柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』56話「マスコットを追え」感想

『男!あばれはっちゃく』56話より

1981年4月25日放送・脚本・安藤豊弘さん・磯見忠彦監督

正彦と克彦

今回は信一郎の洋子さんへの恋心が描かれます。その前に、克彦が教室でみゆきちゃん達にモテている場面があって、長太郎が克彦に対して反発をしていたりします。とにかく、克彦は女の子達に注目を浴びるのがうまく、それも、本命のみゆきちゃん以外はあまり相手にしていないところ等が女の子のあしらい方が上手に見えます。

女の子のあしらい方がうまかったのは、正彦もそうで、正彦もヒトミちゃんと明子や小百合の区別はつけていましたが、明子と小百合に対しても、配慮というか優しさを持って接していたのに対して、克彦はマリ子ちゃんや悦子ちゃんに対しての扱い方が適当に感じて、ああ、ここまで露骨に差別をしても、恨まれないあたり、転校前に東京でちょくちょく女の子とデートしていた正彦よりも、克彦は遊び人、もとい、プレイボーイに見えました。

どうにも、克彦は5年生の時の邦彦よりも、初代の正彦にとても性格が近く、また、その行動も似ている部分があって、それでいて、微妙に差異があるので、克彦の正彦と似た行動を見ると、自然と正彦と比較してしまいます。それで、私ははっきりと自分の意志を明確にする克彦をいいなって思う一方で、正彦の人に対して配慮する優しさに好意を感じてしまうのです。

どちらが良いか悪いかではないし、どちらにも長所と短所はあり、それぞれの好みの問題だと思いますが、同じように見えても、少しの対応の違いが個人差になっているんだなって、そんなことを思いました。

信一郎の心変わり

長太郎は女の子、特にみゆきちゃんに好かれる克彦に対して不満を持ち、文句を言いながら下校しますが、そこで、自分の兄である信一郎が洋子さんを見て物思いにふけているのを目撃して、自分の兄が恋に悩んでいることを知ります。

帰ってきて、信一郎が書いた洋子さんへのラブレターを読んで、克彦のことを思い出し、ラブレターよりもプレゼントが良いと提案をします。ここで、珍しい信一郎の逆立ち失敗からの「ひらめいた」を見ることが出来ます。

『男!あばれはっちゃく』56話より

信一郎が恋心を書くのは約1年ぶり。3話に千春さんに書いた以来ですね。千春さん、確か3話以外にも、29話にも登場して信一郎の為に活躍してくれたのですが、信一郎はすっかり千春さんのことは忘れて、洋子さんに心変わりしてしまったようです。

kakinoha.hatenadiary.com

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千春さんへの思いはノートにその名前だけを書くだけでしたが、今回は自分の思いを率直な文で書き綴っています。自分の感情を整理して書くほどに信一郎の心が成長したということでしょうか。それにしても、千春さんが転校した描写はないので、進級によってクラスが変わった可能性があるかもしれません。

千春さんの弟のテツヤも長太郎と同じ学年でちとせ第一小学校にいますが、テツヤは5年生の時も違うクラスで、6年生で長太郎と同じクラスになっていませんから、森田姉弟とは、それぞれに進級した時点で縁が遠くなってしまったんだろうなって思います。

昔は1学年のクラスが多かったですし、私の時代は中学で1学年7クラス、1クラスが42人とかでしたので、まあ、クラスが違うと家が近いとかでもない限りは、付き合いが遠くなっても不思議ではなかったですしね。この辺り、昨今の人数が少なくなった世代には分かりにくい感覚だったりするのかな。

長太郎の行動力、洋子さんの優しさ

信一郎は長太郎にもお小遣いを借りて、コンサートチケットを買って洋子さんをデートに誘うのですが、ここで高校生に邪魔をされて、洋子さんの母親の肩身のマスコットを取られてしまいます。今回のサブタイトルのマスコットを追えのマスコットはこの洋子さんの母親の肩身のことだったのですね。

長太郎は、克彦からの嫌味を言われたこと、兄信一郎が落ち込んだ原因、洋子さんが母親の肩身をなくして落ち込んでいるのを知って、マスコットを探し始めます。これが、洋子さんのマスコットを奪って逃げた高校生が、採掘場の砂の山に捨ててしまって、その砂が工事現場やらに運ばれた後だったりして、簡単に見つからない状態になってしまうんです。

それでも、長太郎は諦めないで探して、寺山先生の助言も受けて、砂をどこに運んだのかと聞きだして、運ばれた家まで行って見つけ出すんです。こうして、文章で書いてしまうと簡単な出来事になってしまうんですが、ドラマでマスコットが砂の山に落ちて、砂と共にショベルカーで運ばれていくのを見ると、もう洋子さんのところにマスコットが戻ってこないという絶望的な気持ちになってしまい、マスコットの行方を探していく長太郎を見ても、さすがに無理なんじゃないかって思ってしまうんです。

そんな時に、克彦がマスコットを探すことが無駄と洋子さんに長太郎の頑張りを馬鹿にする場面が入ってきて、克彦の冷静さがなんだか憎たらしく見えてしまうんですね。無駄ことに労力は使わない克彦の合理的な考え方と、最後まで諦めないで行動する長太郎の違いが見えた場面でした。

また、そんな克彦を戒める洋子さんを見ていると、やる前から無駄なことだと決めつけてやらない弟の克彦よりも、人の為に必死で動く長太郎の方に好意を持ってくれている洋子さんがとても素敵だなって私は思いました。母親の肩身をなくして心が穏やかではないのに、それでも、そのことで長太郎や信一郎を責めることはしない。克彦にも苦言を呈することが出来る。その優しい心の余裕が洋子さんを素敵に見せているんだなって、そんなふうに思ったのです。

『男!あばれはっちゃく』56話より

スマートだけど狡い

最後に長太郎の手柄を克彦が横取りするんですけど、なんか、確かに最小の労力で最後においしいとこ取っていった克彦のやり方はスマートだったかもしれないけれど、なんか、狡いなって思いました。それに、自分のやり方を誇らしく言うのもなって。

ここでも、初代『俺はあばれはっちゃく』の正彦が9話で長太郎とマサミを助けた作戦を思い出したんですけど、この時はヒトミちゃんが正彦の機転を褒めていて、同じスマートなやり方でも、人の手柄を横取りしていない正彦の方がスマートでかっこ良かったなって思ってしまいました。

なんか、こう、今回は私の中で正彦と克彦を比較して見てしまって、克彦のやり方にちょっとなあって思うところがあって、そうした感想を書いてしまい、克彦ファンの方々から反感を持たれてしまうかなって思ったりします。克彦ファンの皆様ごめんなさい。決して克彦が嫌いな訳ではないのです。今回の話の中での克彦の役割が憎まれ役だっただけの話かなと。

完全な善人も悪人もいない

いいとこもあれば、悪いとこもある。話によってはいい奴になったり、嫌な奴になったりする。そんな善だけではない人間が登場するのが『あばれはっちゃく』の魅力の一つではないかなって思っています。これは、脇役だけでなく、主人公の長太郎でさえも、いい奴になったり、悪い奴になったりしていますからね。

あばれはっちゃく』には、いい面も悪い面も持つ人物が登場してきて、それでも一番の根っこの部分で、いつものお馴染みの人物の中に悪人が存在していないのが、作品の持つ魅力の一つで、現実の世界に近く共感をしやすいのだろうと思います。

私が『あばれはっちゃく』で現実と違うと感じるのは、時々登場する犯罪者の悪人や意地悪な人物が痛い目にあうことですね。現実では、そういう犯罪者や狡い人が得をしてほくそ笑むことがあることもありますから。