柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

子ども同士の恋愛

それ以前

『俺はあばれはっちゃく』(1979年2月~1980年3月)『男!あばれはっちゃく』(1980年3月~1982年3月)で監督をされた山際永三監督は『あばれはっちゃく』は「学校の教室の中に、疑似恋愛を持ち込んだのが新しい」と話されましたが、その時に『俺はあばれはっちゃく』以前の児童ドラマで、児童の恋愛を主軸にした児童ドラマはなかったのだろうか?と思いました。

児童を対象としたドラマであっても、児童そのものが主人公、主役という連続ドラマはもしかしたら、案外と少ないのではないかなって思うのです。例えば『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年1月~12月)『それゆけ!レッドビッキーズ』(1980年8月~1982年3月)ぼ主役は監督である玲子やゆかりやポパイ、『コメットさん』(1967年7月~1968年12月)、『コメットさん』(1978年6月~1979年9月)の主役はコメットさん。

チャコちゃんシリーズ(1962年~1969年)、ケンちゃんシリーズ(1969年~1982年)の主役は、チャコちゃん(四方晴美さん)とケンちゃん(宮脇康之さん・現・宮脇健さん)、ケンちゃん(岡浩也さん)でしたが、メインストーリの中に、児童同士の恋愛模様というのがあったかなって思うと、2代目ケンちゃんからしか知らないのですが、あんまり心当たりがないのですね。

DVDで買ってみた『それ行け!カッチン』(1975年)を見ても、子ども同士の恋愛に関する話はなかったです。『レッドビッキーズ』もエピソードの一つに子ども同士の恋愛や好きという感情を用いた話があったかもしれませんが、それがドラマの全体の一貫した話になっていた印象はありませんでした。

再放送で見た『がんばれ!!ロボコン』(1974年10月~1977年3月)はロビンちゃんに憧れるというのはあったかなってのがあったけれども。『ペットントン』には児童の同性愛(1983年10月~1984年8月)などの話はありましたが、こちらは『俺はあばれはっちゃく』の後の作品になりますからね。

私が1974年8月生まれなので、一番、古いテレビ番組を見ていた記憶が4歳の1978年からで、1978年以前の児童ドラマ・アニメに関しては、再放送で巡り合わない限りは、全く見たこともなく、存在自体も知らないし、年の離れた親戚のお姉ちゃんやお兄ちゃん、両親などに教えてもらわない限りは、全く分からない状態なので、1977年以前の作品に当たり前のようにありましたよっていう方がいれば、コメント欄で教えてもらえると嬉しいです。

ちなみに子ども同士の恋愛と書きましたが『あばれはっちゃく』が小学生の話なので、児童限定です。中学生以上の恋愛は多分、NHK少年ドラマシリーズで中学生が主役の話の中にはあると思います。(NHK少年ドラマシリーズ1作目の原作『時をかける少女』の『タイム・トラベラー』(1972年1月)とか)NHK少年ドラマシリーズの中には1973年9月に放送された山中恒先生の『ぼくがぼくであること』があるのですが、原作を読む限りは児童同士の恋愛というのは存在してませんでした。

私が知る限りにおいて、児童同士の恋愛感情をドラマの話のメインに据えて1年間放送していたのは、やはり『俺はあばれはっちゃく』が先駆けだったのかなって思います。昔『あばれはっちゃく』に関して、CSで『あばれはっちゃく』を久しぶりに見ていた人が「最後の結末を知っているから、長太郎がヒトミちゃんを思う姿を見ているのが辛い」という趣旨の感想を書いていたのを拝見して、ああ『あばれはっちゃく』って、初恋(恋愛)ドラマだったんだなって思いました。

初恋ドラマ

あばれはっちゃく』はガキ大将ドラマでもあると同時に、長太郎の初恋恋愛ドラマでもあったんですね。私の初恋は小学2年生の時だったんですが、幼稚園、保育園で初恋を体験する人もいますし、長太郎と同じ小学5年生になれば、恋愛感情を持つ子達もいましたよね。

こうした小学生達の間にも当たり前にある恋愛感情、それによる嫉妬、恋愛感情からくる喜びや悲しみの体験は、大人達が描く小学生達の世界の中には、あまりなく、せいぜいあっても中学生くらいからで、例えば小学生間の恋愛も大人の視点から観察したのはあったとしても、児童中心の目線であったのは、そんなになくて、それを持ち込んだのが『あばれはっちゃく』だったのかなって思いました。

小説とドラマの長太郎の恋心の出し方の違い

ドラマ以前の原作『あばれはっちゃく』(1970年)があってこそのドラマ『俺はあばれはっちゃく』なので、原作にあった長太郎のヒトミちゃんへの恋愛感情があればこそ。児童にも大人と同じ恋愛感情があるということを書いていた山中恒先生の児童に対する目線が大人と子ども(児童)を対等に見ているのだと感じました。

面白いなって思うのは、山中先生の『あばれはっちゃく』の長太郎とドラマの長太郎のヒトミちゃんに対する恋心の意思表示の違いです。以前にも書いていますが、小説の長太郎は小学5年生にもなると、恋愛感情を表に出すのが恥ずかしいと感じているのに対して、ドラマの長太郎は臆面もなくヒトミちゃんへの恋愛感情を出しています。私は小説の方にリアルを感じ、ドラマの方にファンタジーを感じました。

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人によって違うと思いますが、高学年になって恋愛感情を周囲に知られるのは、照れくさいというか、恥ずかしい気持ちが大きく、そんな感情は持っていないと示すために、何でもないふりや感情とは反対の態度をとってしまっていたなっていうのがあって、ストレートにヒトミちゃんへの思いを出している長太郎はドラマだからこそなんだなって思ったりもします。

変身も魔法も不思議な生き物、ロボットの居候も存在しない『あばれはっちゃく』の世界は、私の生きている世界にとっても近くて、子どもの頃は同じ世界を見ていた感覚がありました。その中で、自分の現実と少し違うと感じたのは理解のある担任の先生の存在や自分に自信があって好きな子への思いをストレートに出している長太郎の存在に憧れを感じていて、似たような境遇にいる彼らに共感をしていたんだろうなって、そんなことを思います。

大人から見れば、可愛い子どもの恋愛でも、子どもの中では深刻で一世一代の大切なことで、真剣に向き合っていたんだなってことが、『あばれはっちゃく』を見返していると思い出すこともあって、子どもも大人と同じ括りで扱っていたのかなって感じました。

ここまで書いてきて『あばれはっちゃく』と同じ年に、同じくテレビ朝日で始まった『ドラえもん』(1979年4月~)ものび太が大好きなしずかちゃんと結婚するための話で、のび太がしずかちゃんと仲良くする男の子達(主に出木杉君)に嫉妬していると考えるとアニメだけど『ドラえもん』も児童の恋愛を描いていたんだなって思いました。奇しくも、1979年に児童向けのドラマとアニメで児童の恋愛を描いていたんですね。

10月29日追記

ドラえもん』で思い出したのですが、同じ作者の『パーマン』(1966年TBS・1983年テレビ朝日)も小学生の恋愛の話でもありましたね。そう考えると、TBSで放送されていた東京ムービーの旧作の『パーマン』が小学生の恋愛ものとしては、『あばれはっちゃく』よりも先になるのかな。なんだか、もっと他に私が知らないだけであるような気がしてきました。