柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』44話「勝ったら負けだ」感想

『男!あばれはっちゃく』44話より

1981年1月31日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

昭和14年生まれ

父ちゃんと章の父ちゃんが屋台で飲んでいて、2人が共に昭和14年(1939年)生まれの同い年だと分かって意気投合しています。この話が放送されたのが、1981年1月なので、この頃の父ちゃん達は41歳、1月の間に誕生日が来ていれば、42歳ということですね。

この後、長太郎の学校の父親参観に出た父ちゃん達は、体力測定をして、そこで父ちゃんは、30代と言われて喜びますが、実年齢が40代なら、それも納得です。同い年で仲良くなった父ちゃん達も、翌日のこの父親参観の体力測定をきっかけに、喧嘩をしてしまいます。

3代目『熱血あばれはっちゃく』26話「決闘!体力テストだ」(脚本・山根優一郎さん、松生秀二監督)でも、同じように父ちゃんと実の父ちゃんが町内会の体力テストで仲違いする話がありますね。ちなみに、3代目の父ちゃん達は共に昭和19年(1944年)生まれでした。

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『男!あばれはっちゃく』44話より

なんというか、長太郎の親友に父親がいる設定になってから、父ちゃん同士が仲良くなって、仲違いをし、長太郎とその親友がロミオとジュリエット状態になり、何とか長太郎達が父ちゃん達の仲を戻そうとする話が『あばれはっちゃく』シリーズの定番話になったように思います。

初代の長太郎の親友の公一の家は母子家庭だったので、ありませんでしたが、2代目から出来た話の定番の一つですね。

親しき仲にも礼儀あり

仲違いするのは、些細なことなんですが、自分の理解者、味方だと思っていた人が、自分を笑い者にしたことへのショックによる心の傷。

後で、母ちゃん達もそれぞれの夫に言う言葉で、思い出す言葉が「親しき仲にも礼儀あり」です。私とあなたの仲だから、これくらい笑って済まそうとか、このくらいは許されるって、相手にしてみれば、勝手な決めつけなんだなって思います。それって、相手に甘えているだけなんですよね、きっと。

和美ちゃん

『男!あばれはっちゃく』44話より

今回、出番はあまりなかったのですが、この話で和美ちゃんが印象に残りました。今回の父親参観でいつもの長太郎達6人のメンバーで、父親参観に来れるのが、長太郎と章の父ちゃんだけなんですね。

みゆきちゃんのパパは学会、邦彦の父親の佐藤部長は出張、弘子ちゃんのパパはお得意さんとゴルフ(多分、接待ゴルフ)で来られない。弘子ちゃんは、暇な父親は参観日に来れていいなって言いますが、その中で和美ちゃんだけは無言。それは、和美ちゃんには父親がいないから。それでも、文句も不満も言わない和美ちゃんを見ていて、辛く感じました。

初代で母親達が参観日に来た時(『俺はあばれはっちゃく』15話「アイラブ母ちゃん」脚本・三宅直子さん、山際永三監督)に、母親のいない正彦のとこは、正彦の伯母さんがきて、正彦を気遣ったヒトミちゃんが一言、佐々木先生に言ったことがありましたが、今回は和美ちゃんを気遣う言葉はなかったなってことを思いました。

父ちゃん達の趣味

『男!あばれはっちゃく』44話より

長太郎と章は、父ちゃん達を仲直りさせるために、寺山先生に相談をすると、それぞれの共通の趣味を通じて、仲直りをさせたらと提案されます。この時、長太郎と章がそれぞれの父ちゃん達の趣味を3つ挙げます。

長太郎は、「釣りにパチンコに、後ジョギングくらいかな」章は「馬に、舟に、自転車だ」と。ちなみに章の言葉に長太郎が説明を求めて、これが競馬と競艇と競輪だと分かります。章の父ちゃんはギャンブルが好きみたいですね。父ちゃんもパチンコが趣味に入ってるので、似たのようなものですが。

共通の趣味がないなって、思ってたとこで、長太郎が父ちゃんの趣味に将棋があると気づき、章もまた自分の父親が将棋好きだと思い出します。

過去記事でも、書いてきたのですが、やはり父ちゃんの趣味には、釣りと将棋が入ってましたね。2代目のこの話で、父ちゃんの趣味は、釣りと将棋で確定で間違いありません。

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さて、この共通の趣味の将棋で父ちゃん達を仲直りさせようとするのですが、この将棋でまたまた仲違い。さて、仲直りどころか、さらに拗れてしまった父ちゃん達。さらにこの時、母ちゃんのバッグが犠牲になるという、踏んだり蹴ったり。

この母ちゃんのバッグが仲直りの伏線になっていくのですが。

意地の張り合い

長太郎達はもう一度、寺山先生に相談します。ここで、タイトル回収の「負けるが勝ち」が出てきます。私は、この結論に辿り着くまでの流れやそこに気がつくきっかけが、それぞれの父ちゃんの中で自然に、ふと気づく場面があれば良かったなって思いました。

では、私だったらどんな話、脚本にしていたか?って考えると、自然にさりげなくそうした場面を入れるのって難しいなって。それに、父ちゃん達は意地の張り合いになっていて、自分は悪くないって考えで凝り固まってますし、相手が自分を認めて謝罪するのが当然という態度ですから、自分が負ける、自分の感情を折るって発想が出来ない。これでは、自分から負けるが勝ちなんて出てきませんよね。

そういう状態では、第三者がそれに気づかせるのが、やっぱり必要で自然なのかなって。

まあ、長太郎は母ちゃんのバッグをダメにした父ちゃんの弱みを使った訳ですが、第三者が負けるが勝ちを気付かせるって、他に方法はなかったのかな、なんて思ったり、でも、小学5年生の長太郎が必死考えた結果だとすれば、精一杯の閃きだったんだとも思えるんですよね。

大人って

全てが終わって、章が「大人って分からない」って言うんですが、大人って、基本、あまり子どもと感情面では、変わらないと思うんですよ。今回の父ちゃん達を見ていても、私自身が大人になってみて、周囲が大人になって分かったのは、感情、心は子どもの頃と変わらない。

身体や立場は大人になっても、根本は変わらないから、傷つけられたら怒るし、信じていた人に馬鹿にされたら悲しいし、自分の悔しい思いを我慢しなきゃって思っても抑えることができない時もあるし。それでも、どこかで妥協して、自分の気持ちを抑えて受け入れる必要がある。

もしも、大人と子どもの差があるとすれば、それは妥協することのできる数なのかな、なんてことを思いました。

今回分かったこと

今回の話は、2代目の父ちゃんの生まれ年と趣味がはっきり分かった話でした。後は、大人になると、大人気ないと思っていた父ちゃん達が、自分達とあまり変わらない人間だったんだなって分かって、大人だから何でも出来て、平気ではないんだってことを知ることが出来た話でした。