柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』72話「怒れ!桜島」感想

『男!あばれはっちゃく』72話より

1981年8月22日放送・脚本・市川靖さん・松生秀二監督

初代長太郎役吉田友紀さん登場

今回の話の目玉は初代長太郎役の吉田友紀さんが2代目に初めてゲスト出演されていることです。吉田友紀さんが演じる役は鹿児島から来た中学生の島津隼人さん。吉田さんが演じる隼人さんは、信一郎と洋子さんと河原で最悪な出会い方をして因縁関係になり、夏休み長太郎達の付き添いで行った鹿児島の桜島で信一郎と決着をつけることになります。

また、九州にいく船の中でも、信一郎と隼人さんは不穏な関係になり、一方で信一郎と隼人さんの関係を知らない状態で、長太郎は隼人さんと出会って仲良くなっていきます。信一郎と隼人さんの間で起きた出来事を見ていくと、隼人さんがとても意地悪で嫌な奴に見えるのですが、長太郎と一緒にいる時は、とても気の良い人に見えます。

『男!あばれはっちゃく』72話より

そもそもは、信一郎が投げた物が河原で寝ていた隼人さんの頭に当たったのがきっかけなのですが、その後で隼人さんが信一郎にした仕打ちは度が過ぎていると感じました。それに信一郎はワザとしたのではなく、投げた先に隼人さんがいたことを知らなかったというのがあり、また、怒って結果的に信一郎を川に突き落とした隼人さんはやりすぎだったかなって。

それは話の都合上信一郎と洋子さんにとって、隼人さんが嫌な奴にならないといけないからの行動なのだろうと思っても、初代長太郎が最初は嫌な奴として登場してきたことは、この話を子どもの頃に見た時は、子ども心にショックな登場でした。今回、吉田友紀さんが演じたのは初代桜間長太郎、あばれはっちゃくではないけれども、吉田友紀さんの姿を初代長太郎として記憶していた子どもの頃の私には、あの成長した長太郎がこんな奴になって戻って来るなんて!というショックがありました。

だから、その後で2代目長太郎と知り合って、隼人さんがいい人だと分かると、ああやっぱり、初代長太郎だものねと安心しました。今なら、役者が別の役を演じているのだから、同じ俳優の吉田友紀さんが演じていても、初代長太郎と隼人さんは別人格の別人だと認識して見ることが出来るのですが、特に子どもの時には、わあ、初代長太郎だ!あれ、長太郎が意地悪なのは何で?という感覚で見てしまっていたのですね……。

私の他にこんな感じで、2代目『男!あばれはっちゃく』にゲスト出演した吉田友紀さん演じる島津隼人さんを見た人はいないでしょうか……。

隼人さんの思い

隼人さんは東京に憧れて鹿児島から出てきましたが、東京の学校に馴染めずに鹿児島に帰ることに。船の中で東京に別れを告げながら、中学のバッチや生徒手帳を海に投げ捨てようとしましたが、生徒手帳だけは投げ捨てることが出来ませんでした。ここでの描写が後で、隼人さんの生徒手帳を燃やそうとした長太郎の行動を止める動きに繋がってきます。

隼人さんが生徒手帳を燃やすのを止めた行動には、東京に馴染むことが出来ず、鹿児島に帰る決意をしても、東京に未練があること。未練があるというのは、自分の中で燻っている感情があって、その感情を持て余していて、どう処理をしたら良いのか分からないで困っていたんだなって思いました。その困っているイライラの感情が、信一郎に物を当てられたことで爆発して、その当てた相手の信一郎に八つ当たりをする形で発散していたのかなって。

八つ当たりの標的にされて、川に落とされたり、大事な単語帳を海に落とされてしまった信一郎にとっては、いい迷惑だったと思います。いつもは優しい信一郎が隼人さんの行為を許すことが出来ずに決闘を申し込むというのは、相当な覚悟と怒りがあったんだなって感じました。実際に決闘をすることを長太郎に話す信一郎の言葉と表情にその決意を見ることが出来ます。

ドラマを見ている方は、隼人さんの感情や長太郎に対していい人である姿を見て、その気持ちをおもんばかることが出来ますが、信一郎や洋子さんの立場、視点から見たら、そんなことは分かりません。現実でも、嫌だなって感じる人の行動に、その人個人が何かに悩んでいることだって、あるのかもしれません。

でも、人の心が読み取れる超能力者じゃない限り、そんなのは無理なことですよね……。その相手と何かしらの付き合いがあれば、ある程度の想像をすることは出来るかもしれませんが、あくまでも、想像するだけで、それが当たりとも限りませんし。

本来の隼人さんの目覚めに期待

長太郎は洋子さんと一緒に信一郎の決闘を見に行きます。そこで、自分の兄の信一郎の決闘の相手が隼人さんであることを知ります。隼人さんは決闘をすることなく、それまでの信一郎に対しての非礼を詫びて去ろうとしますが、その隼人さんを長太郎が引き止めます。この時に長太郎が隼人さんに対して言う言葉は、やはり一度は群馬に逃げ帰ろうとした長太郎の言葉だからこその重みを感じました。

『男!あばれはっちゃく』72話より

「隼人さんは兄貴をコケにする気か」

「兄貴?そいつはお前の兄貴か」

「ああ、ガリガリの点取り虫だ。だけどな、一人で決闘しに来たんだぞ。負けてもいいって、覚悟して来たんだぞ。その兄貴の気持ちをどうしてくれるんだよ!」

「俺は決闘に応じたんじゃない!」

『男!あばれはっちゃく』72話より

「待て!逃げるのか!東京から逃げて、学校からも逃げてきたんだろ、なんでぃ、船の中じゃ、あんなかっこいいことばっか言っちゃって、兄貴の方がよっぽど男らしいや、隼人さんは負け犬だ!」

『男!あばれはっちゃく』72話より

「負け犬」

この後で、長太郎は隼人さんがいらないと言った隼人さんの生徒手帳を燃やそうするのですが、先に書いたようにその行為を止めます。隼人さんの中で燻っていた感情、東京に対する未練、憧れと違った現実との折り合いがつけられなかった自分自身に対する苛立ちが、長太郎の言葉によってはっきりしたんじゃないかなって思ったのですね。

多分、隼人さん自身の中で長太郎に言われる前に、自分自身が東京の生活に負けたという感情があったのではないかなって、私は思いました。ただ、それを認めてしまったら、自分自身が惨めになってしまう。

自分の体裁を保つためには、東京の奴らはダメだと決め付けないとダメだった。体を鍛えることよりも、机の勉強を優先するような東京の人間なんてという思いが、その東京を象徴するような存在の信一郎が目障りだったから、最初の出会いのきっかけも相まって、信一郎に酷い態度を取っていたんだろうなって。

そんな最低で弱い自分を認めることが隼人さんにとって、とても辛いことだったんじゃないかなって。長太郎は隼人さんを強く責めたけれど、私は自分の非を認めて、信一郎に謝りに来た隼人さんも、また、信一郎と同じくらい勇気があって、漢らしかったと感じました。

この段階で、隼人さんを漢らしいと感じたのは、今回、感想を書く為に改めて見直して初めて感じた感情でした。やはり、最初は長太郎の言うように、信一郎の勇気と漢らしさの方に目がいってしまっていたからです。今回、見直してみて、この話は信一郎も隼人さんもそれぞれに漢らしかったんだなって思いました。

この話で、隼人さんが負け犬だというのは、それまでの隼人さんをみていると、とても納得できるし、そういう人物として話が書かれています。でも、その中にも隼人さんの良い面も表現されていて、さらにこれはメタ的な要素になってしまうのですが、初代『俺はあばれはっちゃく』も見ていた視聴者(特に子どもの視聴者)にとっては、「あの初代長太郎が負け犬なわけない!」という強い思いも重なっていたのだろうと思います。

そういう思いが視聴者にあるから、本来の隼人さんが目覚めるのを(特に初代はっちゃくを見ていて大好きだった子どもの視聴者)見ていてた子ども達は待っていたと思います。少なくとも私は待っていた一人でした。だからこそ、隼人さんが「桜島は俺の故里だ泣かせたくないからな」と笑顔を見せてくれた時に、ホッとすることが出来たのだと思っています。

『男!あばれはっちゃく』72話より

42年以上経って

吉田友紀さんが演じていても、初代長太郎と隼人さんは別人。同じ人物ではないのに、私は悪い癖で初代長太郎と隼人さんを同一人物だと重ねて見てしまいます。これは、別の役を演じている俳優の人に対してとても失礼なことだと思いながら、頭で分かっていても、感情を切り離すことが出来ません。

吉田友紀さんに限らず、『あばれはっちゃく』でスピンオフで別役で出演されてた方々は、どうしても前作の役と重ねて見てしまうのです。それゆえに、どうしても、ドラマと現実の俳優の人達のその後の人生に影響があったのだろうという考えも生まれてしまいます。

現実の俳優の方達がどのような人生を歩み、どのような気持ちや考えで生きてきたかなんてことは知る由もないのに、僅かに分かる出来事やインタビューの言葉から、こんな思いだったのかな、こんなことを考えていたのかなって思いを馳せてしまいます。

そして、未来を知った形でドラマを見ていると、これは現実ではないけれども、ドラマの中での話も現実の生き方に大きく影響を与えていたのではないだろうか……と考えてしまいます。見ている子ども達にも大きな影響を与えた作品は、出演していた子役だった人達にも大きな影響を与えたのではないか、と私はそんなふうに思ってしまうのです。