柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

カセットかな?ラジオかな?

 長太郎が聴いているのは

『俺はあばれはっちゃく』32話の一家団欒の場面で、長太郎が片耳にイヤホンをして父ちゃんの話を聞いている場面があります。

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長太郎はイヤホンで落語を聴いていたのですが、私はずっとカセットテープで落語を聴いていると思ったいたのですね。

SONYウォークマンを発売したのが、1979年7月1日。

32話の放送が1979年9月22日。

過去記事でも書きましたが、『俺はあばれはっちゃく』の撮影は1978年12月の暮れに始まっていて、初回の放送が1979年2月3日。

1979年8月11日放送の27話には、当時は7月15日に行われていた浜降祭の風景が撮影されているところから、8月分の放送は7月には撮影していたと考えられるので、放送日の一ヵ月前には撮影が終わっていると推測できます。

だから、9月22日放送の32話は8月中に撮影されたと考えられるので、7月に発売したばかりのウォークマンを小道具に使って撮影は可能だったのかなって思いました。

kakinoha.hatenadiary.com

 

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で、長太郎が持っていたのって、ウォークマンだったかしら、と確認してみたところ、はて、これはウォークマンだろうか、と疑問が浮かんでしまったのです。

私は後からDVDを見返したことで、既にウォークマンが当たり前になっている今の感覚で作品を見て、勝手にウォークマンだと思い込んで32話を見ていたのではないか?と感じてしまったのです。

前に書いたように、撮影された時にはウォークマンが入手可能だったとしても、まてよ、と。

もしかしたら、長太郎が聴いていたのはカセットテープの落語ではなく、ラジオ番組の落語だったのではないか?と。

問題の本体には赤いカバーがあって、長太郎が持っているのはウォークマンなのか、ラジオなのか、ちょっと分かりません。

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多分、当時、長太郎と同じウォークマンなり、小型ラジオを持っていた人は大勢いると思うんですよ。

そこでSONYの公式HPで初代ウォークマンTPS-L2の写真を見てみると、長太郎が持っているのとはデザインが違います。
ということは、ラジオだったのかな。
厚みはウォークマンというか、ポータブルカセットプレイヤーの厚みがあるけど、丸く開いた穴のデザインからは初代ウォークマンとは違いますし、1979年8月時点でSONY以外でポータブルカセットプレイヤーは発売されていないはずだから、やっぱり40年後の私が見たことで、当時の時代にはなかった知識で見てしまった誤った思い込みで、小型ラジオをウォークマンだと思い込んでいたんだなって確認しました。

当時の感覚と今の感覚

 子どもの頃に見ていた時は、その日常や当たり前の生活が普通なんですが、現在、過去の作品を見る時に、当時にはなかった当たり前が普通になって生活に馴染んでいて、その今の感覚、これまで得た知識や体験した事を基準にして作品を見てしまう事があります。

 当時にはなかった感覚で見て、その時代の普通を忘れてしまっていることに気付かないまま作品を見てしまうのは、作品を正しく見る目を見失ってしまう事なんだと、反省しました。
さて、私が出したウォークマンかラジオか問題はラジオということで、かたをつけましたが、それが本当に正しいかどうかは分かりません。
ああ、なんて無責任な。

 それでも、ここに訪問してくれた方々が、それぞれに正解を知っているだろうなって思っています。
40年前の日常の普通を思い出して、『俺はあばれはっちゃく』を見返すのは、簡単そうで意外に難しい事かもしれませんね。

あばれはっちゃくのフォーマット表

CMの入るタイミング

写真は『俺はあばれはっちゃく』のフォーマット表です。

これから、オープニング、提供紹介、本編、エンディング、予告、どこでCMが入るかが分かります。

DVDを見る時に、フォーマット表を参考にして、あ、ここで提供紹介、CMが入っていたんだとか、予告の終わった後にこんな感じで番組が閉められていたんだって分かると、より当時見ていた気分を味わえるかと思います。

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俺はあばれはっちゃくフォーマット表 54話台本より

番組販売扱いだった『あばれはっちゃく

 ずっと『あばれはっちゃく』のスポンサーを調べているのですが、私は『俺はあばれはっちゃく』の放送途中から、神奈川県から福島県に引っ越し、『男!あばれはっちゃく』の放送の途中で福島県から長野県に引っ越しをしているために、当時のキー局のスポンサーを覚えていないのです。

 福島県は途中で放送局が変わり、長野県は当時は長野朝日放送が開局しておらず、日本テレビテレビ朝日クロスネット局だったテレビ信州が放送していました。
どうも、まだ、正確には分かりませんが、地方では『あばれはっちゃく』は、番組販売扱いで地方のローカルCMをつけて放送をしていたらしく、CMがキー局と違うので、キー局でついた正式なスポンサーがはっきり分かりません。

 過去記事にも書きましたが、『あばれはっちゃく』は複数提供だったこと、吉田友紀さん、久里千春さん、青木和代さんが『あばれはっちゃく』の設定で出演しているCM花王のザブがあり、花王は当時の『あばれはっちゃく』のスポンサーだったこと、ジャポニカ学習帳のシュウワノート株式会社ではないか、旺文社のLL教室がスポンサーだったのでは?ということが分かっています。

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『俺はあばれはっちゃく』12話より

旺文社はしっかりとした確認はとれていないのですが、DVDで作品を見返すと、旺文社の参考書などがはっきりと出ていたりするので、可能性は高いと思います。
 当時、キー局で見ていて、当然、覚えているよっていう方がいる方には、えっ?そんなことも覚えていないのって思う方もいると思いますが、残念ながら私は覚えていないのです。

あばれはっちゃく関連商品

 そういえば、酒井さんが出演した『ショッカーO野の秘密基地へようこそ!!』の中で、ショッカーO野さんが『あばれはっちゃく』のTシャツを持っていたという旨を話されていましたが、そうした『あばれはっちゃく』関連の商品って、当時、他に何かありましたでしょうか。

覚えている方、持っている方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると嬉しいです。

 私の記憶の中では、原作本、漫画本、アマダのミニカード、3代目の時に出版された『熱血あばれはっちゃく写真集・テレビ朝日ゴールデンアルバム』、3代目、4代目の時にテレビ朝日で出た『ドラえもん』『パーマン』『忍者ハットリくん』と裏表セットになっている下敷き、初代の時に出た(1979年11月10日発売)主題歌、挿入歌、エンディングが収録されたレコードぐらいしか、レコードは2代目、3代目、4代目はエンディングが変わり、5代目ではオープニング曲も変わっているので、各代のレコード、CDも出ていたと思います。

上記以外では、私は『あばれはっちゃく』関連の商品を知らないのですが、あれだけの人気ドラマ、もっとスポンサー側からも商品が出ていたと思っています。

 私の子ども時代、見ていながらも商品に心当たりがないというのが、子ども向けドラマでありながら、判明してきたスポンサーを見ると、子どもをターゲットにしたおもちゃよりは勉強道具や一緒に見ている親をターゲットにしていた商品が多く出されていたのかなって思ったりしているのですが、その辺を確認出来たらいいなって思っています。

10月29日は世界乾癬デーでした

11月から少しバタバタします

 管理人の柿の葉は高校1年の1学期16歳になる直前の15歳の頃から、乾癬という病気にかかりました。

この乾癬は難治性の皮膚病で、根本的な治療法がなく完治が難しい病気です。

私が発病した29年前よりも、現在は病気の認知度が上がりましたが、いまだに偏見と病気に対する理解、認知が少ない病気です。

この病気は免疫疾患の異常により、皮膚の代謝が通常より早くなり、皮膚が盛り上がり、フケやカサブタのように皮膚が剥がれ落ち、周囲の人達に不快感を与えてしまいますが、病人である本人もその見た目を気味悪がられ、誹謗中傷を浴びる事で精神的に追い込まれてしまいます。

実際に私自身、この29年間の中で街を歩いているだけで見知らぬ他人から、

 

「汚い!風呂入っているのかよ!」

 

と言われて笑われたり、友人に誘われて言ったスポーツジムのサウナで皮膚の事を言われてつまみ出された事もありました。

乾癬は皮膚の見た目の悪さだけではなく、病気の進行が続くと、関節炎を併発することもあります。

 私は34歳の時に職場で急激な痛みに立っている事はおろか、座る事も、横になる事も辛く、ベットから起き上がれる事も激しい背中の痛みで出来なくなってしまい、それが乾癬からくる関節炎だと分かるまで、痛みの正体が分からずに苦しみました。

大きな病院で大きな最新な機械でも分からず、通院していた皮膚科の先生に症状を言い、小さな町の整骨院を紹介されて、そこで初めて私の痛みの正体が「乾癬性関節炎」だと分かりました。

それまでは、私の苦しい痛みは誰にも理解されず、仮病、詐病を疑われていて責められていました。

でも、そこの整骨院の先生は老齢の先生で、長年患者を診てきて、私と同じ症状の人をただ一人診た事を話され、私にこんな言葉をかけてくださいました。

 

「この痛みはね、とてつもなく辛いんだ。今まで、すごく痛かったでしょう?同じように苦しんだ人を知っているよ。その人もとても苦しんでいたけど、長い間苦しんでその痛みから解放されたんだ。だからね、あなたも諦めてはいけないよ」

 

 そこでは、小さな病院だから、治療は大きな病院でと言われて、大きな病院へ行きました。

この理解されていない病気で苦しんできた私には、涙が出てしまった程、嬉しい先生の対応でした。

そこに行きつくまで、どれだけの病院を転々としたか。

 私は紹介された病院から、また、別の病院を紹介されて通院を続けていますが、そこで、これまでの治療では、冬になると病気が悪化してしまうところから、新しく出た注射薬の治療に切り替えてはどうか、という話が出て、この注射薬が使えるかどうかの検査をすることが決まり11月から検査を立て続けにすることが決まりました。

血液検査、肺のCT、レントゲン検査で結核になってないか調べる検査、ツベルクリン検査等々があり、その検査結果を受けて改めて治療方針を決めるために、11月はいつにも増して、通院が多くなりました。

ちなみに乾癬の治療には紫外線を浴びる治療があり、夏場には紫外線を浴びる機会が多く、乾癬の症状が弱くなるのです。

紫外線は一概にお肌の敵という訳ではないんだって知ったのは、乾癬になって治療を受けるようになってからでした。

  近年は、道端アンジェリカさんや、有名YouTuberぷろたんさんが乾癬という事を勇気をもって告白され、この病気の知名度も高まってきましたが、病名の「かんせん」や見た目から伝染する病気という誤った思い込みも少なくありません。

10月29日には人気漫画『はたらく細胞』で、10月29日世界乾癬デーに合わせて、乾癬がどんな病気かを伝える漫画が発表されました。

現在、無料公開中ですので、この漫画を読んで少しでも乾癬への理解を深めて欲しいと願っています。

www.kansen-partners.jp

 乾癬は私の関節炎以外にも別の症状も併発させ、患者を苦しめています。

乾癬に加えて関節炎の痛みで体を動かすのもしんどい時もありますが、皮膚の不気味さと付き合って29年、関節炎の痛みに付き合って10年近く、それが私の普通になってきて、ま、無理解にも苦しめられる事はあるけど、なんとか生きています。

希望は捨てずこれからも少しでも良くなるように治療に努めます。

そんな訳で11月は病院通いが多くなるので、このブログ更新もぼちぼちやっていく予定です。

10月も今日で終わり、冬に突入しますが、皆様もたった一つのお身体を労わって、大切にしてください。

このブログに訪問してくれた皆様のご健康を心よりお祈りしています。

赤ひげ2

明日11月1日から

NHKBSで山本周五郎先生原作の『赤ひげ診療譚』のドラマ化第2シリーズ『赤ひげ2』が放送されます。

この作品で、『俺はあばれはっちゃく』のスタッフ朝妻秀明さんの後輩、皆川智之さんが3話、4話、6話を演出されます。

www4.nhk.or.jp

時間は夜の8時。

時間のある方、視聴環境にある方はぜひ見てみてください。

2代目の父ちゃんと母ちゃんの企画段階の設定

母ちゃんの名前が違う父ちゃんも理容師?

 2代目『男!あばれはっちゃく』のDVD解説書を読むと、当時のドラマ設定が書かれています。そこには、放送されたのと違う設定が見て取れます。『あばれはっちゃく』は、担任の先生の名前は変化していきましたが、全シリーズを山内賢さんが演じました。

父ちゃんと母ちゃんも同じく全シリーズを東野英心さんと久里千春さんが演じました。

父ちゃんと母ちゃんの名前は全シリーズ、長治と和子でしたが、母ちゃんの方は2代目の企画段階の設定では「愛子」という名前でした。

また、父ちゃんの職業も大工ではなくて、母ちゃんと同じ理容師で二人の出会いは理容学校で、そこの先輩後輩で恋愛結婚したというのが、2代目の父ちゃんと母ちゃんの設定でした。

年齢は父ちゃんが40歳、母ちゃんが38歳。

母ちゃんの方が2歳年下の設定です。

実際に演じた東野さんと久里さんは、久里さんの方が年上でした。

初代では、父ちゃんと母ちゃんの年齢設定が明確に分からないのですが、ドラマを見ていくと、実際に演じていた東野さんと久里さんの年齢に近いか、もしくは同じ年齢だったと推測が出来ます。

初代6話で母ちゃんが

「父ちゃんは午年だろ」

 と言っていて、25話で旅館の案内係募集30~45才までの臨時募集の時にに雇われているので、1979年当時において父ちゃんが1942年の午年生まれの37歳だと推測出来ます。

演じた東野さんも1942年1月31日生まれでした。

初代と原作の母ちゃんは、笑い上戸で笑いすぎて顎を外し、それがドラマでは長太郎の自慢でしたが、2代目の母ちゃんは企画段階の設定では、酔えば泣き上戸になる設定だと、DVDの解説書に書いてありました。

笑いの逆の泣きを持ってくるのは単純ですが、分かりやすい差別化だなと思います。

 また、2代目は群馬県から東京へ転校してきますが、父ちゃんの設定は東京生まれなので、江戸っ子なのでしょう。

母ちゃんの方が群馬出身で、群馬県の「上州名物カカア天下」という設定で、父ちゃんを尻に敷くという気の強い設定だったようです。

設定だけを見ると、初代と逆張りな夫婦関係にしたかったようです。

ちなみに、初代だけは長太郎は転校生ではなく、舞台も東京ではなくて神奈川県でした。

 私は、初代の長太郎の姉、てるほが好きなのですが、結果的にてるほ以外の桜間家の名前が変わらず、姉だけが兄に代わったのが不思議でした。

でも、企画段階の設定を見てみると、少しずつ初代と逆にいこうというのが、父ちゃんと母ちゃんの設定の関係から見て取れるので、姉を兄にして女から男へ変更することで、初代との違いと変化を試みた結果だったのかもしれません。

5代目で姉に戻りますが、名前は「てるほ」から「カオル」に変わっています。

兄設定は4代目まで続きました。(当初は、3代目の兄役も2代目と同じ須田庄治さんが演じる予定だったようですが、身長の関係で交代したというネットの書き込みを読んだことがあります)

 実際の2代目のドラマでは、企画段階の設定はかなり消えたなと読みながら思いましたが、少しは消えた設定、ドラマでは見えない設定を作り手も意識されていたのではないかなって思います。

見てる方も、父ちゃんと母ちゃん、担任の先生はスピンオフで同じでも、それ以外の環境や登場人物はシリーズごとに違う俳優の方々が演じ、微妙に設定が違うことで、同じだけど違うという意識が持つことが出来て、シリーズ作品として楽しめていたのでは?と思います。

 

男! あばれはっちゃく DVD-BOX 1 デジタルリマスター版【昭和の名作ライブラリー 第4集】

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2016-03-01 14:19:29

酒井一圭さんってすごいなあ

酒井一圭さん

 コメント欄でシンバルさんから教えて頂いた酒井一圭さんがゲスト出演した『ショッカーO野の秘密基地へようこそ!!』2014年2月27日放送第77回放送分を聴きました。

聴いてみて既に知っていた事、新たに知った事があってとても楽しく、興味深く聴くことが出来ました。

シンバルさん、改めて教えてくださり、ありがとうございました。

酒井さんが子役になるきっかけ、酒井さんのお母さんが歌手を志していた事、児童劇団に入った経緯、オーディションに落ち続けた事、『事件記者チャボ』(1983年11月5日~1984年5月5日)のエキストラに選ばれて親戚がVHSで録画しようとしたら、出演シーンがなかった事、パンのCMのオーディションで自分で考えて選んだ方の演技をして受かった事、子役の仕事で忙しく学校に通えないので通知表が評価不可とされ、ショックを受けて、子役の仕事を止めようかどうか、ロス五輪を見ながら考えていた事、中学生で競馬が好きになった事、高校生でバイトをしながら一人暮らしをして千葉の高校に通っていた事、北区の劇団に入り、俳優復帰をした事、長太郎を演じた事でヤンキーが家にきて絡まれた事、自転車を燃やされたり、窓ガラスを割られたりした事、その時の酒井さんの肝の座った対応、『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001年)のプロデューサーの日笠さんとの縁の巡り合わせ等々、他に話が盛りだくさんでした。

意外だったのは、3歳で大阪から東京にきて保育園にいられて言葉の違いなどから、いじめられていると感じていた酒井さんがいつも泣いていて泣き虫だったこと。

年長になって背が大きくなり、力も強くなってからは、女の子にももて始め、お遊戯会で長い台詞の王様の家来の役を見事に演じて称賛を浴び、鼓笛隊で大太鼓だったのが、指揮者の子ががに股だったために、指揮者の次に並んでいた酒井さんと変わる事になり、常に練習で指揮者の動きを見て覚えていた酒井さんが見事に指揮者の役を務めて再び称賛を浴びて、それがきっかけで児童劇団に入る事になり、一番安かった東京宝映(現・宝映テレビプロダクション)に入団されたとのこと。

 酒井さんがお遊戯会や指揮者をしっかり出来て称賛されたのは、酒井さんのお母さんが歌手を目指していて、酒井さんを産むか歌手になるか悩んだお母さんから受け継いだ能力、血筋ではないかと番組内で話されていました。

歌手を目指していたお母さんを持つ、酒井さんが昨年『紅白歌合戦』出場されたことは本当に親孝行だったんだなって、酒井さんが純烈を作った時に紅白出場は親孝行という言葉を思い出して一人納得しました。

芸事に関しては、お母さんの血筋を受け継いだ酒井さんですが、後に長太郎役に抜擢される体格の良さはお父さん譲り。

酒井さんのお父さんは186cmの酒井さんよりも2cmも背が高いんだそうです。

ちなみに酒井さんのお子さん特に次男の方も大きく、体が大きいのは酒井家の特徴のようです。

 ご両親から受け継いだものもありますが、話を聞いたり、これまでの酒井さんの活動を見てきて思うことは、酒井さん自身が努力をされる事に加えて、たいへん物覚えが良く、見た動きを体でアウトプットする能力、運動神経の良さが酒井さんが芸能界で活躍される力の元になってたんだなってことでした。

5代目に選ばれたわけ

 さて、番組内では酒井さんは、体の大きさのお陰で小学3年生で小学6年生の長太郎役を演じる事が出来たと話されていましたが、5代目『逆転あばれはっちゃく』の長太郎は歴代長太郎の中で唯一、小学4年生から話が始まっています。

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逆転あばれはっちゃく 1話より

確かに酒井さんの実年齢より年上設定の長太郎役を演じているのですが、この辺りは、失礼を承知で書きますが、共演した子役の実年齢とドラマの設定年齢などが、ごちゃ混ぜになっているのかなって思いました。

ところで、5代目長太郎はオーディションで選ばれたわけですが、長太郎のオーディションに行く前に所属していた劇団でそのオーディションに行くためのオーディションがあったとのこと。

酒井さんは友達役、エキストラのクラスメイトの役でもいいからとオーディションに出向いた結果、主役の長太郎役を射止めたのですが、この長太郎役になったのは、体が大きいからという理由だけでなく、もう一つ理由があったのです。

それは『あばれはっちゃく』について初代から5代目まで資料を集めている淡路島に住む『あばれはっちゃく』ファンの人からもらったテレビ朝日側のプロデューサー宇都宮恭三さんが書いた一枚のペラに書いてありました。

箸にも棒にもひっかからない酒井君が泥まみれで入ってきた

  酒井さんは控室でホカロンを投げ合って喧嘩をしていて、頬には前日に家で妹さんと喧嘩した時のひっかき傷があった状態でした。

その時の酒井さんの姿が、まさに求めていた5代目長太郎だったのです。

いくつもの偶然が重なり長太郎になる要素が酒井さんに集まって、長太郎になったというところに運命を感じます。

制作側は新しい長太郎、はっちゃくを求めていた事、酒井さんが長太郎をやる事になった時には、『あばれはっちゃく』シリーズが終わる事が決まっていた事なども知って、新しい長太郎を求めながらも、シリーズの幕を下ろすことも決めていたのか、と不思議な気持ちでその部分を聴きました。

私は、酒井さんが過去に長太郎役に決まった事を伝える新聞記事の切り抜きを、ご自身のTwitterで紹介していたのを見たことがあるのですが、番組を聴きながらこの切り抜きはもしかしたら、物々交換で淡路島の『あばれはっちゃく』のファンの人からもらった物だったりしたのかなって思いました。

時代が新しい時代になり始めた頃だったことも話され、そういう時期だったんだなってしみじみ思いました。

酒井さんは多摩市から千葉県に引っ越すのですが、東京では酒井さんが長太郎になったという認識だったのが、千葉ではあばれはっちゃくがやってきたという騒がれて、先に書いた数多くの嫌がらせを受けたのですが、既に『あばれはっちゃく』の影響力を知って長太郎になった酒井さんはそれだけの事をされる事は覚悟の上で、その騒動に対応されていて、その対応が肝が据わっていて、だから今も心構えがしっかりしているのだなって納得してしまいました。

長太郎は酒井さん以外に先代の4人の長太郎役、吉田友紀さん、栗又厚さん、荒木直也さん、坂詰貴之さんがいらっしゃるわけですが、4人ともに長太郎役を演じていた時は辛く大変だったと言っていたそうです。

国際放映のセットで撮影した時の話、2代目の時代に小林旭さんがウロウロしていて、なんだろうって思ったら、小林さんのお子さんが『あばれはっちゃく』のファンでサインが欲しかった話なども聞けて、なんかこう、改めて『あばれはっちゃく』の人気と影響力の大きさを実感しました。

この時、2014年が酒井一さんのデビュー30周年だったのですが、それから5年経って2019年は酒井さんのデビュー35周年になるんだって気がついて、一時、学業専念で芸能界を離れたけれども、今年デビュー35周年なんだなって、松原愛さんと島田歌穂さんが45周年でなんだか本当に今年は節目の年だって、私は一人で勝手に感慨にふけてしまいました。

 酒井さんは話の中で人と人との繋がり、縁や巡り合わせの不思議さも話されていました。

あばれはっちゃく』の国際放映のプロデューサーの鍛治さんが『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の監督だったり、山際監督が『ウルトラマンタロウ』(1973年)で監督をしてらしたり、子役時代に日笠さんがプロデューサーのの番組『星雲仮面マシンマン』に落ちたのが、デビュー20年目で受かった『百獣戦隊ガオレンジャー』のプロデューサーが日笠さんだったりしたことなどに縁や繋がりを感じたことを話されていました。

そういうなんというか、私も『あばれはっちゃく』やそれに携わった人達の事を調べていて感じたことなんですが、人が人を呼んで繋がる絆を見る事が出来て、その中に酒井さんは実際に入っていて私よりも体感されているのだと思います。

1つの点が広がって、世界が広がっていくのは、知れば知るほど面白いものです。

紅白歌合戦』と『百獣戦隊ガオレンジャー

 私はラジオをよく聞くのですが、ラジオCMで純烈が出演するCMをよく聞きます。

テレビCMもあり、YouTubeにそのCM動画があります。


50の恵 オイルin養潤液「純烈・歌う」篇

 10月も終わりに近づき、『紅白歌合戦』の話題も出てくる頃ですが、去年に続いてきっと酒井さんの純烈も出場されるだろうと思っています。

また、『紅白』で歌う純烈を見てみたいです。

ちなみに現在、東映特撮YouTube Officail では『百獣戦隊ガオレンジャー』が配信中です。

 酒井さんが主演の『逆転あばれはっちゃく』の発売中なのでそちらもぜひ見てみてください。

追記

『逆転あばれはっちゃく』で長太郎の姉、カオルを演じた今井りえさんについての情報を探しているのですが、その後の消息がまだ掴めていません。『逆転あばれはっちゃく』『新・熱中時代宣言』後の今井さんについて、何かご存知な方はいらっしゃいませんか。

逆転あばれはっちゃく HDリマスター DVD-BOX【昭和の名作ライブラリー 第12集】

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島田歌穂さんに憧れて

ロビンちゃんは知らないけれど

 先日、知人から聞いた話です。

知人の友人は、働きながらミュージカル女優を目指している人。

その人と話をしているうちに、『がんばれ!!ロボコン』(1974年10月4日~1977年3月25日)の話になり、ロビンちゃんの話題になったそうです。

でも、知人の友人は若く『がんばれ!!ロボコン』を見たことがなく、作品の存在も知らない世代。

(ちなみに管理人の柿の葉は再放送で『がんばれ!!ロボコン』を見ていた世代)

よく分からないまま、知人の友人は話を聞き、知人がロビンちゃんを演じていた子役の名前を出した時に、急に驚きの声をあげたのだそうです。

「え!あの島田歌穂さん!私、あの人の舞台大好きなんです!ダブルキャストだったんですけど、島田さんの方が数倍素敵でした。私の目標なんです!すごい!そうなんですか!」

その話を知人から聞いた私は、知人の友人は、島田さんのロビンちゃんも、『俺はあばれはっちゃく』で島田さんが演じた桜間てるほも知らないけれども、ミュージカル女優、島田歌穂さんを知っていて、舞台も見ていて、ミュージカル女優を目指す者として、島田さんに憧れ、尊敬しているってことを知って、ロビンちゃんから45年、紆余曲折しながらも、確固たる地位を築いた島田歌穂さんの素晴らしさを改めて実感しました。

デビューから45年ということで、島田さんはラジオ番組への出演、コンサートやアルバム発売など盛りだくさんで活動されていて、Twitterなどでの告知などを見るのがとても楽しいです。

私は、ラジオ出演ぐらいしかチェック出来ないのが残念ですが、私の生まれた年にデビューされ、私の大好きな『俺はあばれはっちゃく』の桜間てるほを演じた島田さんが今も活躍され、ずっと若い人からはミュージカル女優として尊敬され憧れの存在であることがとても嬉しく、そんな存在として今も光り輝いている島田さんの輝きにため息が出るばかりです。

いずれまた

令和になって、『あばれはっちゃく』関連に関わった人達のそれぞれの節目の年、新たな始まりの年になっているのではないかと、勝手に密かに思ったりしています。

長く続いたシリーズですから、関わった人達も多くいるので、私が気がつかない知らないだけでもっと多くの人達の人生の分岐点があったと思いますが、それぞれの皆様にとって良い分岐点、旅立ち、まとめの年であって欲しいと願っています。

また、時間のある時にシンバルさんから教えて頂いたラジオの感想も書こうかと思います。

今回は、ちょっと『あばれはっちゃく』とは直接関係はありませんでしたが、私が知人から聞いた話をご紹介しました。では、また、次の更新の機会にお会いしましょう。