柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

前も後も長太郎

 今はネットやDVD等で長太郎を演じる前と演じた後の吉田友紀さんの長太郎以外の役を見る事が出来ます。それらを見た人達の感想などをネットで見てみると、『俺はあばれはっちゃく』(1979年)の長太郎を知る殆どの人達がその別の役の中に長太郎の姿をみている事が分かります。『ウルトラマンダイナ』(1997年)に出演した吉田さんを見た人達のコメントでは『ウルトラマンダイナ』に出演した吉田さんを見て「成長した長太郎」だというコメントが多かったです。

 私も同じです。私が吉田さんを最初に知ったのが長太郎で長太郎は私にとって吉田さんの出発点であり、基本になっています。だから、それ以外の役での吉田さんを見る時にそこに一番原点である長太郎の姿を探してしまいます。

ウルトラマンダイナ』で演じたケンジは長太郎ではないのに、長太郎を知っている人たちが見ればそれは大人になった長太郎に見えてしまう。長太郎を演じた後ならば、それも仕方がない事なのかもしれませんが、それ以前の『ウルトラマンレオ』(1974年)の桃太郎君も長太郎に思われてしまうのは、なんというか…これも仕方がない事なのかもしれません。

でも、私は長太郎以前の吉田さんに会って長太郎の面影を(いや長太郎を演じる前、まだ吉田さんの中に長太郎のいない時代なのだから、面影とは言わないか…)探す事が出来ませんでした。長太郎と同一人物である事は分かりますが、彼らは長太郎ではなかった。次郎も、智も、新ちゃんも、良一君も長太郎だと思おうとしても思えなかった。
外見は良く似ているけれど、彼らは長太郎とは違う別作品の別世界の別人。時々、強い意志を感じる目が長太郎に似ていると思う時もありましたが、それでも長太郎を感じる事は少なかったです。もし、それ以前の役で私が長太郎だと感じたものがあったら、それは長太郎ではなく「吉田友紀」という人だったのかもしれません。

 長太郎の後の役…『サイバーコップ』(1988年)の武田にも私は長太郎を見つける事がなかなかできませんでした。武田が道場で鍛えられる場面があり、その時に相手を見つめた目に少しだけ長太郎の面影を感じましたが、私が感じたのはそこだけでした。
吉田さんを見る時、子供の頃に見て好きだった『俺はあばれはっちゃく』の長太郎を探してしまう。吉田さんの活躍をみたいというその裏には、もう一度『俺はあばれはっちゃく』の長太郎に会いたいという心理があるのかもしれません。

しかし、その長太郎には今はもうDVDの中でしか会えない。だから、吉田友紀さんの中に長太郎を見てしまうのかもしれません。吉田さんの中に長太郎を求める人たちが大勢いる。そうした大勢の人たちの思いを吉田さんは一人で長太郎を演じた12歳の時から現在まで結果的に引き受けているのかもしれません。

「良くも悪くもはっちゃくのイメージが求められますから」

 吉田さんは4年前のインタビューでそう語っていました。長太郎を演じる前も後も長太郎を求められる吉田さん。長太郎は吉田さんが演じてきた多くの役のうちの一つに過ぎないのに、他にも長太郎を演じた人は4人もいるのに、演じてから30年以上経っても切り離すことのできない人物になっているのかもしれません。
追伸・『さまよう刃』(2009年)で吉田友紀さんを見つけました。作品の感想はいずれ書くかもしれません。