柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』80話『プロはきびしい』感想

『男!あばれはっちゃく』80話より

1981年10月17日放送・脚本・安藤豊弘さん・松生秀二監督

カヨちゃんの試験

今回はカヨちゃんが理容師の試験を受ける話。筆記試験が受かって後は実施試験のみ。長太郎はカヨちゃんの合格を信じていますが、母ちゃんが留守の時にお客としてきた克彦は母ちゃんの代わりに自分を散髪したカヨちゃんの腕に疑問を抱き、カヨちゃんは合格すると断言する長太郎に無理だと言って喧嘩になります。

長太郎と克彦はカヨちゃんの合格をかけて、カヨちゃんが合格したら克彦が逆立ちして運動場10周、不合格だったら長太郎が逆立ちして10周でも100周でもする約束をします。長太郎は克彦との賭けもありますが、カヨちゃんに立派な理容師になって欲しいと、絵馬を作ったり、いろいろな人に声をかけてカヨちゃんの実施試験の練習台になってもらったりして、カヨちゃんを応援します。

一方で、カヨちゃんを厳しく指導しながらもカヨちゃんが試験を受けることに対しては少し渋い顔をしているのが母ちゃんです。カヨちゃんは理容師として働いている高校の先輩からのアドバイスで理容師の試験を受けることにしたのですが、それに対して母ちゃんは不満を持っている様子。ただ、試験を受けるからとしっかりと厳しくカヨちゃんを指導。その厳しさにカヨちゃん自身が不満な表情をしたり、思い悩んだりします。

それでもカヨちゃんは長太郎の応援もあって、一生懸命に実施試験に向けて努力を重ねていきます。みゆきちゃんから借りたみゆきちゃんのママの鬘をカヨちゃんのカットの練習に使ってしまって、みゆきちゃんを悲しませてしまい、父ちゃんに怒られてしまいましたが、カヨちゃんは試験当日まで努力を重ねました。

それでも、自分の未熟な腕を母ちゃんに指摘されて指導されてきたカヨちゃんは自分の腕に自信が持てなくて、試験会場前で佇んでいました。長太郎はそんなカヨちゃんを励まし、お守りを渡して試験を受けさせます。

努力をしても神に祈っても

今回の話ですごいなって思うのは、あ、こうなるからこんな展開になるのか。あ、そうなるところがダメだったからダメになるのかなって思ったら、そうじゃなかった!と思ったら、それでもないのかという展開が続きながらも、ちゃんと話が着地していることです。さらには、長太郎と克彦の賭けに対する結果もしっかりと話のオチとして生かされているのも素晴らしかったです。

カヨちゃんが母ちゃんの厳しい指導の下で自信をなくして落ち込むも、長太郎が連れてきたカットのモデルの子ども達による練習、風船を使った髭剃りの練習、みゆきちゃんのママの鬘でのカット練習などを重ねて努力をし、長太郎もカヨちゃんの為にお祈りをして試験に挑む。

試験当日にカヨちゃんに渡すお守りを試験会場に行く前のカヨちゃんに渡し損ねた長太郎が試験会場に到着して間に合わなかったと思ったら、試験会場のそばで試験を受けるかどうか迷っているカヨちゃんを見つけてお守りを渡すことが出来たというように話が流れの中で、自信をなくしてダメかと思っても努力を続けて、神様に祈り、お守りを渡せなかったことで試験は大丈夫かと心配になるけれども、ちゃんとお守りを渡すことが出来て、いまいち自信がないカヨちゃんを長太郎が励ますことで、カヨちゃんが試験を受ける自信を取り戻すというように、フラグが立っては消え、消えては新しいフラグが立ち上がっています。

そのフラグもちゃんと時系列の流れがあって、カヨちゃんの感情と行動とリンクしているので、自然に受け入れることが出来ます。そこに無理がないんですね。この話はちゃんとカヨちゃんが試験に受かるための努力をしていて、その上で神様にお祈りをして力を貸してもらっている。何もしないで祈るだけではないんです。

それでも、どんなに頑張っても、どんなに努力をしても、どんなに祈っても、どんなに応援されても、試験結果というのはその時点での実力で評価をされてしまうという厳しい現実を逃げることなく捉えているんです。ここまで、頑張る過程を見せながら、そして児童が視聴対象である作品でありながら、安易な現実ではない厳しい現実を見せるこの話は嘘や誤魔化しをすることなく現実を子どもに見せた素晴らしい話だと思いました。

寺山先生と母ちゃんの言葉

今回の話の中で寺山先生と母ちゃんの言葉が胸に刺さりました。まず、寺山先生がカヨちゃんの散髪のモデルになりながら、試験が学校を卒業してもあることに嘆く長太郎に対していった言葉。

「何、言ってる。お前たちはこれから、いろんな試験の関門を何度も何度も潜り抜けていかないとならないんだぞ」

そして、試験が終わりその結果を受けて母ちゃんがカヨちゃんに言った言葉です。

「今度のことは、いい経験よ。決して無駄にならないわ」

母ちゃんの言葉にはその前に、なぜカヨちゃんが試験を受けることに対して、好意的ではなかったかの理由が語られていて、それでいながらどうしてカヨちゃんが試験を受けることを止めなかったのかという母ちゃんの気持ちや考えが語られています。

その母ちゃんの言葉から、カヨちゃんがドラマでは見せていないところでも、筆記試験を合格できるまでどれだけ努力をしていたかが分かって、カヨちゃんがドラマの中で見る以上に努力をしていたことから、こんなに真面目に努力しても報われない結果が現実にはあるんだという厳しさを見せながらも、「決して無駄にはならないわ」という母ちゃんの言葉が救いになっていて、それがいいなって思いました。

努力をしても結果が思わしくないのなら、その努力は全て無駄というのではなく、ちゃんと経験として自身の実力となって身について、いつかちゃんと花を咲かすことが出来るというメッセージを私はこの話から感じました。

寺山先生の言葉も、今回のカヨちゃんの理容師の試験だけでなく、人間が生きていく中で、何度も何度もいろんな関門、試練があってそれを潜り抜けていかないといけないという人生の大変さ、厳しさを教えてくれる言葉で、大人になっていろいろな試験以外の試練や関門を潜り抜けたり、時には逃げ出してしまった私には耳の痛い話であると同時に、世間は甘くないという現実の厳しさをちゃんと教えてくれていたんだなって、分かって、それが子どもを騙さない大人の誠実さに感じて、いいなって思いました。

長太郎と克彦

長太郎と克彦の賭けも長太郎が逃げなかったのも良かったです。マリ子ちゃんやみゆきちゃん達に責められたせいでもありましが、長太郎が誤魔化したり、逃げたりしなかったのは良かったですし、それでも最後の最後で克彦に一矢報いた形になった結果が面白くて笑いました。

今回の克彦も憎まれ役でしたが、克彦がカヨちゃんを非難する理由も、実際に自分がカヨちゃんに散髪をしてもらって、嫌な気分にさせられたからという理由がちゃんとあって、克彦なりの正当な評価基準がちゃんとあった上でのことだったので、克彦に対しての嫌悪感がありませんでした。克彦には克彦なりの正義がちゃんとあるというのも、しっかりあったのも、この話の良さだったと私は思います。

犬塚弘さん死去

言葉を失う

今朝、とても悲しいニュースが飛び込んできました。それは、クレージーキャッツのメンバーとして一世を風靡した犬塚弘さんが94歳でお亡くなりになったニュースです。犬塚さんは大林監督の映画『海辺の映画館』(2020年)を最後に俳優を引退されました。長く活躍されていましたので、各年代ごとで犬塚さんの印象があり、特にクレージーキャッツ全盛期の世代には映画や音楽、コメディアン等での活躍が大きく思い出される方々がいらっしゃると思いますが、このブログ、私にとって犬塚さんは『痛快あばれはっちゃく』の春日幸一教頭先生でした。

春日教頭先生以外だと『怪獣大戦争ダイゴロウ対ゴリアス』(1972年・東宝)で演じた発明家のおじさんが好きでした。最後が幸せに見えてどこか寂しい印象を残していたのが忘れられません。それと別の映画で、インディアンに扮した姿も面白かったなあ。『水もれ甲介』(日本テレビ・1974年)で、ベースを弾く姿もカッコよかった。

あばれはっちゃく』シリーズでは、レギュラー、サブレギュラーの出演者の中で、一番長生きされているのは犬塚さんだな。犬塚さん、表舞台は引退しても、ずっとお元気でいてくれたらいいなって、3年前に引退された時に思いました。御年齢を考えれば、そう遠くないうちにお別れがくることは分かっていましたが、それでも、少しでも長くお元気でいてくれたらいいなって思っていました。でも、その日がとうとう来てしまいました……。

 

残念でとても悲しく寂しいです。犬塚さんは最後のクレージーキャッツでもありました。他にも、いろいろと書きたい思いはあるのですが、今は上手く言葉が纏まりません。犬塚弘さんのご冥福を心よりお祈りします。

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3代目あばれはっちゃく・荒木直也さんの誕生日

『熱血あばれはっちゃく』37話より

3代目が荒木直也さんになった理由

今日、10月13日は3代目あばれはっちゃくを演じた荒木直也さんのお誕生日です。荒木さん、お誕生日おめでとうございます。

3代目の荒木さんに長太郎が決まるまで、かなり時間がかかったようです。3代目『熱血あばれはっちゃく』時代に『あばれはっちゃく』の写真集が出版され、その中で3代目長太郎役が決まる過程が書いてありますが、オーディションをしても、中々、3代目の長太郎だ!という子役が決まらなかったことが書いてあり、当時、放送されていた東京電力のCMに出演している荒木直也さんを見て、この子に長太郎役が出来ないだろうか?と声をかけたことが書かれています。(写真集を持っている人がネットで出しているのを目にしました)

荒木直也さんは児童劇団に所属しておらず、このブログでも紹介しましたが、父親の荒木とよひささんが作詞、作曲した東京電力のCMソング『息子よ』を父親と一緒に歌っていて、また、これもこのブログで紹介していますが、田淵選手の『ブッチィ音頭』(ビクター少年合唱隊)のレコードも出しています。荒木直也さんは俳優としては、『あばれはっちゃく』シリーズ以外では、映画『突入せよあさま山荘事件』(2002年)に出演していますが、その他の出演作が見当たりません。

2007年に開かれた『あばれはっちゃく同窓会』で荒木さんと会った4代目ヒロインまゆみちゃん役の水沢真子さんが荒木さんは音楽プロデューサーのお仕事をされていることをご自身のブログで書かれていました。この情報は2007年の情報なので、現在もそうなのかは不明ですが、荒木さんが元々、役者の仕事よりも歌手としての仕事が多かったこと、実父の荒木とよひささんが作詞作曲家であることを踏まえると、荒木さんは現在も音楽関連のお仕事をされているのだろうと思います。

スタッフが演劇経験の少ない荒木さんを長太郎役に抜擢したのは、その元気の良さ、物怖じしないところ、愛嬌があるところ、カンが鋭いところ、「この中で主役をやりたい人」の質問に他の劇団の子達はニヤニヤ笑いで顔を見合わせて手を少ししかあげないところを、荒木さんは「はい!」とまっすぐに手を挙げて返事をしたことなどが、写真集に書かれていて、荒木さんの素直でまっすぐで元気な性格が長太郎に選ばれた理由だったんだろうなと思いました。

3代目は本当は小学6年生だった

3代目『熱血あばれはっちゃく』は、1982年4月~1983年3月まで放送されていて、長太郎は小学5年生の設定でしたが、演じていた荒木直也さんは1970年生まれですので、当時は小学6年生でした。ドラマの長太郎の設定年齢より、荒木さんは1歳(1学年)年上。

ドラマの長太郎より年齢が年上だったのは、初代の吉田友紀さんと3代目の荒木直也さんだけです。2代目の栗又厚さんと4代目の坂詰貴之さんはドラマの長太郎と同じ、5代目の酒井一圭さんは1歳(1学年)年下でした。

2クール(26話)で終わる予定で始まった初代『俺はあばれはっちゃく』でプロデューサーのオファで決まった吉田友紀さんと違って、人気も出てきてオーディションで長く続けるつもりで長太郎役を選ぶ中で、当時6年生の荒木さんを長太郎役に選んだことはギリギリの選択だったんだろうと思います。

3代目は長太郎役の荒木直也さんだけでなく、ヒロインのあけみちゃん役の浜村砂里さんが1971年3月18日生まれ、あけみちゃんの友人のみどりちゃん役の浅井星美さんが1970年7月7日生まれで、私が調べた限りだと輝彦役の小池満敏さんも1970年5月14日生まれで6年生だったようで、京子ちゃん役の田中香奈さんと実役の山住高広さんの生年月日が分からないのですが、分かる範囲だと長太郎のレギュラー同級生役も4人が実際は6年生だったと分かりました。

この演者が6年生だったならではのエピソードとして、過去にも紹介したのですが、あけみちゃん役の浜村さんはロケと修学旅行が重なって、途中からロケに合流したのが印象深いと2007年のあばれはっちゃく同窓会で語っていました。それについては『2007年ハイパーポピー6月号』に書かれています。

繰り返しになりますが、初代もドラマ放送の延長によって、長太郎役の吉田友紀さんや正彦役の草間光行さん、明子役の小宮山京子さんは役の設定年齢よりも2歳年上、ヒトミちゃん役の早瀬優香子さん、恵子ちゃん役の岡田ゆりさん、公一役の妹尾潤さんは役の設定年齢よりも1歳年上になりましたけれども、3代目の場合は年齢を考慮に入れてオーディションで選ぶことが出来た中で、レギュラー子役の殆どが設定年齢よりも上の6年生だったというのは、長く作品を続けていくつもりでいた制作側としては、今の視点で見ると痛し痒しのところはあったんじゃないかと思うんです。

それでも、そのメンバーでやっていこう!と決意させるだけの魅力が3代目『熱血あばれはっちゃく』の長太郎の同級生レギュラー子役達にあったんだろうなって思いました。

53歳

荒木直也さんは今年で53歳。長太郎を演じる前からのサッカー少年で、歌手としても活躍されていました。『あばれはっちゃく』シリーズに出演する前は役者経験がほぼゼロだったということを踏まえて荒木直也さんの2代目『男!あばれはっちゃく』からの演技を見てみると、驚くほどに天才的なカンを持った凄い俳優だったんだなっていうことを感じます。

荒木さんが5代目『逆転あばれはっちゃく』に出演されなかったことは残念でしたが、2007年、2012年のあばれはっちゃく同窓会には出席されていて、元気な姿を見せてくれたことはとても嬉しかったです。

そういえば、荒木さんは梅干しが大嫌いなんですが、原作の長太郎も梅干しが大嫌いなんですよ。その点も荒木さんが長太郎を演じるのに縁があったかもしれませんね。

改めて荒木直也さん、53歳のお誕生日おめでとうございます。

4代目の世界にいる長太郎以外のあばれはっちゃくみたいな存在(ドラマを見て分かる設定132)

『痛快あばれはっちゃく』14話より

4代目に出演した荒木さん

あばれはっちゃく』シリーズでは、前作の長太郎役の人が別役で次回作の『あばれはっちゃく』に出演していました。代を重ねていくと、前作の長太郎役だけでなく、前々作の長太郎役の人達も登場してきました。初代の吉田友紀さん、2代目の栗又厚さん、4代目の坂詰貴之さん達は自分の後の代の『あばれはっちゃく』にも出演をしましたが、3代目の荒木直也さんが自分よりも後の代の『あばれはっちゃく』に出演したのは、4代目の『痛快あばれはっちゃく』だけでした。

荒木さんが出演したのは、『痛快あばれはっちゃく』14話。ただし、この14話に出演したのは、荒木さんは荒木さんでも、3代目長太郎役の荒木直也さんではなく、荒木直也さんの実父で作詞作曲家の荒木とよひささん。荒木とよひささんの出演は特別出演でした。

長太郎役の人の実父が『あばれはっちゃく』シリーズに出演したのは、3代目荒木直也さんの父親の荒木さんだけ。もっとも子役の実父や実母がドラマに出演するのは、その親も俳優か著名人でないと難しいですよね。初代長太郎役の吉田友紀さんの実父である鴨志田和夫さんなら、出演の可能性はあったりしたのかなあ。例えば隼人さんのおじさん役とかで。

『痛快あばれはっちゃく』14話より

4代目に出た3代目あばれはっちゃく

3代目長太郎の荒木直也さんが4代目『痛快あばれはっちゃく』に出演したのは、荒木とよひささんの後の27話。長太郎をサッカーに誘った中学生、東ダイサブロウとしてでした。(ウィキペディアには名前の漢字表記がありますが、DVDで確認したところ苗字の表記しか確認できなかったので、私のブログでは名前の表記のみカタカナ表記にしました)東さんがサッカー少年なのは、3代目長太郎がサッカー少年だったこと、荒木直也さん本人もサッカー少年だったからだと思います。ちなみに、東さんの背番号は「3」で、これも3代目あばれはっちゃくにかけているんだなって思いました。

『痛快あばれはっちゃく』27話より

広田先生の教え子

広田先生は長太郎が東さんのサッカーチームに誘われたのを見ていて、その成り行きを面白く見守ります。どうやら、広田先生は東さんを知ってる様子。やがて東さんにサッカーを褒められて、調子に乗った長太郎はクラスで孤立するようになり、心配した広田先生は東さんの家を訪ねます。後で分かりますが、東さんは広田先生の教え子で、つくし第一小学校の卒業生。そして、広田先生は東さんもまた「あばれはっちゃくみたいなもんだ」と長太郎に説明します。

長太郎は1話でつくし第三小学校からつくし第一小学校に転校してきたので、東さんが小学校に在籍していた時は面識がなく、つくし第一小学校で東さんが「あばれはっちゃく」と呼ばれていたなんて知るはずもなかったわけです。ただ父ちゃんと母ちゃんはお店(クリーニング店)をしている関係からか、東さんが三丁目に住んでいることは知っていました。だから、父ちゃんも東さんのところに行って、その途中で広田先生と出くわして一緒に東さんの家を訪ねているんですね。

『痛快あばれはっちゃく』27話より

4代目の世界には「あばれはっちゃく(みたいな)」が結構いる

それから、長太郎が1話で学級委員長に立候補した時に広田先生から反対され、委員長の代わりに長太郎は清と信彦から飼育係にされてしまいましたが、この時に清と信彦が長太郎を飼育係に推した理由が、転校していった前の係の荒木に長太郎が似ているからというものでした。ここで、出てきた長太郎に似ている「荒木」という人物は、3代目長太郎を演じた荒木直也さんにかけているはずです。

長太郎に似ている荒木がいて、あばれはっちゃくみたいな東さんがいたつくし第一小学校。となると、つくし第一小学校には、長太郎が転校してくる以前に「あばれはっちゃく」的な存在が2人ということになります。つくし第一小学校には、在籍していた時期が違うものの、長太郎を含めて3人のあばれはっちゃくがいたようなもので、さらには74話で、長太郎とはっちゃくを競い合うシンタロウが登場してくるのですから、最低でも4代目の世界観の中に4人のあばれはっちゃく(みたいな存在)がいることになりますね。

3代目の2人

3代目『熱血あばれはっちゃく』は5年生で話が終わっていて、3代目の長太郎はドラマが続いていたら1983年は6年生で、4代目『痛快あばれはっちゃく』の4代目長太郎とは1歳(1学年)違いになるわけですが、3代目を演じた荒木直也さんは1970年10月13日生まれで、1983年に4代目に出演した時には13歳になる手前の12歳の中学1年生。

4代目27話に出てきた東さんも恐らく、当時演じた荒木直也さんと同じ中学1年生だったんじゃないかなって思います。坂詰貴之さんは1972年9月3日生まれ、当時は11歳になる前の10歳。荒木さんと坂詰さんは実年齢では2歳(2学年)の年の差で、これは4代目27話での長太郎と東さんの年の差と同じになるわけです。

4代目では坂詰さんが長太郎で2クール目に入って、長太郎役も板についてきてしっかり長太郎になっていますが、先代の長太郎の荒木さんと並ぶと、こっちも長太郎だったんだなという不思議な感じがします。(これは初代、2代目、4代目が自分の代以外の『あばれはっちゃく』に出たときにも感じることですが)

ちょっと前は、荒木さんの方が長太郎で坂詰さんは長太郎じゃない別人のモンタだったんだなって。そして、同じ荒木さん、坂詰さんでも役が違うだけでなく、1年の間に二人とも成長するんだなあって思いました。

この感情は大人になってDVDで見返すようになって感じたことです。これは荒木さん、坂詰さんに限りません。前の代、次の代に出演してくる子役の人達すべての人に感じたものでした。当時は自分も子どもで同じように成長していたので、そんなに感じることはなかったんです。時間の流れで子どもの頃は抱かなかった感情も生まれるもんなんですね。

『熱血あばれはっちゃく』34話より



 

『男!あばれはっちゃく』79話「青い鳥を探せ」感想

『男!あばれはっちゃく』79話より

1981年10月10日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

祝日による連休

この話が放送されたのは10月10日。10月10日は体育の日、今のスポーツの日で祝日でした。体育の日は1964年10月10日に東京五輪が開催されたのを記念して、1966年10月10日から始まりました。現在はスポーツの日に限らず、ハッピーマンデーにより月曜日にされて、年ごとに日にちが変わっています。私は、体育の日のように祝日は何かの記念日が元になって誕生していて、その日にちに意味があると思っているので、祝日の日にちが変動することには疑問に感じています。

以前TBSの夕方のニュース番組『Nスタ』を見ていた時、井上貴博アナウンサーが、土曜日が祝日の時に振り替え休日にならないのが不満という話をしたのですが、私の中では土曜日が休日という考えがなかったので、元々平日だったのが休みになるのだから、振り替え休日も何もないだろうに、井上アナは何を言っているのだろう?と疑問に感じた後で、井上アナが私よりも10歳若く、彼の時代には土曜日が休日で当たり前の時代になっていたことに気づき、ああ、10年の差でこんなにも、祝日や平日、それに伴う連休の感覚が違うのかと愕然としました。

当時は現在のように土曜日が休みで、祝日を月曜日にして連休を作るのではなく、祝日の日は固定されていて、土曜日も半ドンと呼ばれて、午前中だけ学校がありました。

ちなみに私は小学2年生の時に、福島県から長野県に転校したのですが、福島では土曜日は4時間目まであったのが、長野県では3時間目までしかなかったのに驚いて、1時間得をしたなって思いました。昭和時代に小学生、中学生(中学の終わりの頃は平成元年になりましたが)を過ごした私にとって、今でも土曜日は平日で、体育の日、スポーツの日は10月10日という感覚が強く残っています。

なので、土曜日が祝日で休みになって、日曜日と連続で連休になると、とても嬉しかったです。私よりも10歳下の世代の人たちにとっては、土曜日休みが当たり前で、ハッピーマンデーがあって、長期休み以外の連休に特別感を感じないと思いますが、昭和時代の小学生にとっては、土曜日が祝日休みになるのは嬉しいものでした。

今回の『男!あばれはっちゃく』79話の冒頭で、寺山先生が長太郎達に連休の予定を聞きますが、1981年の10月10日は土曜日で日曜日と続けて連休になっていました。だから、寺山先生は長太郎達に連休の予定を聞いてきたのですね。連休は今もありますが、長太郎達がこの土日の連休をどれだけ楽しみにしていたのかというのは、私よりも10歳下の人達には、あまり理解出来ないんじゃないかなって思います。

非を認めず他人のせいにして嘘で誤魔化す

さて、前置きが長くなりましたが、寺山先生の連休をどう過ごすかという話題にそれぞれが答える中で、みゆきちゃんが熱海に旅行することを話して、その間に飼っているインコのピーコを預かって欲しいとお願いをします。そのお願いに長太郎と克彦が名乗り出て、寺山先生の提案でじゃんけんをして、勝った克彦がインコを預かることになります。ピーコはみゆきちゃんのお母さんが飼っていて、長太郎ではなく克彦が預かってくれることに安心するのですが、預かっていたインコを克彦が逃がしてしまうのです。

克彦は長太郎のせいにし、克彦なりに責任を取ろうとインコを見つけたと別のインコをピーコと偽ってみゆきちゃんのママに渡したりします。電話でピーコが逃げたことを知って旅行先から戻ってきたみゆきちゃんとみゆきちゃんのママは、長太郎にはとても怒るんですが、偽物のピーコを渡した克彦に対しては、その誠意を汲み取って、みゆきちゃんのママは克彦のことを「優しい」というんですね。

みゆきちゃんのママの中では、長太郎は悪ガキで克彦は優等生という認識があるから、こういう態度の差になってしまうのかなって。ピーコが逃げたのを克彦が長太郎のせいにしたと書きましたが、長太郎が全く関係がないかと言えばそうではないのです。

事の経緯は、長太郎が章を誘って、ピーコを預かっている克彦の家に行って、ソファーに座った時におならをしてしまい、その臭さに章が顔をしかめ、文句を言ったことで、長太郎が窓をあけようとして、克彦が籠からピーコを取り出して手に持っていたのを見た章がピーコを逃げるのを心配して、窓を開けるのを止めるものの、克彦が開けても大丈夫と言ったので、長太郎が窓をあけ、その時にピーコが克彦の指を突っついてしまって、その痛みに克彦がピーコを離してしまって、開けた窓から逃げてしまったのです。

元を辿れば、きっかけを作ったのは長太郎のおなら。ただ、窓を開ける許可をしたのは克彦で手に持っていたピーコを離してしまったのは克彦。ピーコは自分になれているから逃げないという慢心が結果的にピーコを逃がすことになってしまった。克彦は自分の落ち度を話すことなく、結果的に窓を開けた長太郎だけのせいにし、責任を取るために偽物のピーコで誤魔化す手段を使いました。

克彦がしたことは、自分自身の非を認めず、人のせいにし、嘘で誤魔化すこと。そんな克彦が褒められて、長太郎が怒られるのは、本当に理不尽で合点がいきませんでした。

誤解が解けるも募るモヤモヤ

しかし、この理不尽はすぐに解消されます。克彦の姉である洋子さんが真実を話しにきて、桜間家に謝罪に来たからです。洋子さんは桜間家の前に大島家に立ち寄って、みゆきちゃんのママに謝罪をしていて、みゆきちゃんと一緒に桜間家に来て謝罪しました。

洋子さんのお陰で長太郎の濡れ衣は晴れたのですが、洋子さんの克彦を庇う謝罪の言葉やその謝罪の場に克彦がいないことに疑問を感じました。前回の78話でロッペイの悪さを庇って謝罪するフルカワさんに対して、長太郎がフルカワさんを怒った後に見ると、なんだか洋子さんの謝罪が克彦を許してもらうだけの謝罪にしか見えなかったのです。

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長太郎は洋子さんとみゆきちゃんの言葉に克彦を許しますが、私の心の中にはなんだか、モヤモヤが残りました。そのモヤモヤは、この後の克彦の態度でさらに膨らみます。そこに止めを刺したのが、克彦のこの話での最後の言葉でした。

洋子さんは、克彦が深く反省していると言いましたが、話の最後に出た克彦の言葉を耳にすると本当に反省をしたのか疑ってしまいます。克彦は反省したのではなく、長太郎やみゆきちゃんのママに悪いと思ったのでもなく、ただ、ピーコを逃がしてしまったことを落ち込んでいただけなのかと思いました。

青い鳥を探して

ピーコは青いインコ。次の日、長太郎とみゆきちゃんは次の日に一緒にピーコを探します。その前にも長太郎は章と一緒にポスターを貼ってピーコを探していましたが、今回は長太郎とみゆきちゃんだけ。克彦は逃げた直後に長太郎と章と探していましたが、途中で一人家に帰ってしまいます(この時に偽物のピーコを買って用意したのだろうと思います)

長太郎とみゆきちゃんの2人だけでピーコ探しをしているのを見ながら、なぜ、ここにも克彦がいないのだろう?と疑問に思いました。洋子さんの言うように克彦が反省しているのなら、洋子さんから話を聞いて克彦もピーコ探しに参加してもいいのになっておもったからです。

話としては、長太郎の夢の中で見た童話『青い鳥』のチルチルとミチルのように、長太郎とみゆきちゃんの2人で探させたかったのと、克彦役の織田さんのスケジュールが合わなかったのだろうと思いますが、そんな裏事情は関係なく、私は克彦がピーコ探しにいないことが不自然で引っ掛かりを感じました。

今回の話は『青い鳥』をモチーフにして、長太郎とみゆきちゃんをチルチル、ミチルに見立てて、青い鳥を探す話を作りたかったのだろうと思いましたが、『青い鳥』からは、2人の男女が青い鳥を探すところだけを拝借していただけに思いました。

『青い鳥』の話は、幸福の青い鳥を探し求めて遠くに探しに行くものの、実は青い鳥は身近にいて、そこから、幸せは遠くにあると思いがちだが、案外、身近に存在しているということに気づかせる話です。

私はせっかく『青い鳥』をモチーフにするのなら、この「幸せは身近なところにある」という『青い鳥』の内容を活かしたら良かったのに、と思いました。ただ、チルチル、ミチルに見立てた長太郎とみゆきちゃんが青い鳥を探すだけでは勿体ないと感じました。

私の好きな漫画で、水沢めぐみ先生の『ポニーテール白書』があるのですが、その漫画の中に『青い鳥』をモチーフにした話があって、それがちゃんと幸せは身近にあることを教えてくれる話で『りぼん』で連載を読んだ時に涙を流して感動しました。(そのエピソードはりぼんマスコットコミックス『ポニーテール白書』2巻に収録されています。興味のある方は電子書籍で買えますので読んでみてください)『男!あばれはっちゃく』79話も同じように『青い鳥』をモチーフしているのなら、『ポニーテール白書』並みに大切なことに気づかせて欲しかったです。

リアルタイムで経験したのは、『男!あばれはっちゃく』79話が先で、『ポニーテール白書』が後なのですが(『ポニーテール白書』の『青い鳥』をモチーフにした話は、1986年りぼん1月号に掲載された連載6回目の話でした)『ポニーテール白書』に既視感がないのは、79話が『青い鳥』を話の中で活かし切れていなかったからだと思います。

結果は悪くても

長太郎とみゆきちゃんは闇雲に探していくのではなく、図書館でインコの特性を調べて、インコがいそうなところを探していきます。こうした、現実的な探し方をしているのを見たときは凄いな流石だなって感心しました。私自身が小学生低学年の時にインコを飼っていて、逃がしてしまったことがあり、探しても見つけることが出来なかったので、逃げたインコ探しが絶望的に難しいことを知っているので、長太郎達の探し方に関心したのです。

長太郎とみゆきちゃんはピーコを探し回りますが、結局見つからず、長太郎は最後に神社に行って神頼みをして、おみくじを引きます。しかし、おみくじの結果は「凶」。しかし、長太郎はみゆきちゃんに「大吉」と嘘をつきます。長太郎はみゆきちゃんを励ますために嘘を言ったのだろうと思いますが、克彦が嘘で誤魔化そうとしたのを見ているので、長太郎のいわゆる優しい嘘にも、モヤモヤしました。嘘も方便とも言いますが、長太郎には嘘で誤魔化して欲しくなかったなあって。

みゆきちゃんを傷つけないように嘘を言うのではなく「占いなんてあてになんないよ!」とか「神様に頼るより、探したほうが早いや」とか言ってほしかったなあって思いました。結局、長太郎とみゆきちゃんは最後に神頼みして、帰途につき、みゆきちゃんは籠に餌をいっぱいにして、自分の部屋の窓のところに吊るして、窓越しに長太郎にお礼を言って、2人は床につくことに。

みゆきちゃんは自分の為に必死な長太郎の行動が嬉しく、長太郎はみゆきちゃんから感謝されたことがとても嬉しかった。その2人のやり取りや長太郎の喜びは、とても微笑ましくていいなって思いました。ピーコは見つからなかったけれども、こうして頑張ることは悪いことじゃないんだなって感じました。

それなのに

それなのに、翌日、長太郎が目覚めるとピーコの声が聞こえてピーコがみゆきちゃんが吊るした鳥かごの中に戻ってきているのです。ピーコが戻ってきたのは嬉しいことなのですが、どうして戻ってきたのかが分かりません。鳩のように帰巣本能があるのならともかく。長太郎達が図書館で調べた時にインコの性質について、帰巣本能があるという情報を持っている描写があれば、少しは説得力もありますが、それもなく(調べてみたらインコには帰巣本能がない事が分かりました)戻ってきたのがあまりにも唐突で、それまでの話はなんだったのだろう?長太郎とみゆきちゃんが1日中、クタクタになるまで探し回っていたのはなんだったのだろうと思いました。

長太郎自身も、信じられない夢じゃないかしら、とほっぺをつねったほどです。

『男!あばれはっちゃく』79話より

最後の最後でがっかり

最後に、ピーコが戻ってきたことを翌日の学校で克彦たちに報告をするのですが、その時にピマリ子ちゃんが「克彦君の願いが通じたのね」と言って、こともあろうに克彦が「そうかもしれない」と調子に乗るのです。さらには悦子ちゃんが克彦を持ち上げて長太郎を貶します。当然、長太郎は怒りますが、みゆきちゃんに宥められて怒りを抑えます。

私が前に書いた話の最後での克彦の言葉と態度にモヤモヤしたのはこれです。自分のせいでピーコを逃がしたのに、長太郎のせいにして、偽物で誤魔化そうとしたのに、最終的に最終的に長太郎とみゆきちゃんとピーコを探すこともしなかったのに、なんで克彦が持ち上げられるのかさっぱり分かりません。私が克彦が反省しているという洋子さんの言葉を信じらなくなったのは、この最後の克彦の態度でした。

克彦本人が「違うよ、僕は何もしていない。長太郎君の頑張りと祈りが神様に通じたんだよ」って言ってくれたのなら、最後の長太郎の神頼みにも通じて、克彦に対して怒りも感じなかったのに、最後の最後でこんなに嫌な気持ちを抱かせるなんて、と、がっかりしてしまいました。

この話は、ところどころにいいなって思う場面があっても、最後の最後でがっかりして、『青い鳥』を活かしきれていないところなどが残念で、とても不満の残る話でした。

『男!あばれはっちゃく』78話「お尻ペンペン」感想

『男!あばれはっちゃく』78話より

1981年10月3日放送・脚本・市川靖さん・磯見忠彦監督

ロッペイという少年

今回は、仙海さんが父親の北海道出帳が終わるまで預かった知り合いの少年、フルカワ ロッペイを長太郎の家で預かったことで騒動が起こります。4年生のロッペイは父子家庭。長太郎は母親を知らないロッペイの為に家に連れてきて、母ちゃんの味をご馳走します。ロッペイはそれで桜間家を気に入りいます。仙海さんが迎えに来て帰るときに、ロッペイは「また、きてもいい?」と尋ね、「ああ、いいよ、いつでもいいよ、おいで」という母ちゃんの言葉に、その日の夜の11時半、信一郎が英語の勉強をしている時に、2階の長太郎達の部屋に忍び込んできます。それをきっかけに、ロッペイは長太郎の家で父親が北海道の出帳から帰ってくるまで、桜間家で面倒を見ることになるのです。

このロッペイが遠慮知らずで、長太郎にそっくり。悪気がなく、好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、さらに親切心でいろいろとお店の掃除などを手伝うものの、返って迷惑をかける始末。長太郎との出会いや家に呼ぶきっかけも、そんなロッペイの親切心からくる迷惑がきっかけだったりします。

親の暴力に慣れていないロッペイ

結果的に信一郎の宿題を邪魔したり、母ちゃんのお店でお客さんに迷惑をかけて追い出されたロッペイは、ドンペイを連れ出し、父ちゃんの大事にしていた釣り竿を持ち出して遊ぶのですが、それで父ちゃんが大事にしていた釣り竿をダメにしてしまうんですね。それだけでなく、父ちゃんの大工道具もダメにしてしまいます。

ロッペイを探しに来た長太郎がロッペイがやった罪を被って、父ちゃんに報告するんですが、例のごとく長太郎は父ちゃんにこっぴどく怒られます。その時にロッペイは父ちゃんに激しく怒られる長太郎の姿を見て怯えていて、ロッペイが叩かれることに慣れていないんだってことが分かります。

それは、ロッペイは桜間家の食卓で父ちゃんが長太郎の頭を叩いた時に「違うな、ここんち。俺の親父、頭、叩いたりしないぜ」と言っていることからも明らかです。食卓での時は、話の流れから、まだ笑える余裕があってのもので深刻さがなかったのですが、父ちゃんの大事にしていた、もう作る職人のいない釣り竿をダメにした時は、父ちゃんの怒りが大きく、その度合いが違うので、親の暴力に慣れていないロッペイにとっては、かなりのショックな出来事でした。

ロッペイは自分を庇って家を出ることになった長太郎を心配して、自分の代わりに仙海さんのとこに行くことを勧めます。長太郎は最初は渋りますが、ロッペイの言葉に仙海さんのところへ行き、ロッペイは長太郎の言葉に従って、長太郎が自分を庇ったことを黙っています。

自分の為ではなく他人の為

しかし、ロッペイは長太郎の言葉にただ甘えるだけでなく、自分の為に父親に殴られ、家を追い出された長太郎の為に、父ちゃんの釣り竿を作り直す為に、朝早くから誰にも言わずに竹を探しに行っていたのです。長太郎はロッペイの為に罪を被り、ロッペイは長太郎の為に行動を起こす。

自分の為ではなく、他人の為に動く姿は、長太郎とロッペイだけではなく、朝早くいなくなったロッペイを捜すために走り回った父ちゃんと母ちゃん、仙海さん、出帳から帰ってきたロッペイの父親のフルカワさんにも見ることが出来ます。私が『あばれはっちゃく』を好きなのは、自分の為ではなく他人の為に動く姿、また、自分の為に他人が尽くしている姿に心を打たれて、行動する恩返しの姿に心を惹かれていたんだなって、今回の話を見て、改めて気づきました。

叩く理由

見つかったロッペイは自分が竹を見つけた理由を話し、父ちゃんに自分が釣り竿をダメにしたことを謝ります。それを聞いてロッペイの父親のフルカワさんは土下座をして父ちゃんに謝りますが、ロッペイを庇って謝るフルカワさんを長太郎が叱ります。

「だいたい、おじさん、甘すぎるりゃあ!悪さした子どもを庇うなんて!」

『男!あばれはっちゃく』78話より

そこから、長太郎の提案で母ちゃんがロッペイを叩くことになり、母ちゃんは最初は渋りますが、仙海さんの「お尻なら、いいじゃないですか」の言葉に、母ちゃんはロッペイに「これはね、黙ってうちをあけた罰だからね」と目を見て、叩く理由をロッペイに言って申し訳なく、控えめにロッペイのお尻を叩くのです。

ちゃんと、ロッペイを叩く理由を伝える母ちゃん。ロッペイもそれまでの経緯を見てきて、自分が叩かれる理由をちゃんと理解したうえで、お尻を出して母ちゃんに叩かれます。その次が父ちゃんで父ちゃんは桜間家流にロッペイの頭を叩き、最後は長太郎に促されて、フルカワさんがロッペイが叩かれる理由を1つずつ言って叩きます。

この時に、ロッペイを叩いていく3人の表情を見ていくと、叩く時にとても心苦しい顔をしていて、叩く行為に抵抗を感じているのが分かります。叩き慣れている父ちゃんでも人様の子どもを叩く時に、自分の中で心の整理をして叩いたんだなっていうのが、叩く前にロッペイに言った言葉から伺えます。

父ちゃんは怒りに任せて長太郎を叩くこともありますが、それは心配が増大した感情の爆発であり、また、今回のロッペイのような悪さに対する怒りからだったりします。

長太郎はみんなに心配をかけたことが一番悪いことだとロッペイに言っていて、その罰でロッペイは叩かれていくのですが、自分を大事に思う人達を心配させたり、傷つけることが一番悪いということ、人を大事にするためには自分も大事にしないといけないということをこの話から感じ取りました。

終始この話から感じたのは、自分優先ではなく、自分を大事にしてくれる他人を思いやる姿です。『あばれはっちゃく』シリーズは、父ちゃんの長太郎への暴力が非難され、それが理由で、現在では放送できないと言われますが、父ちゃんが長太郎を殴る理由、その感情について、しっかり把握されていないと感じます。

言うことを聞かせて言いなりにさせる為の暴力は言語道断ですが、相手の事を思って叩く感情、叩く側も叩く事に対する抵抗や葛藤があることに目を向けて欲しいです。相手の事を考えず自分の思い通りに動かす暴力と、相手を思って叩く行動は似て非なるもの。ただ、その見極めは、暴力を振るう者でさえも、その区別がつきにくい。

ただ、ドラマの中では、その感情や事の経緯を読み取ることが出来るのですから、そこから、感情的な暴力か相手の為を思ってのものなのかを考えるべきではないでしょうか。

父ちゃんは最初、大事にしていた釣り竿をダメにした事を怒りましたが、そこには人が大事にしている物をダメにして、人の心を傷つける事が人として悪いことだということ。それは物だけでなく、人が大事にしている人物に対してにも、向けられているように思うのです。

もしも他人が大事にしている相手が自分自身であるのなら、この話では、父ちゃんや母ちゃん、フルカワさんが大事にしているのは、長太郎やロッペイで、だからこそ、親が大事にしている子どもである長太郎やロッペイは、自分自身を大事にすることが大切です。

自分自身を大事に大切にする事が、ひいては他人を大事にする事。他人を大事にして、尊重する事が出来るのなら、他人が悲しみ心がを傷つく行為なんて出来ないんじゃないかなって、私は今回の話を見て、強く感じました。

それから、人を叩くのは、傷つけられた相手の心の痛みを知る為でもあるんだと思いました。心の傷は目に見えず、人が感じた痛みを実際に他人は感じる事が出来ません。

だから叩かれて、その痛みを知る事で、見えない傷がどれだけ、人を痛めつけたのか、それがどれだけ辛い事なのかを知って、相手の心を傷つけた罪を知る事は大事なんだと思うのです。

私は『あばれはっちゃく』の話の根底には、他人を悲しませない、他人の思いに報いる心が基本にあると思います。私は、そういう心が好きですし、長く『あばれはっちゃく』に心惹かれる理由になっています。

北海道から帰ってきた

さて、この話に登場したロッペイの父親のフルカワさんを演じたのは、初代『俺はあばれはっちゃく』で、ヒトミちゃんのお父さんを演じた若尾義昭さんです。

ヒトミちゃんは最終回でお父さんの転勤で北海道に転校してしまうのですが、今回、若尾さんが演じたフルカワさんは、北海道の出張から帰ってきていて、なんだかメタ的にヒトミちゃんのお父さんが北海道から、あばれはっちゃくの世界に戻ってきた錯覚を感じました。それがなんだか、スピンオフを使った視聴者に対するサービスというか、遊び心だなって思いました。

克彦

また、今回は克彦が母ちゃんを気に入ったロッペイにすごく共感をしているのですが、それも以前の話(58話「母ちゃん貸すぜマル秘作戦」を思い出させて、『あばれはっちゃく』は基本、一話完結だけど、話が脈々と繋がっているのもいいなって思いました。

kakinoha.hatenadiary.com

私がこんなことを書くのもおこがましいですが、『あばれはっちゃく』の根底に流れている(と私が勝手に感じ取っているメッセージ)自分を大切にして相手の心を思いやる心、それに心が惹かれる気持ちを大事にしていきたいです。

痛快あばれはっちゃく・父親、祖父、おじ(ドラマを見て分かる設定131)

痛快あばれはっちゃく』11話より

隼人さんのおじさんの会社

『痛快あばれはっちゃく』11話で、隼人さんのおじさんの会社が分かります。訳あって11話では隼人さんの勘違いから始まって、父ちゃんがつくし美工にいられない状態になってしまい、責任を感じた隼人さんが自分のおじさんに事情を話して、おじさんの会社に父ちゃんを雇うようにお願いをします。その会社が見上げるような大きなビルの会社。

『痛快あばれはっちゃく』11話より
『痛快あばれはっちゃく』11話より
『痛快あばれはっちゃく』11話より

その名も、黒川都市計画研究所。隼人さんは「僕のおじさんの会社」と父ちゃんに説明しているので、恐らく、隼人さんのおじさんが社長か会長の会社なんだと思います。また、隼人さんは、26話で国民体育大会レスリング競技東京地区高校合宿所で、先輩の嫌がらせとコーチの誤解で合宿を追い出された時に、桜間家に寄って「九州に帰ります」という発言をしているので、隼人さんは元々は九州の出身で、おじさんのツテで東京に来ていて、世話になっているんじゃないかなって思います。

父ちゃんと母ちゃんは、1話で4月1日の早生まれで体が小さく幼稚園でも小学校に入った時もビイビイないていた長太郎を鍛える為に、隼人さんにお願いして、長太郎にレスリングを教えてもらった事を話しています。

1972年度生まれの長太郎が小学校に入学したのは1979年になり、1983年に高校2年生の隼人さんの中学入学と重なるので、隼人さんは中学入学を機に九州から東京のおじさんを頼って東京に来て、桜間家と知り合ったのだろうと思います。

4代目では11話まで、隼人さんの親戚関係を父ちゃんも知りません。そんな関係の隼人さんと桜間家がどういう経緯で知り合い、長太郎にレスリングを教えるようになったのか、そういうエピソードの話が4代目にはないので、そういう話も見てみたかったです。なんだか、そこは設定や人物を生かしきれてなくて、ちょっと勿体なかったですね。

隼人さんが九州出身だというのは、2代目『男!あばれはっちゃく』の隼人さんと一緒ですね。ただ、2代目の隼人さんは鹿児島の出身まで分かりますが、4代目の隼人さんは九州のどこの県かまでは分かりません。2代目と4代目の隼人さんは別人ですが、恐らくは4代目の隼人さんも2代目の隼人さんと少し設定が被っていて、出身も同じ鹿児島県なのかもしれません。

4代目の父ちゃんは42歳

『痛快あばれはっちゃく』25話(1983年9月17日放送)で父ちゃんの誕生日を祝います。この時に、母ちゃんが「父ちゃんの42歳の誕生日」と言うので、父ちゃんが1983年9月で42歳だと分かります。そこから、4代目の父ちゃんは1941年(昭和16年)9月生まれだと分かります。

信彦の祖父

『痛快あばれはっちゃく』24話で信彦の祖父の名前と顔が分かります。つくし美工の社長室には創業者である信彦の祖父の像が置いてあって、そこに名前もあるからです。信彦の祖父の名前は飯田信之介です。

『痛快あばれはっちゃく』24話より

信彦の父親は広田先生そっくり

次に信彦の父親の名前と顔が分かるのが、『痛快あばれはっちゃく』78話です。この話では、過剰に中学受験に力を入れる信彦の母親の行動を是正させるために、信彦の姉の友子さんが亡き父親の日記を読み、長太郎達に協力をしてもらって、信彦の母親に向けて一つの劇をするのですが、この時に信彦の父親を演じたのが広田先生でした。

長太郎達の中で、信彦の父親を演じることが出来たのが広田先生だけだったというのもありますが、信彦が父親を描いた似顔絵が広田先生にそっくりで、恐らく信彦の父親は広田先生にとてもよく似ている顔立ち、風貌だったのだろうと推測できます。信彦は美術の成績もとても良いことから、信彦の描いた父親の似顔絵はかなり似ているんじゃないなって思うのです。

『痛快あばれはっちゃく』78話より

そして、広田先生にそっくりな信彦の父親の名前は、飯田信之。これは友子さんが手にした父親の日記に書かれている名前から分かります。

『痛快あばれはっちゃく』78話より

祖父の名前が信之介で父親の名前が信之であることから、信彦は祖父と父親から「信」という名前の文字を譲り受けていたんだなってことも、これで同時に分かります。信彦の父親の顔が分かるのは、信彦の描いた似顔絵からしか分かりませんが、もしも生きている設定なら、広田先生を演じた山内賢さんが二役で信彦の父親を演じていたのかもしれませんね。実際は劇中劇の中で広田先生が信彦の父親の信之さんを演じたに留まりましたが、信彦の母親が夫の言葉として受け止めていたので、声や話し方等も似ていたのではないかなって(友子さんの演技指導があったと思いますが)思います。