柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』69話「オカメが釣れたぞ」感想

『男!あばれはっちゃく』69話より

1981年8月1日放送・脚本・田口成光さん・松生秀二監督

長太郎と秀才君

長太郎がいじめられている秀才と呼ばれるヒデオ君を助けて知り合いになった日の夕食。塾から帰って来た信一郎を見て母ちゃんが長太郎の教育の事を持ち出し、父ちゃんに今は教育ママの時代よりも教育パパの時代と話し、また信一郎も長太郎も塾に行かせるべきと話したことで、父ちゃんは長太郎を塾に行かせることになります。

ヒデオ君は長太郎よりも2歳年下の4年生ですが、克彦とみゆきちゃんが通う塾で有名な秀才。長太郎はその塾に通うことになります。また、母ちゃんが父ちゃんに今は教育パパの時代だと話しますが、今回、ヒデオの父親が教育パパとして登場してきます。ヒデオの父親が登場してくるのは、父ちゃんが長太郎を無理やり塾に連れて行って入塾させる時。また、このヒデオの父親は後日、父ちゃんと仕事で知り合うことになります。

父ちゃんとヒデオの父親との出会いと関係が少し伏線になっていますが、この伏線はあまり話にしっかり生かされていないと私は感じました。少し関係しますが、もう少し話を深くすることが出来ただろうに、浅くしか話に関わってこなかったなと感じたからです。

『男!あばれはっちゃく』69話より

『男!あばれはっちゃく』69話より

塾の先生は長太郎の成績を見て、6年生のクラスではなく4年生のクラスに入れさせ、長太郎はそこでヒデオと再会します。長太郎は塾で持ってきたカメを落としてしまい、先生に怒られそうになりますが、それを助けてくれたのがヒデオ。長太郎は生き物が好きというヒデオに家にいる生き物を見せる代わりに、塾で出された宿題を手伝って欲しいとお願いします。2人はそれがきっかけで仲良くなるのですが、そこに怒鳴り込んできたのがヒデオの父親。

ここで、ヒデオの父親の無茶苦茶な言葉に父ちゃんが切れて、塾に行かなくてもいいという展開になり、長太郎は夏休みに川で釣りをして遊びまくります。そこに、塾をサボってヒデオも仲間入りして遊んだことで、またまたヒデオの父親の怒りに触れてしまいます。ヒデオの父親のせいでヒデオは川で溺れますが、長太郎によって助けられます。最初はヒデオの父親に助けさせようとした長太郎でしたが、ヒデオの父親が助けることが無理だと分かって長太郎が助けました。

『俺はあばれはっちゃく』9話を思い出す

今回の話を見て初代『俺はあばれはっちゃく』9話「けとばせ過保護マル秘作戦」(脚本・市川靖さん・山際永三監督)を思い出しました。初代9話は教育ママのマサミの母親が登場した話です。

初代9話と2代目69話の似ているところは、教育ママに過保護に育てられたマサミが長太郎に憧れましたが、今回のヒデオも長太郎に助けられたことで長太郎に憧れるところ、長太郎に憧れて無茶をして川の水で風邪をひいたマサミと塾をサボって長太郎と遊んだことで、マサミの母親とヒデオの父親は桜間家に怒鳴り込んできて、失礼な態度を取った結果父ちゃんの怒りを買うところです。

話としては初代の9話も2代目の69話も、過保護でも勉強だけでもなく、もっと遊んで体を鍛え、遊びの中からもいろんなことを学ぶことが出来るというところに落ち着いていくのですが、2代目69話に関しては、この話の結末に至る過程の出来事がバラバラに見えてしまって、それぞれのインパクトがとても弱く感じました。

初代の9話はマサミが長太郎を保健室から見て憧れる場面、長太郎と遊んで風邪をひいいて長太郎の家で看病されていたところにマサミを探してきたマサミの母親がいきなり怒鳴り込んできて、好き勝手暴言を吐いたことで父ちゃんの怒りを買い、マサミの母親とPTAの会議で会うことになる母ちゃんと父ちゃんが喧嘩をして父ちゃんが出ていき、出ていった先のおでんの屋台でマサミの父親と出会うという流れで、マサミの父親の妻の愚痴を聞き、そこでマサミと母親の写真も父ちゃんに見せて繋がりを見せていました。

ここでのマサミの父親の登場が話のラストにも繋がってきますし、また、長太郎の家だけでなく学校まで乗り込んできたマサミの母親の暴走でその強烈な過保護ぶりが伝わっていました。さらに、そんなマサミの母親と関わりたくない長太郎がマサミが小さい女の子の木にかかった風船を取るのを見守るだけにしたことも、長太郎の自然な心理として受け止めることが出来ました。話の出来事に繋がりがあり、長太郎の気持ちから来る行動心理も初代9話はとても分かりやすく、話の流れに気持ちが乗りやすかったです。

けれども今回の2代目69話の話は、長太郎とヒデオが仲良くなり、ヒデオが自分の好きなことに長太郎が詳しいこと、長太郎のような逞しさに憧れたところまでは、納得しながら見ることが出来たものの、その後の長太郎を否定するヒデオの父親の理由が塾で聞いた話だけというのが、とても弱く、また、長太郎を否定する時に仕事を依頼した父ちゃんの仕事に対しても否定したのを見て、まだ、挨拶をした程度で、仕事もしていない状態で言うことに説得力を感じませんでした。

始まる前から息子がダメなら、その親の仕事もダメだという先入観での発言だとしても、なんというか、とってつけたようなというか、父ちゃんを怒らせて長太郎に塾に行かせないようにしただけに見えました。

長太郎を塾に行かせないのは、夏休みに遊ばせる為、長太郎が塾に来なければ、ヒデオが長太郎のところに来て遊ぶことになる。その結果、そこにヒデオの父親が来てヒデオを連れ戻しに来る。川で遊んでいて、ヒデオに川を渡って来るように言うヒデオの父親。そこで、ヒデオが足を滑らせて、溺れてしまう展開で長太郎が助けに行こうとする寺山先生を止めて、ヒデオの父親に助けるように促し、ヒデオの父親が川に飛び込んで助けるも助けられず、長太郎が助けることでヒデオの父親が寺山先生に諭され、反省をする。

長太郎を見直す、遊びも大事という結末に行くにあたって、初代の長太郎は途中でマサミとマサミの母親に呆れて、一度は見放すものの、女の子の為に自力で問題を解決するために行動したマサミを見守り、その結果マサミが大怪我をしてしまうも、マサミの父親がマサミの母親とやりあってマサミがちゃんと元気に登校してきたことで、ちょっとした無謀な行動をしても、元気に動いて、遊びの中で体を丈夫にすること、いろいろとチャレンジすることが大事だということが、長太郎の力を借りないで結果は出せなかったけれど頑張ったマサミの姿から感じ取ることが出来ました。

けれども、2代目69話のヒデオは塾で長太郎を助けたこと、父親に長太郎からプレゼントされた釣竿を壊された後に自分で釣竿を作ったこと以外は、特にこれと言って頑張ったところが見えないんですね。マサミが苦手な木登りをして引っかかった女の子の風船を取ったのと比べると、ヒデオの頑張りは殆どないし、川を渡って溺れてしまったときも自力で浅瀬の川から助かっていない。ヒデオの父親はヒデオを助けようと川に飛び込んだけれども、助けることが出来なかった。

それで、勉強だけでなく、遊びの中で体を鍛えることも大事というメッセージが2代目69話の話だと、とても弱く感じるのは、ヒデオ自身がマサミよりも体を張っていないからなんです。それに、ヒデオの父親がヒデオの変化について最後に話していますが、それも話だけであることが、益々、印象を弱めていると感じました。

教育ママの反転の教育パパの話だったけど

今回の話は、教育ママならぬ教育パパの話でしたが、なんだか、私の中では、ちょっと弱い話だと感じました。もっと、父ちゃんの仕事関係に絡めても良かったんじゃないかなと。初代の父ちゃんはPTAの会合でマサミの母親と出会うことがなく、好き勝手なことが言えたけれども、2代目の父ちゃんは初代の母ちゃんの立場と同じところで、クライアントであるヒデオの父親に文句を言うことは、かなり度胸がいることでもあり、そこでの損よりも長太郎に遊ぶことを優先させ、長太郎の教育について、人間としての大事なものは勉強だけではないという父ちゃんの考えをもっと強く印象付けても良かったと思いました。

教育パパにしたことで、父ちゃんの考えや立場について、もっと深く絡めることが出来た話だと思いましたし、また、そんな父ちゃんの姿を通じて長太郎が自分自身を振り返り、更にはそんな長太郎を見て、ヒデオが机の勉強だけではなく、自分の好きな遊びもやることの面白さを知ることが出来たんじゃないかと思いました。出来事で見せてくれた方が説得力を持たすことが出来るところが、話で終わってしまうのがとても勿体ないと感じてしまいました。

ただ、今回は初代の9話と比べて不満を多く書いてきましたが、最後で遊びも大事だが勉強も大事とフォローするところ、勉強が苦手だという長太郎に勉強を教えてあげると言ったヒデオと喜ぶ長太郎を見て、それぞれに得意分野でそれぞれの苦手な部分を補う。誰でも得意なものがあって、勉強が出来るだけがダメというのでもなく、遊びが得意で体が丈夫なだけがダメでもないんだよっていうメッセージはしっかりと伝わったので、最後の終わり方はとても後味が良く思いました。

『男!あばれはっちゃく』69話より