1980年6月21日放送・脚本・三宅直子さん、山際永三監督
おはじき効果
国語の授業が終わって長太郎は外に遊びにいこうとするものの、クラスメイトは殆ど席を立たず、近い席同士でおしゃべりしたりおはじきをして遊んだりしています。
邦彦にいたっては次の授業の予習を始める始末。
おはじきをして遊んでいるのは、みゆきちゃんと弘子ちゃん、和美ちゃん達なんですが、この3人以外でも、今回の話の中では、おはじきをして遊んでいる子達が多くて、長太郎がしたい遊びと対照的な扱いになっているのが面白かったです。
今回も前回に引き続いて監督は山際監督なのですが、おはじきを印象付けるために、おはじきだけをクローズアップして映しています。
この先でも、おはじきが出てきますが、やはり印象に残るようにおはじきが抜き取られています。これが見ていてとても心に引っかかる演出になっていると感じました。
寺山先生に言われて外に出たみゆきちゃん達は、外でもおはじきをしていて、そこ、外に出た意味!って思っていたら、長太郎がきて私が思っていたツッコミを入れてくれました。ナイス!長太郎。
おはじきが抜き取られて映される場面に心が引っ掛かると書きましたが、長太郎が段ボールで土手滑りをしていた時にも、おはじきで遊んでいる子達が出てきます。でも、長太郎が楽しそうに遊んでいるのが気になって、おはじきを置き去りにして長太郎のとこに集まってくるのです。
この時にそこに置き去りにされたおはじきの映像が入るのですが、それを見てなんとも淋しい気持ちになりました。自分で遊び道具を作ったり、一見、ゴミに見える物を活用して遊び道具にして、体を動かして遊んでいる人の遊びに気を取られて、自分達が遊んでいた遊び道具を置き去りにしていて、そこに残された遊び道具のおはじきがなんだか可哀相に見えたのです。
下の画像が置き去りにされたおはじきの映像です。
教室でみゆきちゃん達が遊んでいたおはじきの場面と置き去りにされたおはじきの場面では印象が違いました。子どもの遊びとして機能していたおはじきと子どもに見捨てられたおはじきを見せることで、子ども心の移ろいを表現しているように思えました。
また、アバンタイトルを含めてみると、アバンタイトルで長太郎、みゆきちゃん、洋一、邦彦、弘子ちゃん、和美ちゃん達が外で体を動かして遊んでいるので、アバンタイトルでは長太郎と遊んでいたいつもの面子が、本編で外で遊ぼうと誘う長太郎を迷惑に思っているのも対照的に感じました。
アバンタイトルで先に外で体を動かして遊んでいる長太郎達を見ているだけに、本編ではいつ一緒に遊ぶことになるのかなって思いながら見ました。
映像や先にアバンタイトルの話を見てそんなことを思いながら見ていて、それが私の心を揺り動かしているのかなって考えたりもしました。
洋一の父親の嘆き巻き込まれた母ちゃん
この先でおはじきだけでなく、体を動かさない遊びが出てきます。それが漫画だったり、インベーダーゲームだったり、お手玉だったりと新旧関係なく出てきて面白く、一方で長太郎の遊びは、一見ゴミになってしまった物を活用して遊び道具に使い体を動かして遊んでいます。長太郎は土手滑りの前に洋一の母親からもらった縄を利用してターザンごっこをして遊んでいます。
遊びの新旧ではなく、体を大きく動かすか動かさないかで遊びを分けている。書店とゲーム機のあるお店の場面で洋一の父親が登場してきますが、洋一の父親は漫画だけを楽しみにしている自分の息子やインベーダーゲームで遊んでいる若者を見て嘆いています。
この後、洋一の父親は長太郎の家の理容室に行き、そこで母ちゃんが長太郎が遊びの天才だと聞きます。母ちゃんが長太郎を遊びの天才と称する前の段階で、長太郎がいろいろと工夫して遊んでいる姿があるので、母ちゃんの言葉に頷きました。
この話では外で体を動かす遊びと部屋の中で済む遊びに分け、さらに長太郎の遊びの中に自分で遊び道具を調達するだけでなく、自分の手で工作して作り出す要素が入れられています。この長太郎の自分で遊びを考えて、道具を作って遊ぶ、何もないところから作り出す遊び、なんでもないゴミに見えるもの、遊び道具には使えない物を遊び道具にする発想力はとても高いです。
それだけでなく、初代『俺はあばれはっちゃく』から見ていると、長太郎の遊びやいたずらに対して発想力が高いという認識がファンの中に育っています。2代目長太郎は母ちゃんから「遊びの天才」と言われましたが、初代長太郎も『俺はあばれはっちゃく』13話「暴れキューピッド」(脚本・市川靖さん・川島啓志監督)で佐々木先生から「遊びの天才」と言われています。
初代13話は長太郎の遊びがメインではなかったものの、他の話でいろいろな遊びやいたずらがアバンタイトル、本編を含めて登場してきたので、初代長太郎は遊び(いたずらも含む)の発想力が高い印象が残っているところでの、2代目のこの14話なので、余計に母ちゃんの言葉に強く共感ができました。こうした影響を視聴者に与えることが出来るのはシリーズだからこそ出来るものだと思いました。
また、初代を見ていなくても、この話だけで説得力を持たせ、共感できるように話が作られ、単独で見ても共感出来るのもさすがだと思います。
長太郎が遊びの天才だと聞いた洋一の父親は、今度の町内のこども会の企画を長太郎に考えてもらうように町内会で母ちゃんにお願いをします。
この町内会で司会をした洋一の父親が母ちゃんや長太郎を持ち上げるので、みゆきちゃんのママが面白くない顔をし、言葉では母ちゃんを持ち上げているものの、みゆきちゃんのママに加担して、嫌味っぽく母ちゃんに面倒を押し付けている弘子ちゃんのママとと和美ちゃんのママ。悪気がなくおだてる洋一の母親の中で、母ちゃんが居心地悪そうにしている姿がいたたまれませんでした。
こんな場面、初代『俺はあばれはっちゃく』29話「燃えろママゴン」でもありましたね。この時の脚本も今回と同じ三宅直子さんでした。(監督は松生監督)やはり、三宅直子さんの脚本は母ちゃんが話の中心になる話が多いように感じます。町内会や学校のPTAでの人間関係の中で面倒な要件を押し付けられたり、人付き合いのストレスを受けたりと母ちゃんの苦労が見られます。
長太郎の遊びの発想力をメインにしながらも、母ちゃんの立場にもスポットライトを当てる三宅さんの脚本。大人になってみると、母ちゃんの立場での人付き合いの大変さにハラハラしてしまいました。
危険な遊び
体を動かして遊んだり、遊び道具を作るとなると、怪我をするリスクが増えていきます。今回は、遊びの中で怪我をしたり、遊び道具を作る中で怪我をする場面はなかったのですが、見ていて危ないなって思う場面がありました。それは、町内会のメンバー洋一の父親、みゆきちゃんのママ、弘子ちゃんのママ、和美ちゃんのママが理容サクラマに来て、母ちゃんに町内こども会の企画案を聞きに来た時に、割りばし鉄砲を作っていた長太郎が母ちゃんをいじめに来たと思って、割りばし鉄砲でみゆきちゃんのママたちを撃った場面です。
ちなみに母ちゃんを除く全員に命中しています。もしも目に当たってしまえば大惨事です。長太郎は出てきて抗議をし、みゆきちゃん達のママと揉めますが、洋一の父親が間に入り、また母ちゃんとカヨちゃんでさらに攻撃をしようとした長太郎を取り押さえます。
母ちゃんを思う長太郎の行動なのですが、これは少し危険に感じました。洋一の父親達は帰ってしまいます。帰ってしまったメンバーは、みゆきちゃんの病院の家の前で町内こども会の企画を読書会と決めてしまいます。その時、家から出てきたみゆきちゃんにみゆきちゃんのママが読書会のことを伝えるのですが、みゆきちゃんは不満を口にします。
それは、母ちゃんやカヨちゃんのアイディアをそれは去年にやったとかダメ出しをしながら、みゆきちゃん達のママが出した企画も前と同じだったからです。この時にみゆきちゃんがおはじきを持っているんですが、ここでも外に遊びに出ながら、おはじき遊びをしているみゆきちゃんが出てきて、どれだけおはじき遊びが好きなんだろうかと思いました。
ひょっとしたら、弘子ちゃんや和美ちゃんの家で遊ぶ可能性もあるかもしれないと思ったところで、ちゃんと外でおはじきをしているみゆきちゃん達の姿。ある意味、これはこれですごいと思います。それだけ、おはじき遊びが好きってことですよね。私自身も子どもの頃に長太郎のように外で体を動かす遊びだけでなく、ビー玉遊びで遊んでいたので、みゆきちゃん達の気持ちも分からなくもないし、安全に遊べる場所の少ない東京では動きの小さい遊びを選択してしまうのもあるかなって思ったりもしました。
進歩していく遊びと遊び道具作り
さて、外でおはじきで遊んでいるところに、竹馬に乗った長太郎が登場してきています。この前に長太郎は、熊田道場に行って和尚さんから竹を譲ってもらっています。その竹を使って竹馬を作って登場してきたのです。
竹馬を作った事を聞いたみゆきちゃんが長太郎を褒め称えます。信じらない邦彦も熊田道場に行って和尚さんから話を聞いて信じます。そして、自分達で竹馬を作り、他にも竹筒の水鉄砲や竹トンボを作ることに。
長太郎が竹で遊び道具を作る前に、割りばし鉄砲を作るのが入ることで、段々と複雑な遊び道具を自作している段階が見られて、竹馬や竹筒の水鉄砲、竹トンボに発展していくだなって思いました。
町内会の企画について長太郎が母ちゃんから話を聞いて、洋一の父親達が来るまでの間に長太郎もいろいろとアイディアを出してはいたのですが(木登りとか大食い大会とか)、みゆきちゃん達に木登りのアイディアを否定され、母ちゃんに大食い大会を否定されてしまっています。
それでも、洋一の父親達が帰った後で、長太郎は熊田道場で竹を見つけて、竹馬を作ることを思いつくのです。
なんというか、無理に考えるよりも、長太郎は遊び道具になる物を見つけると、それを利用した遊びを思いつくタイプなんだなって思いました。
長太郎の作った遊び道具も最初のターザンごっこの道具から、割りばし鉄砲、竹馬、竹筒の水鉄砲、竹トンボと複雑になっていて、工作や技術の要素が増えていきます。
体を動かす運動の部分と、道具を使用して手先を利用して遊び道具を作る工作、技術の部分が加わっていく。道具を生み出すというのは、人間が生きていくうえで必要な経験で生活の中で生かされていくものだと思うので、遊びの中にも生きていくうえでの大事な要素が入っているんだなって思いました。
面白いと感じるものに流れていく子ども
長太郎の遊びを否定していたみゆきちゃん達も、最終的には長太郎の遊びを受け入れ、自分達で貼り紙をして、親たちが決めた読書会に対抗しています。
遊び道具を作る事も含めて遊びとして受け入れている。結局は、自分達が興味を持ってやってみて楽しいと思える遊びや娯楽に素直に流れていんだってことが、みゆきちゃん達の態度から感じました。
アバンタイトル通りに長太郎がみゆきちゃん達と遊べて良かったと思いました。
しかし、こうして記事に書いて振り返って見ると、置き去りにされたおはじきの映像が思い出されて、子どもの心の移ろいの無情を感じて、物寂しく思う気持ちも出てしまいました。
子どもは興味がない事は、どんなに為になると押し付けてやらせても、その人に身につかないけれど、興味を持ってやったことは身について楽しい思い出になっていく。そんな経験が自分にもあったなってことを思い出す話でした。
この竹馬の大逆転で母ちゃんも立つ瀬があったし、ちゃっかりと「ちとせ町こども会々場」の看板を持って来て、長太郎達が集まっていた熊田道場をこども会々場にした洋一の父親のちゃっかりさ。
先に駆けつけたみゆきちゃんのママ達は長太郎達に竹筒の水鉄砲の洗礼を受けてしまいましたが、最終的には子どもも大人も楽しくこども会が出来て良かったかな、と。
子ども視点と大人になってからの視点
長太郎が割りばし鉄砲で洋一の父親やみゆきちゃんのママ、弘子ちゃんのママ、和美ちゃんのママ達を攻撃したのだけはどうかと思うけど、そこはしっかり母ちゃんとカヨちゃんが止めに入り、長太郎に頭を下げさせたりしていたので、長太郎の遊び方が全て正しいという訳でもなく、危険な遊び方は騒ぎになって、自分の正しいと思っている主張も受け入れてもらえないのがちゃんと示されているからこそ、私は『あばれはっちゃく』が好きなんだなって再確認しました。
長太郎が攻撃をしたのも、割りばし鉄砲の後で暴れたのも、みゆきちゃんのママ達の言動にも問題があるということは分かるので、割りばし鉄砲で撃つことも暴力も褒められた事ではないけれども、無闇やたらに暴力をするのではなく、それをするに至る原因があるということも含めて、人をましてや大人が子どもを暴力に駆り立てる原因を作ってはいけないんだってことが、大人になって見直すと伝わってきます。
『あばれはっちゃく』シリーズの面白さは、子どもの頃に見ていた時と大人になってこうしてDVDで見返した時に子ども視点と大人になった視点で違う見方や感想を持つことが出来る事です。
前回も書きましたが、こうした見方が出来る作品の表面だけを見て否定するのは、やはり勿体ないと私は思います。
ゲスト出演者
まことの母親役:原田千枝子さん
長太郎がターザンごっこを小さい子達に教えていた時に駆けつけた女性。イラストのあるTシャツを着ている子どもを「まことちゃん」と呼んで駆けつけているので、おそらくそのまことの母親だと思われます。
14話のオープニングで表示された出演者の中で、これまで出てこなかった出演者は原田さんだけでしたので、消去法で上記の方を原田さんと断定しました。
原田さんは1950年8月8日生まれ。あ、誕生日が私と同じだ。高校時代に日活にスカウトされて、1969年に映画デビューされます。1978年にフリーになり、多くの作品で活躍。『大江戸捜査網』(1970年~1984年)に多数ゲスト出演、『太陽にほえろ!』(1972年~1986年)にも多数ゲスト出演、『仮面ライダーアギト』(2001年)11話三浦智子の母役、『重版出来』(2016年)3話壬生平太の母役などを演じています。