柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』64話「大逆転!カッコマン」感想

『男!あばれはっちゃく』64話より

1981年6月20日放送・脚本・市川靖さん・磯見忠彦監督

仕事の出来る父ちゃん

今回は父ちゃんがメインの話。基本、『あばれはっちゃく』シリーズの父ちゃんは仕事が出来る人なんですよね。腕のいい大工職人であり、会社員としても予算内にそれでいて手抜きにならないように仕事を仕上げています。

質や材料を低くして予算内に収めることは簡単だろうけれど、質も保ちながら、材料も適性の物を使って予算内に収めるというのは至難の業で、かなり頭を悩まします。父ちゃんはそれをクリアして、さらにクライアントが満足する仕事をするのですから、その能力はかなり高いんです。

昔、私事ですが栄養士の仕事で予算内で栄養バランスが取れて、味も良く飽きの来ない献立を立てることをした時は、献立カードを使ってもその組み合わせとかも考えても、毎日考えるのは辛いって思いましたが、父ちゃんは常にそうした仕事をしていて、信頼を得ているのを見て、私自身が仕事をするようになってから、ますます、父ちゃんの能力の高さを痛感しますね。

父ちゃんは仕事が出来るので、どの代でも上司である、正彦、邦彦、克彦、輝彦、信彦、秀彦の父親達に仕事で信頼されているのですが、5代目の秀彦の父親を除くと、最初は仕事が出来ることを認めながら、父ちゃんを人間として下に見ている人が多いんですよね。

今回の克彦の父親の江藤支社長もその典型で、父ちゃんに仕事を任せて間違いないといいながらも、父ちゃんの買ってきた相手に渡す品に文句を言ったり、父ちゃんが設計した図面の話よりも接待や贈り物の方に関心があって、父ちゃんのセンスを馬鹿にしていて、江藤支社長は仕事の中身よりも、見てくれ、外見、接待が大事という考えの持ち主として、父ちゃんと対比させられています。

この外見を意識しているということで、サブタイトルにある「カッコマン」というのは、江藤支社長のことなんですよね。最近は、人は見た目でかなり得をしていたり、見た目の良い人ほど仕事が出来るということも分かっていたと一部では言われていますが、もちろん、身だしなみを整えるのも大事ですけれど、中身もちゃんとしていないと、肝心な時にボロが出てきてしまいます。今回の江藤支社長も、まさにそれでした。

父ちゃんは外見やおべっかとか、そういうのをあまり気にしない。江藤支社長は外見をとても気にしていて、接待と贈り物が大事で、仕事の中身はあまり詳しくなくても構わないと、お互いがどちらを優先しているかの差があって、本来はどちらも大事にするべきだけど、得手不得手があって、父ちゃんと江藤支社長はお互いに足りない物を持ち合わせているんだなって思いました。

パイプ

今回は父ちゃんの話の一方で、克彦の家に遊びに行った長太郎が、克彦の父親の江藤支社長のパイプを壊してしまって、それを持ち帰ってしまうという事件も並行して進みます。

長太郎は弁償しようと似たようなパイプを探しますが、高くて買えず、お店の人の話からヒントを得て、街路樹の薔薇の木からパイプを作ろうとして、薔薇の気を抜こうとして怒られて、そこらへんに落ちている木を投げつけられて、その木でパイプを作って、壊したパイプの代わりにしようと考えます。

『男!あばれはっちゃく』64話より
『男!あばれはっちゃく』64話より

街路樹の薔薇を抜こうとする長太郎はとんでもないんですが、壊したパイプを黙って持って帰る(弁償するつもりだったとはいえ)、その後も誰にも言わない、一緒にいた章にも口止めをするというのは、気持ちは分かるけど、長太郎もちょっと狡いなあって思いました。こういう正直に壊したことを言わないで、誤魔化すというのは、父ちゃんが一番嫌いなことだと思うんですよね。

それにしても、長太郎はかなりの大きさな木から、かなり見事にパイプの形に作っていて、これを見ると、さすがに父ちゃんの息子だなって思ってしまいますね。

『男!あばれはっちゃく』64話より

話を戻して、案の定、パイプがなくなったことに気づいた江藤支社長が克彦に聞いて、長太郎の仕業だと分かり、父ちゃんが江藤支社長に責められる展開になった時に、父ちゃんは長太郎の事を信じていましたけれど、長太郎の部屋で長太郎の作りかけのパイプを見つけて、長太郎のランドセルから江藤支社長のパイプが出てきた時に烈火の如く怒りました。

『男!あばれはっちゃく』64話より
『男!あばれはっちゃく』64話より

人情をとる父ちゃん

父ちゃんは仕事の中身を評価してくれない江藤支社長に切れていて、それに長太郎に泥棒の疑惑をかけられて、さらに江藤支社長に頭に来ていたんですけれども、その時の売り言葉に買い言葉で、長太郎がパイプ泥棒だったら、父ちゃんの責任として責任を取るように詰められていて、父ちゃんは長太郎を信じていただけに、パイプが長太郎のランドセルから出てきた時は、ショックだったと思うんですよ。ただ、この時はショックや悲しさよりは、怒りの感情の方が勝っていたように思いました。

父ちゃんは責任を取って、辞表を出しますが、父ちゃんは前日に仕事の中身をちゃんと評価しない江藤支社長に嫌気がさして、会社を辞めたいということを母ちゃんに寝床で愚痴っています。それを長太郎は聞いていて、だから、長太郎は自分の事にかこつけて、会社を辞めるという父ちゃんを非難するんですね。

父ちゃんにとっては、体のいい仕事を辞める言い訳が出来たわけだけど、そこには、今回、父ちゃんが仕事をした依頼主の中村さんがいて、中村さんは今回の設計図と見積もりの話でちとせ美工に来ていたわけだけど、肝心の設計図と見積もりの内容について知っている父ちゃんが長太郎のことでいなくて、父ちゃんからの説明をそんなものはどうでもいいと言って内容を理解していない江藤支社長は説明が出来ないまま、時間だけが過ぎていた状態。

そこに戻ってきて、長太郎の泥棒の件を詫びて、辞表を出して仕事を辞めると土下座した父ちゃん。それを一部始終見ていた中村さんが、壊れたパイプが安物の偽物であることを話して、江藤支社長が説明できなかった設計図を描いたのが父ちゃんだと確認したのちに、父ちゃんを自分の会社の下請けの社長にスカウト。一気に、父ちゃんと江藤支社長の形勢は逆転します。

『男!あばれはっちゃく』64話より

長太郎は中村さんの言葉に喜びますが、父ちゃんはしばらく考えて、中村さんの誘いを辞退します。強気だった、江藤支社長が困っている姿、父ちゃんを必要としている姿、謝る姿を見て、父ちゃんは金や地位ではなく、それまでの付き合い、義理と人情の方を優先するのですね。

人としての情け、それまでの付き合い。自分を認め、必要としてくれる人を父ちゃんは選ぶ。父ちゃんは、自分を大事にしてくれる人、それまでの人との付き合いをとても大事にしているんだなって、今回の話で改めて感じましたし、それがとても気持ちがよく、また、そんな父ちゃんを快く受け入れてくれた中村さんも素敵だなって思いました。

ちゃんと中村さんのような仕事の内容を的確に見ることの出来る見る目のある大人がいるのは、とても頼もしいものですね。父ちゃんは仕事が出来て、義理人情に厚くて優しく、曲がったことが大嫌いな人だから、すごく素敵だし、短気で怒りっぽいところはあるけれど、やっぱり私は父ちゃんが大好きです。

父ちゃんは自分という人間を大事にしてくれなかった江藤支社長には、頭にきていましたけれど、自分を必要とする人間にはちゃんとその期待に応える人だから、今回の話の父ちゃんの姿勢と感情は一貫していて、見ていてとても気持ちがよく、スカッとします。

本質を見抜く目を持つ大人

あばれはっちゃく』には、物事の本質を見失っている大人もいれば、ちゃんと本質を見極めることの出来る大人も存在していて、今回の中村さんのように、物事の本質を見抜いて人を評価できる人によって、父ちゃんのような不器用な人間や長太郎のような破天荒な人間が救われているんだなって思います。

また、ドラマには描かれなくても、中村さんも物事の本質を見る目を養うためには、大変な苦労や裏切りにもあってきたんじゃないかなって思うんです。やはり、いろいろな経験をしないと物事の本質を見る目を養うことは出来ないですから。中村さんにも中村さんをちゃんと評価してくれる人がいて、今があって、今回の父ちゃんの仕事を評価したのかなって思ったりしました。

中村さんのようなちゃんとした大人が偉い人になって、ちゃんと次の世代を成長させていく循環が社会にあった時代だったのかななんてことを思いました。

でも、私が社会に出て働いてみて知ったことは、現実はそういう本質を見抜ける人はとても少ないんだなってことや、父ちゃんのように質の高い仕事が出来る人がいてもその能力に見合った評価がされていない人もいるってことでした。

良い社会の循環を作る社会の一員になるというのは、なかなか大変で険しい道のりなのですね。だからなのか、今大人になって見ると、私には『あばれはっちゃく』の世界がとても優しい世界に感じます。