柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

家業・親の仕事

 

お家で商売

わらさんがUPされている登場人物紹介の動画を見ながら、まだ、『男!あばれはっちゃく』の2年目をちゃんと見返していない私は、6年生から登場してくる小川マリ子ちゃんの家も八百屋だったかと思い出しました。

長太郎の同級生の家が八百屋をしているのは、初代『俺はあばれはっちゃく』の公一のところと、2代目『男!あばれはっちゃく』のマリ子ちゃんのところと、4代目『痛快あばれはっちゃく』の清のところかな。長太郎の家が商売をしているという設定は、2代目から入ってきた設定ですが、長太郎の同級生に目をやると、家業をしている同級生の存在は既に公一の家で存在していたんですよね。

それに、2代目の1年目にも和美ちゃんの家はクリーニング店でこれもおうちで商売をしていますし、クリーニング店は4代目『痛快あばれはっちゃく』の桜間家の家業になっていたりしますしね。こうしてみると、八百屋だけでなく、シリーズ通して同じ家業がたまに出てきていたなって思いました。それと、2代目の1年目は洋一の家も銭湯でした。2代目はみゆきちゃんの家も開業医なので、2代目は家業をしている長太郎の同級生の家が多かったですね。

4代目は信彦の母親が経営し、父ちゃんが務めているつくし美工は株式会社なんですが、これも家業と言えば家業になるのかな。他に4代目はマヤの家が配達業をしていましたね。5代目は長太郎の家以外で、家でお店をしていたのは、ワタルの家のラーメン屋ぐらいでしょうか。ラーメン屋はもっと前の段階であっても良かったと思いますが、単発の話やゲストの子どもに関連する話ではあっても、レギュラーとしては最後になったのは、意外だったなって思いました。

その店だからこそ

長太郎の同級生の家の家業にちなんだ話も、『あばれはっちゃく』シリーズの中には多くありましたね。主人公の長太郎の家や父ちゃんの仕事関連とは、また、別に。そうした中では、和美ちゃんの家で病院の仕事を取ることが出来るどうかという、『男!あばれはっちゃく』17話「ボタン戦争」の話が私は一番に頭に浮かびます。

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原作と初代『俺はあばれはっちゃく』の母ちゃんが専業主婦で、初代長太郎の家がお店をしていなかったのに、2代目の母ちゃんが職業をするようになって、母ちゃんがお店をするようになった経緯は、私には分かりませんが、なんとなく主人公の家がお店をしていた同じ国際放映作品のケンちゃんシリーズに倣ったのではないかな、なんてことを個人的には思っています。

それぞれに特徴のある店、家業だからこそ生まれるエピソードの話もあれば、あんまり家業には関係がないけれども、それが事件の発端になって始まる話もあって面白いなと思います。長太郎の家も家業をするようになったのは、公一の家だけよりも幅が広がると思ったからなのかな。

原作だと公一の家は商売をしていないので、これはドラマオリジナル設定なんですが、家業をしている家の子をレギュラーにして、その家業をから始まる話を全体の話の中に入れるというのは、ドラマを作るのに変化を持たせたり、まだ、子どもには縁のない仕事に対して、仕事とはどんなものかというのを伝える役割もあったりしたのかな、なんて思います。

親の職業

あばれはっちゃく』シリーズを見ていくと、親の職業がそれぞれの家の子ども達に大きく影響を与えていて、それが物語になっているように思います。親の職業で、いろいろと言われたり、羨ましがられたり、差別されたり……。親の職業で子どもが嫌な思いをしたり、差別されることはあってはいけないと思うのですが、ドラマの世界でも、現実でも、そういうことはあったりする訳でいろいろと考えてしまいますね。

4代目のまゆみちゃんや広田先生の場合、親が教師だったことで、贔屓をされているとかテストで有利にされていると思われて、仲間外れにされたりして、嫌な思いをしていたりします。

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反社会的な職業ではない限りは、職業に貴賤はないと思いたいのですが、それも綺麗ごとと言われたらおしまいですからね……。人って、他人のことは表面に見える良い部分だけが目立って見えて、大変だったり、苦労している面は見えてこなくて、いい面だけを見て、あの人はいい思いばかりして狡いって考えてしまうんでしょうか。

いろんな立場の職業や家業を見せて、それにちなんだ話をドラマで見せることで、その仕事なりの大変さや、その家族や子どもの気持ちを知ることで、それぞれにいい面だけでなく、大変さや辛さや、寂しさを知ることで、自分は経験していないけれど、それぞれに大変な中を頑張っているんだな、自分も一緒に頑張ろうという励みに繋げて、他者を羨んで、憎むような考えを少なくして欲しかったんじゃないかなって思ったりもします。

もしかしたら、そこまで、考えていなくて、話のバリエーションを増やしてみたかっただけなのかもしれないけれど。作品を見て、少しは違う立場の人のことを考える頭と心が育まれていたら、世の中はもっと優しい世界になっていただろうな、なんてことを思いました。