柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

痛快あばれはっちゃく・父親、祖父、おじ(ドラマを見て分かる設定131)

痛快あばれはっちゃく』11話より

隼人さんのおじさんの会社

『痛快あばれはっちゃく』11話で、隼人さんのおじさんの会社が分かります。訳あって11話では隼人さんの勘違いから始まって、父ちゃんがつくし美工にいられない状態になってしまい、責任を感じた隼人さんが自分のおじさんに事情を話して、おじさんの会社に父ちゃんを雇うようにお願いをします。その会社が見上げるような大きなビルの会社。

『痛快あばれはっちゃく』11話より
『痛快あばれはっちゃく』11話より
『痛快あばれはっちゃく』11話より

その名も、黒川都市計画研究所。隼人さんは「僕のおじさんの会社」と父ちゃんに説明しているので、恐らく、隼人さんのおじさんが社長か会長の会社なんだと思います。また、隼人さんは、26話で国民体育大会レスリング競技東京地区高校合宿所で、先輩の嫌がらせとコーチの誤解で合宿を追い出された時に、桜間家に寄って「九州に帰ります」という発言をしているので、隼人さんは元々は九州の出身で、おじさんのツテで東京に来ていて、世話になっているんじゃないかなって思います。

父ちゃんと母ちゃんは、1話で4月1日の早生まれで体が小さく幼稚園でも小学校に入った時もビイビイないていた長太郎を鍛える為に、隼人さんにお願いして、長太郎にレスリングを教えてもらった事を話しています。

1972年度生まれの長太郎が小学校に入学したのは1979年になり、1983年に高校2年生の隼人さんの中学入学と重なるので、隼人さんは中学入学を機に九州から東京のおじさんを頼って東京に来て、桜間家と知り合ったのだろうと思います。

4代目では11話まで、隼人さんの親戚関係を父ちゃんも知りません。そんな関係の隼人さんと桜間家がどういう経緯で知り合い、長太郎にレスリングを教えるようになったのか、そういうエピソードの話が4代目にはないので、そういう話も見てみたかったです。なんだか、そこは設定や人物を生かしきれてなくて、ちょっと勿体なかったですね。

隼人さんが九州出身だというのは、2代目『男!あばれはっちゃく』の隼人さんと一緒ですね。ただ、2代目の隼人さんは鹿児島の出身まで分かりますが、4代目の隼人さんは九州のどこの県かまでは分かりません。2代目と4代目の隼人さんは別人ですが、恐らくは4代目の隼人さんも2代目の隼人さんと少し設定が被っていて、出身も同じ鹿児島県なのかもしれません。

4代目の父ちゃんは42歳

『痛快あばれはっちゃく』25話(1983年9月17日放送)で父ちゃんの誕生日を祝います。この時に、母ちゃんが「父ちゃんの42歳の誕生日」と言うので、父ちゃんが1983年9月で42歳だと分かります。そこから、4代目の父ちゃんは1941年(昭和16年)9月生まれだと分かります。

信彦の祖父

『痛快あばれはっちゃく』24話で信彦の祖父の名前と顔が分かります。つくし美工の社長室には創業者である信彦の祖父の像が置いてあって、そこに名前もあるからです。信彦の祖父の名前は飯田信之介です。

『痛快あばれはっちゃく』24話より

信彦の父親は広田先生そっくり

次に信彦の父親の名前と顔が分かるのが、『痛快あばれはっちゃく』78話です。この話では、過剰に中学受験に力を入れる信彦の母親の行動を是正させるために、信彦の姉の友子さんが亡き父親の日記を読み、長太郎達に協力をしてもらって、信彦の母親に向けて一つの劇をするのですが、この時に信彦の父親を演じたのが広田先生でした。

長太郎達の中で、信彦の父親を演じることが出来たのが広田先生だけだったというのもありますが、信彦が父親を描いた似顔絵が広田先生にそっくりで、恐らく信彦の父親は広田先生にとてもよく似ている顔立ち、風貌だったのだろうと推測できます。信彦は美術の成績もとても良いことから、信彦の描いた父親の似顔絵はかなり似ているんじゃないなって思うのです。

『痛快あばれはっちゃく』78話より

そして、広田先生にそっくりな信彦の父親の名前は、飯田信之。これは友子さんが手にした父親の日記に書かれている名前から分かります。

『痛快あばれはっちゃく』78話より

祖父の名前が信之介で父親の名前が信之であることから、信彦は祖父と父親から「信」という名前の文字を譲り受けていたんだなってことも、これで同時に分かります。信彦の父親の顔が分かるのは、信彦の描いた似顔絵からしか分かりませんが、もしも生きている設定なら、広田先生を演じた山内賢さんが二役で信彦の父親を演じていたのかもしれませんね。実際は劇中劇の中で広田先生が信彦の父親の信之さんを演じたに留まりましたが、信彦の母親が夫の言葉として受け止めていたので、声や話し方等も似ていたのではないかなって(友子さんの演技指導があったと思いますが)思います。