柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

ときどき思うこと

代弁

あばれはっちゃく』を見ていて素直に感じたこと、考えたこと、妄想したことをブログに書き続けていますが、初期の方がもっと無邪気に書いていたなって思います。最近は、作品から感じ取ったことや、自分自身を擁護するために作品の話を利用していて、こすっからいなって思います。

どうにも、私は出来損ないで弱い人間でありながら、自己評価、自尊心はやたらと高く、そのくせ、自分は何も出来ない、評価されていない人間だという劣等感をもっていて、そんな人間が生きていてもいいじゃないかという気持ちを、作品を通して代弁していると思うのです。

作品は私の存在を肯定するためにあるものではないし、評価されない、認めらないのは、私自身が気力をなくし、自分の能力を磨き、育てることを放棄した結果であって、誰のせいでもないのに、それで何も出来ない、人よりも仕事が遅くなっただけなのに、その現実の自分の能力を直視することが出来ずに、自己評価だけは高いから、現実とのギャップに不満を抱えて生きているんだなって思うのです。

怖い

私は小学生の頃から、ずっと漠然とした「怖い」という不安な気持ちを抱えて生きてきました。何かをやって失敗をして、取り返しがつかない事態になったらどうしようという恐怖もあり、何かをやりだす勇気がありません。常に高いところで細いロープを綱渡りしていて、落ちたら死んでしまうという気持ちを抱えています。

失敗する恐怖というのが生まれたのは、小学6年生の時の図工の時間に針金と粘土で人体を作った時に、当時の担任のS先生(男性)が、勝手に私が作っているのを取り上げて

「なんだこれは、変なもんだなあ。ほら、こことか見てみろ。全然なってないぞ」

とみんなの前で笑いものにしたことがきっかけです。S先生としては、悪い作品例として挙げたのでしょうが、変になったのを一生懸命修正していたのを、勝手に取り上げててそれを掲げて、みんなの前で下手くそだと言ったのは、とても恥ずかしく心が傷つきました。

それから、失敗すればやり直せばいいんだという考えは引っ込み、私がやると取り返しがつかなくて、全て台無しになってしまうという「恐怖」を常に抱えることになりました。

トラウマ

子ども時代の大人からの心理的暴力は、いつまでも、尾を引いて人生に影響を与えるんだなって、私は自分の経験から知りました。私の作品を笑いものしたあとで、A君の素晴らしく出来の良い作品を挙げて、S先生はご満悦に褒めました。それで私は、A君の作品に感心する一方で、自分の不出来をさらに感じて、さらに落ち込みました。

私がS先生嫌われていたのは明らかで、漢字ノートも綺麗な字の人は、マルを多くもらえたのですが、私はいつも最高の一歩手前でした。小学校入学前から習字を習い、字が綺麗な母から字を綺麗に書く特訓をし、転校する前の学校で、字の大会で賞も取っていた私でしたが、S先生から最高の評価を頂くことはありませんでした。

本当は、最高の一歩手前の評価すらしたくはなかったのでしょうけれども、認めたくはないが、そこそこ綺麗で、それ以下がいるから、評価しないといけないという忸怩たる思いで最高の一歩手前の評価にしていたんだと思います。当時、30代の先生でしたが、今思うと12歳の子ども相手に、教師でありながら、大人げない先生だったんだなって思います。

まあ、先生も人間だし

私は幼稚園、小学生時代は、男の先生よりは女の先生に評価されていました。私は年中から幼稚園に入りましたが、その時の男の先生は怖く私を馬鹿にする先生で、年長になって女の先生は厳しいけれど優しく、認めてくれる先生でした。小学1年生と2年生の頃の女の先生のS先生も私を認めてくれた先生でした。

転校先の2年の2学期から3年の女のY先生は普通、4年生の男のK先生は認めてくれず、2回目の転校先の5年生の時のI先生は男の先生だったけどいい先生で、6年生で担任が変わってきたS先生は、私には最悪な先生でした。先生としての周囲の評価、学校の評価は高い先生でしたが。

中学の時はクラス替えもなく、担任もずっと同じM先生でしたが、私を認めてくれた先生でした。今思うと、中学の時は担任以外でも委員会や他の教科の先生を含めて、恵まれていた時代でした。

認めて評価して褒めてくれる先生にも出会っていながら、傷つけられた先生の影響の方が大きく残ってしまっているのは、残念で悔しいことです。私に対してのマイナスの声が私に対するプラスの評価を消してしまっていて、現在の実力がないのに自己評価が高いという歪んだ私の心になっているように思います。

先生も人間だから、人の好き嫌いはあるんだろうし、嫌いで評価もしたくない児童や生徒がいるんだろうなって、大人になると思うんですけれども、それでも、教育者として子どもの人生を左右するような心の傷はつけて欲しくないなって思います。

相性のいい先生悪い先生

私が幼稚園、小学生時代に『あばれはっちゃく』の山内賢さんが演じる長太郎の担任の先生に憧れたのは、現実で相性の悪い先生に当たってしまったことも影響しているんでしょうね。