柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

父ちゃん(東野英心さん)の命日に寄せて

『俺はあばれはっちゃく』4話より

東野英心さんの21回目の命日

今日は『あばれはっちゃく』シリーズで、父ちゃんこと桜間長治を演じた東野英心さんの21回目の命日です。父ちゃんを演じた東野英心さんは2000年11月14日に58歳の若さで亡くなりました。東野さんは様々なテレビドラマ、時代劇、特撮、ラジオドラマ等、多くの作品で俳優として活躍されましたが、私にとっては、やはり『あばれはっちゃく』シリーズの父ちゃんでした。

私よりも少し上の世代の人には(同い年の人でも)、『ウルトラマンタロウ』(1973年)の副隊長やNHKの『中学生日記』の先生役の印象のある人の方が多いのかもしれません。だけども、1974年生まれの私は1973年放送の『ウルトラマンタロウ』は子どもの頃に再放送に恵まれず、また、私が『中学生日記』を見始めたころの先生役は岡本富士太さんだったので、こちらの2つの作品での東野さんの印象が子どもの頃にないのです。

大人になってから、DVDやCSの再放送を見たり、ブログのコメントで頂いた情報で東野さんはこんな役を演じていらっしゃったのかと後付けで知っていったので、どうにも私の中では、幼いころから刷り込まれている『あばれはっちゃく』の父ちゃんのイメージが強くあります。

父ちゃんメインの大枠の話の形

あばれはっちゃく』シリーズには、前の代の話と似たような話、同じテーマ、同じ構造の話があると以前も記事で書いてきました。昨日は、初代39話、2代目30話、3代目35話、2代目2話、3代目2話について、明日以降に書くと書きましたが、その予定を変更して、東野英心さんの命日にちなんで、父ちゃんがメインの話で各代の『あばれはっちゃく』の話で私が話の構造、骨組みが同じだなと感じた話について書いてみようかなって思います。4代目が抜けていますが、4代目でも同じだなって感じた話を見たらその時に記事したいと思います。

あばれはっちゃく』を見ていくと、父ちゃんの仕事が軽く見られるものの、父ちゃんの仕事のスキルの高さに父ちゃんを見直すという大筋の話がいくつかあります。最初にその兆しが見えたのは山根優一郎さんが書いた初代の2話でメインの話の一部になっていたなって感じたのは田口成光さんが書いた初代の4話でした。

けれども、初代4話は後の初代18話、37話、2代目7話、3代目3話、5代目7話と比べると、ちょっと違っていて、父ちゃんを馬鹿にされたことに長太郎が腹を立て、後に父ちゃんを馬鹿にしていた周囲が父ちゃんを見直す展開になっていくのですが、初代4話には、そういうのをあまり感じません。

初代4話では父ちゃんの大工職人としての確かな腕の必要さと家族を養うために、どんなに理不尽で悔しくても、会社の命令に背くことの出来ない悲哀、その父ちゃんの仕事の影響を受けてしまう子ども(長太郎)の辛さ、悔しさがメインになっていて、長太郎は自分との約束を父ちゃんに守らせるために、父ちゃんを騙してしまうのですが、長太郎は父ちゃんが人の下につかなくても、大工の棟梁として仕事をしていけるという信頼を持っているということが、話のラストで父ちゃんに涙目で訴える言葉に込められています。

初代4話では長太郎が父ちゃんについての作文を書いて発表していて、そこで父ちゃんが月給で30万もらってきたと書いて、正彦から父ちゃんの上役の自分の父親よりも高い月給を貰っているなんて嘘だと言われてしまって、長太郎が切れる場面が話の冒頭にあります。長太郎は正彦の言葉に対して、父ちゃんが今のデパートに務める前に、30万円の月給を貰ってきたと反論しています。

初代の父ちゃんの職場は駅前デパートで、大工の腕を生かしてデパートの内装、改装の仕事をしています。父ちゃんはデパートの内装の仕事をする以前は、多分、大工として工務店などで働いていたのかもしれません。長太郎はその時に、自分の父ちゃんは大工の腕一本でこれだけ稼げる腕のいい大工なんだと思っているんだろうなってことが、4話のラスト近くで父ちゃんにいう言葉に込められていたように思いました。

ただ、4話ではヒトミちゃんを動物園に連れて行って、パンダを見せるという長太郎の思惑の方が目立っていて、父ちゃんはその長太郎の思惑に巻き込まれてしまったという印象の方が強くあって、父ちゃんの仕事の理不尽さ、長太郎の父ちゃんの職人としての腕をリスペクトしている印象が少し薄いかなって思います。

それでも、父ちゃんの仕事場に連れられて行って無理やり手伝いをされ、正彦の父の吉井部長にペコペコするしかない父ちゃんの姿を見た長太郎のやり切れない思いと、長太郎の言葉に返す言葉がなくなった父ちゃんの悲しい顔に父ちゃんの仕事の辛さを見ることが出来ます。

初代18話、37話

ここで、3代目3話、5代目7話に入る前に外せないのが、初代18話「友情と引っ越しソバマル秘作戦」37話「父ちゃん社長だマル秘作戦」と2代目7話「逃げるな親父マル秘作戦」です。初代18話の脚本は安藤豊弘さん、37話の脚本は市川靖さん、2代目7話の脚本は安藤豊弘さんです。市川靖さんも安藤豊弘さんも、田口成光さんも同じように初代から5代目まで『あばれはっちゃく』シリーズの話を書いてきた脚本家です。

初代18話「友情と引っ越しそばマル秘作戦」(安藤豊弘さん脚本)は、父ちゃんの仕事に疑問を持った吉井部長に対して、長太郎が抗議していて、ここで長太郎が父ちゃんに対して、父ちゃんの仕事の腕に対して自慢に思っているかが分かるんですよね。

初代37話では吉井部長が仕事をめぐって喧嘩をして、父ちゃんが仕事を辞めてしまい、知り合いの工務店に仕事を貰いに行くものの代替わりしていたり、発注してもらえる仕事がなくて苦労します。一方で吉井部長の方は、父ちゃんが辞めてしまったことで仕事の出来る人がいなくなって困り果て、父ちゃんがどれだけ職場に必要な人材であるかを身をもって知ることになります。

4話では少し弱かった長太郎の父ちゃんへの仕事へのリスペクトが分かりやすく出ていて、37話では4話で長太郎が父ちゃんに独立しろと言っていたのが実現しながらも、確かな職人の腕がありながらも、それだけではままならない現実の厳しさが浮き彫りにされています。ゆえに父ちゃんが4話で長太郎の言葉に詰まった理由が分かるようになっているのですね。

初代ではそれぞれに別の脚本家が連続してではなく、作品の要所要所で父ちゃんがどれだけ仕事の出来る人か、職場に必要な人材であるか、長太郎が父ちゃんを誇りに思っているかが書かれていて、それがシリーズとおして書かれているので、父ちゃんはとってもすごい大工なんだということとそれとは別にそれであっても現実は厳しいという認識になっています。

4話では仕事を辞めることが出来なかった父ちゃんが37話では仕事を辞めると言い出すのは、吉井部長に人として自分の人格、品性を疑われたことに対しての悲しさから来ていて、これは本当に吉井部長が悪かったなって思うし、父ちゃんも自分は吉井部長に信頼されているという自負があったと思うんですよね。

4話の父ちゃんが我慢できたのと、37話の父ちゃんが我慢できなかったのは、我慢するものが違っていたからではないかなって思います。父ちゃんは人としての生き方や職人としての仕事、仕事道具をとても大事にしていて、それをけなされたり、ないがしろにされたりすると我慢が出来ないんだろうなって思います。

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2代目7話

2代目7話「逃げるな父ちゃんマル秘作戦」でも父ちゃんは上司の佐藤部長と喧嘩をして仕事を辞めると啖呵を切ってしまうのですが、これは佐藤部長が父ちゃんの大事な大工道具の鋸をダメにしたから。やはり父ちゃんにとって自分の仕事に対しての理解のない佐藤部長の言動は看過できないものだったんでしょうね。これは、初代の父ちゃんが吉井部長に怒ったのと同じ理由から来ているので、こんなところからも父ちゃんのシリーズを通した性格の一貫性を見ることが出来ます。

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3代目3話

ここで3代目3話になります。父ちゃんの仕事と立場を最初に『あばれはっちゃく』シリーズで出してきたのは、前に書いたように初代2話を書いた山根優一郎さんだと思いますが、それをもう少し広げたのが田口成光さんが書いた初代の4話で、さらにそこに長太郎の父ちゃんの仕事を尊敬している思いをはっきりさせたのが初代18話の安藤豊弘さん、父ちゃんの腕と現実との折り合いの難しさを書いたのが初代37話の市川靖さんの脚本だったと思います。

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それを経て2代目7話でも初代で培った父ちゃんの仕事への姿勢と父ちゃんに対する長太郎の父ちゃんを誇りに思う気持ちと父ちゃんの仕事に振り回される子ども(長太郎)の辛さ悔しさがあって、初代と2代目が父ちゃんを馬鹿にされたことに対して怒る長太郎が存在していながらも、自分の感情(初代4話でヒトミちゃんと動物園に行きたい、2代目7話でみゆきちゃんと別れて群馬に帰るのが嫌)を優先しているのがあるのに対して、3代目3話ではその長太郎の自分勝手な思いが薄くなった印象を受けました。

初代長太郎と2代目長太郎の父親の仕事の都合で自分が振り回されてしまうことに対して腹を立てしまうという子どもが大人の都合に振り回されてしまうことの子どもの非力さが山中恒先生の原作にあるので、ドラマではドラマでそれをまた違った形で描いたんだろうなって思いました。

父ちゃんが最初軽んじられる、その後で父ちゃんの凄さが分かって、見直されるという形の話は『あばれはっちゃく』シリーズの定番の話の一つだと思いますが、それは段々といろいろな脚本家によって要素が付け足されたり、再構成されたことで出来上がっていった話の形なのではないのかなって見返してみて思うのですね。

初代4話で田口成光さんが作ったものが、市川靖さん、安藤豊弘さんの話で足されたものでさらに輪郭や内容、父ちゃんの気持ちや長太郎の気持ちが明確になった上で、3代目で再び田口成光さんの手に戻って、父ちゃんの仕事に対する姿勢、父ちゃんの大工職人3代目では宮大工としての腕、長太郎の父ちゃんを思い尊敬する気持ちがシンプルながらも深くしっかりと出ていたと思いました。

5代目7話に関しては下記の記事で書いているので、そちらを読んでくれると嬉しいです。

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