柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』78話「お尻ペンペン」感想

『男!あばれはっちゃく』78話より

1981年10月3日放送・脚本・市川靖さん・磯見忠彦監督

ロッペイという少年

今回は、仙海さんが父親の北海道出帳が終わるまで預かった知り合いの少年、フルカワ ロッペイを長太郎の家で預かったことで騒動が起こります。4年生のロッペイは父子家庭。長太郎は母親を知らないロッペイの為に家に連れてきて、母ちゃんの味をご馳走します。ロッペイはそれで桜間家を気に入りいます。仙海さんが迎えに来て帰るときに、ロッペイは「また、きてもいい?」と尋ね、「ああ、いいよ、いつでもいいよ、おいで」という母ちゃんの言葉に、その日の夜の11時半、信一郎が英語の勉強をしている時に、2階の長太郎達の部屋に忍び込んできます。それをきっかけに、ロッペイは長太郎の家で父親が北海道の出帳から帰ってくるまで、桜間家で面倒を見ることになるのです。

このロッペイが遠慮知らずで、長太郎にそっくり。悪気がなく、好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、さらに親切心でいろいろとお店の掃除などを手伝うものの、返って迷惑をかける始末。長太郎との出会いや家に呼ぶきっかけも、そんなロッペイの親切心からくる迷惑がきっかけだったりします。

親の暴力に慣れていないロッペイ

結果的に信一郎の宿題を邪魔したり、母ちゃんのお店でお客さんに迷惑をかけて追い出されたロッペイは、ドンペイを連れ出し、父ちゃんの大事にしていた釣り竿を持ち出して遊ぶのですが、それで父ちゃんが大事にしていた釣り竿をダメにしてしまうんですね。それだけでなく、父ちゃんの大工道具もダメにしてしまいます。

ロッペイを探しに来た長太郎がロッペイがやった罪を被って、父ちゃんに報告するんですが、例のごとく長太郎は父ちゃんにこっぴどく怒られます。その時にロッペイは父ちゃんに激しく怒られる長太郎の姿を見て怯えていて、ロッペイが叩かれることに慣れていないんだってことが分かります。

それは、ロッペイは桜間家の食卓で父ちゃんが長太郎の頭を叩いた時に「違うな、ここんち。俺の親父、頭、叩いたりしないぜ」と言っていることからも明らかです。食卓での時は、話の流れから、まだ笑える余裕があってのもので深刻さがなかったのですが、父ちゃんの大事にしていた、もう作る職人のいない釣り竿をダメにした時は、父ちゃんの怒りが大きく、その度合いが違うので、親の暴力に慣れていないロッペイにとっては、かなりのショックな出来事でした。

ロッペイは自分を庇って家を出ることになった長太郎を心配して、自分の代わりに仙海さんのとこに行くことを勧めます。長太郎は最初は渋りますが、ロッペイの言葉に仙海さんのところへ行き、ロッペイは長太郎の言葉に従って、長太郎が自分を庇ったことを黙っています。

自分の為ではなく他人の為

しかし、ロッペイは長太郎の言葉にただ甘えるだけでなく、自分の為に父親に殴られ、家を追い出された長太郎の為に、父ちゃんの釣り竿を作り直す為に、朝早くから誰にも言わずに竹を探しに行っていたのです。長太郎はロッペイの為に罪を被り、ロッペイは長太郎の為に行動を起こす。

自分の為ではなく、他人の為に動く姿は、長太郎とロッペイだけではなく、朝早くいなくなったロッペイを捜すために走り回った父ちゃんと母ちゃん、仙海さん、出帳から帰ってきたロッペイの父親のフルカワさんにも見ることが出来ます。私が『あばれはっちゃく』を好きなのは、自分の為ではなく他人の為に動く姿、また、自分の為に他人が尽くしている姿に心を打たれて、行動する恩返しの姿に心を惹かれていたんだなって、今回の話を見て、改めて気づきました。

叩く理由

見つかったロッペイは自分が竹を見つけた理由を話し、父ちゃんに自分が釣り竿をダメにしたことを謝ります。それを聞いてロッペイの父親のフルカワさんは土下座をして父ちゃんに謝りますが、ロッペイを庇って謝るフルカワさんを長太郎が叱ります。

「だいたい、おじさん、甘すぎるりゃあ!悪さした子どもを庇うなんて!」

『男!あばれはっちゃく』78話より

そこから、長太郎の提案で母ちゃんがロッペイを叩くことになり、母ちゃんは最初は渋りますが、仙海さんの「お尻なら、いいじゃないですか」の言葉に、母ちゃんはロッペイに「これはね、黙ってうちをあけた罰だからね」と目を見て、叩く理由をロッペイに言って申し訳なく、控えめにロッペイのお尻を叩くのです。

ちゃんと、ロッペイを叩く理由を伝える母ちゃん。ロッペイもそれまでの経緯を見てきて、自分が叩かれる理由をちゃんと理解したうえで、お尻を出して母ちゃんに叩かれます。その次が父ちゃんで父ちゃんは桜間家流にロッペイの頭を叩き、最後は長太郎に促されて、フルカワさんがロッペイが叩かれる理由を1つずつ言って叩きます。

この時に、ロッペイを叩いていく3人の表情を見ていくと、叩く時にとても心苦しい顔をしていて、叩く行為に抵抗を感じているのが分かります。叩き慣れている父ちゃんでも人様の子どもを叩く時に、自分の中で心の整理をして叩いたんだなっていうのが、叩く前にロッペイに言った言葉から伺えます。

父ちゃんは怒りに任せて長太郎を叩くこともありますが、それは心配が増大した感情の爆発であり、また、今回のロッペイのような悪さに対する怒りからだったりします。

長太郎はみんなに心配をかけたことが一番悪いことだとロッペイに言っていて、その罰でロッペイは叩かれていくのですが、自分を大事に思う人達を心配させたり、傷つけることが一番悪いということ、人を大事にするためには自分も大事にしないといけないということをこの話から感じ取りました。

終始この話から感じたのは、自分優先ではなく、自分を大事にしてくれる他人を思いやる姿です。『あばれはっちゃく』シリーズは、父ちゃんの長太郎への暴力が非難され、それが理由で、現在では放送できないと言われますが、父ちゃんが長太郎を殴る理由、その感情について、しっかり把握されていないと感じます。

言うことを聞かせて言いなりにさせる為の暴力は言語道断ですが、相手の事を思って叩く感情、叩く側も叩く事に対する抵抗や葛藤があることに目を向けて欲しいです。相手の事を考えず自分の思い通りに動かす暴力と、相手を思って叩く行動は似て非なるもの。ただ、その見極めは、暴力を振るう者でさえも、その区別がつきにくい。

ただ、ドラマの中では、その感情や事の経緯を読み取ることが出来るのですから、そこから、感情的な暴力か相手の為を思ってのものなのかを考えるべきではないでしょうか。

父ちゃんは最初、大事にしていた釣り竿をダメにした事を怒りましたが、そこには人が大事にしている物をダメにして、人の心を傷つける事が人として悪いことだということ。それは物だけでなく、人が大事にしている人物に対してにも、向けられているように思うのです。

もしも他人が大事にしている相手が自分自身であるのなら、この話では、父ちゃんや母ちゃん、フルカワさんが大事にしているのは、長太郎やロッペイで、だからこそ、親が大事にしている子どもである長太郎やロッペイは、自分自身を大事にすることが大切です。

自分自身を大事に大切にする事が、ひいては他人を大事にする事。他人を大事にして、尊重する事が出来るのなら、他人が悲しみ心がを傷つく行為なんて出来ないんじゃないかなって、私は今回の話を見て、強く感じました。

それから、人を叩くのは、傷つけられた相手の心の痛みを知る為でもあるんだと思いました。心の傷は目に見えず、人が感じた痛みを実際に他人は感じる事が出来ません。

だから叩かれて、その痛みを知る事で、見えない傷がどれだけ、人を痛めつけたのか、それがどれだけ辛い事なのかを知って、相手の心を傷つけた罪を知る事は大事なんだと思うのです。

私は『あばれはっちゃく』の話の根底には、他人を悲しませない、他人の思いに報いる心が基本にあると思います。私は、そういう心が好きですし、長く『あばれはっちゃく』に心惹かれる理由になっています。

北海道から帰ってきた

さて、この話に登場したロッペイの父親のフルカワさんを演じたのは、初代『俺はあばれはっちゃく』で、ヒトミちゃんのお父さんを演じた若尾義昭さんです。

ヒトミちゃんは最終回でお父さんの転勤で北海道に転校してしまうのですが、今回、若尾さんが演じたフルカワさんは、北海道の出張から帰ってきていて、なんだかメタ的にヒトミちゃんのお父さんが北海道から、あばれはっちゃくの世界に戻ってきた錯覚を感じました。それがなんだか、スピンオフを使った視聴者に対するサービスというか、遊び心だなって思いました。

克彦

また、今回は克彦が母ちゃんを気に入ったロッペイにすごく共感をしているのですが、それも以前の話(58話「母ちゃん貸すぜマル秘作戦」を思い出させて、『あばれはっちゃく』は基本、一話完結だけど、話が脈々と繋がっているのもいいなって思いました。

kakinoha.hatenadiary.com

私がこんなことを書くのもおこがましいですが、『あばれはっちゃく』の根底に流れている(と私が勝手に感じ取っているメッセージ)自分を大切にして相手の心を思いやる心、それに心が惹かれる気持ちを大事にしていきたいです。