柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

1979年に国際放映が制作していたドラマ

『俺はあばれはっちゃく』以外

ふと、『俺はあばれはっちゃく』が制作、放送されていた1979年2月3日~1980年3月8日の期間に『俺はあばれはっちゃく』を制作していた国際放映は、他にどんなドラマを制作していたのかな?と思って調べてみました。恐らく、漏れはあると思いますが、自分の思い出させる範囲と調べた範囲で作品を紹介していきます。

ケンちゃんシリーズ『カレー屋ケンちゃん』

まず、思い出すのはTBS系列で放送されていたケンちゃんシリーズですね。私の世代は2代目ケンちゃんの岡さんの時代。『俺はあばれはっちゃく』が放送されていた時期のケンちゃんシリーズの作品は『カレー屋ケンちゃん』です。『カレー屋ケンちゃん』は、1979年3月1日~1980年2月28日まで放送されています。私はこの『カレー屋ケンちゃん』はあまり覚えがなく、この次の『ケンちゃんチャコちゃん』(1980年3月6日~1981年2月26日)の方をよく覚えています。

子どもの頃に、『あばれはっちゃく』と『ケンちゃん』シリーズは大好きでよく見ていたのですが、『あばれはっちゃく』は引っ越し先で、平日に帯で再放送(もしくは遅れ放送)があって見ていたこともあり、ビデオデッキがない時代でも、繰り返し見ていたこともあって、『ケンちゃん』シリーズよりも、意外と記憶に残っているんですね。

自分の中で『あばれはっちゃく』はDVDを買う前から、見ていた初代から4代目まで断片的でも、覚えている場面や台詞があって、DVDで確認して記憶が鮮明になるんですけども、『ケンちゃん』シリーズはあんなに好きだったのに、主題歌と岡さんの顔以外は覚えていないので、「あれ?なんでだろう」と自分自身でもとても不思議でした。

こうして、記事に出して書いてみて、2作品の視聴環境の違いが2作品の思い出に対する違いだったのかな、なんて今は思います。

ふしぎ犬トントン

この作品は見たことがないのですが、いろいろと調べていくうちに知った作品です。この作品も『あばれはっちゃく』のプロデューサーの鍛冶昇さんが手がけた作品でした。私が調べたところ、この『ふしぎ犬トントン』が鍛冶さんのプロデューサーとしての初めての作品だったようです。

放送局はフジテレビ(CX)。放送期間は1978年10月30日~1979年4月23日まで。『俺はあばれはっちゃく』よりも、先に放送されていますが、2カ月間ほど放送期間が被っています。主演は坂上忍さん。

坂上忍さんは1967年6月1日生まれですので、11歳の時に『ふしぎ犬トントン』の主演を演じていたことになりますね。『ふしぎ犬トントン』は鍵っ子と犬型宇宙人の話だそうで、なんだか不思議な話に感じました。放送局はフジテレビなんですが、TBSのブラザー劇場(『コメットさん』や『刑事犬カール』を放送していた枠)で放送されていたような作品だなって思いました。

この作品に関しては、私は見たことがないので、ウィキペディアの情報になりますが、坂上忍さんは、このドラマがきっかけで犬好きになったのだそうです。『俺はあばれはっちゃく』の主演の吉田友紀さんは、DVD付属のブックレットのインタビューを読むと『俺はあばれはっちゃく』をやる前から、犬好きだったようで、共演したドンペイがとても可愛いと話されていました。

吉田友紀さんは1973年~1974年にフジテレビで放送された特撮『鉄人タイガーセブン』にレギュラー出演していて、その時に共演した姉役の久万理由香さんから犬を貰っていて、この時にもらった犬に久万理さんが『鉄人タイガーセブン』で演じた役の青木ジュンの名前「ジュン」をつけています。

原作の『あばれはっちゃく』は、長太郎は飼い犬を飼っていないので、『あばれはっちゃく』のドラマで犬を出す必要はなかったと思いますが、『ふしぎ犬トントン』に続いて、主人公の重要な相棒役で犬を出演させていたのを知ると、『ふしぎ犬トントン』と『俺はあばれはっちゃく』に共通するプロデューサーである鍛冶昇さんの意向や趣味があったりしたのかなって思いました。これは、全く私の憶測なんですけれども。それを確かめることも今は出来ないのは寂しいですね。

後、個人的にもしも坂上忍さんが『ふしぎ犬トントン』の主演をしてなかったら、坂上さんがひょっとしたら、正彦を演じていた未来もあったりしたのかなって思いました。まあ、これは子役時代の坂上さんを思い出して、正彦を演じてもあっていたかも?という私の妄想なんですけれどね。

坂上さんも吉田さんみたいに主演はオファだっただろうか、といろいろと気になる作品ではあります。

コメットさん・大場久美子

『俺はあばれはっちゃく』の放送期間に国際放映が制作していたドラマで『俺はあばれはっちゃく』以外で大好きだったのが、大場久美子さん版の『コメットさん』です。『ふしぎ犬トントン』のところでも少し書きましたが、『コメットさん』はブラザー劇場の枠で放送されていました。ブラザーはミシン会社でしたよね、確か。

『コメットさん』はTBS系列で放送され、その放送期間は1978年6月12日~1979年9月24日まで。もう、めちゃめちゃ大好きだったドラマの一つで、コメットさんが持っているステッキを妹が持っていて、それを振りながら遊んだりなんかして、妹は卒園集に「コメットさんになりたい」という夢を書いていたのを思い出します。

特に再放送とか帯放送でみた記憶はないので、細かい話を覚えているか?と問われると『カレー屋ケンちゃん』と同じくらいあやふやなんですが、主題歌も『コメットさん』が大好きだったことも、コメットさんごっこをして遊んだことも覚えています。今でもとても大好きな作品の一つですね。

西遊記西遊記2

堺正章さんの『西遊記』と続編の『西遊記2』。『西遊記』が1978年10月1日~1979年4月8日まで、『西遊記2』が1979年11月11日~1980年5月4日まで放送されました。放送局は日本テレビ

こちらのドラマもとても大好きなドラマで、主題歌もとても好きな作品です。このドラマは小学生の頃、再放送で平日によく見ていました。三蔵法師役の夏目雅子さんがとても綺麗で、こんな綺麗な人がいるんだなって見惚れていました。

三蔵法師に誤解された悟空が泣きながら訴えた姿とかを覚えていますね。お話だと鬼子母神の話とか。数年前にテレビ神奈川で放送されたのもあって、意外と話を覚えています。全話ではありませんけれども。猪八戒西田敏行さんから、左とん平さんに変わって、馴染むまで少し時間がかかったことも、それも今となっては懐かしい思い出ですね。

西遊記』は『俺はあばれはっちゃく』にレギュラー出演していた俳優の人達も結構出演していて、父ちゃん役の東野英心さん(『西遊記』2話)、正彦役の草間光行さん(『西遊記』2話)、小百合役の大平佳奈子さん(『西遊記』7話)、正彦の父親役の頭師孝雄さん(『西遊記2』23話)。

今回は初代『俺はあばれはっちゃく』の年にスポットを当てて書いているので、『男!あばれはっちゃく』以降のレギュラー俳優の方も数人は『西遊記』『西遊記2』に出演していたりするのですが、省略しています。

また、『俺はあばれはっちゃく』のゲスト俳優の方達も時代と時期が被るので『西遊記』『西遊記2』に出演されている人もいますが、キリがないので、今回は『俺はあばれはっちゃく』のレギュラー、準レギュラーの中で『西遊記』『西遊記2』に出演されている方達に絞って紹介しました。

けっぱれ!大ちゃん

『けっぱれ!大ちゃん』1979年10月30日~1980年3月18日まで。この作品も私は見た覚えがありません。放送局は『俺はあばれはっちゃく』と同じテレビ朝日でした。作品内容を調べて見ると、モスクワ五輪に合わせて作られた作品なんだなって思います。1980年はモスクワ五輪の年でしたが、日本がボイコットをしたために、日本でのオリンピックの印象はなかったですね。

この年はアニメでも『こぐまのミーシャ』(1979年10月6日~1980年4月5日・テレビ朝日)とかがあったと思うんですけど、あまり記憶になくて、そういえば『俺はあばれはっちゃく』『男!あばれはっちゃく』のアバンタイトルには、オリンピックを意識したアバンタイトルがありましたね。日本と他にボイコットした国にとっては、幻のオリンピックになりました。

『けっぱれ!大ちゃん』のプロデューサーとかスタッフとか見ると、第一期、第二期ウルトラマンシリーズで知った面子が揃っているなって思いました。プロデューサーが熊谷健さんだし、脚本家が上原正三さんと藤川桂介さん、監督に湯浅憲明監督と『ウルトラマン』関連で知った方達の名前が目につきます。

国際放映は、『ウルトラマンタロウ』(1973年4月6日~1974年4月5日・TBS)の制作などにも関わっていましたし、国際放映の作品で『ウルトラマン』シリーズに関わった人達が関わるのも至極自然の流れだと思いますし、この頃は上原さんも藤川さんもフリーの脚本家でしたし、熊谷さんはこの時期は国際放映に移籍されているので、こちらも納得。

第二期ウルトラマンシリーズなどで、一緒に仕事をされた方達を熊谷さんが引っ張ってきたのかな?なんて思いました。『けっぱれ!大ちゃん』は青森から上京した柔道家のケンちゃんがモスクワ五輪を目指す話なんだそうですが、プロデューサーの熊谷さんが青森出身なので、だから主人公は青森出身なのかなって思いましたね。

まとめ

さて、『俺はあばれはっちゃく』が放送されていた時期に、制作会社の国際放映が他にどんな作品を制作していて、どんな作品が放送されていたかを紹介してみました。思い出したり、調べたりして書いてきましたが、結構、ありましたね。そして、見ていない作品もありましたが、『俺はあばれはっちゃく』と同じくらい大好きな作品もあって、とても懐かしく思います。

私の一番古い記憶は4歳の頃の1978年からなんですが、今回出したドラマ作品は、その一番古い記憶と重なっていて、一番楽しかった時代でもあるので、その記憶を思い出し、辿っていくのは、なんだかとても大切なきらきら光る宝物を久しぶりに見た満足感を感じました。