柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』62話「羽ばたけヤキトリ」感想

『男!あばれはっちゃく』62話より

1981年6月6日放送・脚本・田口成光さん・松生秀二監督

なんかいろいろと気なることがありすぎて

今回の話は、話の中で気になる部分が中途半端に取り残されたままだったり、なんで知らないのだろうとか、そうしないのかなって部分が所々にあった話でした。

最初に気になったのは、寺山先生が長太郎を疑う場面。話の冒頭で長太郎がめんこ遊びでめんこを取っていたのを注意した寺山先生が翌日、長太郎が夜に氷川神社(もしくは深川神社)でお金をかけてめんこをしたと長太郎が落としたお守りを見せて長太郎を問い詰めます。同じそのお守りが長太郎のランドセルにあったことで、すぐに長太郎の無実は証明されているんですけれども、それについて寺山先生がちゃんと長太郎に謝罪をしていません。

もちろん、長太郎は寺山先生に疑われてショックを受け、反発をしていて、寺山先生もすぐに自身の過ちに気づいていて、ここでは長太郎の怒りに押されるのですが、この後で寺山先生が長太郎を気にかけるところがないのが気になりました。

その後、長太郎は自分が疑われた自分と同じお守りを持つ相手を探して、その相手を見つけ、それが群馬時代の知り合いで、その知り合いの為に長太郎は学校を無断欠席をして、それで寺山先生が長太郎の家に電話をかけてくるのですが、ここで寺山先生が長太郎の無断欠席の理由に自分が長太郎を疑った可能性を考えていないのが私には不思議に感じました。

寺山先生が長太郎の物だと思ったお守りの持ち主は、今回の話に大きく関わる人物で、この人物の為に長太郎は学校を無断欠席し、父ちゃんが怒って心配する夜遅くまで家に帰らなかった理由を生み出しているので、寺山先生が長太郎が休んだ理由と、自分が長太郎を疑ったお守りの持ち主との関連性を結び付けなかった。

寺山先生は長太郎の欠席を心配して桜間家まで来て、長太郎に何か理由があったと来てくれてけれども、長太郎を疑う理由になったお守りの持ち主のことや、その持ち主がいた神社についての情報等、寺山先生が疑って怒った後の遅い帰宅や翌日の欠席の情報を少しでも教えてくれたら良かったのになって思いました。

他には、話の後半になりますが、長太郎とみゆきちゃんはお隣さんなのにどうして一緒に行かないのとか、それよりも父ちゃんと長太郎は同じ家に住んでいて、同じ場所に行くのにどうして一緒にいかないのという部分も見ていて、変だなって思いました。

それと、長太郎が疑われた原因を作った人物は、信一郎の群馬時代の同級生で、その同級生のことは、父ちゃんも母ちゃんも知っているのに、その人物の父親のことを父ちゃんが知らなかったというのも、なんか。それは、息子の同級生や友人を知っていても、その親までは知らないこともあるのかもしれないけれども、なんか、ちょっと不思議だなって思いました。

ドラマの中でも2代目あばれはっちゃく

長太郎が疑われることになったお守りは、群馬にいた時にアカギトキジロウから貰ったお守り。アカギトキジロウは、信一郎の群馬時代のクラスメイト。そして、長太郎に「あばれはっちゃく」を引き継がせた人物です。この引継ぎの時に、下記引用画像のお守りを長太郎に手渡しています。

『男!あばれはっちゃく』62話より
『男!あばれはっちゃく』62話より

この話で長太郎がアカギトキジロウから、2代目あばれはっちゃくを引き継いだことが判明します。現実の世界では『男!あばれはっちゃく』の前作品である『俺はあばれはっちゃく』が存在していて、初代あばれはっちゃくは前作で、あばれはっちゃくこと桜間長太郎を演じた吉田友紀さん。

その後を継いで『男!あばれはっちゃく』であばれはっちゃくを演じることになった栗又厚さんは2代目あばれはっちゃくになるわけですが、この話で『男!あばれはっちゃく』の世界の中でも、栗又厚さん演じる桜間長太郎は2代目あばれはっちゃくということになるんですね。

ちなみに、長太郎は大阪に転校する洋一をあばれはっちゃく大阪本部長に任命しています。また、章が転校するかもという時も同じことを考えていました。これらの話やそれに加えて邦彦が転校していく話の時も、また3代目が始まる前のスペシャルを見ても思いましたが、今回の62話を見返して強く思ったのは「あばれはっちゃく」というのは、称号というか、受け継がれていくものになったんだなということでした。また、62話では「あばれはっちゃく」の心得が登場しています。

あばれはっちゃくとは

『男!あばれはっちゃく』62話より

「はっちゃく第一条、常に希望を持て。忘れたのか」

「忘れるわけねぇよ、第二条、泣き言をいうな」

「その調子、その調子」

面白いなって思うのは、2代目以降から「あばれはっちゃく」とはどういう存在であるかということが、ドラマの中で言葉として表現され始めてきたことですね。また、「あばれはっちゃく」があだ名というよりも、称号のようになって、代々受け継がれていく、まるで歌舞伎や落語の名跡のような存在になっているように思いました。

初代『俺はあばれはっちゃく』では、元気で破天荒な長太郎のことをご近所のお年寄り連中が「あばれはっちゃく」と呼んでいて、それが長太郎のことを指す言葉になっているんですけれども、そんなあだ名をつけられたことを自慢に思っている息子の長太郎に呆れている父ちゃんの態度を見ていると、とても、褒められた言葉ではないことが分かります。

実際に原作にも「あばれはっちゃく」の意味は「手のつけられないあばれもの」と紹介されています。けれども、原作を含め初代『俺はあばれはっちゃく』の長太郎から続く長太郎の生き方を見ていくと、決して「あばれはっちゃく」がただの「暴れ者」ではないことが分かってきます。

今回の話で父ちゃんは、新聞に書いてあった小学生から不良が始まることを読んで、無断欠席や帰りの遅い長太郎を心配して、アカギと一緒にいた長太郎を責め、アカギを不良だと言った父ちゃんに長太郎がアカギは立派なはっちゃくで不良とは違うと言う場面があります。ここで思うのは、暴れん坊だから、あばれはっちゃくだとしても、決して不良ではないこと。

義理人情に厚く、自分が不利になっても相手との約束を守り、人の為に行動を起こすことがあばれはっちゃくであるんだなって、再確認できました。長太郎はアカギとの約束を守ったからこそ、父ちゃんにも母ちゃんにも夜遅くなった理由を言うことが出来ずに責められてしまう。そう考えると、仕方がなかったこととはいえ、アカギがめんこ遊びに金を賭けたことは、長太郎には許せなかったことだったんだなってことが良く分かります。

なんというか、原作を読むと決して、あばれはっちゃくというのは、正義の為だけに動く存在ではなく、自分の欲求の為に動いたり、暴れたりもするところもあり、それは原作に比較的近い初代『俺はあばれはっちゃく』の初期の方にも見られるのですが、人としてどうにも道理に合わない部分、変だな、おかしいなって思う部分に疑問を持ち、ストレートに怒りや不満をぶつけていく姿に自分自身が信じる正しさに正直であるということが、あばれはっちゃくの中の正義なのかなってことを思いました。

あばれはっちゃく』が人気になり、シリーズ化されて受け継がれていく作品になったことで、単なる暴れん坊を指す言葉だったのが、受け継がれていく称号、名跡になり、それに相応しい人物とはどういう人物であるかというものまで生まれてきたのは、とても興味深い変化に感じました。

あばれはっちゃくは何人

ところで、先に栗又さんは現実でもドラマの世界でも2代目あばれはっちゃくと書いたばかりですが、厳密にいえば、初代あばれはっちゃくは『俺はあばれはっちゃく』で長太郎を演じた吉田友紀さんの前に、原作小説の桜間長太郎がいるので、初代あばれはっちゃくは原作の桜間長太郎になるんじゃないかなって思うんですよね。

すると、栗又さんの長太郎は3代目。『男!あばれはっちゃく』の世界には『俺はあばれはっちゃく』は存在しないから、アカギの跡をついで2代目、いや、でも『男!あばれはっちゃく』の世界には、山中恒先生の『あばれはっちゃく』が存在しているので、その小説の桜間長太郎が初代で、アカギが2代目で、栗又さんの長太郎は3代目になるのかな。

『男!あばれはっちゃく』13話より

ああ、ややこしいですね。混乱の元になってしまうので、私たちが住む現実世界では最初のドラマで長太郎を演じた吉田友紀さんがやっぱり初代あばれはっちゃく、栗又厚さんが2代目あばれはっちゃく、荒木直也さんが3代目あばれはっちゃく、坂詰貴之さんが4代目あばれはっちゃく酒井一圭さんが5代目あばれはっちゃくのままでいいんじゃないじかなって思いました。

けれども、私はあばれはっちゃくを演じた5人の方だけではなく、原作の本の「はじめに 作者から」の言葉にあるように、原作やドラマの中だけでなく、現実世界にもあばれはっちゃくみたいな子が男女問わず、現在も存在していると私は思っています。

理論社あばれはっちゃく』より

kakinoha.hatenadiary.com

付け足し

あばれはっちゃく」の語源に関しては、過去記事で書いてきた北海道弁の「はっちゃき」「はっちゃきこく」以外でも、新たに分かったことがあったので、それは、また後日整理してまた書いてみたいと思っています。