柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

コメントでマウントをとって悦に浸る人

注意

この記事は愚痴記事です。負の感情満載なので読まないことをお勧めします。

こんなことも知らないの

16年ほどブログを書くようになって、その16年のあいだにはてなダイアリーはてなブログ以外でも記事を書く機会に恵まれたことがあり、記事を書いたこともあったんですが、そこで、私の記事に対しての上から目線のダメだしコメントを頂くことがありました。

私の記事というのは、私自身が体験したこと、見てきたこと、知っていることを元にそれらについて調べた事を中心に思い出を交えて書く記事なのですが、自分が生まれる前の時代の作品というのは、知らないので書けなかったり、深く触れることが出来ないのですね。再放送世代でもあるので、生まれていない時代の作品でも、再放送で見ていれば、知っているし、楽しみに見ていた思い出もあるので語れるのですが、そうでないものは語れない。

けれども、私よりも5歳から10歳年上の人達は、私が再放送で知っている作品以外の作品も知っていて、この作品について語っているくせに、これが抜けているとか、この人について触れていないというのが目について、この記事を書いた人間はいい加減だという判断を下して、こいつの記事はダメだとコメントをするのです。

私と同世代に向けての記事ですから、生まれる前の作品、再放送がなかった作品よりも、自分の時代のリアルタイムの作品を中心に語ったのに、上の世代から自分達の世代の作品に抜けがあるからダメだってコメントされてしまうと、悲しい気分になりました。さらには、それだけでなく、記事を最後まで読めば、この人について触れていないからダメというのは全く的外れで、ちゃんとその人について触れているのに、この人最後まで読まないで、脊髄反射でダメだししているんだって分かって、さらに虚しくなりました。

自分の時代の作品がないからダメという書き方ではなく、他にもこんな作品があなたの知らない生まれていない時代、物心がつく前にこんな作品がありましたよ、こんな子役が活躍していましたよっていう書き方が出来ないのでしょうか。本人にその気がなくても、先の時代を知っている人間からの知らない世代へのマウントをとるコメントの書き方に対して、そんなに先に生まれた人間は偉いのか!という感情の方が先に出ました。

私の記事は中途半端

私の記事はとても中途半端なのです。プロの人から見たら穴だらけ、隙間だらけだし、全てを網羅していません。調べるにしても、しょせん素人調べ。買える範囲での書籍の資料、調べられる範囲のネット検索、私自身の昔の記憶が情報源なので、完璧を求める人達には不完全、さらに上の世代からすれば、自分達の時代が虫食い扱いされているから、不満が高まる。なので、ちょっと嫌味を入れてコメントをしたくなるんだと思います。

私はやはり自分の時代からしか語ることが出来ず、その前の時代は調べて書いたり、当時を知っている人に話を聞いたりして書いていて、さらに自分の時代も記憶を頼りにしていて、その記憶もしっかり正しいとは限りません。それでも、出来る限り調べたうえで書いて、書いてあるのに、それすらもちゃんと読まないで、なんかそれっぽいみたいな引用画像があるけど、記事では触れていないね、なんて記事を最後まで読めば、その指摘したことについて書いてあるのにも関わらず、「書いてない」って事実無根を書かれてしまうと、なんなのって私だって思ってしまうのです。

私が昔の思い出や調べた事、DVDを見返して気づいたこと、そこから連想したり、人との繋がりを見つけて、考えたことに対して、やみくもにそんなわけないじゃんって、馬鹿にして笑っている人は意外と多くいて、それは公開で記事を書いている以上、仕方がないと思っても、そうやって人を馬鹿にすることで、自分が立場が上で(実際に私よりも人間的にも社会的にも、年齢的にも上の存在なんでしょう)偉いんだっていう態度が透けて見えるコメントに関しては、素直にこちらも記事の情報不足、勉強不足を認められず、反発の心が芽生えてしまいます。

私の記事に対してダメだしされた方のお名前も分かっていますが、名前は挙げません。本人は私を傷つける目的で書いた気はないだろうし、記事の不足を指摘したに過ぎないのに逆ギレされてもって苦笑いでしょうし、どうせ分かり合えないし、向こうは忘れていると思うから無意味。

じゃあ、なんで今頃、書いたのか。私の記事って、しょせん素人記事なんですよ。どこまでいっても。だってプロや業界の人から見たら、穴だらけの記事だし、ドラマを見て感じた事や気づいたことなんていうのは、DVDで何周も見ていれば分かることで、私ではなくても、誰でも書けることなんですね。だから、私が書くことって実はあんまり価値がない、本当に個人の自己満足以外の何物でもない記事で趣味の範疇を出ていないんです。

それなのに、なぜかプロ並みの知識と情報を求められていると感じることが、ずっとあるなって思ったので、ここは素人が書いているブログだと今一度認識して読んで欲しいと思ったからなのです。

私の心を傷つける人って何様

誰でも書けることを書いているのに、認めてもらえることはとても不思議なことで、特別なことでもないのになって思っていたくせに、ちゃんと読んでなくてダメだしされたコメントを読んだら、ふざけるな!あんたが認めなくても、ちゃんと認めてくれる人達はいるんだ!ちゃんと最後まで記事も読めない癖に!っていう傲慢な気持ちも出てきてしまって、もう、自分が謙虚なんだか傲慢なのか分かんなくて、自己嫌悪。

それで、ですね。自分も人様のブログにコメントを書く時は、本当に言葉を選んで書いているつもりなんですが、受け手がどう取られるかっていうのは、コントロールできないじゃないですか、だから悩んだ挙句、コメントを書かないことの方が多くなりましたね。後は、自分の意見を聞いて欲しいという欲の方が強いので、初期は人様のコメント欄や古くはサイトの掲示板で自分のことばかり、自分の知識自慢ばかりになってしまって、ダメなんですよ。相手のお庭で失礼を働いてしまっていて、だから、控えるようになりました。

コメントがあると、自分の記事が一方通行ではなくて、ちゃんと反応があって嬉しい気持ちが大きいですけど、中には、ここまで書いてきたようにコメントでマウントをとる人がいて、それはここまで紹介してきた私の記事を最後まで読まないで文句をつけた人の話ではてなブログでのことではないけれど、はてなブログの方でも、子役時代の吉田さんを可愛いとかいたら、こんなコメントを頂きました。

kakinoha.hatenadiary.com

るる

女の子が可愛い=女=自分

結局自分が可愛いと思いたいだけなのでは?

吉田さんは可愛いというよりもカッコいい部類だと思うけど。

他にこんなコメントも。

kakinoha.hatenadiary.com

花なんて切られている時点で死んでますから。
その後に何されようが花にとってはどうでもいい事

女性らしい気遣い(笑)

このコメント別の記事でHNを変えて頂いているんですが、IPアドレスが同じなんですね。自分の意見が正しいと思うのなら、名前を変えずに誤魔化さずにちゃんと意見としてコメントを書けばいいのにって思いますし、それに、コメントの書き方も不躾で失礼な書き方です。私だからこんな書き方でもいいという考えは本当に人を見下すことに快感を得ている人としか思えません。もう11年前のコメントですが、私は消していませんし、忘れていません。それだけ、不躾で失礼なコメントは人の心を深く傷つけるんですよ。どうせ、その人はもうこのブログを見ていないでしょうけど、あなたがしたことは永遠に残ります。

それで思うのは、最近はHNや本名に関係なく、人を傷つけるコメントを書く人は、いつの時代にも一定数いるということ、それも社会的立場とか関係なく。後、とても相手のことを考えてコメントをしている人っていうのは、文面から伝わってきます。こういう記事を書くと、普段とても言葉に気を付けてコメントをくださる方の方が、自分が失礼をしてしまったのではないか、と委縮されてしまう人がいて、反省して欲しい人は反省しないで捨て台詞を残し、自分が気に入らない記事を書いた私を傷つければ満足で終わっているんですよね。

私を傷つけた人の反論があれば聞きたいですが、納得はしませんし、へぇーそれで、だから何?で終わりですね。だって、私には理解出来ない人ですから。その人から見たら私は馬鹿なので、高尚な方の言葉は理解できませんからね。

自分の方が知識が上だ!物事が分かっているんだってマウントをとることに快感を覚える人って、どうしたらそんなに自分が偉いんだって思えるのでしょう、ある意味とっても羨ましいです。自分に自信を持つのは素敵なことですが、人を傷つけるのが素敵なことだと思いません。あ、私を人間だと思ってないのかな。私も一応、人間ですので覚えておいてください。私にも傷つく心がありますから。

気持ちが不安定

と、コメントで嫌な思いをしてきた私ですが、その数は少なく、温かいコメント、私のうっかりミス、思い込みミスや知らなかった情報を優しく、丁寧に教えてくれる人達が多くて、とても楽しく情報交換や思い出話が出来てきたので、コメント欄は開放していて良かったなって思っています。

文字だけのやり取りって、顔の表情や声の調子がない分、同じ言葉でも責められていると感じたりして、使う言葉にとても神経を使いますね。また、一方的な語りかけになってしまって、自分の思いだけを押し付ける形にもなってしまって、本当に画面の向こうにいるのは、自分と同じ心を持つ人間だっていう思いをしっかりと認識して、言葉を綴っていきたいなって思います。