柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

克彦(織田真早彦さん)が所属していた劇団東俳

『男!あばれはっちゃく』54話より・江藤克彦役・織田真早彦さん

織田真早彦さん

知りあいから1982年(1981年12月発売)の雑誌広告の劇団東俳の広告に「『あばれはっちゃく』に出演ってある子役が出ているよ」と教えてもらいました。その広告を見てみると、江藤克彦役の織田真早彦さんが紹介されていました。その広告が掲載されていた1981年〜1982年は織田さんが『男!あばれはっちゃく』に出演されている最中。当時、織田さんは今を時めく人気ドラマにレギュラー出演している子役として、所属劇団の広告に出ていたのですね。

劇団東俳

劇団東俳は1963年(昭和38年)に、俳優の久野四郎さんが久野プロダクション、付属養成所を設立したのが始まりで、1968年(昭和43年)に劇団東俳芸能紹介所として労働大臣許可を取得し、1979年(昭和54年)に株式会社劇団東俳となり、現在に至ります。つまり、織田さんが『男!あばれはっちゃく』に克彦役でレギュラー出演していて、劇団東俳の雑誌広告に出ていた1982年という年は、劇団東俳が株式会社になってから3年目の頃。

前身のプロダクション、養成所があったとはいえ、児童劇団、芸能事務所としては、まだまだ新しい芸能事務所だったんだなって思います。創設者の久野さんの経歴を調べてみると、久野さんもまた子役からスタートされた方でした。1980年の雑誌「バラエティ9月号」にある2ページの広告で、久野さんが劇団東俳を設立した思いを語っています。

月刊バラエティ1980年9月号より

「私は45年にわたる芸能生活で、出演、製作、斡旋とひと通りのことを経験してきましたが、その経験を役立てるのは〝新人の育成しかない〟と考えていたんです。そのためには、環境、施設が大事なわけで、永年の構想であった綜合ビルが完成して、理想に一歩近づいたと思っています。それに、東俳には、素晴らしい講師が揃っていますので、あとはファイトある若者が集まってくるのを待つばかりです」

おだやかななかにも、大勢のタレントを育ててきた自信のある話しぶりが印象的だ。

1980年は株式会社になって1年経ち、綜合ビルが出来たばかりで、これから後進を育成していくという意気込みが伝わってきます。当時は新しい劇団だった東俳でしたが、久野さんの志を受け継いで、今年、創設60周年を迎えました。

広告に使われる影響力

1982年所属劇団の広告に出ていた織田さん。織田さん以外にも、当時をときめく劇団東俳の子役達が広告に出ていましたが、織田さんもまた芸能界に憧れる子ども達が「あの『あばれはっちゃく』の克彦がいる劇団なんだ」って広告を見て憧れていたのかなって思います。『あばれはっちゃく』に出演していた子役の人達を調べていくと、当時子役の人達が所属されていた児童劇団の広告を目にすることが多々あります。

織田さん以外だと、私が目にしたのは4代目『痛快あばれはっちゃく』に出演していたマヤ役の谷内雪さんですね。谷内さんは劇団いろはの広告で目にしました。ここでも『痛快あばれはっちゃく』に出演していたことが目玉扱いでした。

あばれはっちゃく』にレギュラー出演してきた子役の人達は、他のドラマでも起用されていた人達が多く、他のドラマにも出演されていたわけですが、それぞれが所属されている劇団の広告に出る時に『あばれはっちゃく』に出演していたことがメインで紹介されているのを見ていると、当時、劇団員募集の広告に使えるだけの影響力が『あばれはっちゃく』にあったんだなって改めて思いました。

過去記事の内容追記

今回、織田さんが『男!あばれはっちゃく』に出演していた時代に所属されていた劇団が分かりましたので、下記リンク記事の織田さんの項目に内容を追記しました。

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