柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

夢破れても人生は続く

『熱血あばれはっちゃく』38話より

今から40年前のお正月

新年、明けましておめでとうございます。今年は2023年ですが、今から40年前1983年のお正月1月8日に放送されたのが『熱血あばれはっちゃく』38話「燃えろ!グランドマル秘作戦」(脚本・市川靖さん・松生秀二監督)です。この話でのお正月らしさは、アバンタイトルで長太郎が大きな筆を使って書いた書初めの場面でしょうか。(上記引用画像参照)

まだ、お正月気分も残る冬休みに放送された『熱血あばれはっちゃく』38話では、それ以外のお正月要素は殆どなく、この話はある一人の野球選手に話の焦点が当てられた話になっています。

『熱血あばれはっちゃく』で3代目あばれはっちゃくこと桜間長太郎を演じた荒木直也さんは、この年、1983年10月に当時中日ドラゴンズ西武ライオンズに在籍していた田淵幸一さんの応援歌である『ブッチィー音頭』のレコードを出していますが、そのことと合わせて38話を見ると、また感慨深いものがあります。

先ほど、野球選手に話の焦点が当てられたと書きましたが、この話のゲスト登場人物の名前は「真淵幸一」。荒木直也さんが歌った応援歌『ブッチィー音頭』の田淵幸一さんと名前がとても似ていると思いませんか。

『熱血あばれはっちゃく』38話より

モデルは島野修さん

真淵さんは京浜ベアーズのピッチャー。長太郎が真淵さんの娘のヒロコちゃんと知り合ったことから、野球選手を辞めて野球のグラウンドを去る決意をした真淵さんの考えを変えようと、長太郎が働きかけます。

長太郎がヒロコちゃんと知り合うきっかけになったのは、ヒロコちゃんが自分の父親がプロ野球選手だと嘘を言ったと男の子達から集団で責められていたところを助けたから。

最初は長太郎も真淵選手のことを知らなかった訳ですが、堀内先生の話を聞いて、堀内先生より2歳上で堀内先生の大学のライバル大学の選手だったこと、甲子園でも活躍し、特に大学に入ってから記録を次々に更新して活躍しプロ野球に入団した選手だったことを知ります。

堀内先生は昭和25年(1950年)生まれですから、それより2歳上の真淵さんは、昭和23年(1948年)生まれ。大学からプロ野球入りしたと考えると、入団した時の年齢は22歳。2年目で肩を故障したとすると、24歳か25歳頃に一軍のマウンドを降りてしまったと推定できます。

『熱血あばれはっちゃく』が放送されていたのは、1982年~1983年。この話に登場した真淵さんは34歳。長太郎は11歳なので、長太郎が赤ん坊の頃には、真淵さんは表舞台からは姿を消してしまったので、長太郎もヒロコちゃんを嘘つき扱いしていた男の子達も知らなかった訳です。

やがて、長太郎は真淵さんは、現在はバッティングピッチャーとして在籍していたこと、それさえも出来ない体になって引退を決めたことを知ります。

長太郎は真淵さんを辞めさせないように球団のオーナーに言いに行くのですが、オーナーは親会社のデパートで真淵さんに働いてもらおうと考えていると長太郎に伝えます。しかし、野球しかしてこなかった真淵さん、野球が好きでグラウンドで活躍することに未練を持つ真淵さんや野球のグランドで活躍する父親の姿を見たいというヒロコちゃんの気持ちを感じ取った長太郎は、野球が出来なくなった真淵さんが野球のグラウンドで活躍する方法を考え出します。それが、球団マスコットとして球団を応援することでした。

この話から、プロ野球の球団マスコットについて調べてみて、今回の真淵選手とよく似た阪急ブレーブスの球団マスコットのブレービーの着ぐるみで活躍された島野修さんの事を知りました。おそらくは、この島野修さんが『熱血あばれはっちゃく』38話の話のモデルなのだろうと思います。

島野さんも投手であり、大学野球へは行かず高卒で巨人に1969年に入団するものの、高校時代に無理をしたことで、肩を痛めていて、故障が続き、1976年にトレード交換で阪急ブレーブスに移籍、2年後の1978年に引退。引退後はバッティングピッチャーとして在籍。その後、1980年に阪急ブレーブスのマスコットキャラクターブレービーの着ぐるみのスーツアクターとして長年に渡って活躍された人であることを知って、それが、今回話のゲスト登場人物の真淵さんによく似ていると思ったのです。

また、1969年には、田淵幸一さんも中日ドラゴンズ阪神タイガースにドラフト1位で入団をしていて、島野さんと田淵さんが球団は違えど、プロ野球の同期であること。38話の話のモデルが島野さんであり、また、名前のモデルは恐らく田淵さんであり、長太郎を演じた荒木直也さんが田淵選手の応援歌である『ブッチィー音頭』を歌っているということで、繋がりを感じました。

この島野さんの実話を元にした話は、長太郎の拘りが新たな夢を叶えた話になったように思います。子どもの拘りが現実になった。そんな話がこの38話が放送された数年前に現実にあったこと。当時、この話を家族で見ていて、ブレービーの島野さんのことを思い出して、子どもに語った親がいたかもしれません。長太郎のいない現実で、38話の真淵さんのような話があったこと。「事実は小説(テレビドラマ)よりも奇なり」とはよく言ったものです。

選ぶのは自分

プロ野球選手としての活躍は絶たれても、人生には続きがあり、夢が破れても生きていかないといけない。安定した職場を提供されていた真淵さんは幸せな方で、セカンドキャリアは難しい。慣れない仕事を頑張ろうとした真淵さんも凄いけれども、好きなことから逃げないで、そこでもう一度、違う形で頑張ってみる選択肢を真淵さんに示した長太郎。

今回は、長太郎のアイディアで完全に野球から離れることなく、真淵さんは第二の活躍の場を得ることが出来ましたが、全ての人がそうなるとは限りません。生活の為に一番好きな仕事を諦める選択が必要な時もある。

それでも、好きな所で培った経験が全て無駄になる訳でもないんじゃないかなって思ったのは、野球で培った経験を生かして、球団の親会社のデパートの社員として働いてもらいたいと球団のオーナーが長太郎に語ったのを見た時でした。

長太郎は野球と野球のグラウンドで働くことに拘りましたが、オーナーは違うところで働いても経験は活かせると考えていて、長太郎に「君も大人になれば分かるよ」と語り、長太郎は「分かりたくない」と返答しています。

ドラマの結末ではなく、現実で長太郎の拘りが実を結んだ話。それでも、私はオーナーの考えも1つの正しい答えなのだろうと思いました。セカンドキャリアの選択の答えは、1つではなくて複数あるのだろうと思います。

その中で、どれを選ぶかは本人次第ですが、どれを選ぶことが自分にとって幸せなのかを考えることが大切なんだろうと思います。人は選択肢は与えてくれるけれども、その選択した人生を歩むのは自分自身なのですから。

真淵さんも島野さんも球団マスコットになることを選んだのは自身の選択。周囲はその選択を与えただけ。そして、一度、人生が終わったと思っても、生きている限り人生は続いているからこそ、生き続けなければいけない、そんな人の人生の長さを感じた話でした。また、一度ダメになったと思っても、人は何度でもやり直しが出来る、人の可能性に終わりはないということも感じました。

この話は、多分、大人になってから見た方が、よりよく話の意味が分かるのだろうなって思いました。その時に長太郎が分かりたくもないと言った球団オーナーが言っていた「大人になれば分かる」という意味を知ることになるんじゃないかなって、そう思ったのです。