柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

上野郁巳さんと春田和秀さん

上野郁巳さん

春田和秀さんと上野郁巳さんは、昭和時代に活躍されていた子役の方達です。お2人とも、何度かこのブログで紹介していて、上野さんは『俺はあばれはっちゃく』(1979年~1980年・テレビ朝日)16話に文太役で出演していますので、このブログに訪問してくださる方には馴染みのある子役の一人だと思いますし、また『ウルトラマン80』(1980年~1981年・TBS)のハカセ(上野博士)役としてウルトラマンシリーズのファンの方達にも知られていると思います。

このブログでも以前、上野さんが『それ行け!カッチン』(1975年・TBS)23話に金田哲夫役にゲスト出演し、その演技がスタッフに好評で、最終回までレギュラー出演したことを紹介しました。

上野郁巳さん

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上野さんに関しては、わらさんが動画で『熱中時代』(1978年~1979年・日本テレビ)、16話、『俺はあばれはっちゃく』16話に出演した上野さんを紹介されています。また、上野さんは、1977年3月26日公開の映画『はだしのゲン涙の爆発』(共同映画)に出演され、主人公ゲンの弟役を演じています。この時に、主人公ゲンを演じたのが春田和秀さんです。

春田和秀さん

春田和秀さん

春田和秀さんは、近年、ご自身が子役として活躍されていた話をメディアで語るようになりました。このブログでも、かつて紹介しましたが、樋口尚文さんの著書『昭和の名子役』でのインタビュー、また、その著書を紹介するウェーブ記事での樋口さんとの対談。映画.COMのインタビューなどで子役時代のことを語っています。

“伝説の名子役・春田和秀(少年・本浦秀夫役)がはじめて語る『砂の器』の現場” 前編 | 映画『砂の器』シネマ・コンサート | PROMAX

eiga.com

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春田さんがメディアで子役時代について語るようになったのは、2017年なのですが、実は、それ以前の2011年に、このブログに春田さんからコメントを2回頂きました。一番最初にコメントを頂いたのは、2011年11月3日の記事、その次が2011年4月19日の記事です。

2011年11月3日の「吉田友紀さん…かな?」へのコメント。

春田和秀

吉田友紀君と当時良く仕事をさせて頂いた 春田和秀 と申します。突然お邪魔してすみません。最近自分探しというか心の整理ができ色々拝聴させて頂き
返信コメを残して行こうと、皆様への挨拶が遅くなり反省しております。今現在ではまったく違った仕事に就き努力しようと考えており、まずはこの様に
コメを出来るだけお返しできるようにしていこうと考えております。吉田君とは仲良くさせて頂き当時何本か同作に出演していました。当時はかなり忙しかったと記憶に
残っています。突然のお邪魔すみませんでした。。。。。春田和秀。。。。

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2011年4月19日「わが子は他人」の記事へのコメント

春田和秀

こんばんは、コメント色々拝聴しました。先ほど吉田友紀君にコメを残しました、春田和秀と申します。色々皆様にご意見や感想を拝見させて頂き驚きと自分の存在に気がつきました。
今は素直な気持ちでコメを残したいと思い、皆様にこのようなお返しでいいのか?。。出来るだけご返事できるよう頑張っていこうと思いますので宜しくお願いいたします。
今は、フェイスブックで公開していますが、昔の面影はないかもしれません。でも新しい仕事で頑張っております。又機会がありましたらお邪魔します。有難うございました。
春田 和秀 。。。。。

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このコメントを目にした時は、以前も書いたのですが、とてもびっくりしてしまって、と、同時にとても恥ずかしく思いました。記事の内容が、本当に素人の推測、妄想満載の内容だったから。今、春田さんが本やネットのインタビューなどのメディアで子役時代を語るようになってから、12年前にこのブログに書かれたコメントを読み返して思ったのは、このブログが微力ながら、春田さんが子役時代を語る一つのきっかけになっていたのかなってことでした。

春田さんは、1974年公開の『砂の器』、1977年『はだしのゲン涙の爆発』、テレビドラマ『わが子は他人』(1974年・TBS)、『がんばれ!レッドビッキーズ』(1977年・テレビ朝日)等、多くの映画、テレビドラマに出演され、活躍されていました。もう、記事がないのですが、かつて『砂の器』で共演された丹波哲郎さんが「あの子が今も俳優を続けていたら、素晴らしい俳優になっているだろう」と回想されていたネット記事を目にしたことがあって、この時から演技を高く評価されていた名子役の一人だったんだなって思いました。

春田さんは、上記で紹介したリンク記事でも、私のブログのコメントでも語られていますが、子役時代は同じ年で『わが子は他人』で共演した吉田友紀さんと仲良くされていたようです。周囲が大人だけで、同い年で、しかも、病院で取り違えられた少年同士という役柄もあって仲良くなったのかなって思いました。ちなみにこの少年の性格は正反対で、春田さんが演じた一郎が活発な少年、吉田さんが演じたあきらが大人しい少年役でした。

また、今回、この記事で取り上げている、上野さんとは、映画『はだしのゲン涙の爆発』で兄弟役を演じたことは、既に紹介しましたが、上記で紹介した映画.COMの記事で、春田さんは上野さんとは、当時、同じ小学校に通っていたことを話されています。以下がその部分の引用です。

春田:「はだしのゲン」では「熱中時代」などに出ていた上野郁巳君が弟役で、同じ学校に通っていました。お仕事では一緒だけども、学校では会わない。会うと反省会をするけども、友達ではない。仕事仲間という関係でした。実は、うちの学校でも学校上映があって、嫌な思いをしたことがあるんです。「はだしのゲン」は僕が主役を演じた映画ではあるけれども、みんなの映画、教材というという変なプロ意識があったんです。だから、上映される時は騒がないようにしてほしい、目立たないようにしてほしかった。ところが、学校の人に勝手に紹介されてしまった。学校関係者は、自分の学校の生徒が出ているということを自慢したかったのかもしれませんが……。

春田さんのメディアでのインタビュー記事を目にして思うのは、子役時代を語るのには、心の整理をいくつもして、自分の心の中でしっかりと過去を昇華しないといけなかったのかなということでした。良い思い出だけがあるわけでもなく、嫌な思い出もあって、当時、子ども心に子役であったことで、心が傷ついた感情もあって、そうしたことも含めて子役時代の過去を語るというのは、かなりの勇気が必要だったと思うのです。

小さな個人ブログでも語り継ぎたい

春田さんや上野さんが子役時代に出演されていた時代のドラマが好きなファンの一人としては、こうした貴重なお話を知ることが出来るのは、とても、嬉しく喜ばしいことなのですが、それを語る人間にとって、大きな心理的負担であると知った時に、今では芸能界を引退され、一般人として生活されている方達の過去を探るのは失礼なことなのではないかと思ってしまいます。

ただ、ご本人が過去の自分の活動と向き合って、それを語りたいと思われたのなら、過去に自身が懸命に取り組んだことを伝えたいと考えて、自身の心の中で整理がついて、語ったのなら、それをファンの一人として受けとめて、微力ながらでも語り継いでいきたいと思いました。

とても小さく目立たない影響力のない個人ブログですが、このブログがその一助になっていければと思います。