柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』79話「青い鳥を探せ」感想

『男!あばれはっちゃく』79話より

1981年10月10日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

祝日による連休

この話が放送されたのは10月10日。10月10日は体育の日、今のスポーツの日で祝日でした。体育の日は1964年10月10日に東京五輪が開催されたのを記念して、1966年10月10日から始まりました。現在はスポーツの日に限らず、ハッピーマンデーにより月曜日にされて、年ごとに日にちが変わっています。私は、体育の日のように祝日は何かの記念日が元になって誕生していて、その日にちに意味があると思っているので、祝日の日にちが変動することには疑問に感じています。

以前TBSの夕方のニュース番組『Nスタ』を見ていた時、井上貴博アナウンサーが、土曜日が祝日の時に振り替え休日にならないのが不満という話をしたのですが、私の中では土曜日が休日という考えがなかったので、元々平日だったのが休みになるのだから、振り替え休日も何もないだろうに、井上アナは何を言っているのだろう?と疑問に感じた後で、井上アナが私よりも10歳若く、彼の時代には土曜日が休日で当たり前の時代になっていたことに気づき、ああ、10年の差でこんなにも、祝日や平日、それに伴う連休の感覚が違うのかと愕然としました。

当時は現在のように土曜日が休みで、祝日を月曜日にして連休を作るのではなく、祝日の日は固定されていて、土曜日も半ドンと呼ばれて、午前中だけ学校がありました。

ちなみに私は小学2年生の時に、福島県から長野県に転校したのですが、福島では土曜日は4時間目まであったのが、長野県では3時間目までしかなかったのに驚いて、1時間得をしたなって思いました。昭和時代に小学生、中学生(中学の終わりの頃は平成元年になりましたが)を過ごした私にとって、今でも土曜日は平日で、体育の日、スポーツの日は10月10日という感覚が強く残っています。

なので、土曜日が祝日で休みになって、日曜日と連続で連休になると、とても嬉しかったです。私よりも10歳下の世代の人たちにとっては、土曜日休みが当たり前で、ハッピーマンデーがあって、長期休み以外の連休に特別感を感じないと思いますが、昭和時代の小学生にとっては、土曜日が祝日休みになるのは嬉しいものでした。

今回の『男!あばれはっちゃく』79話の冒頭で、寺山先生が長太郎達に連休の予定を聞きますが、1981年の10月10日は土曜日で日曜日と続けて連休になっていました。だから、寺山先生は長太郎達に連休の予定を聞いてきたのですね。連休は今もありますが、長太郎達がこの土日の連休をどれだけ楽しみにしていたのかというのは、私よりも10歳下の人達には、あまり理解出来ないんじゃないかなって思います。

非を認めず他人のせいにして嘘で誤魔化す

さて、前置きが長くなりましたが、寺山先生の連休をどう過ごすかという話題にそれぞれが答える中で、みゆきちゃんが熱海に旅行することを話して、その間に飼っているインコのピーコを預かって欲しいとお願いをします。そのお願いに長太郎と克彦が名乗り出て、寺山先生の提案でじゃんけんをして、勝った克彦がインコを預かることになります。ピーコはみゆきちゃんのお母さんが飼っていて、長太郎ではなく克彦が預かってくれることに安心するのですが、預かっていたインコを克彦が逃がしてしまうのです。

克彦は長太郎のせいにし、克彦なりに責任を取ろうとインコを見つけたと別のインコをピーコと偽ってみゆきちゃんのママに渡したりします。電話でピーコが逃げたことを知って旅行先から戻ってきたみゆきちゃんとみゆきちゃんのママは、長太郎にはとても怒るんですが、偽物のピーコを渡した克彦に対しては、その誠意を汲み取って、みゆきちゃんのママは克彦のことを「優しい」というんですね。

みゆきちゃんのママの中では、長太郎は悪ガキで克彦は優等生という認識があるから、こういう態度の差になってしまうのかなって。ピーコが逃げたのを克彦が長太郎のせいにしたと書きましたが、長太郎が全く関係がないかと言えばそうではないのです。

事の経緯は、長太郎が章を誘って、ピーコを預かっている克彦の家に行って、ソファーに座った時におならをしてしまい、その臭さに章が顔をしかめ、文句を言ったことで、長太郎が窓をあけようとして、克彦が籠からピーコを取り出して手に持っていたのを見た章がピーコを逃げるのを心配して、窓を開けるのを止めるものの、克彦が開けても大丈夫と言ったので、長太郎が窓をあけ、その時にピーコが克彦の指を突っついてしまって、その痛みに克彦がピーコを離してしまって、開けた窓から逃げてしまったのです。

元を辿れば、きっかけを作ったのは長太郎のおなら。ただ、窓を開ける許可をしたのは克彦で手に持っていたピーコを離してしまったのは克彦。ピーコは自分になれているから逃げないという慢心が結果的にピーコを逃がすことになってしまった。克彦は自分の落ち度を話すことなく、結果的に窓を開けた長太郎だけのせいにし、責任を取るために偽物のピーコで誤魔化す手段を使いました。

克彦がしたことは、自分自身の非を認めず、人のせいにし、嘘で誤魔化すこと。そんな克彦が褒められて、長太郎が怒られるのは、本当に理不尽で合点がいきませんでした。

誤解が解けるも募るモヤモヤ

しかし、この理不尽はすぐに解消されます。克彦の姉である洋子さんが真実を話しにきて、桜間家に謝罪に来たからです。洋子さんは桜間家の前に大島家に立ち寄って、みゆきちゃんのママに謝罪をしていて、みゆきちゃんと一緒に桜間家に来て謝罪しました。

洋子さんのお陰で長太郎の濡れ衣は晴れたのですが、洋子さんの克彦を庇う謝罪の言葉やその謝罪の場に克彦がいないことに疑問を感じました。前回の78話でロッペイの悪さを庇って謝罪するフルカワさんに対して、長太郎がフルカワさんを怒った後に見ると、なんだか洋子さんの謝罪が克彦を許してもらうだけの謝罪にしか見えなかったのです。

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長太郎は洋子さんとみゆきちゃんの言葉に克彦を許しますが、私の心の中にはなんだか、モヤモヤが残りました。そのモヤモヤは、この後の克彦の態度でさらに膨らみます。そこに止めを刺したのが、克彦のこの話での最後の言葉でした。

洋子さんは、克彦が深く反省していると言いましたが、話の最後に出た克彦の言葉を耳にすると本当に反省をしたのか疑ってしまいます。克彦は反省したのではなく、長太郎やみゆきちゃんのママに悪いと思ったのでもなく、ただ、ピーコを逃がしてしまったことを落ち込んでいただけなのかと思いました。

青い鳥を探して

ピーコは青いインコ。次の日、長太郎とみゆきちゃんは次の日に一緒にピーコを探します。その前にも長太郎は章と一緒にポスターを貼ってピーコを探していましたが、今回は長太郎とみゆきちゃんだけ。克彦は逃げた直後に長太郎と章と探していましたが、途中で一人家に帰ってしまいます(この時に偽物のピーコを買って用意したのだろうと思います)

長太郎とみゆきちゃんの2人だけでピーコ探しをしているのを見ながら、なぜ、ここにも克彦がいないのだろう?と疑問に思いました。洋子さんの言うように克彦が反省しているのなら、洋子さんから話を聞いて克彦もピーコ探しに参加してもいいのになっておもったからです。

話としては、長太郎の夢の中で見た童話『青い鳥』のチルチルとミチルのように、長太郎とみゆきちゃんの2人で探させたかったのと、克彦役の織田さんのスケジュールが合わなかったのだろうと思いますが、そんな裏事情は関係なく、私は克彦がピーコ探しにいないことが不自然で引っ掛かりを感じました。

今回の話は『青い鳥』をモチーフにして、長太郎とみゆきちゃんをチルチル、ミチルに見立てて、青い鳥を探す話を作りたかったのだろうと思いましたが、『青い鳥』からは、2人の男女が青い鳥を探すところだけを拝借していただけに思いました。

『青い鳥』の話は、幸福の青い鳥を探し求めて遠くに探しに行くものの、実は青い鳥は身近にいて、そこから、幸せは遠くにあると思いがちだが、案外、身近に存在しているということに気づかせる話です。

私はせっかく『青い鳥』をモチーフにするのなら、この「幸せは身近なところにある」という『青い鳥』の内容を活かしたら良かったのに、と思いました。ただ、チルチル、ミチルに見立てた長太郎とみゆきちゃんが青い鳥を探すだけでは勿体ないと感じました。

私の好きな漫画で、水沢めぐみ先生の『ポニーテール白書』があるのですが、その漫画の中に『青い鳥』をモチーフにした話があって、それがちゃんと幸せは身近にあることを教えてくれる話で『りぼん』で連載を読んだ時に涙を流して感動しました。(そのエピソードはりぼんマスコットコミックス『ポニーテール白書』2巻に収録されています。興味のある方は電子書籍で買えますので読んでみてください)『男!あばれはっちゃく』79話も同じように『青い鳥』をモチーフしているのなら、『ポニーテール白書』並みに大切なことに気づかせて欲しかったです。

リアルタイムで経験したのは、『男!あばれはっちゃく』79話が先で、『ポニーテール白書』が後なのですが(『ポニーテール白書』の『青い鳥』をモチーフにした話は、1986年りぼん1月号に掲載された連載6回目の話でした)『ポニーテール白書』に既視感がないのは、79話が『青い鳥』を話の中で活かし切れていなかったからだと思います。

結果は悪くても

長太郎とみゆきちゃんは闇雲に探していくのではなく、図書館でインコの特性を調べて、インコがいそうなところを探していきます。こうした、現実的な探し方をしているのを見たときは凄いな流石だなって感心しました。私自身が小学生低学年の時にインコを飼っていて、逃がしてしまったことがあり、探しても見つけることが出来なかったので、逃げたインコ探しが絶望的に難しいことを知っているので、長太郎達の探し方に関心したのです。

長太郎とみゆきちゃんはピーコを探し回りますが、結局見つからず、長太郎は最後に神社に行って神頼みをして、おみくじを引きます。しかし、おみくじの結果は「凶」。しかし、長太郎はみゆきちゃんに「大吉」と嘘をつきます。長太郎はみゆきちゃんを励ますために嘘を言ったのだろうと思いますが、克彦が嘘で誤魔化そうとしたのを見ているので、長太郎のいわゆる優しい嘘にも、モヤモヤしました。嘘も方便とも言いますが、長太郎には嘘で誤魔化して欲しくなかったなあって。

みゆきちゃんを傷つけないように嘘を言うのではなく「占いなんてあてになんないよ!」とか「神様に頼るより、探したほうが早いや」とか言ってほしかったなあって思いました。結局、長太郎とみゆきちゃんは最後に神頼みして、帰途につき、みゆきちゃんは籠に餌をいっぱいにして、自分の部屋の窓のところに吊るして、窓越しに長太郎にお礼を言って、2人は床につくことに。

みゆきちゃんは自分の為に必死な長太郎の行動が嬉しく、長太郎はみゆきちゃんから感謝されたことがとても嬉しかった。その2人のやり取りや長太郎の喜びは、とても微笑ましくていいなって思いました。ピーコは見つからなかったけれども、こうして頑張ることは悪いことじゃないんだなって感じました。

それなのに

それなのに、翌日、長太郎が目覚めるとピーコの声が聞こえてピーコがみゆきちゃんが吊るした鳥かごの中に戻ってきているのです。ピーコが戻ってきたのは嬉しいことなのですが、どうして戻ってきたのかが分かりません。鳩のように帰巣本能があるのならともかく。長太郎達が図書館で調べた時にインコの性質について、帰巣本能があるという情報を持っている描写があれば、少しは説得力もありますが、それもなく(調べてみたらインコには帰巣本能がない事が分かりました)戻ってきたのがあまりにも唐突で、それまでの話はなんだったのだろう?長太郎とみゆきちゃんが1日中、クタクタになるまで探し回っていたのはなんだったのだろうと思いました。

長太郎自身も、信じられない夢じゃないかしら、とほっぺをつねったほどです。

『男!あばれはっちゃく』79話より

最後の最後でがっかり

最後に、ピーコが戻ってきたことを翌日の学校で克彦たちに報告をするのですが、その時にピマリ子ちゃんが「克彦君の願いが通じたのね」と言って、こともあろうに克彦が「そうかもしれない」と調子に乗るのです。さらには悦子ちゃんが克彦を持ち上げて長太郎を貶します。当然、長太郎は怒りますが、みゆきちゃんに宥められて怒りを抑えます。

私が前に書いた話の最後での克彦の言葉と態度にモヤモヤしたのはこれです。自分のせいでピーコを逃がしたのに、長太郎のせいにして、偽物で誤魔化そうとしたのに、最終的に最終的に長太郎とみゆきちゃんとピーコを探すこともしなかったのに、なんで克彦が持ち上げられるのかさっぱり分かりません。私が克彦が反省しているという洋子さんの言葉を信じらなくなったのは、この最後の克彦の態度でした。

克彦本人が「違うよ、僕は何もしていない。長太郎君の頑張りと祈りが神様に通じたんだよ」って言ってくれたのなら、最後の長太郎の神頼みにも通じて、克彦に対して怒りも感じなかったのに、最後の最後でこんなに嫌な気持ちを抱かせるなんて、と、がっかりしてしまいました。

この話は、ところどころにいいなって思う場面があっても、最後の最後でがっかりして、『青い鳥』を活かしきれていないところなどが残念で、とても不満の残る話でした。