1981年5月9日放送・脚本・三宅直子さん・松生秀二監督
母の話と三宅さんの脚本
母の日が近づいて落ち込んでいる克彦。そんな克彦を気遣うみゆきちゃん。周囲も克彦に母親がいないことで気を遣う中、長太郎だけが無神経に克彦の前で母の日の事を話題にしてしまい、周りからそっぽを向かれてしまいます。
長太郎に克彦を傷つける意図はなく、単に配慮が足りなかった訳ですが、みゆきちゃんの逆鱗に触れたことで、長太郎は困り寺山先生に相談をします。私はこの時に寺山先生が長太郎に言った言葉がとても好きです。
「それは、お前がまずかったな」
「けど、わざと言ったわけじゃねぇよ」
「だがな、何か口に出す前に、周りの人の事を思いやってみることが大切なんだ」
「口に出す前に」
「ああ、とは言っても、それはなかなか難しいことだ。先生なんかも、よく、相手の気持ちも構わずに喋って、あ、しまった、なんて思うこともよくある」
「先生が、か」
初代『俺はあばれはっちゃく』でも、母のいない正彦を気遣う話がありましたが、その時の話を書いたのも、今回と同じ三宅直子さんでした。『あばれはっちゃく』シリーズでは、母ちゃんがメインになる話、母の日にちなんだ話はその殆どが三宅さんの脚本でした。
やはり『あばれはっちゃく』シリーズの脚本家の中で唯一の主婦である脚本家の三宅さんが母親の立場や気持ちを理解された上で書かれていることが、すごく重要なんだろうなって私は思います。
8話と58話で逆転する長太郎の立場
『男!あばれはっちゃく』では、邦彦もまた母親がいない子でしたが、前作『俺はあばれはっちゃく』の正彦や今回の話の主役になる克彦と比べると、あまり亡母への思いを強く書いた話はなかったように思います。『男!あばれはっちゃく』の1年目の母の日にちなんだ話は8話「母ちゃんのためなら」でしたが、これは邦彦の誕生日に母ちゃんの買ってくれたプレゼントや母ちゃんのことを馬鹿にされた長太郎が邦彦に怒る話でした。
長太郎が自分の母ちゃんの為に怒る話が『男!あばれはっちゃく』1年目の母の日にちなんだ話、2年目では母親のいない克彦の思いに考えを馳せることもせずに、無神経に母ちゃんとの仲を見せつけてしまった長太郎が反省をして、克彦の為に自分の母ちゃんを貸してあげた話。
簡単にまとめれば、そういう話だった訳ですが、どちらの話も長太郎は自分の母ちゃんを馬鹿にされた時は、真剣に邦彦に対しても、克彦に対しても怒っているんですよね。克彦の寂しさや複雑な内面が見える58話は8話よりも、かなり深い内容になっていたように感じました。
面白いなと思うのは、8話と58話で長太郎の立場が入れ替わっているところですね。8話では邦彦が母ちゃんの勘違いを知りながら長太郎の間違いを訂正せずにいたことをみゆきちゃん達に責められていましたが、今回は長太郎の克彦への配慮のなさを責められていました。
こういうのを見ていると、みゆきちゃんが一貫して人への思いやりを大事にしている子なんだなってことが分かります。みゆきちゃんは邦彦だろうが、長太郎だろうが、克彦だろうが人を無神経に傷つけたり、仲間外れにすることが許せない女の子で、下手な贔屓をする子じゃないんだなって思いました。
思いやりと傲慢の線引き
長太郎は克彦の前で母の日の話をして、母ちゃんと仲良くする姿を見せることが克彦を傷つけていたことをみゆきちゃんから非難されて反省し、お詫びとして自分の母ちゃんと過ごす時間を与えることを閃きます。しかし、それを知った克彦は激しく怒って、長太郎の母ちゃんを貶してしまうんですよね。
克彦は後で長太郎に謝る時にその心情を話しますが、それはやっぱりそうだろうなって。長太郎は克彦の為にいいことをしてあげたのに、母ちゃんの悪口を言うなんてって思う人もいると思うんですけど、克彦には長太郎の態度が母親が健在である人の余裕に見えて、自分を憐れんで下に見ている、同情されていると感じ取ったんじゃないかなって私は思いました。
先に今回の58話を「2年目では母親のいない克彦の思いに考えを馳せることもせずに、無神経に母ちゃんとの仲を見せつけてしまった長太郎が反省をして、克彦の為に自分の母ちゃんを貸してあげた話」と書きましたが、「貸してあげた」というのが長太郎の善意だけど無意識な克彦への攻撃になって、神経を逆なでしたんだろうなって感じました。だから、克彦は怒ったのだろうと。
この克彦の感情は長太郎には、まだよく分からない感情だったと思います。それは、長太郎自身が母ちゃんを亡くすという経験をしていないから。経験はしていないけれど、みゆきちゃんや寺山先生の言葉や克彦の態度などを見て、自分では意図していなくても、克彦の心を深く傷つけたことは理解しているから、困ってしまうし、心配もする。
長太郎の心配はみゆきちゃんが心配しているからというのもあるけれども、それでも長太郎自身も克彦が不安定でどこかにいなくなってしまったのは、落ち着かなかったんじゃないかなって思ったりしました。
長太郎は傷つけてしまった克彦の為に母ちゃんを貸す閃きをしましたが、それが克彦の怒りを買ってしまった。長太郎は隠そうとしたけれど、章が喋ってしまったというのもあるけれど、バラされた後に悪気なく克彦に母ちゃんを貸すことを思いつたことを話してしまったのは、やはり長太郎の余裕からくる言葉と判断で、長太郎なりの優しさが上から与える傲慢さになって克彦に受け止められたのを見て、優しさと傲慢さというのは、紙一重なんだなって思いました。
メインの人以外の感情にも
今回は克彦の繊細で母を恋しく思う気持ちがメインでしたが、その一方で姉の洋子さんも寂しい思いをしていただろうな、前々回の56話「マスコットを探せ」の話でも、母親の肩身のマスコットをとても大事にしていたし、その時は克彦は「ママはいつも僕の心の中に」と言っていたけど、あれは強がりだったのかもしれないなと思ったり。
邦彦も母親がいなくて、やはり彼も5月は嫌いだったのかな、それとも自分の誕生日がある月だからそうでもなかったのかな、母の日と自分の誕生日が近いと複雑な気持ちがあったのかなとか。
夕食の席で克彦の言葉を聞いた克彦のお祖母ちゃんは寂しそうな顔をしていたから、克彦の母を思う気持ちを理解した上で自分の気持ちを抑えていたんだろうなとか、そんな義母の気持ちを汲み取って克彦の父親は克彦を叱ったのかなとか、そんな江藤家の人達の心情や、もう『男!あばれはっちゃく』の世界には登場しない邦彦の気持ちも考えて見ることが出来た話でした。
『あばれはっちゃく』の話は、メインになる人だけでなく、周囲の人のちょっとした仕草や表情、言葉からもその心情をいろいろと感じ取れるところがいいところだなって思います。