柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

社会的立場

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

「うるせぇ!そんなの知るか!元でべそ!」
「まあ!」
「おやすみ!」

第2話の食卓でてるほが父ちゃんに新しく転勤してきた吉井部長に挨拶に行くべきだと言った時に長太郎がそれに反対して、てるほと喧嘩になる場面があります。この時に長太郎がてるほにいう言葉がともて子どもぽっく感じます。その前の場面で長太郎は父ちゃんが吉井部長(正彦の父親)に怒られて仕事をしているのを見ています。この時の長太郎は逆にとても大人っぽい印象を受けます。

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『俺はあばれはっちゃく』2話より

(父ちゃん、あいつの親父に頭上がらないのかな?)

自分の尊敬する父ちゃんが怒られて頭が上がらない姿を見ていて長太郎は悔しさと淋しさを感じているはずです。悔しさというのは自身の悔しさよりは父ちゃん側にたった悔しさだと私は思います。長太郎が悔しいのは自慢の父ちゃんが吉井部長の部下というだけで下に見られていて低く見られているのが嫌なんだろうなと私は思うのです。恵子ちゃんの誕生日会で正彦の父親と自分の父ちゃんが比較された時の悔しさがそれを更に大きくしていたように感じます。

「大工は腕が勝負だって、いつも言っていたじゃないか!」

と言ったのも会社の地位や立場だけでない父ちゃんの大工としての腕の凄さを長太郎は誇りに思っていて、だけどそれよりも会社の地位や立場や肩書で見る、見られてしまう父ちゃんの淋しさ悔しさを思うと長太郎は悔しかったんじゃないかなと思うのです。長太郎だって、てるほが言っている事は分かっていたんだと思います。だから、「父ちゃん、あいつの親父に頭が上がらないのかな?」と思って淋しくそして悔しく正彦の父親を見ていたのだと思います。

そうした大人の事情が分かっている部分とそれでも悔しくて収まらない子どもの部分があった長太郎があの時、てるほに叫んでしまったのは、てるほがその分かり切った部分を指摘してきたのが悔しくて…そう…分かっている事を指摘された時にかえってムカつく時のように、叫んでしまったんだろうなと私は思うのです。

この後に続く第4話、第18話、第37話を見ていくと仕事の中での父ちゃんの立場を見ていく事が出来て改めて家族を持って仕事をしていかなくてはいけない父ちゃんの辛い立場やそうした父ちゃんを誇りに思っていて大好きな長太郎の父ちゃんの辛さを分かっていて父ちゃんの味方でいる長太郎の優しさを感じる事が出来ます。

第14話で長太郎は父ちゃんの恩師の大熊先生が長太郎の家に泊まり、長太郎の部屋で一緒に寝た大熊先生と長太郎は父ちゃんのことで語り合います。

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『俺はあばれはっちゃく』14話より

「俺の父ちゃんは父ちゃんだ。いくら子どもの時の成績が悪いからって言ったって良い父ちゃんだ」
「そうだ!お前の父ちゃんはいい父ちゃんだ。だから、お前みたいな良い息子がいるんだ」
「父ちゃんは良い奴だ。実に良い奴だ。優等生も劣等生も人間は成績だけじゃない。学校の成績だけで人間を評価しちゃいけないんだ。どうだ?長太郎?分かるか?」
「分かんねー」
「はは、今は分からなくていいだよ」

学校の成績、会社の地位、それもその人が頑張って得たものだからそれも人間を評価する目安にはなると思います。だけど、やっぱりそれだけで人間を見るのは勿体ない。人間はそれだけで評価されるほど単純ではないのだと私は思うし思いたいのです。

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私事:まだ小を見ていて大をみていない。まだまだだ。