柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』77話「なおすぞ!ガラクタ」感想

『男!あばれはっちゃく』77話より

1981年9月26日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

町内会

母ちゃんが主役と言える今回の話。三宅直子さんの脚本の時は、母ちゃん主体の話がやっぱり多いですね。家庭と仕事を持つ主婦の大変さや時間づくりの難しさが、母ちゃんを通して伝わってきます。家庭の主婦(今なら主夫も)は裏方のサポート、家族が外で存分に力を出すために、細かい家の仕事や近所付き合いをすることで、気兼ねなく家族が外の仕事や学校の事が出来る。家の片づけ、ゴミ出し、洗濯、掃除、光熱費の支払い等々、快適な生活環境を維持して、尚且つ、町内会等近所付き合いによる、近隣の人達との友好関係を築く。

村八分にされることで、正常な生活が営めないなんてことは、意外にも現代でも存在しているホラーだったりします。ご近所トラブルが発展した凄惨な事件のニュースは、たまに耳にしたりもしますしね。そうならないように、ご近所付き合いをして家庭を守る母ちゃんの存在って大きいと思います。近所との関係が悪化すると、群馬に戻らないといけなくなるという危機は、何度か2代目には出てくる話です。

初代の母ちゃんも家の事や子どもの学校のPTAのことで、やきもちしていましたが、2代目からの母ちゃんは、そこに自身の仕事も入ってきて、更に、大変な思いで生活しているんだなって思いました。自営業だから、都合がつきやすいように見えて、そうでなかったりする。中々、時間を作ることが難しく、町内会に行けないことを心苦しく思っている母ちゃんの町内会での立場の辛さを見ていると、母ちゃんが気の毒だなって思います。

子どもの頃は、町内会に来ない母ちゃんを悪く言う岡田さんを嫌なおばさんだなって片づけて終わっちゃうですけれども、大人になって見ると、なんとか町内会を活動させようとしているのに、町内会に協力してくれない母ちゃんに一言ぐらい嫌味を言いたくなってしまうのも仕方がないのかなって思ったりしますけれども、それでも、ムカつきますね。

それぞれに生活や仕事があって、体と心を休める時間も必要で……。時間があるように見えても、そんなに時間の余裕がないんじゃないかなって思いました。時間をやりくりすれば出来ると思う人は、裏で支えてくれるサポートのいる人で、そのサポートの人がいなくなって、全部、自分がしないといけなくなった時に、一人で出来ることの限界を思い知るんじゃないかなって、私は思ってしまいますね。

父ちゃんと母ちゃんのプチ家出

ごみ置き場で粗大ごみが捨てられているのを見て、長太郎が父ちゃんなら直してまだ使えるのにと言っていたところで、岡田さんが来て、父ちゃんの大工の腕を見込んで、バザーに出す不用品の修繕を父ちゃんに頼んできます。一度は断る母ちゃんも、町内会に行けなかったことや他の人達は協力してくれるのにとネチネチと嫌味を言われて、引き受けうることに。

そんな時に限って、父ちゃんが会社で嫌なことがあり、それが今回の壊れた家具の修繕とちょっと関係していたこともあって、大量に届けられた壊れた家具を父ちゃん一人で直すことを知って、父ちゃんが激怒。それが原因で父ちゃんと母ちゃんが喧嘩をして、それぞれに家を出て行ってしまいます。ある意味、父ちゃんと母ちゃんのプチ家出。

父ちゃんの都合も聞かずに修繕の仕事を引き受けたのも悪いし、その前に朝に父ちゃんが修理したラックの件もあって、父ちゃんが大工の腕を振るうことを喜ぶと思い、町内会に行けなくて気まずい思いをしている母ちゃんの気持ちも軽くなると思って、岡田さんの話にのって、修繕家具を集める為の宣伝をした長太郎が父ちゃんに殴られて怒られるのも気の毒で、そんな長太郎を庇う母ちゃんの気持ちも分かって、なんというか、昔は父ちゃんがすぐに引き受けてくれたら、丸く収まるのにって思っていたのに、私自身が社会人になって働くようになると、父ちゃんの会社での辛い立場や自尊心を傷つけられた気持ちが分かるようになると、父ちゃんの都合も聞かないままに、話を進めてしまう方も酷いなって思うようになりました。

カヨちゃんは2人が性格の不一致で離婚するんじゃないかと心配し、今は女だからと我慢する時代ではないと言い出します。父ちゃんも母ちゃんも悪くないのに、それぞれがいる環境の立場の中で、心無い言葉をかけられたり、心苦しい思いをしていて、組織や集団の中で生きて、生活する大変さを強く感じます。

父ちゃんは家では、仕事のことを一切話すことなく、怒りだけを家族に見せていて、母ちゃんが仕事で何かあったんじゃないかって問いかけても、答えてくれませんでしたが、この後、家を出てしばらくして、お腹を空かせた状態で家に帰るに帰れないでいた時に寺山先生にあって、そこで、屋台のおでんを寺山先生におごってもらいながら、職場であった嫌なことを話していて、そこで、父ちゃんが不機嫌なわけや家具の修繕を断ったわけが分かるのですね。それを聞いて、なんとタイミングが悪かったのかと思いました。

嫌味を言う人

今回見ていて思うのは、立場を利用して人の心を傷つける一言の嫌味を言う人間って最低だなってことですね。なんというか、自分が正義で相手が自分に文句が言えない人間には、その人の心を傷つけてもいいんだっていう大義名分を持っている人は、躊躇いもなく人を平気で傷つけることが出来る。自分が正しいと思っているから、相手を傷つけたことに全く自覚がない。人に暴力を振るった加害者だという自覚が全くないんだなって思いました。

今回の母ちゃんに対する岡田さんの言葉もそうですし、父ちゃんの職場で父ちゃんのアイディアを否定し、若い社員達の前で父ちゃんに恥をかかせた江藤支社長もそうです。ドラマを見ていて、今、私が生きる現実世界を省みてしまいました。ドラマを見て思い出す実体験から、人の心を傷つける人は自分が傷ついていなくて痛みを感じないので、人の心の痛みに鈍感なんだと思いました。

傷つけられた人がどんな思いになるか、その家族がどんな影響を受けるかを考えない。他人の家庭が壊れたとしても、気にもかけることなく、その家庭の問題の自己責任で自分には関係がないと思う人達が多い。

人を攻撃してダメにすることで、その人がいたことで成り立っていたことが出来なくなって、自分にその分の仕事が回ってきて負担が増えて、さらに自分よりも立場の上の人から攻撃されて、被害者になったとしても、加害者としての自覚はないから、自分が傷つけた被害者のことを思いやることもない。そういう、嫌な循環が巡っているのが今の時代なんだなって思いました。

『男!あばれはっちゃく』77話、今回の話では、傷つけられた母ちゃんや父ちゃんが、それぞれを思う心によって救われる形になっていて、救いのある話になっていることに安心しました。ただ、これが40年以上前のドラマの架空の話で、現実は残酷な一面もあるんだって分かって見ていると、やるせなさをとても感じてしまいました。

折り合い

カヨちゃんは女でも我慢しないで離婚する時代と話していましたが、夕食の買い出しで母ちゃんにあって、母ちゃんが食事の支度があるからと家に帰ると話した時に、「やっぱり女は簡単にうちを捨てられないのかしらね」と言っていて、そこに女の立場の弱さとか、家庭に対する愛着とかを感じたのかなって思いました。

『男!あばれはっちゃく』77話

断ち切ろうとしても、断ち切ることが出来ない存在ってありますし、今回の父ちゃんと母ちゃんの場合は、お互いに話し合いをして、それぞれの立場や気持ちが分かれば、和解出来る案件でしたし。世の中には、そういう関係ではない対等な関係ではない夫婦関係もあって、そういう意味では父ちゃんと母ちゃんは比較的対等な関係にあると思うんですよね。ただ、父ちゃんは「なにかっていうと、むこうは団体できやがる」と文句を言っているので、父ちゃんからすると、多勢に無勢なんで対等ではないのでしょうけれども。

悩みを打ち明けられる相手

今回の話で母ちゃんの話相手が章の母ちゃんであること、その関連で章の母ちゃんの名前がキミヨさんだと分かりました。母ちゃんの悩みの相談相手が章の母ちゃんであるというのは、48話の「デコボコ母ちゃん」(脚本・三宅直子さん、川島啓志監督)があってこそなんだなって思って、そういうとこでも前の話で作られた人間関係が生きているなって思いました。残念ながら、章の母ちゃんは母ちゃんが訪ねた時に留守で、話をすることは出来なかったのですが、何かあった時に相談できる相手がいるのは大事だなって思いました。

一方、父ちゃんの方は寺山先生とあったことで、家族には言えなかった会社での辛い話を寺山先生に話すことが出来たのが良かったと思います。この時に、父ちゃんはお金も煙草も持たずに家を出てしまったので、寺山先生におでんを奢ってもらっているのですが、煙草も催促して、ちゃっかり自分の胸ポケットにしまってしまうというのが笑いを誘いました。

『男!あばれはっちゃく』77話より
『男!あばれはっちゃく』77話より

父ちゃんが活躍する話と思っていた

今回はサブタイトルや冒頭で父ちゃんの大工の腕前を見たことで、父ちゃんが活躍する話だと思いましたが、実際は母ちゃんがメインの父ちゃんと母ちゃんの夫婦の話だったなと思いました。また、それぞれの社会で生きる大人の話でもあったなって思います。人を都合の良いように使う人間、人の心を平気で傷つける人間の道理のなさや優しさのなさ、ずうずうしさに対して長太郎が怒る姿には、父ちゃんや母ちゃんを思う優しさがあって、そういう心に父ちゃんも母ちゃんも救われているんだって思います。

父ちゃんが家に帰ってきて、長太郎や岡田さん達町内会の人達のやり取りを見て、母ちゃんの立場を見て、絶対にしないと決めていた家具の修繕を引き受けた時に、家族を思う気持ちが傷ついた気持ちよりも勝ったのかなって思いました。自分が大切にされていると分かった時、まだ、相手に立ち向かえるだけの力が残っている時に、人は強くなれるんだなって、父ちゃんの姿を見て思いました。

『男!あばれはっちゃく』77話より

「皆さん、ここは、あっしが桜間一家の名誉にかけて、直してお返しいたします」

父ちゃんの仕事の件も、この後の修繕の作業の中で、長太郎の一言でうまい具合に折り合いがついて纏まって、父ちゃんの方の蟠りもなくなって解決したのが良かったです。父ちゃんの「ひらいめいた」もありましたしね。なんというか、物もそうなんですけれども、人を大切にすることの大事さ、人の心を傷つけることの罪と酷さを教えてもらえた話でした。

世の中には、恩を仇で返す人間もいますし、私自身が不義理をしたことがある人間なのでこんなことを言う資格もないのを承知で書きますが、人を思いやる気持ちを大切にしなければと強く感じた話でした。