柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『俺はあばれはっちゃく』39話と『熱血あばれはっちゃく』35話

脚本にはない小百合と明子の感情

『俺はあばれはっちゃく』39話と『熱血あばれはっちゃく』35話は、それぞれヒロインのヒトミちゃん、あけみちゃんがモデルになっていく話です。『俺はあばれはっちゃく』39話の脚本は市川靖さん、監督は山際永三監督、『熱血あばれはっちゃく』35話の脚本は山根優一郎さん、監督は磯見忠彦監督です。

それぞれにヒロインがモデルとなって、ちやほやされ女の子達からやっかまれる展開が入っています。初代の場合は普段からヒトミちゃんと仲の良い恵子ちゃん、明子、小百合が最初はヒトミちゃんの写真、ヒトミちゃんのことを褒めていたのがあった上で、3人のヒトミちゃんに対しての不満を徐々に見せていき、最終的にヒトミちゃんを仲間外れにして直接嫌味を言ってくるので、とてもそれが重く心に突き刺さっていきます。

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『俺はあばれはっちゃく』39話より

上記の画像で長太郎と公一、正彦がヒトミちゃんを見に来た他のクラスの男子について語っている時に、その後ろで不満そうな顔で何かを言い合っている小百合(左側のおさげの子)と明子(右側)この後の2人の目線の先には席に座っているヒトミちゃんがいて、ここで男の子達に注目を浴びていて、まんざらでもないヒトミちゃんに対して小百合と明子が不満を持っているというのが推測できます。

また、手前にいる台詞のある男の子達(長太郎、公一、正彦)と奥にいる台詞のない女の子達(小百合と明子)での、男女のヒトミちゃんを巡る騒動に対しての温度差も出ていて、後で恵子ちゃん達に痛烈な嫌味を言われるヒトミちゃんを目撃した公一の言葉にも、男女差の認識の違いがあるんだなって感じました。

画面の奥にいる小百合と明子のセリフはなく、2人は表情としぐさだけなので、おそらくは脚本にはない演出なのではないかなって思っています。後の方で、小百合と明子が恵子ちゃんと一緒に長太郎が企画したヒトミちゃんの撮影会を目撃して、ヒトミちゃんに嫌味を言ったり、また学校の休み時間でも、直接ヒトミちゃんに嫌味を言ってくるので、それを踏まえた上で、その前段階で既に小百合と明子の不満を出させてたのだろうと思いました。

このちょっとした前段階の小百合と明子の感情が入ることで、後に出てくる小百合と明子の言葉の効果が大きくなってくる。また、恵子ちゃんも自分の隣の席のヒトミちゃんの席にたくさんのプレゼントが置かれた時に嫌味を言ってきている、と、ちゃんと女の子のヒトミちゃんに対する悪感情を少しずつ出してきて、また、ヒトミちゃんに意地悪をするのも、先にした自分達の約束を無視したという、恵子ちゃん、小百合、明子達の心情の背景、経緯も語られているので、この3人の感情の変化やヒトミちゃんへの嫌味が感情の流れの中で出てきたものだと感じ取ることが出来ます。

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『俺はあばれはっちゃく』39話より

台詞がなくても演技をさせる。教室での小百合と明子は、台詞がないことから脚本にはないものだと推測したので、これは、恐らくは監督の山際監督の演出なんだろうと思います。

恵子ちゃん達がヒトミちゃんをやっかんで仲間外れにしていくのは、市川靖さんの脚本に当然あるもので、あの教室の小百合と明子の場面を入れなくても、その後で小百合と明子も直接言葉でヒトミちゃんを攻撃してくるわけですが、言葉にない2人の動作を入れることで、より深い4人の亀裂が表現されていて、ヒトミちゃんの孤独と意地っ張りなゆえにモデルの仕事を引き受けてしまって、取り返しのつかないことに発展していくことに繋がっていった大事な場面だったと思います。

山際監督は脚本に書いてある言葉をより深く汲み取り、さらにその効果を増大させるために、感情の蓄積を積み上げていく演出をしていくところがあるように私は思います。

ただのクラスメイトからの嫌味

初代『俺はあばれはっちゃく』では、普段からヒトミちゃんと仲の良い3人の女の子達、恵子ちゃん、小百合、明子から文句と嫌味を言われ、仲間外れにされてしまったヒトミちゃんでしたが、3代目『熱血あばれはっちゃく』のあけみちゃんの場合は普段から仲の良いみどりちゃんではなく、クラスメイトの数人の女の子達から文句を言われました。

また、ヒトミちゃんの時のように先にした自分達の約束を後回しにしたとか、ヒトミちゃんのファンの男子が迷惑をかけたという具体的な被害があったのに対して、『熱血あばれはっちゃく』35話では、そうした場面が映像で出てくることはなく、女の子達の台詞からしか聞くことがなかったために、何も迷惑をかけていないのに一方的に女の子達から攻撃されているあけみちゃんが可哀相でした。

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『熱血あばれはっちゃく』35話より

この教室での出来事を実と輝彦が見ていて、実が女の子は恐ろしいと言い、輝彦がうなずきます。これは、『俺はあばれはっちゃく』39話の公一と同じですね。初代39話では、ヒトミちゃんが立ち去るとボールを取りに来た公一が立ち去ったヒトミちゃんの後ろから登場してきます。画面で見ると手前に恵子ちゃん達3人、ヒトミちゃんがいた画面のさらに奥に公一がいて、ヒトミちゃんが退場したことで奥の公一が出てきたという感じでしょうか。

なんというか、こう多重構造になっていた画面が、一つの段(ヒトミちゃん)が抜けたことで、もう一つの段階(公一)が出てきて、女の子達の嫉妬の感情とヒトミちゃんのまだ仲が良いと思って深刻に考えていなかったのが、段々と3人との溝を感じ取って表情が曇っていく場面があって、女の子達の嫌な世界が生まれた後で、別の世界の男の子視点の世界が公一の登場と言葉で示されて、ここでも同じ出来事を巡る男女の認識の温度差を感じました。

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『俺はあばれはっちゃく』39話より
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『俺はあばれはっちゃく』39話より

映像で段々とその感情の温度差を見せいった後での、公一の「女の子って恐ろしい」がかなり共感を持って耳に入ってきました。『熱血あばれはっちゃく』35話もこうした一連の場面や台詞があるのですが、具体的なクラスメイトの女子たちの被害が目に見える形でないのと、一通りの流れの中での実と輝彦の目撃と言葉だけになっていて、実と輝彦の目撃が自然に見える反面、初代39話と比べると私にはインパクトが弱く見えました。

また、やはり普段から仲の良い子達からの痛烈な嫌味や仲間外れの方が信頼が大きいのもあってショックが大きく、普段からそんなに仲の良くない女子から言われるのとは、かなり違うなって思いました。もちろん、普段、そんなに仲良くなくても悪意を持っていないと思っていた人達から集団で文句を言われるのも、かなりきついのは私も自身の体験から知っていますが、それ以上に信じていた人からの裏切りや誤解はもっとショックで立ち直るのに時間を費やすことも、現在進行形で知っていますから、初代39話の方が心に刺さってきますね。

それぞれのママ

『俺はあばれはっちゃく』39話と『熱血あばれはっちゃく』35話で面白いなって思うのは、ヒトミちゃんのママとあけみちゃんのママですね。どちらも木村有里さんが演じています。ヒトミちゃんのママは画像の情報から宮村麗子、あけみちゃんのママはドラマを見ていると松山アサコという名前です。

ヒトミちゃんのママが降ってわいたようなヒトミちゃんのモデルの話に浮足立っていて、ヒトミちゃんがあわよくば有名人になっていくことに浮かれてミーハーになっていて、ヒトミちゃんがモデルになることよりも、有名人になることの方に関心があるように思いました。

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『俺はあばれはっちゃく』39話より

一方であけみちゃんのママは、あけみちゃんをモデルにしたいという強い意志がありました。初代39話と3代目35話を見ていると、ヒトミちゃんがモデルになるという強い決意を持ったのに対して、あけみちゃんが自身のモデルになるという強い決意をあまり感じません。

ヒトミちゃんもあけみちゃんも最終的には自分の意志でモデルを辞める、しないことを決めますが、その過程でモデルをすると腹を決めるところで、ヒトミちゃんが恵子ちゃん達との関係から距離を置く決意を固めたのに対して、あけみちゃんの場合はあけみちゃん自身がモデルをしたいという感情が薄く、嫌だけど仕方がないという印象の方が強いのです。

本人が乗り気ではないから、あけみちゃんの場合はクラスの女子達から言われた言葉の影響でオーディションがうまく応対できずに、嫌な気持ちが生まれてモデルの仕事に対して意欲的ではなく、長太郎にモデルの仕事をやめられるようにお願いすることになります。

初代39話でもヒトミちゃんが同じお願いを長太郎にするのですが、これは自分が予期しない方向へ話が展開してモデルの仕事の為に転校する話が出てしまったことに対して戸惑いからのヒトミちゃんのお願いで、元々、乗り気ではなかったあけみちゃんのモデルの仕事って嫌だなっていう消極的な感情からと、ヒトミちゃんの売り言葉に買い言葉でモデルの仕事をやってみて、自分が思った以上の展開になってしまったことへの積極的な感情からの行動の違いがあって、結果は同じでも消極的な行動から生まれたものか、積極的な行動から生まれたものかで、印象が変わってきました。

こうした、ヒトミちゃんとあけみちゃんの感情、行動の違いは2人の性格の違いもありますが、それぞれのママのモデルに対しての捉え方の違いにもあると思います。ヒトミちゃんのママはモデルに対しての思い入れがないように見えました。

とにかく、ヒトミちゃんのママは有名になってくれたらいいと考えているところが多く、その一つの足掛かりとしてモデルの仕事を捉えていて、有名になるには東京へ引っ越しても構わない(初代の舞台は神奈川県)というミーハーで安易な考えがあったなって思うのですね。娘がダメなら、自分がモデルになると水着になろうとする場面を見ても、有名になるという気持ちが強く感じます。

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『俺はあばれはっちゃく』39話より

あけみちゃんがモデルになるのは、雑誌記者のママがモデルの仕事を持ち込んだことがきっかけで、あけみちゃんのママは少女時代に月刊誌のモデルに憧れていて、自分もモデルになりたいという夢を抱いていました。まだ、テレビもない時代に月刊誌のモデルの女の子達を見て胸をときめかせていたあけみちゃんのママ。

あけみちゃんのママにはヒトミちゃんのママにはないモデルに対しての情景があり、夢があり、憧れがあります。自分の叶えられなかったモデルの夢を娘のあけみちゃんに託す、自分が憧れたモデルだから、あけみちゃんも同じように憧れて、その仕事を喜んでくれるに違いないと、あけみちゃんの意志や思いを確認することなく、自分の夢を優しくそれでいて強引に押し付けています。

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『熱血あばれはっちゃく』35話より

あけみちゃんは優しいので最初は自分のモデルの仕事が嫌だという感情から長太郎にモデルの仕事をダメにして欲しいと願っても、ママの思いを聞くとモデルの仕事を引き受けてしまう。あけみちゃんはママへの思いで動いていて、それもあけみちゃん自身の感情ではあるんだけども、自分の気持ちよりもママへの思いを優先していて、あけみちゃんの感情が出てこない。だから、あけみちゃんの主体性が見えなくて、モデルが嫌だと言ったり、またやると言い出したりして、長太郎を振り回すことになるんですね。

ヒトミちゃんが常に自分の感情を優先していたのに対して、あけみちゃんはママのことを自分の感情よりも優先していたのが違うなって感じました。最終的にはあけみちゃんもママに謝って自分の感情を優先することになるのですけれども。

あけみちゃんのママがヒトミちゃんのママよりも、モデルの仕事に対して真面目で思い入れが深くあるだけに、同じ木村有里さんが演じていても、ヒトミちゃんのママがミーハーで軽いノリに見えたのに対して、あけみちゃんのママは真剣で真面目で深刻に見えるので、正反対な印象を受けます。

あけみちゃんに言われ、編集長に諭されて、あけみちゃんをモデルにすることを諦めるしかなくなったあけみちゃんのママの顔はとても寂しく悲しく見えました。と、同時に子どもは親とは別人格であり、自分の叶えられなかった夢や欲望を満たすための道具ではないということなんだなって思いました。

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『熱血あばれはっちゃく』35話より

子どもが無理なら自分がやってやるわというのがヒトミちゃんのママなら、自分が子どもの頃に叶えられなかった夢は自分の子どもで叶えてみせるというのがあけみちゃんのママだったなって思うのです。

自分自身の夢を叶えるのなら、自分自身でというメッセージも初代39話と3代目35話には、それぞれのヒロインのママを通じて描かれていたわけですが、その表現方法が初代39話は笑いの中で、3代目35話は悲しみの中で教訓として書かれていたのが、山際監督が話してくださった、市川靖さん(初代39話脚本)と山根優一郎さん(3代目35話脚本)の性格の違いだったのかなって思いました。