柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

あ、こんなところに

現在、『痛快あばれはっちゃく』と『逆転あばれはっちゃく』を見直しているのですが、本来の目的以外でも新たな発見があって見ていて面白いです。改めてみると、プロデューサーは『痛快』の途中で落合さんから宇都宮さんに変わっているしとか、父ちゃんの長太郎を叱る口癖も4代目からの新しいのに加えて、初代から3代目までに使っていた「てめぇの馬鹿さ加減には父ちゃん情けなくて涙が出てくらあ」を使っているしとか、ちょっと過去の下記リンク先の記事が恥ずかしくなるような気づきがあって、ああ恥ずかしいと思いながらDVDを4代目の『痛快』から見返していたりします。
d.hatena.ne.jp

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初代の時もそうでしたが『あばれはっちゃく』は、当時の子どもの風俗も取り入れられていて、初代の長太郎がピンクレディーの真似をしたり、『ドラえもん』を見ていたり、黒板の落書きがドラえもんだったりするのですが、これは4代目でも同じで、4代目ではサブタイトルに『ドラえもん』と堂々と出ていたりするのですね。それが『痛快あばれはっちゃく』40話「ドラえもんねちゃん」の回。

その話ではドラえもんの存在を信じている男の子が登場してきますが、その子はドラえもんのバッチを服にいっぱいつけていたりします。また、この時期のテレビ朝日が出していた下敷きがあるのですが、表が『ドラえもん』『パーマン』『忍者ハットリくん』の絵、裏が『痛快あばれはっちゃく』(3代目の時は『熱血あばれはっちゃく』)の写真だったりして、1983年から1985年の時期のテレビ朝日を代表する子ども達に人気のある番組だったんだという事がよく分かります。

あばれはっちゃく』は代替わりをして続いていきましたが、『ドラえもん』も『あばれはっちゃく』も同じ1979年に始まっていて、この時期に幼少期、小学生時代を過ごしてきた私と同じ世代(私は1974年生まれです)の方々には馴染みの深い子どもが中心の番組だったのではないでしょうか。

また、2作品が始まった年(1979年)には『機動戦士ガンダム』も名古屋テレビテレビ朝日系列)で始まっていますので、こちらの方も懐かしさを覚える人がいるのではと思います。その『機動戦士ガンダム』に登場するザクというモビルスーツを板で似せて作ったのが『痛快あばれはっちゃく』には、少し登場してきたりします。『機動戦士ガンダム』関連で言えば、主役のアムロを演じた古谷徹さんも4代目の64話「握手だ!アニメスター」の回にゲスト出演されていますね。

と、こんな感じで、あの頃(1983年から1985年の『痛快あばれはっちゃく』の放送期間)に小学生だった人達に馴染みの深い子ども番組のキャラクターが長太郎達の日常に時々、顔を出してくるのですが、その中でも面白いなって感じたのが、『痛快あばれはっちゃく』の3話で清が着ているオーバーオールの胸当てについているアップリケです。
下記の情報は間違いだと指摘がありました。訂正記事はこちらになります。
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『痛快あばれはっちゃく』3話より

このキャラクター、一見、恐竜のデフォルメされたキャラクターに見えたりするのですけれども、実はこのキャラクターは、1970年に日本テレビで放送され、円谷プロで制作された『チビラくん』に登場する主人公チビラくんのライバルであり、友人?になるガキンコという怪獣の少年なのです。私は、ついこの間『チビラくん』という作品を知ったのですが、当時は全く知らないキャラクターでした。

また、先に挙げた『ドラえもん』や『機動戦士ガンダム』とは年代が違い、4代目の世代よりはどちらかと言えば、初代の長太郎世代にとっての幼少時代の思い出のキャラクターに思え、(ちなみに初代ではこの衣装はありませんでした)放送局も違ったりして、不思議に感じましたが、『あばれはっちゃく』シリーズ制作の国際放映円谷プロは全く無関係の会社ではありませんし(『あばれはっちゃく』の国際放映のプロデューサーの鍛冶昇さんと初代、2代目で監督を務めた山際監督は『帰ってきたウルトラマン』(1971年)『ウルトラマンA』(1972年)『ウルトラマンタロウ』(1973年)のいわゆる昭和の第2期ウルトラマンシリーズの作品で監督をされていますし、初代から5代目まで脚本家で参加されていた田口成光さんは元々は円谷プロの社員でした)それに今回、何よりも注目をしてしまったのは、『痛快あばれはっちゃく』の3話の脚本は安藤豊弘さんなのですが、安藤さんは『チビラくん』でもいくつか脚本を書いていました。ですから、無関係でも、不思議でもないかもしれません。

安藤さんの脚本にあったのか(といつつ、この話では清の服はあまり関係がないのですけれどね。それよりも清の母親が桜間クリーニング店にクリーニングに出した服の方が話に関係しています)、それとも両方の制作会社の相互に関係した人は多いと思いますので、その人達の遊び心でガキンコのアップリケをつけたのかもしれません。

過去の記事でも書きましたが、『あばれはっちゃく』の衣装は国際放映の衣装部の衣装ですので、そうした事は出来ると思いますし、当時私は小学生でしたが、ガキンコのアップリケの服をお店で見たことはありませんでしたので、市販されていたものでもないと思うのです。私が生まれる前の作品を知ってから改めて見直していくと、新たな発見や推測が生まれて面白いですね。