柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

明けましておめでとうございます。

40年

明けましておめでとうございます。

ついに2020年になりましたね。昨年はいろいろな事がありました。

今年はどうなるか、不安も渦巻く中、新年が明けました。

昨年は『俺はあばれはっちゃく』放送開始から40年でしたが、今年は『俺はあばれはっちゃく』の放送が1980年3月8日に最終回を迎えてから40年であると同時に、新シリーズ2代目『男!あばれはっちゃく』の放送が始まってから40年という区切りの年でもあります。

このブログの過去記事をお読みくださっている方々には周知の通り、『あばれはっちゃく』は、そもそも2クール(26話)で終わる予定のドラマ化で当初はシリーズとして企画された作品ではありませんでした。

それが20%近くの視聴率を獲得し、当時の子ども達の心を掴み人気ドラマになったことで、シリーズ化された作品でした。

あばれはっちゃく』は山中恒先生の『あばれはっちゃく』を原作とし、初代『俺はあばれはっちゃく』は山中先生の原作を元にした人物設定、物語を基盤としながらも、ドラマ独自のオリジナル要素を持った作品でした。

2代目以降にはそのドラマのオリジナル要素が大きくなり、例えば桜間家の長子が姉から兄へ変更になり、(これは4代目『痛快あばれはっちゃく』まで続いた原作、初代『俺はあばれはっちゃく』からの設定変更)母ちゃんが専業主婦から自営業で家で店を開いているなどの設定の変更がありました。

桜間家に家族以外の親戚、例えば2代目の長太郎の従姉のカヨちゃんなど、母ちゃんの仕事を手伝う従業員が桜間家に同居している設定も2代目以降のドラマ版オリジナル設定です。

2代目以降で生まれた設定変更はシリーズで長く続いたものが多く、『あばれはっちゃく』を覚えている人達の多くは2代目以降の設定が強く印象づいていると思います。

しかしながら、初めて『あばれはっちゃく』をドラマ化した時点で、原作にはない設定は初代『俺はあばれはっちゃく』でも既に作られていて、これがシリーズの定番設定になったのもあります。

例えば、長太郎がアイディアを考える時の逆立ちは初代の1話から登場しますが、原作にはない設定です。

また、長太郎のライバルとしてドラマに登場してきた正彦の父親が長太郎の父親の上司であるという設定は原作にはないものです。

2代目以降は、長太郎、父ちゃん(長治)、母ちゃん(和子)以外は、長太郎の担任の先生も長太郎のきょうだいの名前も、ヒロインの名前もクラスメイト達やその保護者達の名前も設定もドラマオリジナルになっています。

初代にもドラマオリジナルの人物、明子と小百合が登場していますが、基本的には山中先生の原作に登場する人物の名前を使っています。

ただ、同じ名前を持つ登場人物でも、原作の公一や正彦、恵子ちゃん、佐々木先生はドラマの公一や正彦、恵子ちゃん、佐々木先生と人物像は若干違うので、ドラマに馴染んで原作を読むとその違いに戸惑うかもしれません。

ちなみに私は少し戸惑いました。

2代目以降の登場人物のドラマオリジナルの名前の中で、初代の正彦にあたる人物名に必ず「彦」がつくところは面白く、初代で原作とは微妙に違うキャラクター付けをした正彦の系譜がドラマでシリーズ化して定着していった設定の1つだと思います。

2代目が邦彦と克彦、3代目が輝彦、4代目が信彦、5代目が秀彦。

2代目の2年目から登場した克彦を演じた織田さんの名前が「真早彦」、5代目の秀彦を演じた阪田さんの名前が「智彦」である偶然も面白いなって思いました。

初代から原作の引き写しでドラマ化にはしていないのですが、ドラマ独自の設定や原作の話を基盤にしながらも、話の核の部分はしっかり原作を受け継いでドラマにしているので、その大事な根本のところが共感を呼び『あばれはっちゃく』が長く愛された作品になったのだと思います。

私はこのドラマの常に子ども達の視点でドラマを作り、大人達の押し付けではない、私達の子ども時代の為の作品として存在していてくれたことがとても嬉しかったです。

子どもの立場や視点を忘れずに作られていながら、大人になって見ると、父ちゃんや母ちゃん、先生の気持ちが少しでも分かる形で作品を子ども時代とは別視点で見る事が出来て、子ども時代とは違う感情を持つことが出来る事に驚き、話はあの頃から全く変わらないのに、違う立場になっても大人になっても作品を楽しめる事に、子どもの為の作品とは決して子ども騙しではないのだと知りました。

『俺はあばれはっちゃく』終了から40年、『男!あばれはっちゃく』が始まってから40年。

その40年の間に社会の価値観や社会を取り巻く環境は変わりましたが、人の心の理不尽な事に関する怒りや悲しさ、人に対する優しさや親切、嬉しさや寂しさなどはそうそう変わることがなく、立場によって苦渋な選択をしなければならないままならさ、大切な人と喧嘩してしまった時の居たたまれなさなどは、そうそう変わらずあるのだろうと思います。

だからこそ、今も『あばれはっちゃく』を楽しめるんだと私はそう思っています。