柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』66話「引っ越しハンタイ」感想

『男!あばれはっちゃく』66話より

 

1981年7月4日放送・脚本・市川靖さん・松生秀二監督

否定されて諦めを選択した人達へ

今回は章の父ちゃんが山梨に半年間、仕事に出てしまって章の母ちゃんがまた寂しがって、父ちゃんと一緒のとこに行かないように長太郎と章で、章の母ちゃんに外に仕事をするように仕向ける話でした。

章の母ちゃんは、章の父ちゃんがいないと寂しがって、章の父ちゃんの近くに住もうと考えてしまいます。そこで、長太郎と章はやることがなくて寂しいことが原因だと考えて章の母ちゃんに外での仕事をすることで、寂しさを紛らわしてもらおうと考えるのですね。

けれども、章の母ちゃんは仕事先で失敗をしてしまい、やっぱり、自分は外での仕事が向かないと一度は諦めてしまうんですけれども、長太郎に一度くらいの失敗で諦めるなんて情けない、と叱られて、また、違う仕事を見つけて、頑張っていくんです。

『男!あばれはっちゃく』66話より

後、少し先の話になるんですけれども、長太郎は72話で隼人さんに対しても、同じように怒る場面がありました。この時の脚本も、今回の脚本と同じ市川靖さんだったので、なんというか、私は長太郎が章の母ちゃんを叱咤激励している場面を見て、72話を思い出してしまったのですね。

章の母ちゃんと隼人さんに対して、一度の失敗や嫌なこと、心理的にショックなことがあって、それに絶望して傷ついた時に、もうダメだと諦めて、自分で自分の可能性を閉ざして、引っ込んでしまうような弱い気持ちじゃダメなんだ。自分の可能性を信じて、何度も挑戦してみろっていう言葉を長太郎を通して、市川靖さんが章の母ちゃんや隼人さんの立場になってしまって、諦めを選択した人に対して、伝えているように感じました。

自分なりに一生懸命にやったこと、これまで自分がやってきて間違いがなかったことを否定されてしまうと、情けなさと恥ずかしさが出て、プライドが傷ついて、再挑戦する時には最初に挑戦した時以上の勇気と覚悟が必要になると思います。また、再び傷つかないように練習や勉強をする必要もあるし、何から始めたらいいか分からずに途方に暮れてしまうこともあって再挑戦というのは、個人差があると思いますが、そう簡単なものではありません。

それでも、それでも、諦めないで、何度でも立ち向かって挑戦してみろっていうのが、2代目長太郎の考えなんですよね。これは、5年生の時に転校してきた長太郎がみゆきちゃんを除くクラスメイト達からいじめられて(4話「なぐれ!先生マル秘作戦」)、それが辛くて、群馬県に逃げ帰ろうとした時に寺山先生からそれを叱咤されて、長太郎がそれに反発して群馬に帰ることを止めて、踏ん張って頑張った経験があってのものだと私は考えます。

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4話「なぐれ!先生」の脚本は、市川靖さんではないですけれども、ここで培った長太郎の根性と経験を市川靖さんは、それ以降の2代目長太郎の人格の「格」として、以降の話の中に組み込んでいったのではないかなって、そんなふうに私は思いました。

長太郎の優しさ

章の母ちゃんは、最初はブティックに務めるのですが、ミスをしてすぐに首になってしまいます。一度は仕事に向いていないと仕事をするのを諦めますが、先に書いたように長太郎に叱咤されて、奮起して次の仕事を見つけて再挑戦。再挑戦したのは、チリ紙交換。長太郎と章から、ブティックの仕事をしていると聞かされていた克彦達は下校途中で、チリ紙交換の章の母ちゃんを見て、笑うんですね。

一緒にいて居たたまれなくなった章は、そこから離れるんですが、その前に長太郎が章の母ちゃんを笑い者にした克彦やみゆきちゃん、悦子ちゃん、マリ子ちゃん達を怒るんです。笑っていた4人も気まずい顔になります。

『男!あばれはっちゃく』66話より
『男!あばれはっちゃく』66話より

幸いなことに章の母ちゃんは4人が自分を笑い者にしたことを知らずにいたのですが、落ち込んで仕事をすることを諦めてしまった章の母ちゃんが、傷ついた心を奮い起こして再挑戦した姿を笑われていたことを知ったら、きっと立ち直れなくなっていたと思います。

悲しいことに、その章の母ちゃんの代わりに章の心がすごく傷ついてしまったのですが、長太郎はそんな章の傷ついた心を思いやって、克彦達を怒ります。私は、そこに長太郎の優しさを感じるのです。

人の滑稽な姿を見て笑ってしまう人、特に深い理由はなく馬鹿だなって笑う人はいますが、悲しいことに人が必死になる姿が笑いを誘うことはあります。「おかしい」「変」だという感情からくる笑いをなくせというのは、極論かもしれません。けれども、人が頑張っている姿を見て「おかしい」「変」だと思っても、それを直ぐに嘲笑として見下して笑うのは良くないと、この話を見て感じました。

難しいですよね、笑っても良い関係と雰囲気と相手との信頼関係があって笑っても、笑われた相手が傷つくこともあるし、平気な時もある。それを見極めるのって難しいんですけれども、なんだろう、自分が知っている情報だけで判断が出来ない時は、勝手に決めつけずに人を馬鹿にするのは、止めた方がいいんじゃないかなって、そう思いました。

人を笑い者にするのって、かなり深刻に人の心を破壊するんですよ。私は壊された経験者としてそう思います。

章の母ちゃんのコスプレ

章の母ちゃんは、廃品回収もクビになり、その後、次々と様々な仕事に挑戦していきます。そのたびに、仕事に合わせたコスチュームになるので、今回は章の母ちゃんの様々な仕事姿を見ることが出来るのですが、それが多彩でまさに七変化。最初はブティック、続いてチリ紙交換、厨房で働いて、その次はお花屋さん、そして中華のウェイトレス、そしてパチンコのビラ配りのサンドイッチマン

『男!あばれはっちゃく』66話より
『男!あばれはっちゃく』66話より
『男!あばれはっちゃく』66話より

その職場に合わせた衣装とメイクで仕事に励む章の母ちゃん。まず、それは制服なのかもしれませんが、この数の多さに圧倒されました。ことごとく、失敗をして次々とクビにされていきますが、1度凹んで長太郎に叱咤された後は、何度も再挑戦していっているんですよね。

それでも、最後のサンドイッチマンの時に、怪我で早期に帰ってきた章の父ちゃんに見つかって、怒られてしまうと、章の母ちゃんはしょげてしまいます。章の父ちゃんとしては、安心して留守を任せていた母ちゃんが自分に相談もなく、仕事をしていたこと、仕事に行っている間が寂しくて仕事をしていたことがショックで裏切られた気持ちになったんですね。

私は女の人が家に籠ることなく、仕事をすることは良いことだと思いますが、家庭がある場合は、家族に相談してから始める方がいいように思います。章の父ちゃんは自分がいない間に大事なことを自分を除け者にして、やったことに対して腹が立ったんじゃないかなって。

その怒りが先に来て、章の母ちゃんの寂しさやその母ちゃんの感情に振り回されて引っ越し、転校をする章の気持ちまでに考えがいかなかったのかなって思うんです。長太郎は「男なら素直になればいいのに」と言ったけれど、章の父ちゃんは自分の傷ついた感情には素直だったんじゃないかなって思うんですよ。

なんだろうね、自分が思っていた家族の形や気持ちが自分が考えていたり、想像していたのと微妙に違っていたこと。自分を理解してくれていたと思っていたのが、相手に無理をさせていたことに気づいた時のショックと申し訳ない不甲斐ない感情って、中々、整理がすぐにつくものではないんだなって、章の父ちゃんを見て感じました。

女は出来なくても

今回の話の中で、信一郎が女は勉強が少し出来なくても嫁に行けばいいんだもんなってことをボヤくのですが、それをカヨちゃんから否定されるんですよね。また、母ちゃんも働いているから、カヨちゃんの意見に賛同して、父ちゃんも母ちゃんをキャリアウーマンだと持ち上げる。

まだ、専業主婦が大半だった時代の信一郎の考え方は、この当時の普通だったと思いますし、章の母ちゃんのように外に働きに行くよりは、家庭を守る方が向いている人もいるんだろうなって思います。それは、今も昔も変わらないと思うのですが、今は未婚の人が増えて、外で働くのが向かない人も、外で働く時代になったのかなって思ったりします。

外で働くのに向かない人っていうのは、男女関係がないと思いますが、男性の場合は外で働くしかないという社会的な強制が強かった時代だったので、信一郎のボヤキもよく分かります。今は在宅やネットを利用した働き方もあって、そうした人も自分に合った仕事が選択できるのは、まだ課題を感じるところもありますが、良い傾向なんだろうなって思います。

『男!あばれはっちゃく』66話より

元の鞘

章の父ちゃんが帰ってきて、喧嘩はしてしまうんですけれども、ちゃんと元の鞘に収まって、加納家の引っ越しの話もなくなり円満解決。章の母ちゃんの寂しさから始まった今回の話も、また、いろいろなことを考え、いろいろな感情が出てきた話でした。