柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

また来年

今年も後数時間

今年も後僅かになりました。今年は年女でもあったので、とてもワクワクした気持ちで2022年を迎えました。良いことばかりでもありませんでしたが、無事に今日を迎えて1年を終えることが出来たので、ホッとしています。

今朝、外を歩いていて、近所の家にある門松やお店にある正月飾りや、正月休暇の貼り紙を見ながら、もしかしたら、年女としてこうした大晦日の風景を見るのは、これが最後かもしれないなって思いました。

次の年女の時は還暦になるのですが、還暦の大晦日まで生きられるかな、なんて思っています。なんとなく、私は60歳~75歳の間で亡くなるような気がするんです。自分の両親がその年齢の間で亡くなっているので、両親の寿命が私自身の寿命ではないかなって思っています。

世界が終わる

大人になって、特に30代くらいから私自身が子どもの頃に、この国の社会や文化(サブカルを含む)を生み出し、育て、私の子ども時代を彩ってくれた方々が鬼籍に入ることが多くなりました。

年齢的に仕方がないと思う方、病気や事故などによって突然に去られた方など、その去り方は様々でしたが、やはりどんな去り方であっても、とても衝撃で悲しく寂しいものでした。今年もまた多くの方々が亡くなられ、とても悲しい思いをしました。

私は近頃、特に子どもの頃に好きだった人達が亡くなられると、自分自身が生きてきた世界が終わりを告げているという恐怖を感じることが多くなりました。自分の子ども時代も、青春時代もどんどんと過去になっていき、思い出を共有する人達が、その世界を生み出した人達が消えていく寂しさ。

若い人達が新たに生み出してくる文化に押されていき、その文化を理解出来ない、若い人達が「老害」という古い感性を持つようになった自分に、世界から取り残されていく焦燥感を強く感じるのです。

どうにも、こうしたセンチメンタルな気持ちに酔うのが気持ちいいのかもしれません。気持ち悪いですよね。そんな時に、今も新しい世界に目を向けて、輝く特に同世代の姿を見ると元気が出来て、私も、まだまだこれからだと気持ちを新たにしたりします。

どうにも、根が暗いといいますか、悲観的な人間なものですから、すぐにマイナスの感情に引っ張られてしまうんですが、もっちょっと気持ちを奮い立たせて、元気にやっていこうと思います。

生きてる限りは

なんか、書いているうちに『俺はあばれはっちゃく』の最終回でヒトミちゃんが長太郎に言った言葉を思い出しました。それから、最終回の長太郎の言葉も。私の子ども時代も、生きていた時代も、いつしか間遠になり消えていくのかもしれません。けれども、生きている限りは、精一杯生きてみようと思います。だって、それが『あばれはっちゃく』を作り出してくれた人達のメッセージだと思うから。

今年一年、当ブログをお読みくださりありがとうございました。どうぞ、良いお年をお迎えください。自分自身と自分にとって大切な人、あなた自身を大事にしてくれる人を大切に。もし、よろしかったら、来年もまたよろしくお願いします。