柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』36話「ご対面プレゼント」感想

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『男!あばれはっちゃく』36話より

1980年11月29日放送・脚本・三宅直子さん・松生秀二監督

大まかな粗筋

今回はもうすぐ誕生日の母ちゃんの為に母ちゃんが会いたがっていた母ちゃんの小学校時代の音楽の先生、太い陽じ先生こと太陽先生を捜し出す話。

※太陽先生のフルネームと愛称の「太陽」については、母ちゃんが長太郎に説明しているのですが、全ての名前の表記がドラマでは分からないので、フルネームの「太い陽じ(ふとい ようじ)」はこのような表記にしました。でも、愛称の「太陽」はこの表記で間違いないと思います。以後、母ちゃんの恩師である先生の名前は「太陽」と表記していきます。

章の設定

長太郎は太陽先生を見かけたという母ちゃんの小学生時代からの友人のシゲコさんに似顔絵を描いてもらい、それを手掛かりに捜していくのですが、この時に協力してくれたのが章。

この話では章の両親が登場してきて、章の父ちゃんの話から章にこれまで友人がいなかったことが分かるんですね。といっても、前回の章の初登場の回で既に章自身の言葉から、それは分かるんですけれども、それが裏付けされたというか、だからこそ、前回の章がどれだけ自分の為に頑張ってくれた長太郎の行為が嬉しかったのかが分かって、ああ、そうなんだなあってしんみりしちゃいます。

章の初登場回の脚本は田口成光さんで、今回の脚本は三宅直子さんと違うので、こうした章の長太郎に出会うまでは友人がいなかったという章の境遇は、既に章の人物像として作品内で設定されていたんだろうなって思いました。

長太郎は章と一緒に夜遅くまで捜したことで、章の母親から怒りを買ってしまうわけですが、章はそれでも長太郎と一緒に行動することを選んでいて、そういうのを見るだけでも、私は胸が痛くなってしまうのですね。

怒られる前に長太郎のことを両親に話す時の章を見ていても、ああ、章は長太郎と友人になれたのがとても嬉しかったんだなって分かって、と、同時にどれだけ章がそれまで孤独だったんだろうかって思ってしまって、涙が出てくるんです。長太郎と友達になれて本当に良かったねって……。

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『男!あばれはっちゃく』36話より

心の支え

ちょっと話が脱線しますが、私は宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』で歌われる歌が好きなんですね。その歌の中でマリー・アントワネット役のトップ娘の人が歌う『恋の花散れど』という歌があるんですけれども、その歌詞の中に「たった一つの言葉だけが支えとなるでしょう」という歌詞があるんです。

これは、マリー・アントワネットが恋しいフェルゼンを思って歌う歌なのですが、それぞれに立場的にも運命的にも結ばれることはなく、フランス革命の中、苦しい立場に追い込まれていくマリー・アントワネットの心の支えがフェルゼンの言葉だという解釈で私はこの歌を聴いています。

マリー・アントワネットに関わらず、人には誰かしらの言葉や行為が、それがどんなにささやかなものであっても、心の支えになって辛い時を乗り越えることが出来るんじゃないかなって思うんですね。

そこで『男!あばれはっちゃく』36話で母ちゃんが小学生時代の時に太陽先生が言ってくれた言葉について語ったのを、DVDで見返した時に先に紹介した『恋の花散れど』の歌詞を思い出したんです。

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『男!あばれはっちゃく』36話より

「その先生がね、『一生の仕事には自分の好きなことを生かすのがいい』って、教えてくれたんだよね。だから、母ちゃん、その言葉通り、やってきたんだ」

この言葉が支えになってきたと母ちゃんは後でシゲコさんと長太郎の前で言っていて、小学生時代の太陽先生の言葉がどれだけ母ちゃんの人生の支えになっていたのかって思うと、人の言葉は人を生かすことが出来るんだなって思ったんです。なんだか、人の心を支える言葉は心の中に大切にされる温かい心の拠り所なんだなって思います。

辛い時や苦しい時、くじけそうな時に支えてくれる言葉。自分の為にしてくれた人の行為というのは、人が倒れそうな時に本当に支えてくれる。それがたった一つでも、それがあるだけで、生きていけるってことは、本当にあって、母ちゃんが愛おしそうに太陽先生の話をする姿や長太郎に対する章の態度を見ていると、人の言葉や行為はどれだけ人を生かしてくれるんだろうかと思わずにはいられなかったです。

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『男!あばれはっちゃく』36話より

言葉も行為(態度)も人を生かすことが出来るのと同時に、人を傷つけ行き過ぎると殺すこともしてしまうから、相手に向ける言葉や態度は慎重に選ばないといけないのかもしれないって思うんです。感情的になって売り言葉に買い言葉で酷いことを言ってしまってきた私が言えた義理ではないんですけどね。

人の行動が人を動かす

長太郎は太陽先生を見つけましたが、太陽先生はクラリネット奏者の夢を捨て、家業を継いで失敗したことで、音楽を忘れて落ちぶれた自分をかつての教え子に見せたくない気持ちが強く、母ちゃんと対面して欲しい長太郎の頼みを断るのですが、長太郎はそんな程度では引き下がりません。

太陽先生の家までついてきて、太陽先生が運び出したクラリネットを見て、まだ音楽を捨てていないクラリネットを大事にしているんだと分かって説得するのですが、太陽先生はそれを否定するもんだから、長太郎はクラリネットを壊して、楽譜を破こうとすると、太陽先生がそれを必死で阻止するんです。

長太郎は太陽先生の本心が分かって、今度は優しく明るい表情で母ちゃんのことを話すんですね。母ちゃんが太陽先生の言葉のお陰で理容師として働いているってことを。その時に、それまで長太郎を無視して楽譜を集めていた太陽先生の動きが止まって、表情が変わるんです。

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『男!あばれはっちゃく』36話より

その時に、母ちゃんの生き方が太陽先生のすさんだ心を少しだけ戻してくれたんだって思ったんですよね。太陽先生が言った言葉が母ちゃんの生き方を決めて、今も生かされて頑張っているんだって分かって、太陽先生はどんなに嬉しかっただろうなって。

太陽先生の言葉に母ちゃんは支えられて生きてきて、その母ちゃんの生き方が自分なんて、もう駄目な人間なんだって思い込んでいた太陽先生の心を立て直してくれたように感じて、人は人の言葉で生かされ、人の行為で生き直すことが出来るんだって感じて、どうにも、涙が出てしまうんです。

情けは人の為ならず巡り巡って我が身の恩

仏教の言葉で「情けは人の為ならず」という言葉がありますが、人への情けは自分に返ってくるから人に親切を施すという教えが私は好きです。「巡り巡って我が身の恩」という続きの言葉は以前、マイミクさんから教えてもらった言葉で、これがついていたら、「情けは人の為ならず」の間違った解釈が広がらなかったんじゃないかなって思いました。

今回の話はこの「情けは人の為ならず」という言葉も思い出した話でした。自分にとっては当たり前で些細なことだったとしても、人の心の支えになり、人を生かすことになっていく。こうした人の優しさに触れて、それに報いようと生きる姿に、私はとても弱くて、ああ、いい話だなあ。こういう人間関係、社会で生きていきたいなって思うんです。

おまけ・母ちゃんの誕生日

あ、そうそう、これは母ちゃんの誕生日の為の話なんですけど、話の中での長太郎の言葉で母ちゃんの誕生日が今度の日曜日っていっていて、放送日や1980年のカレンダーとかで調べてみると、母ちゃんの誕生日は11月30日なんだなってことが推測出来ました。あくまで推測なんですけれどね。