸命にやることが楽しいと感じたことがあって、それを担任に話したら、清掃を楽しいと感じてはいけない、と怒れたことがあったんですね。

清掃をして綺麗になっていく、効率よく綺麗にしていくのが楽しくて、決して清掃をサボって遊んでいて楽しいのではなくて、夢中に清掃をして綺麗になっていく段階が楽しくて言ったのですが、担任に怒られて悲しくなったのを覚えています。清掃とか基礎訓練の特訓って楽しくない、辛いものであって、そこに楽しさを見出すのはいけないことだという考えって、なんて詰まらなくて辛いことなんだろうって、私は思ってしまいます。

前回のミウラ親子の特訓も、寺山先生が後輩たちにさせたハードで厳しい特訓にも楽しさがなくて、辛さだけを増幅させるもので、人の心を疲労させるものだった、心だけでなく特訓で肉体的にも疲労が溜まり、人は疲れ果てて去って行ってしまう。緩く楽しいだけではダメだけど、厳しい一辺倒だけでもダメ。

人の心と体は疲れるものであることを承知していないと、人を指導し、育てることは出来ないんだな、なんてことを今回の話から感じました。また、出来る人ほど、自分と他者の能力の差を理解できずに、出来ない人間が手抜きをしていると思いがちで、できないことを責めます。

しかし、世の中には必死に本気になってやってみても、出来ない人はいて、指導する人の思う通りに動かないと、罵声を浴びせたり、酷い人は殴る人もいるんですが、人は誰でも思い通りに動かすことが出来ないということが分からない人は、恐怖で人を支配する考えに至るのかもしれないなって思いました。これは、小学生時代に全力で走ったのに、「本気で走っているの」って言われた、私自身の過去の体験談から感じたことです。

話を『男!あばれはっちゃく』46話に戻して、寺山先生がスキーを封印していた理由が分かり、また、寺山先生の過去の経験から、現在の寺山先生の小学校教諭として、人を指導、教育する姿勢の在り方が見えた気がしました。寺山先生は過去の失敗から、人を導くやり方を現在のものにしていったのではないかということ。これまでの「あばれはっちゃく」と呼ばれる長太郎に対する寺山先生の向き合い方には、後悔している寺山先生の後輩たちの指導にあったんじゃないかなって、思うんですよね。

『男!あばれはっちゃく』46話より

作品に込められたメッセージの解釈

子どもの頃にこの話を初めて見た時は、前回の話やミウラさんとの会話を思い出して、その深みを噛みしめるしか方法がないわけですが、ぶっちゃけ、思い出してみるということはせずに、ああ、そうなんだって通り過ぎるだけなんですよね、私の場合は。こうして、大人になって、DVDで話を見返すことが出来て、前回の話もすぐに見返すことが出来るからこそ、深みを噛みしめることが出来た次第で……。

それでも、一回の放送でも、視聴者の記憶に委ねる部分、どこかに寺山先生の態度が気になって見ていた視聴者がここで、寺山先生が過去の話をした時に、そうだったのか!と合点がいくように話を紡ぎだして見せてくれる制作者の思いを感じると、人に思いを届ける人達の掛けた気持ちの大きさを感じ取れます。

作り手がどんな思いを込めて、作品を作りだし、生み出しているのか。それを私はどれだけ受けとめることが出来ているのかとか、いろいろと考えてしまいますね。それに、その受けとめた解釈がどれだけ、作り手と齟齬がないのかとか。

私は漫画や小説や映画とかも好きなんですが、作品を読んだり、見た後で作者の自伝や作品に込められたメッセージについて読んだ時に、当たっていることもあれば、的外れな時もあって、作品のメッセージの受け取りが100%出来てない人なので、『あばれはっちゃく』シリーズに対しても、私はこう受け取ったけれども、これは私の受け取り方の一つであって、本当のところはどうなんだろうってことは、常に考えてしまいますね。

寺山先生の活躍

寺山先生の秘密が分かったところで、ヨウイチロウが盲腸で倒れ、医者を呼ぶのに険しい雪山を降りていかなければいけない事態になります。長太郎は寺山先生に頼むのですが、10年間スキーを封印していた寺山先生は最初は断るものの、苦しんでいるヨウイチロウを見て、封印を解きます。

寺山先生に聞いた話を誰にも言わないと約束した長太郎と、封印の理由を知っても誰にも言わなければ分からないとヨウイチロウの為にスキーで雪山を降りて医者を呼んできて欲しいと頼む長太郎と、それでも頑なに断っていた寺山先生が、危険だと言われる雪山をミウラさんと降りていこうと決意した長太郎と苦しむヨウイチロウを見て、寺山先生が10年間の誓いを破る決意をしていく過程は、見ていて胸に迫るものがありました。

『男!あばれはっちゃく』46話より

ここに至る過程までにも、唯一の医者が学会でいなかったり、長太郎の閃きでホテルの中に医者がいないか探したりしていて、それでも山を下りたところに唯一、電話も引いていない医者がいて、その医者を呼ぶために険しい雪山を降りて呼びにいかないといけない。こうした状況は、「石打の白い風」と呼ばれていた寺山先生が活躍するためのお膳立ての状況作りなんですが、そんなことは気にならずに、ああ、早く医者の手配が出来ればいいのにと祈りながら見てしまいました。

今回は、いろいろと突っ込むところがありながらも、見ている間はそれがあまり気にならなくて、話の中に入り込めることが多かったですね。寺山先生が決意をしてくれて、雪山を降りてきて、医者を背負ってきてくれた時は、待っているみゆきちゃん達が心配して10年間スキーをしてこなかったから、心配だと口にしたこともあって、安心感とヒヤヒヤ感を感じていただけに、戻ってきた姿を見た時は、本当に嬉しかった。こうした、不安な気持ちを持たせた後での安心感というのは、見ていてとても心地の良い物でした。

『男!あばれはっちゃく』46話より
『男!あばれはっちゃく』46話より

他者を大切にすること

寺山先生は自分の信念を曲げて、ヨウイチロウの為にスキーしない封印を解いて、その腕前で医者を連れてきて、ヨウイチロウを救いました。寺山先生は医者を呼びに行くときに長太郎の「男の約束」の問いかけに、「男の約束も人の命に代えられないんだ」と答えています。

自分の信念とか約束も大事だけど、人の命はもっと大事だということ。人は死んでしまえばその人の代わりはどこにもいない。同じように人の人生も一度きりのだた一つのもの。それをある特定の人のエゴや見栄の為だけに台無しにしてはいけない、ということをこの話からは強く感じました。

自分の信念を曲げても助けなければいけない人の命。自分のエゴで人の人生を棒に振るような真似をしてはいけないということ、それだけ人の命や人生は大切にし尊重しなければならないものであり、他者の命や人生を軽んじるものは、自分自身の命や人生も他者によってダメにされる可能性があるということも感じました。

自分の命でも人生でもない、他者の命や人生なのだから、どうなろうと関係ないとう考えの人ばかりになってしまえば、助けてくれる人も助けられる人もいなくなり、自分自身も命や人生をダメにされる可能性の多い世界で生きるということ。それは、あまりにも辛く、苦しい世界になってしまうのだなあって思いました。

他者を大切な存在としていくのは、自分自身が他者に大切にされることに繋がっていくのだろうと思います。

長太郎は寺山先生が医者を呼びに行っている間に、白い風時代の寺山先生の写真パネルをヨウイチロウに見せて励ましていて、ヨウイチロウにとっては、目標とする憧れの白い風に命を助けられたことは、いつまでも励みになっていったと思いました。

『男!あばれはっちゃく』46話より
『男!あばれはっちゃく』46話より

『男!あばれはっちゃく』45話「転ぶぞスキー」感想

『男!あばれはっちゃく』45話より

1981年2月7日放送・脚本・市川靖さん・松生秀二監督

スキーと寺山先生

今回は、次の回(46話「走れ!白い風」)と合わせた新潟県の石打後楽園スキー場を舞台にした話。45話と46話は寺山先生を通じて繋がっている話になっています。スキーに行く人達を見て、スキーを滑る真似をするな寺山先生は、スキーが好きな様子。そんな姿を長太郎達に見られて、恥ずかしく思いながらも学生時代はスキー部のキャプテンとして活躍していた話を長太郎達にしています。

『男!あばれはっちゃく』45話より

『男!あばれはっちゃく』45話より

今回の45話と46話を通じて、不自然だなって感じたところは、この寺山先生がスキーについての自慢を長太郎達に話しているところですね。後で、父ちゃんの代わりに長太郎達のスキーの引率につれていくことになった時も、長太郎達にスキー場でスキーを教えることになった時も、寺山先生はスキーをやることに対して消極的で、その理由は次の46話で判明するのですが、そこで理由が分かると、尚をのこと、最初のところで長太郎達にスキーの腕の自慢をしていたのが、変に感じるんですよ。

まあ、長太郎達をスキーに連れて行ったり、スキーを教えることもないと思っていたからこそ出来た自慢で、それが、まさか散髪に長太郎の家に行ってみたら、父ちゃんの仕事先の招待でスキー場に招待されて、群馬の法事と重なったことで、母ちゃんと父ちゃんが喧嘩している場面に出くわして、さっき自分がスキー自慢をしたばかりに、長太郎にそれを利用されて、父ちゃんの代わりに長太郎達をスキーに連れていくことになるなんて、さすがの寺山先生も思いもしなかったでしょうね。

『男!あばれはっちゃく』45話より

それに、そこに佐藤部長から話を聞いたと思われる邦彦がみゆきちゃん達を連れてお願いにくるというタイミングも寺山先生にとっては、最悪のタイミングだったんだろうなって思います。また、行先の石打後楽園スキー場も寺山先生にとっては、この表情を見ると何かしら因縁があるようです。

『男!あばれはっちゃく』45話より

この寺山先生の態度が寺山先生の過去になにかあるのかなっていう不安というか、疑念が生まれてきて、スキー場での寺山先生の態度に対して、寺山先生はスキーが好きなのに、どうしてこんなに乗り気ではないんだろうという疑問が話を見ている間、ずっとつきまとっていきます。

長太郎と共闘する恋のライバル

スキー場について、長太郎達は特訓をしている人達を見つけます。長太郎達は彼らが何をしているかと寺山先生に尋ね、スキーの特訓をしていることが分かります。長太郎達が尋ねたのは、男の子がスキーをしていなくて、タイヤを引っ張っていたからで、一見見ただけでは、スキーの特訓だと分からなかったからですね。スキーをする足腰を鍛える基礎の特訓で、寺山先生も学生時代はよくやっていたと言います。

長太郎達は、寺山先生にスキーを教えてもらおうとするのですが、先生は準備体操だったり、実際にスキーを履かずにエアスキーみたいにして、好きのフォームのやり方しか教えてくれず、スキーを滑って教えてくれないので、長太郎達は退屈し、寺山先生が嘘をついたと呆れて、それぞれに散っていきます。

そんな中で、さっき特訓をしていた男の子、ミムラ ヨウイチロウ君が長太郎達に声を掛け、スキーを教えてくれることに。ただ、長太郎達男の子はそれを断り、みゆきちゃん達女の子達が教わることに。みゆきちゃん達に教えるヨウイチロウを見て、長太郎と邦彦が嫉妬するんですが、それを見て初代『俺はあばれはっちゃく』の27話「はっちゃく祭りだ」で長太郎と正彦がヒトミちゃんの従弟のサトル君に嫉妬する場面を思い出しました。

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共通の敵に対して長太郎と正彦、長太郎と邦彦が共に怒りを持つのは同じなんですが、2代目の長太郎と邦彦はあっさりとすぐに仲違いをしてしまうんですよね。共闘の持続が続かない。初代の27話も今回の45話も共に脚本は市川靖さんなので、長太郎と恋のライバルである正彦と邦彦の共通の恋敵を出して、共闘させて見せるっていうのは、市川靖さんなりの話の面白さの一つなのかなって思いました。

普段、ヒトミちゃんやみゆきちゃんを巡って、長太郎よりも有利になろうと頑張っている正彦や邦彦が長太郎と意気投合して、ヒトミちゃんやみゆきちゃんの関心を惹く相手を嫌うというのは、目新しく、そこに冷静な公一や章の意見や長太郎達を冷静に見る公一や章の目がまた面白さを醸し出しているなって思いました。

特訓

みゆきちゃん達にスキーを教えてくれたミムラヨウイチロウを特訓していたのは、彼の父親。このミムラ親子が今回と次回のゲストの登場人物です。みゆきちゃん達にスキーを教えたことで、ヨウイチロウがスキーの楽しさに気づいて、それを口にした時に、スキーの特訓をしているのに、楽しさを知らなかったことを指摘されているのですが、ミムラ親子の特訓を見ていた寺山先生の表情も含めて、次の話に繋がっていて、また、この話だけでも、充分に考えさせられるものでした。

スキーが好きで才能があったとしても、その好きなものを嫌いにさせるほどの、苦しいだけの特訓とは、果たして意味があるのだろうか?また、第三者から見たらどうでもいいことに命をかけている姿というのは、どういうものなのか、嫌いになり切れない好きで命がけで頑張っていることに対して、思い通りにならなくなった時に、好きな気持ちが少しでもあるのに、それを隠して嫌いで、もうどうでもいいと投げうった時、その大切にしていたものを奪われることになった時に、どんな態度を人はとっていくのか、そうしたことを考えさせられた話でした。

また、熊本の高校のサッカー部でのコーチの過剰な指導というよりは、暴力があったニュースを最近知った後で見たこともあって、スポーツにおける指導、特訓とは本来、どういうものなのかということも考えさせられた話でした。

話の本筋から外れて

ところで寺山先生は学生時代にスキー部だったそうですが、寺山先生は和歌山の出身だと考えるとスキーが得意というのは、私はちょっとびっくりしました。いや、和歌山の人だってスキーが得意な人はいると思うんですが、スキーというのは雪国のイメージがあるので。

私は小学2年生から高校卒業まで長野県で生活をしていて、冬の体育にはスピードスケートの授業が当たり前にありました。私が住んでいた長野県松本市は長野県の中信地区で冬はスキーよりはスケートをしていました。大町市に住む従兄達は、スキーでした。私も高校でスキーを体育の授業でするのですが、スケートのように滑ることが出来ず、なんとかボーゲンがやっと、転んだら人の手を借りないと起き上がれない始末で、スキーって難しい!スケートの方がいいと思いました。

だから、今回の話を見ていて、長太郎達が初めてスキーをした設定になっているけれども、あれだけ滑れる長太郎達ってすごいって思ってしまいました。なんというか、栗又さん達ってスキーをしながら演技をしているんですよね、それって2代目だけに限らず歴代の長太郎達もスケートをしたり、スキーをしたりしながらやっている訳で、子役に限らないんですけど、役者の人達ってある程度、運動神経が良くないとダメなんだなって、そんなことを思いました。

それと、寺山先生がスキーの代わりにしていたスポーツ。最初、見た時はスノーボードだと思ったのですが、寺山先生が長太郎に「ザッパという面白いもんがあるんだ」と説明してて、スノーボードじゃないのって驚きました。一応、調べてみたんですがザッパというウィンタースポーツって的確な説明が出てこないんですよね。「ザッパ」についてご存じの人はいますか。下記の引用画像が寺山先生が遊んでいたザッパです。

『男!あばれはっちゃく』45話より

『男!あばれはっちゃく』44話「勝ったら負けだ」感想

『男!あばれはっちゃく』44話より

1981年1月31日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

昭和14年生まれ

父ちゃんと章の父ちゃんが屋台で飲んでいて、2人が共に昭和14年(1939年)生まれの同い年だと分かって意気投合しています。この話が放送されたのが、1981年1月なので、この頃の父ちゃん達は41歳、1月の間に誕生日が来ていれば、42歳ということですね。

この後、長太郎の学校の父親参観に出た父ちゃん達は、体力測定をして、そこで父ちゃんは、30代と言われて喜びますが、実年齢が40代なら、それも納得です。同い年で仲良くなった父ちゃん達も、翌日のこの父親参観の体力測定をきっかけに、喧嘩をしてしまいます。

3代目『熱血あばれはっちゃく』26話「決闘!体力テストだ」(脚本・山根優一郎さん、松生秀二監督)でも、同じように父ちゃんと実の父ちゃんが町内会の体力テストで仲違いする話がありますね。ちなみに、3代目の父ちゃん達は共に昭和19年(1944年)生まれでした。

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『男!あばれはっちゃく』44話より

なんというか、長太郎の親友に父親がいる設定になってから、父ちゃん同士が仲良くなって、仲違いをし、長太郎とその親友がロミオとジュリエット状態になり、何とか長太郎達が父ちゃん達の仲を戻そうとする話が『あばれはっちゃく』シリーズの定番話になったように思います。

初代の長太郎の親友の公一の家は母子家庭だったので、ありませんでしたが、2代目から出来た話の定番の一つですね。

親しき仲にも礼儀あり

仲違いするのは、些細なことなんですが、自分の理解者、味方だと思っていた人が、自分を笑い者にしたことへのショックによる心の傷。

後で、母ちゃん達もそれぞれの夫に言う言葉で、思い出す言葉が「親しき仲にも礼儀あり」です。私とあなたの仲だから、これくらい笑って済まそうとか、このくらいは許されるって、相手にしてみれば、勝手な決めつけなんだなって思います。それって、相手に甘えているだけなんですよね、きっと。

和美ちゃん

『男!あばれはっちゃく』44話より

今回、出番はあまりなかったのですが、この話で和美ちゃんが印象に残りました。今回の父親参観でいつもの長太郎達6人のメンバーで、父親参観に来れるのが、長太郎と章の父ちゃんだけなんですね。

みゆきちゃんのパパは学会、邦彦の父親の佐藤部長は出張、弘子ちゃんのパパはお得意さんとゴルフ(多分、接待ゴルフ)で来られない。弘子ちゃんは、暇な父親は参観日に来れていいなって言いますが、その中で和美ちゃんだけは無言。それは、和美ちゃんには父親がいないから。それでも、文句も不満も言わない和美ちゃんを見ていて、辛く感じました。

初代で母親達が参観日に来た時(『俺はあばれはっちゃく』15話「アイラブ母ちゃん」脚本・三宅直子さん、山際永三監督)に、母親のいない正彦のとこは、正彦の伯母さんがきて、正彦を気遣ったヒトミちゃんが一言、佐々木先生に言ったことがありましたが、今回は和美ちゃんを気遣う言葉はなかったなってことを思いました。

父ちゃん達の趣味

『男!あばれはっちゃく』44話より

長太郎と章は、父ちゃん達を仲直りさせるために、寺山先生に相談をすると、それぞれの共通の趣味を通じて、仲直りをさせたらと提案されます。この時、長太郎と章がそれぞれの父ちゃん達の趣味を3つ挙げます。

長太郎は、「釣りにパチンコに、後ジョギングくらいかな」章は「馬に、舟に、自転車だ」と。ちなみに章の言葉に長太郎が説明を求めて、これが競馬と競艇と競輪だと分かります。章の父ちゃんはギャンブルが好きみたいですね。父ちゃんもパチンコが趣味に入ってるので、似たのようなものですが。

共通の趣味がないなって、思ってたとこで、長太郎が父ちゃんの趣味に将棋があると気づき、章もまた自分の父親が将棋好きだと思い出します。

過去記事でも、書いてきたのですが、やはり父ちゃんの趣味には、釣りと将棋が入ってましたね。2代目のこの話で、父ちゃんの趣味は、釣りと将棋で確定で間違いありません。

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さて、この共通の趣味の将棋で父ちゃん達を仲直りさせようとするのですが、この将棋でまたまた仲違い。さて、仲直りどころか、さらに拗れてしまった父ちゃん達。さらにこの時、母ちゃんのバッグが犠牲になるという、踏んだり蹴ったり。

この母ちゃんのバッグが仲直りの伏線になっていくのですが。

意地の張り合い

長太郎達はもう一度、寺山先生に相談します。ここで、タイトル回収の「負けるが勝ち」が出てきます。私は、この結論に辿り着くまでの流れやそこに気がつくきっかけが、それぞれの父ちゃんの中で自然に、ふと気づく場面があれば良かったなって思いました。

では、私だったらどんな話、脚本にしていたか?って考えると、自然にさりげなくそうした場面を入れるのって難しいなって。それに、父ちゃん達は意地の張り合いになっていて、自分は悪くないって考えで凝り固まってますし、相手が自分を認めて謝罪するのが当然という態度ですから、自分が負ける、自分の感情を折るって発想が出来ない。これでは、自分から負けるが勝ちなんて出てきませんよね。

そういう状態では、第三者がそれに気づかせるのが、やっぱり必要で自然なのかなって。

まあ、長太郎は母ちゃんのバッグをダメにした父ちゃんの弱みを使った訳ですが、第三者が負けるが勝ちを気付かせるって、他に方法はなかったのかな、なんて思ったり、でも、小学5年生の長太郎が必死考えた結果だとすれば、精一杯の閃きだったんだとも思えるんですよね。

大人って

全てが終わって、章が「大人って分からない」って言うんですが、大人って、基本、あまり子どもと感情面では、変わらないと思うんですよ。今回の父ちゃん達を見ていても、私自身が大人になってみて、周囲が大人になって分かったのは、感情、心は子どもの頃と変わらない。

身体や立場は大人になっても、根本は変わらないから、傷つけられたら怒るし、信じていた人に馬鹿にされたら悲しいし、自分の悔しい思いを我慢しなきゃって思っても抑えることができない時もあるし。それでも、どこかで妥協して、自分の気持ちを抑えて受け入れる必要がある。

もしも、大人と子どもの差があるとすれば、それは妥協することのできる数なのかな、なんてことを思いました。

今回分かったこと

今回の話は、2代目の父ちゃんの生まれ年と趣味がはっきり分かった話でした。後は、大人になると、大人気ないと思っていた父ちゃん達が、自分達とあまり変わらない人間だったんだなって分かって、大人だから何でも出来て、平気ではないんだってことを知ることが出来た話でした。

1979年に国際放映が制作していたドラマ

『俺はあばれはっちゃく』以外

ふと、『俺はあばれはっちゃく』が制作、放送されていた1979年2月3日~1980年3月8日の期間に『俺はあばれはっちゃく』を制作していた国際放映は、他にどんなドラマを制作していたのかな?と思って調べてみました。恐らく、漏れはあると思いますが、自分の思い出させる範囲と調べた範囲で作品を紹介していきます。

ケンちゃんシリーズ『カレー屋ケンちゃん』

まず、思い出すのはTBS系列で放送されていたケンちゃんシリーズですね。私の世代は2代目ケンちゃんの岡さんの時代。『俺はあばれはっちゃく』が放送されていた時期のケンちゃんシリーズの作品は『カレー屋ケンちゃん』です。『カレー屋ケンちゃん』は、1979年3月1日~1980年2月28日まで放送されています。私はこの『カレー屋ケンちゃん』はあまり覚えがなく、この次の『ケンちゃんチャコちゃん』(1980年3月6日~1981年2月26日)の方をよく覚えています。

子どもの頃に、『あばれはっちゃく』と『ケンちゃん』シリーズは大好きでよく見ていたのですが、『あばれはっちゃく』は引っ越し先で、平日に帯で再放送(もしくは遅れ放送)があって見ていたこともあり、ビデオデッキがない時代でも、繰り返し見ていたこともあって、『ケンちゃん』シリーズよりも、意外と記憶に残っているんですね。

自分の中で『あばれはっちゃく』はDVDを買う前から、見ていた初代から4代目まで断片的でも、覚えている場面や台詞があって、DVDで確認して記憶が鮮明になるんですけども、『ケンちゃん』シリーズはあんなに好きだったのに、主題歌と岡さんの顔以外は覚えていないので、「あれ?なんでだろう」と自分自身でもとても不思議でした。

こうして、記事に出して書いてみて、2作品の視聴環境の違いが2作品の思い出に対する違いだったのかな、なんて今は思います。

ふしぎ犬トントン

この作品は見たことがないのですが、いろいろと調べていくうちに知った作品です。この作品も『あばれはっちゃく』のプロデューサーの鍛冶昇さんが手がけた作品でした。私が調べたところ、この『ふしぎ犬トントン』が鍛冶さんのプロデューサーとしての初めての作品だったようです。

放送局はフジテレビ(CX)。放送期間は1978年10月30日~1979年4月23日まで。『俺はあばれはっちゃく』よりも、先に放送されていますが、2カ月間ほど放送期間が被っています。主演は坂上忍さん。

坂上忍さんは1967年6月1日生まれですので、11歳の時に『ふしぎ犬トントン』の主演を演じていたことになりますね。『ふしぎ犬トントン』は鍵っ子と犬型宇宙人の話だそうで、なんだか不思議な話に感じました。放送局はフジテレビなんですが、TBSのブラザー劇場(『コメットさん』や『刑事犬カール』を放送していた枠)で放送されていたような作品だなって思いました。

この作品に関しては、私は見たことがないので、ウィキペディアの情報になりますが、坂上忍さんは、このドラマがきっかけで犬好きになったのだそうです。『俺はあばれはっちゃく』の主演の吉田友紀さんは、DVD付属のブックレットのインタビューを読むと『俺はあばれはっちゃく』をやる前から、犬好きだったようで、共演したドンペイがとても可愛いと話されていました。

吉田友紀さんは1973年~1974年にフジテレビで放送された特撮『鉄人タイガーセブン』にレギュラー出演していて、その時に共演した姉役の久万理由香さんから犬を貰っていて、この時にもらった犬に久万理さんが『鉄人タイガーセブン』で演じた役の青木ジュンの名前「ジュン」をつけています。

原作の『あばれはっちゃく』は、長太郎は飼い犬を飼っていないので、『あばれはっちゃく』のドラマで犬を出す必要はなかったと思いますが、『ふしぎ犬トントン』に続いて、主人公の重要な相棒役で犬を出演させていたのを知ると、『ふしぎ犬トントン』と『俺はあばれはっちゃく』に共通するプロデューサーである鍛冶昇さんの意向や趣味があったりしたのかなって思いました。これは、全く私の憶測なんですけれども。それを確かめることも今は出来ないのは寂しいですね。

後、個人的にもしも坂上忍さんが『ふしぎ犬トントン』の主演をしてなかったら、坂上さんがひょっとしたら、正彦を演じていた未来もあったりしたのかなって思いました。まあ、これは子役時代の坂上さんを思い出して、正彦を演じてもあっていたかも?という私の妄想なんですけれどね。

坂上さんも吉田さんみたいに主演はオファだっただろうか、といろいろと気になる作品ではあります。

コメットさん・大場久美子

『俺はあばれはっちゃく』の放送期間に国際放映が制作していたドラマで『俺はあばれはっちゃく』以外で大好きだったのが、大場久美子さん版の『コメットさん』です。『ふしぎ犬トントン』のところでも少し書きましたが、『コメットさん』はブラザー劇場の枠で放送されていました。ブラザーはミシン会社でしたよね、確か。

『コメットさん』はTBS系列で放送され、その放送期間は1978年6月12日~1979年9月24日まで。もう、めちゃめちゃ大好きだったドラマの一つで、コメットさんが持っているステッキを妹が持っていて、それを振りながら遊んだりなんかして、妹は卒園集に「コメットさんになりたい」という夢を書いていたのを思い出します。

特に再放送とか帯放送でみた記憶はないので、細かい話を覚えているか?と問われると『カレー屋ケンちゃん』と同じくらいあやふやなんですが、主題歌も『コメットさん』が大好きだったことも、コメットさんごっこをして遊んだことも覚えています。今でもとても大好きな作品の一つですね。

西遊記西遊記2

堺正章さんの『西遊記』と続編の『西遊記2』。『西遊記』が1978年10月1日~1979年4月8日まで、『西遊記2』が1979年11月11日~1980年5月4日まで放送されました。放送局は日本テレビ

こちらのドラマもとても大好きなドラマで、主題歌もとても好きな作品です。このドラマは小学生の頃、再放送で平日によく見ていました。三蔵法師役の夏目雅子さんがとても綺麗で、こんな綺麗な人がいるんだなって見惚れていました。

三蔵法師に誤解された悟空が泣きながら訴えた姿とかを覚えていますね。お話だと鬼子母神の話とか。数年前にテレビ神奈川で放送されたのもあって、意外と話を覚えています。全話ではありませんけれども。猪八戒西田敏行さんから、左とん平さんに変わって、馴染むまで少し時間がかかったことも、それも今となっては懐かしい思い出ですね。

西遊記』は『俺はあばれはっちゃく』にレギュラー出演していた俳優の人達も結構出演していて、父ちゃん役の東野英心さん(『西遊記』2話)、正彦役の草間光行さん(『西遊記』2話)、小百合役の大平佳奈子さん(『西遊記』7話)、正彦の父親役の頭師孝雄さん(『西遊記2』23話)。

今回は初代『俺はあばれはっちゃく』の年にスポットを当てて書いているので、『男!あばれはっちゃく』以降のレギュラー俳優の方も数人は『西遊記』『西遊記2』に出演していたりするのですが、省略しています。

また、『俺はあばれはっちゃく』のゲスト俳優の方達も時代と時期が被るので『西遊記』『西遊記2』に出演されている人もいますが、キリがないので、今回は『俺はあばれはっちゃく』のレギュラー、準レギュラーの中で『西遊記』『西遊記2』に出演されている方達に絞って紹介しました。

けっぱれ!大ちゃん

『けっぱれ!大ちゃん』1979年10月30日~1980年3月18日まで。この作品も私は見た覚えがありません。放送局は『俺はあばれはっちゃく』と同じテレビ朝日でした。作品内容を調べて見ると、モスクワ五輪に合わせて作られた作品なんだなって思います。1980年はモスクワ五輪の年でしたが、日本がボイコットをしたために、日本でのオリンピックの印象はなかったですね。

この年はアニメでも『こぐまのミーシャ』(1979年10月6日~1980年4月5日・テレビ朝日)とかがあったと思うんですけど、あまり記憶になくて、そういえば『俺はあばれはっちゃく』『男!あばれはっちゃく』のアバンタイトルには、オリンピックを意識したアバンタイトルがありましたね。日本と他にボイコットした国にとっては、幻のオリンピックになりました。

『けっぱれ!大ちゃん』のプロデューサーとかスタッフとか見ると、第一期、第二期ウルトラマンシリーズで知った面子が揃っているなって思いました。プロデューサーが熊谷健さんだし、脚本家が上原正三さんと藤川桂介さん、監督に湯浅憲明監督と『ウルトラマン』関連で知った方達の名前が目につきます。

国際放映は、『ウルトラマンタロウ』(1973年4月6日~1974年4月5日・TBS)の制作などにも関わっていましたし、国際放映の作品で『ウルトラマン』シリーズに関わった人達が関わるのも至極自然の流れだと思いますし、この頃は上原さんも藤川さんもフリーの脚本家でしたし、熊谷さんはこの時期は国際放映に移籍されているので、こちらも納得。

第二期ウルトラマンシリーズなどで、一緒に仕事をされた方達を熊谷さんが引っ張ってきたのかな?なんて思いました。『けっぱれ!大ちゃん』は青森から上京した柔道家のケンちゃんがモスクワ五輪を目指す話なんだそうですが、プロデューサーの熊谷さんが青森出身なので、だから主人公は青森出身なのかなって思いましたね。

まとめ

さて、『俺はあばれはっちゃく』が放送されていた時期に、制作会社の国際放映が他にどんな作品を制作していて、どんな作品が放送されていたかを紹介してみました。思い出したり、調べたりして書いてきましたが、結構、ありましたね。そして、見ていない作品もありましたが、『俺はあばれはっちゃく』と同じくらい大好きな作品もあって、とても懐かしく思います。

私の一番古い記憶は4歳の頃の1978年からなんですが、今回出したドラマ作品は、その一番古い記憶と重なっていて、一番楽しかった時代でもあるので、その記憶を思い出し、辿っていくのは、なんだかとても大切なきらきら光る宝物を久しぶりに見た満足感を感じました。

増えたり減ったり

私のダイエットの記録

16歳で引きこもりになった私はブクブク太り、最高で98kgになったことがあります。ちなみに身長は152です。98kgというのは、それにショックを受けてその後はしばらくはかってないので、はかった範囲での最高値です。もしかしたら、ピーク時には100kgに達していたかもしれません。中学3年生の頃から太り始めましたが、それ以前は標準体重で、特にデブでもなく、むしろ、食べても太らないのを羨ましがられたりもしていました。

太り始めた中学3年生を経て、高校入学でのいじめによる不登校からの引きこもりと、精神的ストレスによる過食と嘔吐によって、私の体重はブクブクと太っていったのです。その後、何度かダイエットをしては失敗を繰り返し、98kgから75kgになり、リバウンドして、88kgになり、というのを16歳から47歳の間に何度も繰り返していきました。

10年ほど前は75kgまで痩せるのがやっとで、しばらくすると88kgになるというように、75kgから88kgを行ったりきたり、油断をすると89kg、92kgになる始末でした。けれども、ここ5年ほど前から、毎朝のウォーキングと食事に気を付けることによって、88kgから少しずつ、ちょっと戻りながらも、順調に体重を落とすことが出来ました。

それで、ようやく去年から、75kg以下になり、ついには58kgにまで減らすことが出来たのです。ところが、今年の正月で正月太りになり、さらには新型コロナの影響で毎朝のウォーキングを控えるようになったら、体重が今月の最初の週にに66kgと逆戻り。せっかく、50kg台になったのに、何をしているんだ!私は状態。また、ストレスによる過食もあったので、そこも見直してやり直し。どうにか、62kgまで落とすことが出来ました。

なんとか、今年中にもう一度、50kg台に戻って、出来れば52kgになりたいですね。現在の体重から後10kgの減量です。5年かけて88kgから現在リバウンドしたとはいえ、58kgと30kg減量した訳ですから、1年で平均6kgは痩せていったわけですよ。(行きつ戻りつしながらも)なので、後10kg痩せるのは可能だと思うんです。

私のダイエットは基礎代謝が落ちた40代からのダイエットが一番成功しているので、おばさんのダイエットはなかなか成功しないということもないんだって、実体験から成功しようと努力すれば、痩せることが出来るんだと自信がついたので、頑張っていけると思っています。それに、私が16歳から患っている乾癬という皮膚病は体重が重いと症状が悪化するので、悪化させないためにもダイエットは必要なことなのです。

私が太り始めたのは15歳の頃で、この時期の私はそれまで充実していた気力がなくなり、勉強に身が入らず、何をするのも面倒で、充実感がなく心に穴が開いていて、気力が流れ落ちているようでした。その感情は、今、現在も続いていて、好きなことをするにしても、気合をいれて、心の準備といろいろな不安な要素や気持ちがないか、ある程度、片付いていないと、やる気力がなくて、もう、ただ、朝起きて、最低限の身の回りのことをするだけが、やっとという状態です。

こんな状態で、なんとか短大を出て、就職してよくもまあ働いてきたもんだなと思います。というようりも、私の人生は本当は14歳までで、15歳からは、もう生きていてはいけないのに、ダラダラと余計な人生を生きてきたんじゃないかなって思っています。本当に15歳から生きる気力というものが、すり減るようになくなっているんです。

生きていてはいけないと思いながらも、「死」に対する恐怖は大きくて、学校にいけない時は、私を置き去りにして、みんなが未来に先に行ってしまうという恐怖があって「みんな行っちゃう、みんな行っちゃう」と布団をかぶって泣いていました。

そしたら、父が職場の人達に話して、「娘さんはおかしいんじゃないのか、精神科に連れて行ったら」と言われたと、父に精神科に連れていかれましたが、それは16歳の私にはとてもショックな出来事でした。当時の私は精神科医に心を開けず、私の心を慰め、落ち着かせてくれたのは、「食べ物」でした。

吐くまで食べて、吐くところまでがワンセット。元々、小さい頃から車酔いで吐くことには慣れていたので、特に何の道具も方法も使うことなく、吐くことが出来ました。過食嘔吐の人達が、いろいろな方法で吐くことを知ったのは、ネットをやるようになってからだったので、他の人達はこんなに吐くのが大変だったんだと驚きました。

体重の増加には、私の心の弱さ、不安定さが影響していたのだと思います。ものすごい罪悪感はあるんですけれど、食べ物を食べることで不安な気持ちが、一時でも落ち着く。それが一時的なまやかしだとしても、どんな精神のお薬よりも心が安定していたのです。

今は

正月太りの他に、リバウンドの原因として明確に分かっているのが、心が不安定の時に、次の日の朝に食べるはずの朝ごはんを夜中に食べて寝てしまうことです。朝に体重をはかって増えているのを確認すると、やはりあの時に食べてしまったのがいけないんだと自己嫌悪。今度は原因も分かっているので、何とか、そこを見直して、心が不安定になっても、食べることに走らないように、グッと我慢するようになりました。

漠然とした不安や日中の嫌なことを思い出さないように、寝る努力をするようにして、どうしてもお腹がすいて切ない時は、麦茶とか水を飲んで落ち着くようにして、後は朝になれば美味しい朝ごはんが食べれるんだと、食事を楽しいことにして朝になるのを楽しみにするようにして、心を何とかコントロールするようにしたり、簡単に食べるものは冷蔵庫に置かない、買い置きをしないというようにして、夜に食べるのをやめました。

今も新型コロナで、朝のウォーキングは再開してなくて、食品や日用品の買い物で歩くぐらいしかないのですが、夜に食べるのをやめること、食事を必要以上にとらないことで、体重を落としています。そこで、さっきも書きましたが、どうにか今年中には52kgになっていたいですね。

痩せたのに二重あご

ところで、現在は一番ピークの98kgから見ると62kgなので、36kg減ったわけなんですが、体重が減っても、顎が二重あごなんですよ。36kg減ったとはいっても、まだ62kgなので、身長から見れば、まだデブ、肥満の範囲なので二重あごで仕方がないといえば、ないのですが、この二重あごが物凄く嫌で、早く標準体重になって(戻って)、二重あごとも、さよならしたいですね。

一番、若く綺麗な10代後半20代が、皮膚病によって全身の肌は汚く、心の弱さで体重が重くて、引きこもりだったために外見にも気を掛けず、一番、見苦しく汚くて、いまさら40代も後半になって、なんとか治療の甲斐があって病気(乾癬)による皮膚の汚さもなくなってきて、体重も減少してきたとしても、意味がないのかもしれないし、おばさんが綺麗になっても、と、苦笑される人達もいるのかなって思いますが、私にとっては、ようやく人並みに綺麗に戻っていくのは嬉しいことだったりします。それに、私の姿を気にかける人なんていうのは、今、現在はこの世の中には、私一人しかいないのですから、私の自己満足でいいのだろうと思います。

それに、私が綺麗になることで他人に迷惑をかけることもないのですから。

※ちなみに綺麗になるというのは、皮膚がかさぶた状態でスポーツジムで私の皮膚を見て気持ち悪い思いをする人がいない程度の皮膚の綺麗さになること、体重が重くてハァハァ言っているうっとおしいおばさんがいなくなり、身だしなみに気を付けることを指して「綺麗になる」という意味で書いています。整形をしない限り変えることの出来ない顔の造形のことは含まれていません。

『男!あばれはっちゃく』43話「他流試合だ」感想

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『男!あばれはっちゃく』43話より

1981年1月24日放送・脚本・山根優一郎さん・監督・松生秀二監督

2段階

今回の話を見て、なんとなく話が2段階になっているなって感じました。分離しているのではなく、出来事の繋がりがありながらも、1話で2つの話を見ている気分になったのです。

最初、下校時にみゆきちゃん達が浅見道場のタケダ イチロウとカワムラ マサシの2人から対決を申し込まれますが、他流試合を禁止されていることで、みゆきちゃんが断ると、イチロウとマサシの2人はみゆきちゃんのスカートを捲りあげて、挑発をしてきます。

一緒にいた邦彦は掃除当番で、遅れて下校していた長太郎と章の元に駆けつけ、みゆきちゃんのことを知らせ助けを求めます。邦彦から、みゆきちゃんの被害を聞いた長太郎は急いで駆けつけますが、既に現場にはみゆきちゃん達の姿はなく、長太郎は心配するものの家に帰り、そこで隣に住むみゆきちゃんに会って、大丈夫だったかと尋ね、みゆきちゃんがとても傷つき、怒っていることを知ります。

長太郎はみゆきちゃんの為に、浅見道場に来て道場破りをしてしまいます。ここで、ヤマグチ ケイスケが登場し、イチロウとマサシの非礼を詫びて、ことを収めるようにと長太郎に丁寧にお願いをします。長太郎は闘いを申し込みますが、ケイスケもやはりみゆきちゃん同様に他流試合を禁止している教えを守って、それを断ります。

好きな女の子に酷いことをされて、長太郎が怒り、相手を叩きのめすというのが、一つの話とするならば、ここで、話は終わると思うのですが、ケイスケが登場してきて、長太郎が浅見道場の看板を持ってきたことで、長太郎の合気道の師匠である熊田和尚から怒られ、また、みゆきちゃんの家にケイスケがイチロウとマサシを連れて、謝りに来て、みゆきちゃんのケイスケが幼馴染で仲が良かったことから、長太郎の怒りがイチロウとマサシの2人からケイスケに移ったことで、新しい話が始まったように感じました。

最初の話は導入口

今回の話で書きたかったのは、この長太郎とケイスケの対決の方で、イチロウとマサシの件に関しては、そこへ繋げるための導入口のように感じました。長太郎とみゆきちゃん達が学んでいるのは合気道、ケイスケ達が学んでいるのは柔道。熊田道場も浅見道場もどちらも他流試合は禁止していて、それでも、長太郎はケイスケに決闘を申し込んでしまいます。

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『男!あばれはっちゃく』43話より

決闘を受け取ったケイスケは、師匠の浅見に報告し、浅見も熊田和尚に報告して、どうしたものかと首を傾げます。結局は、双方の道場主の計らいで、親善試合として、長太郎とケイスケの対決を認めることになります。ここで、熊田和尚から長太郎に一言あって、それが最終的に長太郎の行動の決断の理由になります。

合気道も柔道も格闘技の一つではあっても、相手を痛めつける目的で使うものではないという戒め。対決をするにしても、ルールにのっとって行うという基本精神を説いています。そこには、初代『俺はあばれはっちゃく』5話(脚本・市川靖さん・監督・山際永三監督)で暴力を使わないとヒトミちゃんに誓い、喧嘩ではなくボクシングというスポーツで茂と対決した初代長太郎を思い出させました。

今回は、ここにみゆきちゃんからの八百長のお願いが入ることで、簡単に言えば「男同士の対決に女がしゃしゃり出る」ことで、話にスパイスがかかりました。正直、このみゆきちゃんの八百長のお願いは、個人的に好きではありません。みゆきちゃん側にそれなりの理由があって、それがみゆきちゃんから出たケイスケを思っての優しさだと分かってもです。

女の子(マドンナ)の使い方

この記事は、話を視聴した私の感想記事ですので、私が感じたままを書きますが、長太郎に八百長をお願いするみゆきちゃんが、男の子が恋愛感情を持っている女の子を男の子を翻弄する道具として使っているように感じてしまって、不快感を感じてしまったのです。

それりゃ、ヒロインが長太郎を翻弄する態度は、歴代の『あばれはっちゃく』の話の中で、他にもいくつかありますが、その大抵が(あくまでも)私の中では微笑ましい笑って済ませるレベルだったのに対して、今回は笑って済ませない、モヤモヤした気持ちが生まれてしまいました。この話を通して、私はヒロインをどのように動かし、話に関連させるかというのは、思っているよりもずっと難しいんだと感じました。

心に響く部分にも目を向けて

長太郎は迷いながらも、私情を持ち込まないという熊田和尚の言葉を思い出し、ケイスケと対峙します。約束された褒美ではなく、誠実に相手と向き合って闘うことこそが、相手に対する礼儀であるということ。誠意には誠意に応えることの大切さ、そこに水を差すことは無粋であるというのを感じました。

対決が終わって、みゆきちゃんも含めて、長太郎とケイスケが語り合った場面はとても清々しく、みゆきちゃんも八百長を頼んだことを申し訳なく思っていたのは嬉しく、3人がそれぞれに納得して終わったのは、とても良かった思いました。

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『男!あばれはっちゃく』43話より

私は男の子、女の子と分けた形で見てしまったのですが、これは性別に関係なく、個人個人の考え方で行動したものだという視点で見る必要があるんだなって思います。ジェンダー差別が盛んになる一方で、逆ジェンダー差別が多くなっている現代において、『あばれはっちゃく』の男性観、女性観は古くなりつつあり、若い世代や同世代でも、それまでの社会的男性観、女性観に疑問を感じていた人達には、受け入れにくい部分もあると思います。

しかし、そこだけを論じて終わるのではなく、それ以外の良い部分、人として大切にするべき部分、心に感じる部分にも目を向けて見て欲しいなって、ファンの一人として思います。

『男!あばれはっちゃく』43話『熱血あばれはっちゃく』29話・ゲスト子役紹介

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『男!あばれはっちゃく』43話OPより

43話ゲスト子役

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『男!あばれはっちゃく』43話より

※ゲストの役名の名前表記はドラマに登場しない為、カタカナ表記にしてあります。

まず、左画面。みゆきちゃん達の下校時に声をかけてきた浅見道場の2人。先に名乗った太っている方がタケダ イチロウ、後から名乗った帽子をかぶっているのが、カワムラ マサシです。

続いて右画面は、長太郎がイチロウとマサシがみゆきちゃんにした仕打ち(スカート捲り)に腹を立てて浅見道場に乗り込んだ時に、長太郎にイチロウとマサシがした無礼を詫びた男の子がヤマグチ ケイスケです。ケイスケはみゆきちゃんの幼馴染です。

一番上の引用画像が、この3人が出演した43話のオープニングテロップで、仲田勇さんがヤマグチ ケイスケ役、田中和則さんがタケダ イチロウ役、小池満敏さんがカワムラ マサシ役を演じています。

イチロウを演じた田中和則さんは、他に『ロボット110番』(1977年・テレビ朝日)に主人公ロボットガンちゃんが居候している中村家の長男、良夫役などを演じていました。ケイスケを演じた仲田勇さんは、他に『ぼくらの時代』(1981年・TBS)に川畑啓一役で出演していました。

カメラテスト試験も兼ねていたんだろうなあ

あばれはっちゃく』シリーズを見てきた方、知っている方は、マサシを演じた小池さんを見て「あ、輝彦だ」と思った人もいるかもしれません。その通り、マサシを演じた小池さんは、次作『熱血あばれはっちゃく』(1982年~1983年)で長太郎の同級生井上輝彦役としてレギュラー出演しています。

43話の時点で『男!あばれはっちゃく』(1980年~1982年)は、また、1年の放送は決まっていたと思うのですが、『男!あばれはっちゃく』の長太郎も4月には6年生になり、その次のシリーズ3作目に出演する子役を選んでいく段階に入ってきた頃なのではないかなって思います。

初代DVDBOX付属のブックレットにある吉田友紀さんのインタビュー記事の中に、2代目長太郎役の栗又厚さんや2代目前半のレギュラー邦彦役の長野昇一さんが『俺はあばれはっちゃく』(1979年~1980年)にゲスト出演をしたのは、カメラテストだったと証言されているので、同じことが、後の『あばれはっちゃく』でも、行われていたと考えるのが自然です。

下の画像は『熱血あばれはっちゃく』30話に登場した輝彦ですが、『男!あばれはっちゃく』43話に出演した時と比較すると、随分と顔立ちが大人っぽくなっているなあって感じます。小池さんに限らず、後にシリーズに再登場するレギュラー子役も多かった『あばれはっちゃく』は、特に男の子場合、声変わりもあって、一見、同一人物なのか?と迷う人もいたりします。小池さんは他に『おんな太閤記』(1981年・NHK)で浅井万福丸を演じています。

ちなみに、小池さんの名前で検索をすると、同姓同名のプロゴルファーの方がヒットします。生年月日が1970年5月14日生まれで、年齢的に近いのと、写真で見ると顔立ちも似ているので、ひょっとしたら、現在、輝彦役の小池さんはプロゴルファーになれているのかもしれません。

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『熱血あばれはっちゃく』30話より

成長して再登場に戸惑い

例えば、2代目53話から登場する克彦役の織田真早彦さんは、『熱血あばれはっちゃく』29話に修一郎(3代目長太郎の兄)の同級生カミジョウ役で登場していますが、声変わりをしていて、身長も伸びているので、OPで名前を確認していても、織田さんだとすぐには気づけませんでした。この織田さんがゲスト出演した29話には、同じく修一郎の同級生のヤマシタ役で中山秀征さんもゲスト出演しています。

中山秀征さんは、現在の面影があるので、逆にすぐに分かって、消去法でカミジョウ役が織田さんだと分かりました。そういえば余談ですが、中山さんの奥様は元宝塚歌劇団星組トップ娘役の白城あやかさん。歌もダンスも容姿も抜群の素敵なトップ娘役だったなって思い出しました。現在、中山さんはコロナに感染されたとニュースで知ったので、早く回復して欲しいと思っています。

話を戻して、こうして、ドラマを見ていくと、OPのテロップ順がドラマの主要なキャスト順であると分かってくるので(一応の画像確認チェックなどは行いますが、それでも一人でやっているので間違えることもあります)レギュラー以外の話で主要になっている人物と当てはめることで、誰がどの役を演じていたかを判明させています。

『熱血あばれはっちゃく』29話の場合は、休んだ修一郎のところへ尋ねた3人が主要ゲスト3人(他にも修一郎の同級生が複数いる)で、その内訳が男2人、女1人でした。以下が29話のOPテロップの一部と修一郎のところに来た3人です。ちなみに江川仁美さんが演じた女の子の名前はモリノでした。

織田さんの他に4代目の信彦役の草間忠彦さんも、5代目にゲスト出演されていたりもするのですが、それはまたの機会に紹介して、この記事の最後は『男!あばれはっちゃく』時代と『熱血あばれはっちゃく』にゲスト出演した織田さんを並べて紹介して終わりますね。

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『熱血あばれはっちゃく』29話より
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左『男!あばれはっちゃく』62話アバンタイトルより、右『熱血あばれはっちゃく』29話より