柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』43話「他流試合だ」感想

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『男!あばれはっちゃく』43話より

1981年1月24日放送・脚本・山根優一郎さん・監督・松生秀二監督

2段階

今回の話を見て、なんとなく話が2段階になっているなって感じました。分離しているのではなく、出来事の繋がりがありながらも、1話で2つの話を見ている気分になったのです。

最初、下校時にみゆきちゃん達が浅見道場のタケダ イチロウとカワムラ マサシの2人から対決を申し込まれますが、他流試合を禁止されていることで、みゆきちゃんが断ると、イチロウとマサシの2人はみゆきちゃんのスカートを捲りあげて、挑発をしてきます。

一緒にいた邦彦は掃除当番で、遅れて下校していた長太郎と章の元に駆けつけ、みゆきちゃんのことを知らせ助けを求めます。邦彦から、みゆきちゃんの被害を聞いた長太郎は急いで駆けつけますが、既に現場にはみゆきちゃん達の姿はなく、長太郎は心配するものの家に帰り、そこで隣に住むみゆきちゃんに会って、大丈夫だったかと尋ね、みゆきちゃんがとても傷つき、怒っていることを知ります。

長太郎はみゆきちゃんの為に、浅見道場に来て道場破りをしてしまいます。ここで、ヤマグチ ケイスケが登場し、イチロウとマサシの非礼を詫びて、ことを収めるようにと長太郎に丁寧にお願いをします。長太郎は闘いを申し込みますが、ケイスケもやはりみゆきちゃん同様に他流試合を禁止している教えを守って、それを断ります。

好きな女の子に酷いことをされて、長太郎が怒り、相手を叩きのめすというのが、一つの話とするならば、ここで、話は終わると思うのですが、ケイスケが登場してきて、長太郎が浅見道場の看板を持ってきたことで、長太郎の合気道の師匠である熊田和尚から怒られ、また、みゆきちゃんの家にケイスケがイチロウとマサシを連れて、謝りに来て、みゆきちゃんのケイスケが幼馴染で仲が良かったことから、長太郎の怒りがイチロウとマサシの2人からケイスケに移ったことで、新しい話が始まったように感じました。

最初の話は導入口

今回の話で書きたかったのは、この長太郎とケイスケの対決の方で、イチロウとマサシの件に関しては、そこへ繋げるための導入口のように感じました。長太郎とみゆきちゃん達が学んでいるのは合気道、ケイスケ達が学んでいるのは柔道。熊田道場も浅見道場もどちらも他流試合は禁止していて、それでも、長太郎はケイスケに決闘を申し込んでしまいます。

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『男!あばれはっちゃく』43話より

決闘を受け取ったケイスケは、師匠の浅見に報告し、浅見も熊田和尚に報告して、どうしたものかと首を傾げます。結局は、双方の道場主の計らいで、親善試合として、長太郎とケイスケの対決を認めることになります。ここで、熊田和尚から長太郎に一言あって、それが最終的に長太郎の行動の決断の理由になります。

合気道も柔道も格闘技の一つではあっても、相手を痛めつける目的で使うものではないという戒め。対決をするにしても、ルールにのっとって行うという基本精神を説いています。そこには、初代『俺はあばれはっちゃく』5話(脚本・市川靖さん・監督・山際永三監督)で暴力を使わないとヒトミちゃんに誓い、喧嘩ではなくボクシングというスポーツで茂と対決した初代長太郎を思い出させました。

今回は、ここにみゆきちゃんからの八百長のお願いが入ることで、簡単に言えば「男同士の対決に女がしゃしゃり出る」ことで、話にスパイスがかかりました。正直、このみゆきちゃんの八百長のお願いは、個人的に好きではありません。みゆきちゃん側にそれなりの理由があって、それがみゆきちゃんから出たケイスケを思っての優しさだと分かってもです。

女の子(マドンナ)の使い方

この記事は、話を視聴した私の感想記事ですので、私が感じたままを書きますが、長太郎に八百長をお願いするみゆきちゃんが、男の子が恋愛感情を持っている女の子を男の子を翻弄する道具として使っているように感じてしまって、不快感を感じてしまったのです。

それりゃ、ヒロインが長太郎を翻弄する態度は、歴代の『あばれはっちゃく』の話の中で、他にもいくつかありますが、その大抵が(あくまでも)私の中では微笑ましい笑って済ませるレベルだったのに対して、今回は笑って済ませない、モヤモヤした気持ちが生まれてしまいました。この話を通して、私はヒロインをどのように動かし、話に関連させるかというのは、思っているよりもずっと難しいんだと感じました。

心に響く部分にも目を向けて

長太郎は迷いながらも、私情を持ち込まないという熊田和尚の言葉を思い出し、ケイスケと対峙します。約束された褒美ではなく、誠実に相手と向き合って闘うことこそが、相手に対する礼儀であるということ。誠意には誠意に応えることの大切さ、そこに水を差すことは無粋であるというのを感じました。

対決が終わって、みゆきちゃんも含めて、長太郎とケイスケが語り合った場面はとても清々しく、みゆきちゃんも八百長を頼んだことを申し訳なく思っていたのは嬉しく、3人がそれぞれに納得して終わったのは、とても良かった思いました。

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『男!あばれはっちゃく』43話より

私は男の子、女の子と分けた形で見てしまったのですが、これは性別に関係なく、個人個人の考え方で行動したものだという視点で見る必要があるんだなって思います。ジェンダー差別が盛んになる一方で、逆ジェンダー差別が多くなっている現代において、『あばれはっちゃく』の男性観、女性観は古くなりつつあり、若い世代や同世代でも、それまでの社会的男性観、女性観に疑問を感じていた人達には、受け入れにくい部分もあると思います。

しかし、そこだけを論じて終わるのではなく、それ以外の良い部分、人として大切にするべき部分、心に感じる部分にも目を向けて見て欲しいなって、ファンの一人として思います。