柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

9月3日がお誕生日といえば

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『痛快あばれはっちゃく』OPより

 おめでとうございます!

今日は4代目長太郎を演じた坂詰貴之さんの48歳のお誕生日です。

坂詰さんは1972年9月3日生まれ。

劇団ひまわりに所属され、劇団ひまわり系列の砂岡事務所に所属し、その後、声優プロダクションのプロダクションバオバブに所属されたのち、現在は声優ナレータープロダクションアクセントに所属して声優として活躍されています。

坂詰さんに関しては、いろいろと『あばれはっちゃく』に関してファンサイトを巡っていた時、長太郎役からずっと坂詰さんを大好きな方のサイトを見つけて、現在は声優として活躍されていることを知りました。

その坂詰さんのファンの方は本当に坂詰さんが大好きで、坂詰さんのサイン色紙を大事に持っていて、さらに4代目『痛快あばれはっちゃく』放映時代のテレビ朝日の促進用というのでしょうか、『痛快あばれはっちゃく』の写真の下敷き(裏は『ドラえもん』)も持っていました。

坂詰さんの出演作リストもあり、本当にずっと坂詰さんが大好きなんだなって微笑ましく思いました。また、Facebookのページでも長太郎を演じていた時代の坂詰さんと写真を撮った方が写真を見せてくれて羨ましいなって思いました。

4代目『痛快あばれはっちゃく』で起きた変化

4代目はこれまでひらめく時は逆立ちが定番になっていたのを、ブリッジに変えたのが新鮮でしたね。変化といえば、EDが3代目まではOPと同じ堀江美都子さんが歌っていたのが、4代目でEDは松下丸子さんに代わりました。さらに、4代目でドンペイが2代目に変わりました。その2代目ドンペイは4代目ヒロインまゆみちゃんから長太郎にプレゼントされた犬です。

前作からの変更点が多くあった4代目『痛快あばれはっちゃく

他に初代長太郎役だった吉田友紀さんが4代目長太郎にレスリングを教えるお兄さん島津隼人役としてセミレギュラーで参加されていました。

ほぼ同じメンバーで約2年

また、4代目は2代目『男!あばれはっちゃく』(1980年3月22日~1982年3月27日 全102話)の次にシリーズで長く続きました。

4代目『痛快あばれはっちゃく』は1983年4月2日~1985年2月23日 全93話。

2代目も4代目も2年続いたのですが、特筆するべきことは2代目の長太郎の同級生のレギュラー子役がみゆきちゃんを除いて途中で入れ替わっていったのに対して、4代目は中島トシ子役の飯島由起さん(1話~51話)から山本けい子役の波田小百合さん(52話~93話)に変わっただけで、それ以外は同じ同級生レギュラーメンバーで最終回まで続いたことです。ちなみに4代目は52話から6年生に進級しています。なお、52話のアバンタイトルでは5年生から続投している同級生レギュラー子役が勢ぞろいしています。

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『痛快あばれはっちゃく』51話OP

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『痛快あばれはっちゃく』52話OP

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『痛快あばれはっちゃく』52話アバンタイトルより

ほぼ同じ同級生子役メンバーで約2年続き、また視聴率も盛り返した4代目。

2代目『男!あばれはっちゃく』の最高視聴率は21.7%、3代目『熱血あばれはっちゃく』の最高視聴率が19.7%でしたが、4代目『痛快あばれはっちゃく』の最高視聴率は20.2%でした。いずれも視聴率の数字はDVD付属解説書より。

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江戸っ子の長太郎

2代目から長太郎は転校生になりましたが、4代目は転校生とは言っても学区内の区割りが変わったことによる転校生でしたので、他県からの転校生ではありませんでした。

初代長太郎は転校生ではなく、このブログで検証してきたように神奈川県美玉市に住む小学生。(コミカライズでは東京都町田市)

2代目長太郎は群馬県、3代目長太郎は栃木県、5代目長太郎は茨城県から転校してきた転校生という設定でした。

最初から東京都民の長太郎は4代目だけだったりします。

誕生日が設定された長太郎

それだけでなく、長太郎の誕生日がドラマ内で明確にされたのは4代目だけ。4代目の長太郎は4月1日生まれの早生まれ。これは1話で明かされます。また、長太郎の親友の清の誕生日もドラマの中で判明していて、清は4月2日生まれ。長太郎と清は誕生日が1年差の同学年という設定でした。

長太郎が早生まれ最後の生まれということで体が小さく弱かったために体を鍛える意味もあって、吉田さん演じる隼人さんに鍛えてもらったという設定になっています。

坂詰貴之としての自己紹介

あばれはっちゃく』はオープニングの前にアバンタイトルと呼ばれる寸劇が入りますが、4代目の1話のアバンタイトルは、坂詰貴之さんが4代目長太郎役として自己紹介する内容になっています。その自己紹介を見ると、4代目長太郎ではない坂詰貴之さん個人のプロフィールを知ることが出来ます。

ここで、坂詰さんは家族構成や好きな教科、将来の夢について語るのですが、その将来の夢が「俳優」。坂詰さんが今も俳優業(私は声優も俳優業の1つとして捉えています)を続けているのは、子どもの頃の夢をずっと持っていて、俳優を続けているのだなって思いました。

年齢の近い長太郎

私が本放送時代に見ていた『あばれはっちゃく』は4代目まででした。

1974年生まれの私にとって4代目長太郎は歴代長太郎達の中で一番年齢が近く、また小学5年生になって運動会の組体操でブリッジを練習すると、4代目長太郎みたいだと嬉しくなって練習をした覚えがあります。

後に5代目『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~1985年9月21日)の存在を知り、どんぴしゃりの同い年の長太郎の存在を知るのですが、小学生時代の私にとっては4代目長太郎が一番自分に近い長太郎でした。

ビンタされた?

4代目と言えば、今から9年前に爆笑問題TBSラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』の「わっ、びっくりした」のはがきコーナーで、4代目『あばれはっちゃく』のロケに遭遇した人が坂詰さんがスタッフにビンタされたのを目撃したというはがきが読まれていました。そのことは過去にこのブログでも記事に書きました。

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この目撃証言が本当なのかどうか分かりません。もしかしたら、オフではなくドラマの中でのビンタだったかもしれないですよね。でも嘘だという証拠もない。ただ、昔、ラジオで4代目『痛快あばれはっちゃく』に関してこうしたはがきが読まれていたよということ。それを聞いたリスナーが盛り上がっていたことで、それだけ作品が多くの人達に認知されていた一つの目安になると思います。

ドラえもん

ドラえもんも9月3日が誕生日。

ドラえもん』は『俺はあばれはっちゃく』と同じ1979年にテレビ朝日で2回目のアニメ化になりました。『あばれはっちゃく』の劇中にはドラえもんが度々登場してきます。

この時代の子どもだった私たち世代にとって『あばれはっちゃく』と『ドラえもん』は子どもが夢中になったドラマであり、アニメでした。『あばれはっちゃく』シリーズの劇中にさりげなく登場してきたドラえもんが4代目では堂々とサブタイトルに登場してきます。

それは40話「ドラえもんねえちゃんマル秘作戦」(1984年1月14日放送)。

特に大きく繋がりはないのは承知ですが、子ども時代に夢中になったヒーローが同じ9月3日の誕生日だったということは、9月3日もまた特別な日(っていうか出演者や関係者、スタッフの人達が大勢いるので、もう366日全部特別な日になるわ)なんだなって思ってめでたいです。

坂詰さん、ドラえもん、お誕生日おめでとうございます。

 

『あばれはっちゃく』が大好きなバナナマンの影響力!

アクセスが伸びてる

ここ最近と言っても8月29日からですが、珍しいことにそこから数日間なぜかこのブログのアクセスが伸びています。

8月29日~9月1日まで三桁のアクセス数です。

過去にも1日に三桁を記録するも、その後が続かず二桁に戻るのですが、ここ数日は戻らず三桁を記録しています。

さて、このブログは2005年はてなダイアリー時代から始めていて今年で15年になるブログです。

現在のメインコンテンツである『あばれはっちゃく』シリーズを扱うようになったのは2009年からです。

あばれはっちゃく』を通して多くの人の目に留まり、コメントも頂き、他の『あばれはっちゃく』ファンブログ様との交流もさせて頂くようになりました。

ですが、元々、一般人の女が趣味や好きなこと、日常、仕事のこと等を書いてきたブログであり、その延長で子どもの頃に好きだった『あばれはっちゃく』についてあれやこれや思い出を語ったり、DVDを見て感想やら気づいたこと、そこから発展した妄想、空想、そういえば今出演者の人達はどうしているのかな、スタッフの人達はどうしているのかな、原作は、原作者の人はどんな人かなっていう疑問を調べてみたりしただけの個人の興味と趣味だけのブログであり、ブログタイトルも柿の葉がつけている日記だから「柿の葉日記」というありふれたブログタイトルなので、注目されることもなく、のんびりと好きな『あばれはっちゃく』について書き綴ってきました。

ラジオの影響力?

それでも『あばれはっちゃく』について書くことが増えて11年もきますと、『あばれはっちゃく』関連の言葉で検索されてこのブログに辿り着く人も多くなってきます。

先にも書きましたが、『あばれはっちゃく』関連で交友させて頂いた方が他のカテゴリーよりも多いです。

しかし、私が書きだした11年前より現在はまとめサイトやら私たち世代の懐かしい情報を扱うプロのサイトが多くなり、そこで『あばれはっちゃく』を取り扱うことも多く、私のブログは『あばれはっちゃく』で検索しても検索上位に来ることはなく、次第に訪問者も減っていき、また交友させていただいた方々もブログを閉鎖されたり、休止されたりとこの11年の間にも変動があり、変わらず訪問してくださる方達もいますが、足が遠のいた方達はそれぞれの生活があってネットに時間を割く暇もない状態だったりするのかなって思ったりします。

ちょっと寂しいですが、私はそれぞれにコメントで励ましてくれたり、温かい言葉や、いろいろと教えてくださった人達のことは大好きで過去のコメントを読み返して元気になっているのでコメントを書いてくださり訪問してくれた人たちが元気でいてくれたらなって今も思っています。

そんな訳で『あばれはっちゃく』に限らず、長くブログを続けているといろいろなことを経験していくのですが、今回のアクセス増加の1つの原因として、私がブログで『あばれはっちゃく』について書いてきたことが影響しているのかなっていうのが出てきました。

どうも、バナナマンがTBSの深夜に放送しているラジオ番組金曜JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』でバナナマンが『あばれはっちゃく』について語ったようなのです。

「ようなのです」と書いたのは、私がそれを知ったのが5代目長太郎役純烈リーダーの酒井一圭さんのTwitterで知ったからです。

また、そのことはヤフーニュースにもなりました。

news.yahoo.co.jp

バナナマンの2人がラジオで話されたのが8月28日(8月29日午前1時)の深夜25時の放送。

ちょうど私のブログのアクセス増加日と重なります。

おそらくバナナマンのラジオを聞いて『あばれはっちゃく』を知らない世代のリスナーが興味を持って検索しているうちに、この私のブログに辿り着いたのではないかなって思います。

ブログタイトルに『あばれはっちゃく』がなくても、『あばれはっちゃく』に関していろいろと書いてきて、たまに引用画像も出してあるので、目についたのかなって思います。

バナナマンは私よりも年上ですが、設楽さんが1歳上、日村さんが2歳上なので同世代。

あばれはっちゃく』は閃く時にブリッジをするとこまで言えると、ああ、本当に同世代だなって私は思ってしまいます。

 3代目『熱血あばれはっちゃく』までは逆立ちでしたから。もっとも初代から何も閃く時は逆立ちに限らなくて、初代の最初の閃きは別のポーズでしたけどね。それに関してはこちらの下記の過去記事をご覧ください。

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バナナマンのラジオをタイムフリーで聞いてみると、長太郎の家が店をしていたと話していて、バナナマンは2代目で卒業したと話していました。

ラジオ放送作家のオークラさんは3代目までとのこと。それだと4代目のブリッジを知っていたのが謎。

「ひらめけ、ひらめけ」から変わって「きらめけ、きらめけ」になったとオークラさんは言ったけど、そこでなぜ「はっちゃけ、はっちゃけ」が出ないのか。3代目から少し変わると言ってるので、もしかして代数の数え間違いをされているのかなって思いました。かつて、私もしていた間違いなので。

最初、バナナマンは初代は見ていないかと思いましたが、2代目が初代の人気を受けて一番長く放送していたのもあり、2代目から長太郎の家が店を始めてシリーズ最終作5代目まで続くので、その影響から初代の家はお店をしていない(母ちゃんが専業主婦)という印象が薄いか記憶が上書きされたのかなって聞いていくうちに思い直しました。

他に父ちゃん役の東野英心さんを東野えいじさんと言っていたり、主題歌の「はなつまみ」は定番通り「鼻づまり」で覚えていたりと気になりましたが、50代のリスナーから訂正メールが届いてホッとしました。

それにしても、このような無名のブログにも『あばれはっちゃく』をラジオで話題にした影響を受けてアクセス数が伸びるなんて、ラジオの影響力って半端ないですね。

シリーズの中にある緩やかな世代間

私は小学生時代に5代目『逆転あばれはっちゃく』を見た記憶がなくて、DVDで初めて見ることになり、本放送で見ていたのは初代『俺はあばれはっちゃく』~4代目『痛快あばれはっちゃく』までなのですね。

だから長太郎の閃く時のポーズや言葉の記憶が共有出来ている人に出会うと、ああ、同世代だなって思うのです。

ブリッジを知らないという『あばれはっちゃく』ファンの方は少し上の世代の方々で3代目までで卒業された方達、ブリッジに変わったと認識して以降も見てきた『あばれはっちゃく』ファンの方々は同世代。逆に4代目、5代目を知っていて3代目、2代目、初代を知らない人達は少し下の世代という認識でいて、1979年2月~1985年9月まで放送されるとシリーズの中に緩やかな世代間というのは生まれていて面白いなって感じます。

あ、そうそう、5代目をDVDになって初めて見て面白かったのは、5代目長太郎が次々と歴代の長太郎達の閃きのポーズをしては、「古い、古い、これも古い」という場面でした。

改めてこの5代目長太郎の場面については語りたいと思いますが、歴代の長太郎の閃きポーズでどれに思い入れが深いかとかで、ファンの中の世代差を知ることが出来る物差しになっていると思いました。

あばれはっちゃく』シリーズが終了して、今年で35年になると35歳以下の人にとっては生まれる前の良く分からないドラマになっているんだなって実感。

早朝の再放送で見て知っている若い世代の方もいることは知っているのですが、再放送やCSの放送に35歳以下の方達が巡り合うのが稀なこと。

また、1985年当時1歳から3歳とかの幼い方達も記憶にないんじゃないかな。

すると38歳以下の人には???で、40歳~42歳の人達はギリギリ4代目から知っている人達が多いのかな。

アクセスを年齢別でブログ訪問者をみると45歳~54歳(35.77%)の方が多いですね。

次いで35歳~44歳(32.11%)、25歳~34歳(17.15%)、55歳~64歳(8.03%)、18歳~24歳(6.93%)になっています。

意外と若い世代も訪れていてびっくりしています。

ここは『あばれはっちゃく』の情報について間違うこともありますが、かつてこんな面白いドラマがあってそれに夢中になって今も大好きな人がいることを知ってもらえたら嬉しいなって思います。

いやしかし、本当にバナナマンTBSラジオの力は強いわ。

バナナマンが『あばれはっちゃく』について語ったラジオはまだラジコのタイムフリーで聞けますので、興味のある方は下のリンクからどうぞ。視聴可能期限は2020年9月3日13時34分まで。

http://JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD | TBSラジオ | 2020/08/28/金 25:00-27:00 http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200829010303

 

ガキンコだと思ったら違った!(ドラマを見て分かる設定99)

 

名前が書いてあるのに

またまた間違いの訂正です。今まで、堂々と間違いを書いて出していたのが恥ずかしくて、穴があったら入りたい。指摘してくださったエルビスさんありがとうございました。私が5年近く間違いを書いていたのがこちらの下記のリンク記事。

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こちらの記事で清の着ているオーバーオールのアップリケを『チビラくん』(1970年3月30日~1971年9月25日)のガキンコと紹介したのですが、エルビスさんより『セサミストリート』のグローバーではないか、「Grover」の刺繍がありますとの指摘があり、調べてみるとその通りでした。

画像を上の記事のリンクの引用画像を見てもしっかり刺繍の名前が確認出来ますが、よりはっきり分かるように画像を拡大します。このとおり名前が刺繍されているのに間違えていました。恥ずかしい。

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『痛快あばれはっちゃく』3話より

日本での放送がなかった時代

セサミストリート』は、1969年にアメリカで始まった人形劇ですが、日本で放送されたのは1971年7月21日~8月31日まで夏休みスペシャルとしてNHK教育放送されたのが初めて。それから同じ年の12月に冬休みスペシャルとして放送、1972年1月1日~7日までお正月スペシャルとして放送したのち、1972年4月からレギュラー放送され、1982年から1987年まで放送がなく、1987年1月からNHKBS2で放送され、1987年4月から再びNHK教育で放送されました。

『痛快あばれはっちゃく』が放送されていた時期は1983年4月~1985年2月までで、『セサミストリート』の放送が日本ではない時期でした。しかしながら、4代目長太郎は1972年度生まれの小学5年生の設定です。(ただし長太郎は4月1日の早生まれなので1973年生まれ)

4代目長太郎達が生まれる1年前に日本での放送がスペシャルの形とはいえ日本で初放送され、長太郎達が生まれた1972年にレギュラー放送が始まり放送が途絶えたとはいえ、長太郎達の学年と共に日本放送があったということになります。面白いのは、『セサミストリート』のウィキペディアによると日本での商品展開は1989年から始まっていることです。

『痛快あばれはっちゃく』が放送した期間は1983年~1985年。

まだ、日本で商品展開がされていない時期。また、『あばれはっちゃく』の衣装は国際放映の衣装部の衣装であり、過去の国際放映の『あばれはっちゃく』シリーズ以外の作品でも長太郎達が着ている服を確認出来ます。

それに関しては、こちらの過去記事をご参照ください。

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すると、これは国際放映の方で作った衣装なのか、はたまた実はアメリカで売られていたキャラクター服、ワッペンだったのかもしれません。それとも、私が知らないだけで日本にも当時(1983年)『セサミストリート』の服が売られていて、それを国際放映の衣装部が手にしていて使っていたのかもしれません。

恥をさらして真実を知る

ガキンコだと思っていたのが、『セサミストリート』のグローバーだと分かると、4代目長太郎の時代に放送がなかったとはいえ、4代目長太郎の世代のキャラクターだったことが分かり、清が着ていてもなんら不思議はなく、当時、見ていた人にも懐かしいキャラクターだったということですね。

私も当時、見ていた小学生の一人だったんですが、『セサミストリート』は小学生時代に見ていなくて、『痛快あばれはっちゃく』を見る直前に見た『チビラくん』のガキンコに似ていると思って「Grover」と刺繍があるのに、そこに疑問を持たず、調べも疎かで、ドヤ顔で5年も間違った情報を流していたのが恥ずかしい。(/_;)

こうして、恥をかきつつも、ちゃんと訂正して正しい情報を教えてくれる人がいて、間違いを直すことが出来たし、ちゃんと正しい見方が出来て検証が出来て良かったなと思います。ちゃんとした目線で作品を見て楽しめるってとても大事。

エルビスさん改めて訂正情報ありがとうございました。

初代長太郎が見ていた歌番組(ドラマを見て分かる設定98)

 長太郎が見ていた歌番組

今回は前日、前々日に記事を書いて思い出したこと、また、情報を教えていただきたく思い記事を書きます。

『俺はあばれはっちゃく』2話で長太郎が日曜日にピンクレディーが出演している歌番組を見ながら踊る場面があります。

この日が日曜日なのは、母ちゃんとてるほの言葉から明確に判明しています。

長太郎が見ていた歌番組の映像が以下の映像です。

歌っている歌は『カメレオン・アーミー』。

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

『カメレオン・アーミー』は1978年12月5日にリリースされました。

『俺はあばれはっちゃく』の放送は1979年2月3日ですが、撮影は1978年12月。

下記の過去記事で1978年12月からの撮影だと分かる場面を紹介しています。

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長太郎が見ていたピンクレディーが出演した番組はなんの番組なのでしょう。

歌番組だと書きましたが、何かのバラエティーの歌のコーナーの可能性もあります。

特徴はピンクレディーの後ろでマスクをつけて踊っている2人です。

長太郎が見ていた時間は日曜日の母ちゃんやてるほの言葉からお昼ごろだと推定できます。

そこでそれを手掛かりに番組を調べてみると、1979年日曜の12時テレビ朝日で放送していた番組が『真っ昼間!笑っちゃおう』(1978年7月2日~1979年4月1日)というゲスト歌手の歌コーナーもあるバラエティー番組だと分かりました。

なので長太郎が見ていたのは『真っ昼間!笑っちゃおう』だと思うのですが、決め手に欠けます。番組に覚えのある方はいらっしゃいませんか?

エルビスさんより情報を頂きました。(2020年8月27日追記)

ピンクレディーの後ろで踊っている着ぐるみを手掛かりに調べたところ、『走れ!ピンクレディー』(1978年10月5日~1979年3月29日)だと判明しました。着ぐるみの名前はモンピ―。放送は木曜日の19時半~20時まで。

2話は日曜日の出来事から話が始まっていますが、長太郎が見ていたピンクレディーの番組は現実の世界では木曜日に放送されていた番組だったということです。

劇中の日曜日にとらわれ、現実世界の日曜日のテレビプログラムに拘って間違った情報を書いてしまいました。また、情報を正してくれたエルビスさんに感謝します。ありがとうございました。

また、桜間家のテレビに覚えのある方はいないでしょうか。

テレビに関しても調べてみましたが、ナショナルと三菱が1970年代に出していたテレビに近いものがありましたが、こちらも決め手に欠けて断定が出来ませんでした。

放送のないチャンネルで過去の番組

桜間家のテレビチャンネルはテレビ朝日で固定と昨日書いたように、長太郎が見ているピンクレディーの番組のチャンネルは「10」になっています。

あばれはっちゃく』をリアルタイムで見ていた人達はテレビチャンネルが10なら、テレビ朝日だとすぐに分かると思います。

1979年は関東キー局のチャンネルは、1がNHK、3がNHK教育(現・Eテレ)、4が日本テレビ、6がTBSテレビ、8がフジテレビ、10がテレビ朝日、12が東京12チャンネル(現・テレビ東京)ということも、当時関東地方に在住されていた方々なら承知していると思います。

ところが、前日に記事にした父ちゃんが見ていたプロレスのチャンネルは「2」なのです。

今の時代なら2チャンネルなんて、若い人達は某掲示板を思い出す人もいるかもしれませんが、1979年は放送がないチャンネルという認識でした。

 本来は1978年8月4日に放送されたプロレスを10チャンネルではなく、1979年2月に放送された『俺はあばれはっちゃく』4話の劇中の中では、放送局がない2チャンネルで放送していたことに、これは4話が放送された1979年2月ではどこも放送していない番組ですよっていうメッセージが隠れているようで面白いなって思いました。

最後に

 まだ持病や精神的な不調があり、住んでいるアパートの取り壊しによる新居探しが困難で落ち着くことがなく、2代目『男!あばれはっちゃく』の各話感想も再開の目処が立たないのですが、それでも新生活や再開に向けて少しずつでも調子を整えているところです。

持久力といいますか、集中力の継続、それに伴う記憶の持続が細切れになっている中で、ふと、昔の記憶、覚えたこと、疑問に感じていたことは思い出すことが多くなりました。

新しい記憶よりも古い記憶の方が覚えているというか、日ごろの中で、昔に感じていて忘れていた(眠っていた)疑問が呼び起こされて気になり、昔の疑問が解決するというのが続きます。

前日、前々日の記事もその類です。私の場合、『あばれはっちゃく』のことを考えていて、あの時は、ああ書いたし、思っていたけど、今、いろいろと情報を知ったり、考え直すとあれはどうだっただろうか?あの時は、どんな場面や台詞だったっけ?と思い返して、該当の話を見返すようになりました。

これがとてもランダムなので、各代ごとに順番にいかないのが厄介です。

不安定で当初の予定通りにならないのなら、最初から予定を立てて宣言しなければ良かったなと、このブログを読んでくださる方々に申し訳なく思います。 

父ちゃんが見ていたプロレス(ドラマを見て分かる設定97)

 

『俺はあばれはっちゃく』の父ちゃんが4話で見ていたプロレスの試合が猪木選手と誰の試合だったのか、いつ放送されたのかが分からないと過去記事に書きましたが、それが判明しました。それについて、はてなブログに出してなかったので、今更ですがその記事をUPします。

父ちゃんが見ていたプロレス

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『俺はあばれはっちゃく』4話より

上記の記事にFacebookで頂いたSeiji Ala Okada さんのコメントで父ちゃんが見ていたプロレスの試合がいつの試合かが分かったのがとても嬉しかったです。プロレスの試合は1978年7月27日(木)に日本武道館で行われたアントニオ猪木さんとボブ・バックランドさんの試合で、1978年8月4日(金)に放送された試合でした。

『俺はあばれはっちゃく』は1978年の暮れ、12月にクラクインしていますので、この映像はビデオ映像だと分かります。

ドラマの時間の流れに沿って、自局のテレビプログラムで曜日を表現していたのだと分かった話でした。ドラマ内の長太郎達の過ごしている日にちや曜日、時間を知る手掛かりになるテレビ番組などには、いろんな発見があります。

Seiji Ala Okada さん、改めてコメントをありがとうございました。

補足

少し補足します。

ワールドプロレスリング』は放送開始は1969年7月2日で当時は水曜日夜9時からの放送。水曜での放送は1970年3月まで続きます。その後1970年4月6日~1972年9月25日までは月曜日夜8時まで。

1972年7月28日から金曜日夜8時にも放送が始まります。1972年9月25日までは、月曜日と金曜日の夜8時までと週2回放送がありましたが、『俺はあばれはっちゃく』が始まった1979年2月の時点では、『ワールドプロレスリング』の放送は金曜夜8時の週1回の放送になっています。

桜間家のテレビチャンネルは基本テレビ朝日で固定

まあ、前日の記事と合わせて、桜間家のテレビのチャンネルは基本テレビ朝日固定ですね。

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そもそも『あばれはっちゃく』がテレビ朝日で放送されていたから問題なしというか、当たり前といえば当たり前の話。となると、2話で長太郎が見ていたピンクレディーが出ている番組もテレビ朝日の番組ってことになるのかな。

追加情報

Twitterにてじぇーごさんより、父ちゃんが見ていた試合結果を教えてもらいました。

ちなみに父ちゃんが見ていた試合はこのDVDに収録されています。

初代長太郎が見ていたドラえもんの話から(ドラマを見て分かる設定96)

いつの出来事?

10年前に下記の記事で初代長太郎が37話「父ちゃん社長だマル秘作戦」の中で『ドラえもん』を視聴していることを書きました。

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10年前は長太郎が見ているテレビの音声から『ドラえもん』のソウナル錠の話だと推定しましたが、その時はこのソウナル錠が『ドラえもん』の何話でいつ放送されたのかが分かりませんでした。それから10年後の現在になって再調査してそれが分かりました。

ドラえもん』は『俺はあばれはっちゃく』と同じ年1979年に4月に放送が開始され、当時は月曜日から土曜日までの夜6時50分~7時までの10分間の帯番組でした。

また、1979年から帯番組として始まった『ドラえもん』は日曜日には月曜日から土曜日までをまとめて30分番組として、日曜日の朝8時半から9時まで放送していました。これが日曜日版です。

では長太郎が見ていたのは帯だったのか日曜日版だったのかを見てみます。

37話で長太郎がテレビを見ていた時に、母ちゃんが夕食の支度をしながら、父ちゃんに八百勝(公一の家の八百屋の名前)で働くことを話します。

次のシーンの長太郎とてるほの登校シーンでも、てるほが夕べ母ちゃんが働くことを話したことを話題にしていることから、長太郎が『ドラえもん』を見ていて、母ちゃんがパートの話をしたのが夕べの出来事と確定出来るので、長太郎が見ていたのは帯の『ドラえもん』だと分かります。

 長太郎がテレビで『ドラえもん』を見ているのが以下の場面です。部屋のカレンダーも9月と10月になっています。

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『俺はあばれはっちゃく』37話より

長太郎の見ていた『ドラえもん』の映像を見る事は出来ませんが、音声は聞き取れます。以下が聞き取った範囲での37話で長太郎が見ていた『ドラえもん』の音声です。

のび太:「うわぁ」

ドラえもん:「どうして、そう、ろくでもない事ばかり考えるの ソウナル錠の効き目が切れたから助かったんだよ」

しずか:「何してるの」

ドラえもん:「これを飲んだんだよ」 

この音声から長太郎が見ていた『ドラえもん』は1979年9月24日月曜日放送の151話「ソウナルじょう」と断定。長太郎が見ていたアニメ『ドラえもん』の話は下記のDVDに収録されています。また、原作はコミックス3巻に収録されています。

ドラえもん タイムマシンBOX 1979(12枚組) [DVD]

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  • 発売日: 2009/11/18
  • メディア: DVD
 

なお、『俺はあばれはっちゃく』37話は1979年10月27日に放送されています。過去にも下記の記事で書きましたが、『あばれはっちゃく』の収録は放送日の1ヵ月前に収録していると推測出来ます。

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長太郎が見ていた『ドラえもん』の話が9月24日、『俺はあばれはっちゃく』37話の放送が10月27日なので、ほぼ1ヶ月の開きがあります。以上のことから、長太郎が見ていた『ドラえもん』の話から推測して、37話は9月24日前後の話だったといえるのです。

37話は父ちゃんが正彦の父親に職場で叱責されるところから始まります。ついでその日の夜に桜間家は外食をし、翌朝、父ちゃんは昔なじみの知り合いを訪ねて仕事を探し回ります。その夜に長太郎が『ドラえもん』を見ているところへ、母ちゃんがパートの話を切り出しています。

この時間の流れから、冒頭が9月23日の日曜日の出来事、次の日が9月24日月曜日の出来事と推測出来ます。

日曜日に登校していた長太郎

父ちゃんの職場はスーパーなので日曜日も仕事があると考えてもいいとして、問題は37話で長太郎が登場した時に家の玄関をあけてランドセルを投げる場面です。ランドセルを投げて登場する長太郎を見たら、それは長太郎が学校から帰ってきた場面だと解釈します。

しかし、長太郎は次の日に月曜日の『ドラえもん』を見ているのですから、その前日は必然的に日曜日となり、長太郎は日曜日に登校していたのか!となるわけです。

もっとも、当たり前ですが収録では実際に放送された『ドラえもん』の映像か音声の録画か録音を使って、撮影をしてたわけで、実際に『ドラえもん』の放送時間に合わせて収録されたわけではありません。

「ソウナルじょう」の話がまとめ再放送の日曜朝8時半からの日曜日版だったら、前日が土曜日になり、長太郎の37話での初登場シーンも問題がないのですが、そうではありません。放送日に合わせておおよそいつの出来事かを設定するものの、話の中の細かい日にちを設定しているわけでもありません。

もしも、長太郎が見ていた『ドラえもん』が「ソウナルじょう」ではなく、火曜日から土曜日の間に放送されていた話だったら、問題は発生しなかったのです。

おう!なんということでしょう!

詰めが甘かったとしかいいようがないではありませんか!

と、冗談はさておいて、この矛盾を久しぶりに強引な素人の一般ファンの私が妄想で辻褄を合わせてみましょう!だいたい、予測がついている人もいますと思いますが、長太郎は一人日曜日に補習授業を受けていたのです。

長太郎はドン平と散歩をしようとすぐにドン平に駆け付け、母ちゃんが長太郎に声をかけた時に用事があるから、留守番は無理だと答えていますが、その用事は補習授業の続きで佐々木先生の家に行くことだったのではないか!と思うのです。

もしくは、なにかクラスの係りの仕事から帰ってきたのかもしれません。

※見直してみたら、長太郎はドン平に「泥棒をとっかまえる訓練をしようか」と語りかけていました。(2020年8月18日追記)

これらは、全て私の妄想です。

しかし、台詞や時間経過、長太郎が見ていた『ドラえもん』の話を手掛かりに、それを矛盾なく成立させるためには、ドラマで描かれず、語られない部分、見られない場面をその前後の場面や台詞、実際に映像や音声で確認できる事実から、見られない場面を想像するのも作品世界をより深く広く楽しめると私は思います。

さて、みなさんはどのような妄想をされましたか?

ハッピーバースデー

今日は私の誕生日

今日は私の誕生日。

おめでとう私。

よくぞ今日まで生きてきた。

難産で母子どちらかが死ぬかもしれないと言われた46年前。

出産予定を過ぎても生まれてこなかった私。

父の転勤が一か月伸びてしまった。

父と母の初めての子で予定日を過ぎて母子どちらかが危ないと言われた中で、逆子で帝王切開で生まれてきたな。

輸血が必要かもと言われて父と母の職場の人達が待機してくれたけど、その必要はなかったと聞いた。

そのことを友達に話していたら、横で聞いていただけの高校の同級生が

「その時に死んでいれば良かったのに」

って聞こえる嫌味を言ったのには、深く傷つき、30年後の今もその言葉が蘇って心をグサグサ刺していくけど、それでも生きてきた。

お前に話していたんじゃないよ、勝手に盗み聞きしといて、私の心を傷つけていくんじゃねぇよ!

人に嫌われることの方が多くて、今も馬鹿で無責任で何も出来ない役立たずって罵られる。

そのたびに死にたくなるけど、それでも生きてきた。

生きているゴミ屑と思われても、何度死にたいと願っても、それは楽になりたかっただけで本当は死ぬのは怖いから生きていたかった。

死ぬ勇気がないから、今まで生きてきた。

乾癬を発病して今年で30年、もう31年目に突入した。

関節炎も併発して、指も思うように動かせず、綺麗だって言われていた文字もペンを持つのも辛くなった。

それでも生きてきた。

職場の調理場でいきなり背中に激痛が襲って立てなくなった時は驚いたな。

大きな病院で検査しても分からなくて、仮病を疑われ罵られたけど、通院していた皮膚科の先生に言ったら乾癬からくる症状だって教えてもらって、教えてもらった小さな接骨医のおじいちゃん先生の言葉に涙したな。

「これまであなたと同じ痛みで苦しんだ人をたった一人だけ知っているよ。ものすごく痛いんだよね、よくこれまで頑張ってきたね。治りにくい病気だけどもその一人はある日痛みが消えたんだよ。だから、あなたもきっと痛みが消える日がくるよ」

ここでは満足な治療は出来ないからと検査してもらった病院よりもさらに大きな病院の専門家の先生のいるところに紹介状を書いてもらった。

それから10年近くなる今、良い薬が開発されて、あの頃よりは痛みが半減した。

それでも天気の悪い日は痛む。

寝てても、座っていても、立っていても背中を激痛が襲う時もある。

だいぶ減ったからなんとか生きてる。

お医者様、看護師さん、薬を開発してくれた薬剤師さん、ありがとう。

私が生まれてきた意味なんてないんだろうけど、こうして今も存在している。

いつまで存在しているか分からないけど、生まれてきたからには楽しく平和に幸せに生きたい。

父も母も亡くなり、妹とは絶縁して、私が生きていることを不愉快に思う人やそもそも関心もなく存在も知らない人や私と出会っていても忘れてしまった人が多いと思う。

当たり前だよ、一般人だもの、それに幼馴染、幼稚園、中学、高校、短大の同級生、下級生、上級生、先生達の大半は忘れているよ。

必要とされていない人間で死にたいって思う時もあるけど、死ぬ勇気もないのでもう少し生きてみようと思う。